ep.51 迎える場所
GRANZ 8×8 Expeditionの主要な内装を確認した翌週、優也は久しぶりに、以前真琴と一緒に見に行った大型車用の月極駐車場の資料を引っ張り出した。車両を契約する前は、そこへ書かれている月額や区画の広さを見ても、まだ遠い話のように感じていたのに、今は「納車されたその日から必要になる場所」として見なければならない。
ダイニングテーブルへ資料を広げていると、仕事帰りに寄った真琴が向かいの椅子へ座り、優也のスマートフォンに表示された地図と紙のメモを見比べた。
「前に見た東大阪のところ、まだ候補なんですね」
「一回現地まで見に行ってるし、出入りしやすかったからな。ただ、あれから時間経ってるし、同じ区画が空いてるとは限らん。納車直前に探して『置くとこありません』が一番怖いから、今のうちに聞いとこうと思って」
「それがいいと思います。完成してから駐車場を探すより、停める場所が決まっているほうが安心ですし、必要な書類も準備しやすいでしょうから」
優也は頷きながら、以前測ったときのメモへ視線を落とした。全長だけなら余裕があっても、車体の横に人が通れるか、右側中央の玄関を開けられるか、左後部のガレージハッチへ回れるかで使いやすさは変わる。最初に見学したころは、「こんな大きな車を本当に置くのか」と半分笑いながら地面へメジャーを伸ばしていたのに、今はその数値が急に生活の条件になっていた。
「前は広さ見て『高いなあ』って思ってただけやったけど、今はちょっと見方変わるな。毎回出すたびにギリギリやったら、それだけで嫌になるし」
「車そのものが大きいんだから、保管場所くらいは無理しないほうがいいでしょうね。せっかく家みたいに使えるのに、戻ってくるたびに緊張するのも変ですし」
「家帰るのに車庫入れで毎回イベント発生するん嫌やな」
真琴が笑ったので、優也もつられて笑った。
◇
翌日、優也は管理会社へ連絡し、以前大型車用区画を見学したことと、現在製作中の車両を納車後に保管したいことを伝えた。電話口の担当者は当時とは別の人だったが、車体の大きさと用途を聞いたうえで、現状なら候補にできる区画がいくつかあると教えてくれた。
ただし、今すぐ一年先まで特定の場所を押さえるという話ではない。納車時期がもう少し見えてから正式な契約へ進むのが現実的で、それまでは車両条件に合う区画があるかどうかを定期的に確認しておけばいいという。
優也はその説明に少し安心した。
何でも早く契約すればいいわけではないし、空いている場所へ慌てて金を払い続ける必要もない。けれど、いざ必要になったときに探し始めるのでは遅い。今の段階では「置ける場所がある」と確認し、納車時期が固まったら正式に押さえる。そのくらいの距離感がちょうどよかった。
週末、真琴ともう一度現地へ行くことにした。
前に来たときと同じように、周囲にはトラックや業務車両が並び、広い舗装区画の向こうから幹線道路へ出やすい作りになっている。候補として案内された場所は以前見た区画とは少し離れていたが、GRANZを停めるには十分な長さがあり、隣との間にもある程度の余裕があった。
優也は車体の右側になる位置へ立ち、玄関を開けたときのことを想像した。
「ここなら、降りてそのまま横通れそうやな。後ろも回れるし、前の区画よりええかも」
真琴は入口から区画までの動線を見ながら、少し考えるように周囲を見回した。
「出るときも切り返しは必要でしょうけど、狭い住宅街から直接出るよりずっと楽そうです。最初のうちは特に、こういう場所のほうがいいでしょうね」
「俺もそう思う。見た目だけで家の近く探して、出すたびに神経使うよりましやわ」
担当者から、納車予定が具体的になった段階で改めて連絡をもらえれば、そのときの空き状況を見ながら優先的に案内できると説明され、優也は連絡先と条件だけ確認してその日は帰ることにした。
契約書へ署名したわけではない。
それでも、「帰ってくる場所」の候補が現実に見つかったことは大きかった。
◇
駐車場を見た帰り、二人は近くのファミリーレストランへ入った。
優也はドリンクバーからブラックコーヒーを持って戻ると、テーブルの上に置いたスマートフォンを見ながら、次に考えなければならないことを思い出した。
「置くとこは目処ついたとして、次は俺やな」
「運転ですか?」
「せや。あれ、置けても俺がちゃんと動かせんかったら意味ないやろ」
真琴は少し笑ったが、すぐに真面目な表情へ戻った。
「必要な免許については、もう確認してるんですか」
「だいたいは聞いてる。今の仕様やったら、俺が今持ってる免許の範囲ではあかんから、教習所で必要な区分を取りに行くつもり。車が完成してから慌てるより、今のうちに始めたほうがええやろ」
「それは早めのほうがいいですね。優也さん、普段は大きな工事車両を外から見てますけど、運転席に座るのは全然違うでしょうし」
「そこなんよな。交通誘導してるからトラックの曲がり方とかは見慣れてるつもりやけど、自分でハンドル握るとなったら別やと思う」
現場では、大型車が右左折するときに後輪がどこを通るのか、運転手からどこが見えにくいのかを考えながら誘導している。けれど、それはあくまで外から見ている側の感覚であり、実際の運転席から見る景色を知っているわけではない。
「むしろ、今まで誘導する側だったのが役に立つかもしれませんね」
「そうやったらええけどな。逆に変な自信持たんようにせなあかんと思ってる。俺、慣れたと思った瞬間に雑になるタイプやし」
「それ、自分で分かってるなら大丈夫じゃないですか。少なくとも最初は慎重にやるでしょう」
「最初はな」
「ずっと慎重にしてください」
真琴の声が少し強くなり、優也は笑いながら「はいはい」と返した。
◇
翌週、優也は仕事の休みに合わせて大型車の教習を扱う自動車学校へ相談に行った。
受付で現在持っている免許と、製作中の車両のおおまかな条件を伝えると、必要になる免許区分について案内を受けた。GRANZのような大型の車両を自分で運転するなら、今の免許だけでは足りない。納車までに必要な教習を終え、運転できる状態を整えておく必要がある。
詳しい日程を確認したあと、優也は仕事を辞めたり長期間休んだりせず、休日を中心に通える形で進めることにした。
数日後、最初の実車教習の日が来た。
教習車の運転席へ上がった瞬間、優也は思わず「高っ」と呟いた。現場で大型トラックを毎日のように見ているのに、助手席ですらなく運転席へ座ると、地面との距離も、前方の見え方もまるで違う。
指導員がミラーの見方や車両感覚について説明している間、優也は真剣に耳を傾けた。
走り出して最初に戸惑ったのは、車体の大きさそのものより、自分の身体が車のどこにいるのかという感覚だった。普通車ならほとんど意識せずに曲がれる場所でも、同じ感覚でハンドルを切れば後ろがどう通るのか分からない。外から大型車を誘導しているときに何度も見たはずの動きが、運転席から見ると別のものに見えた。
「曲がるとき、前だけ見ないでください。後ろがどこを通っているか、ミラーで確認しながらゆっくりで大丈夫です」
指導員にそう言われ、優也は速度を落としたまま慎重に進んだ。
一度目の課題では、思っていたより内側へ寄りすぎた。
二度目は逆に意識しすぎて大きく回りすぎた。
それでも、何度か繰り返すうちに、外から見ていた「大型車の曲がり方」と、自分がハンドルを切った結果が少しずつ頭の中でつながっていく。
教習が終わるころには肩へ余計な力が入っていた。
車を降りた優也は、自分の腕を軽く回しながら苦笑した。
「これ、思ってたより疲れるな」
指導員からは、最初は誰でもそんなものだと言われた。慣れることは必要だが、慣れすぎて確認を省かないことも大切だという言葉が、妙に優也の胸へ残った。
◇
教習を重ねる中で、優也がいちばん苦手意識を持ったのは、前へ進むことより後ろへ入れることだった。現場では大型車がバックするとき、外から周囲を見て運転手へ合図を送る側にいるため、危ない場所や死角がどこにできるかは知っているつもりだった。しかし、自分が運転席へ座ってしまうと、ミラーに映る景色だけで車体の後端や後輪の位置を組み立てなければならず、慣れた光景が急に難しいものへ変わる。
ある教習では、広めに取られた区画へ後退で収める課題を繰り返した。最初はハンドルを切る時期が早く、修正しようとして今度は反対へ振りすぎる。指導員から「一回で決めようとしなくていいので、分からなくなったら止まって見直してください」と言われ、優也はようやく肩の力を抜いた。
何度かやり直すうちに、少しずつミラーの中の線と実際の車体の位置がつながっていく。
完璧に入れられたわけではない。
それでも、一度止まり、必要なら切り返し、確認してから動くほうが結局は早いという感覚は掴めた。
教習車を降りたあと、優也は以前見た駐車場の区画を思い出していた。あそこへGRANZを戻すときも、同じように焦らず入れることになる。格好よく一発で決める必要などないし、真琴が外にいるなら、見える位置から合図をしてもらえばいい。
大きな車を所有することに少しだけ浮かれていた自分が、教習を受けるたびに削られていく。
けれど、それを悪いことだとは思わなかった。
怖さを知らないまま納車を迎えるより、難しさを知ったうえで楽しみに待つほうがずっといい。
◇
その日の夕方、真琴と電話で話した。
優也が「一時間ちょい乗っただけで肩こった」と言うと、真琴は笑ったものの、教習の様子を聞く声には興味が混じっていた。
「どうでした? やっぱり普段見てるトラックと違いました?」
「全然ちゃうわ。外から見てたら『もっと外振って曲がればええのに』とか思うことあるやん。自分で乗ったら、前もミラーも見なあかんし、後ろの位置も考えなあかんし、最初は余裕ない。今まで運転手さんに偉そうなこと思ってすみませんって感じや」
「それはいい経験だったんじゃないですか。GRANZは教習車と同じではないでしょうけど、大きな車を動かす感覚に慣れておくのは無駄にならないでしょうし」
「うん。納車前に始めて正解やったと思う。完成して目の前に車ある状態で練習始めたら、たぶん早く乗りたくて焦るわ」
優也はそう言いながら、昼間の教習車を思い出した。
憧れていたGRANZを買うことと、それを安全に扱えることは別の話だ。金を払って所有者になれば、自動的に運転が上手くなるわけではない。むしろ、あの大きさの車を公道へ出すなら、今まで以上に慎重でなければならない。
「真琴も免許取る?」
冗談半分で聞くと、電話の向こうで少し間があった。
「今すぐは考えてません。まずは助手席から始めます。優也さんが慣れて、私も車の大きさや動きを分かるようになってから必要なら考えます」
「賢いな。俺も助手席がええわ」
「誰が運転するんですか」
「そこが問題や」
二人で笑ったあと、真琴は「でも、私も誘導くらいは覚えたほうがいいですね」と続けた。
「駐車場や狭い場所で、外から見てもらうことはあるでしょうし。優也さんが現場でやってるみたいな本格的な誘導じゃなくても、どこに立てば見えるのか、合図をどうするかくらいは決めておいたほうが安全だと思います」
「それは助かる。完成したら一回、広いとこで二人で練習しよか。俺が運転して、真琴に外から見てもらって」
「最初から私の合図を無視しないでくださいね」
「信用ないなあ」
「安全の話です」
その言い方が少し真面目で、優也も「分かってる」と答えた。
◇
教習へ通い始めると、優也の生活に新しい予定が一つ増えた。
本業の勤務表を見ながら教習日を入れ、副業の現物確認がある日は重ならないよう調整する。以前なら、休みの日にまで予定が埋まることを面倒に感じたかもしれないが、今回は不思議と嫌ではなかった。
教習へ行くたび、GRANZへ少し近づいている感じがするからだ。
何度目かの教習では、最初よりミラーを見る余裕が出てきた。まだぎこちないところはあるものの、車体の後ろがどこを通っているのかを意識しながら進めるようになり、狭い場所へ入る前に一度止まって確認する癖もついてきた。
ある日、教習を終えて会社へ寄ると、久保田から「最近休みの日まで何してんねん」と聞かれた。
「大型車の教習です。GRANZ来る前に取っとかなあかんので」
「ほんまにそこまで来たんか。前は二億の車欲しい言うて笑ってたのにな」
「俺も笑ってましたよ」
「で、運転できそうなん?」
優也は少し考えてから答えた。
「できるようにはなると思います。でも、簡単やとは思わんようになりました。外から見てるんと、自分で運転するん全然違いますわ」
久保田は「それくらいでちょうどええ」と笑い、缶コーヒーを一本投げてよこした。
「慣れたころが一番危ないからな。お前、でかい車で調子乗ったら洒落ならんぞ」
「真琴にも同じようなこと言われました」
「ほな二人の言うこと聞いとけ」
「二人って、久保田さんまで入ってるやん」
優也は笑ったが、その忠告は素直に聞いておこうと思った。
◇
駐車場所についても、納車時期が少しずつ見えてくるのに合わせ、管理会社と連絡を取り続けた。候補の区画が一つだけでは不安なので、同じエリアで大型車を置ける場所をいくつか確認し、出入りしやすさや周囲の道も見ておく。
優也は、家から一番近いという理由だけでは選ばなかった。
毎日使う普通車なら距離も大切だが、GRANZは気軽に近所のスーパーへ行くための車ではない。出発するときと戻るときに安全で、車体の周囲を確認でき、必要なら荷物の出し入れもできることのほうが重要だった。
真琴と二つ目の候補地を見た帰り、優也は「前より俺、地味なとこ気にするようになったな」と笑った。
「いいことじゃないですか。前は車そのものしか見てなかったですし」
「ほんまそれ。最初、内装とタイヤと見た目しか見てへんかった気する」
「でも、実際に持つなら、置く場所も運転する人も含めて一台でしょう。完成した車だけがGRANZじゃないんだと思います」
真琴の言葉に、優也は少し感心したように頷いた。
「なんかええこと言うな」
「普通のことです」
「俺には今やっと分かったわ」
そう答えながら、優也は目の前の広い道路へ視線を向けた。
ここなら出やすい。
あの交差点は少し余裕がある。
以前なら何も考えずに通っていた道が、GRANZを走らせる目線で見えるようになってきていた。
◇
ちょうどそのころ、|RHEINHARD Mobilityからも、完成までの見通しが少しずつ具体的になってきたという連絡が届いた。まだ日付を確定できる段階ではないものの、内装と設備の確認が予定通り進めば、次は最終仕上げと各種の調整へ移るという。
優也はメールを読んだあと、以前ほど胸がざわつかなかった。完成が近いという言葉は嬉しいが、今は「いつ来るんや」と待つだけではなく、その日までに自分がやることも見えているからだろう。
担当者からは、保管場所についても納車前に確認が必要になるため、候補が固まったら早めに知らせてほしいと書かれていた。優也はすぐ契約するのではなく、現在見ている候補地の条件を伝え、車両の出入りや受け入れに問題がないかだけ先に確認してもらうことにした。
返ってきた回答は、大きな問題はなさそうだが、正式に区画が決まった段階でもう一度確認したいというものだった。
それで十分だった。
工場側と自分の側で、ばらばらに進んでいた準備が少しずつ一つの納車へ集まり始めている。その感覚が、優也には面白かった。
◇
ある夜、真琴が優也の部屋へ来たとき、テーブルの上には駐車場の候補をまとめたメモと教習所の予定表が並んでいた。真琴はそれを見て、「急に納車前っぽくなりましたね」と笑った。
「俺も思う。ちょっと前まで工場の写真見て喜んでただけやったのに、今は置く場所と免許の予定見てる」
「でも、こっちのほうが完成が近い感じします。車そのものは工場に任せて、今度は優也さんの生活のほうを車に合わせてるから」
「生活合わせるって言うと大げさやけど、確かにな。休みの使い方も変わったし、道走ってても『ここGRANZで曲がれるかな』とか見るようになったわ」
真琴は笑いながら、駐車場の候補メモへ目を落とした。
「私は、前に見たところが一番いいと思います。多少家から離れても、最初は出入りしやすいほうが安心ですし、慣れてから別の場所を考えてもいいでしょう」
「俺も今んとこそこかな。納車時期がもうちょい固まったら、正式に押さえるわ」
「あと、最初の旅も近場ですね」
「そこは決定やな。教習終わって、納車されて、まず広い道で慣らして、一泊してみる。いきなり遠く行って疲れるより、それが一番ええ」
優也はそう言いながら、少し前まで「完成したらどこへ行こう」とだけ考えていた自分を思い出した。今は旅先より先に、車を受け取り、駐車場へ入れ、荷物を積み、無事に帰ってくるところまで想像している。
夢が小さくなったわけではない。
夢の周囲に、現実が追いついてきただけだった。
◇
その夜、真琴が帰ったあと、優也はノートを開いた。
前のページには、
『主要内装――確認』
『次――受け入れ準備』
と書いてある。
その下へ今日の日付を入れ、少し考えながら続けた。
『保管場所――候補あり。納車時期に合わせて確定』
『運転――教習中』
『最初の一泊――近場』
以前なら、駐車場の月額や教習の日程まで細かく書き込んでいたかもしれないが、今はそこまで残す必要を感じなかった。大切なのは、必要な準備が一つずつ前へ進んでいることだった。
優也はノートを閉じず、少しだけページの余白を眺めた。
そこへ、もう一行だけ書き足す。
『帰ってこられる場所を先に作る』
旅のことばかり考えていたころには、思いつかなかった言葉だった。
GRANZは遠くへ連れていってくれる車だ。
けれど、どれだけ遠くへ行っても、最後には戻ってくる場所が必要になる。運転する自分がいて、待っている区画があり、また次の旅へ出られる状態で帰ってくる。その全部が揃って、ようやく「家ごと旅する」という言葉が現実になるのだろう。
工場では、今も内装の仕上げや設備の確認が進んでいる。
一方で優也の側でも、車を迎える準備が始まっていた。
完成へ近づいているのは、GRANZだけではなかった。
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