ep.50 暮らしが入る
次の見学案内が届いたころには、優也もGRANZの製作報告を少し落ち着いて読めるようになっていた。
RHEINHARD Mobility Japanから届くメールには、内装工事が進み、主要な家具と設備が実際の位置へ収まり始めたことが簡潔にまとめられている。以前なら写真を一枚ずつ最大まで拡大し、見慣れない部品が写っているだけで担当者へ質問を送りたくなっていたが、今は大きな変更がなければ作る側へ任せると決めていた。
ただ、その日のメールにあった一文だけは、何度か読み返した。
『主要な生活設備の設置が進み、実際の動線と操作位置をご確認いただける段階になりました』
添付された写真を開く。
前回まで仮のパネルしかなかったリビングには、大きなソファと可動テーブルが入り、玄関左手には十五インチの統合操作パネルが収まっている。キッチン側にはカウンターが立ち上がり、壁面には扉を閉じると家具と見分けがつきにくい三段式の冷蔵冷凍庫。奥には独立したシャワー室とトイレ室の扉が付き、最後部の主寝室には中央のベッドまで入っていた。
まだ保護材が残り、照明も調整中で、完成車そのものではない。
それでも写真の中には、もう「何がどこへ入るのか」を想像する余白がほとんど残っていなかった。
そこに、実際にある。
優也はしばらく画面を見たあと、一枚だけ真琴へ送った。
『だいぶ家になった』
返事は少ししてから届いた。
『ベッドまで入ってますね。あと冷蔵庫、本当に壁みたいです』
優也は笑いながら文字を打つ。
『そこ見ると思った』
少し間を置いて、真琴からまた返事が来た。
『毎日使うところなので』
その一文を見て、優也の指が少し止まる。
以前なら、「毎日」という言葉へいちいち意味を探したかもしれない。今はもう違う。真琴が完成後のGRANZを、自分も繰り返し使う場所として話すことは、二人の間ではすっかり普通になっていた。
◇
見学当日、二人はいつもの駅で待ち合わせた。
真琴は工場へ向かう電車の中で、前回撮った窓のある車内の写真と、今日届いた写真を並べていた。
「こうして見ると、家具が入るだけで全然違いますね」
「俺、骨組みの写真から全部並べてるで」
「知ってます。角度がほとんど同じですから」
優也は少し得意そうにスマートフォンを閉じた。
「比較しやすいやろ」
真琴が笑い、会話はそのまま研究室の話や、優也の現場で久保田が新人へ交通量の読み方を教えていた話へ移った。GRANZを見に行く日は、以前なら一日中その話しかしていなかったはずなのに、今では普通の休日の予定の中へ混ざっている。
工場へ着くと、外観そのものは前回から大きく変わっていないように見えた。
四軸八輪の車体。
高いキャビン。
その後ろへ続く居住部。
ただ、右側の主玄関まわりは仕上がりが進み、窓枠や各部のシールも整えられている。屋根には前後二基のルーフエアコンや換気設備、通信機器の取り付けが進み、固定式ソーラーパネルも最終配置へ近づいていた。
「外は前回より落ち着いた感じするな」
優也が言うと、担当者が頷いた。
「大きな形は変わっていません。今日は中のほうが変化を感じていただけると思います」
その言葉に、優也は少しだけ歩く速度を上げた。
◇
右側の主玄関から中へ入った瞬間、優也は一歩目で止まった。
「……おお」
前回まで仮の位置表示しかなかったリビングに、本物の家具が入っている。
右手から前方へ広がる大きなラウンジには、落ち着いた色のソファが据えられ、中央通路を邪魔しない位置へ可動テーブルが収まっていた。運転キャビンとのつながりも仕上がり始め、停車時には運転席と助手席を後ろへ回転させれば、そのまま同じ居場所へ加えられる。
五人目の正式な走行席も、独立した乗用車の椅子を置いたようには見えない。ソファ側の家具へ自然に馴染みながら、走行時に必要な固定とシートベルトを持たせている。
真琴も玄関のところでしばらく動かなかった。
「全然違いますね。前回は家具が入る位置を想像してましたけど、今日はもう想像しなくていいです」
「ほんまやな」
優也はソファへ腰を下ろし、背中を預けて前方を見た。運転席と助手席はまだ前向きのままだが、ここから回転させれば、運転席だけが遠くへ残る感じはない。キャビンと居住部が、ようやく一つの空間として見えた。
「これやったら、停めた瞬間に家になる感じあるな」
「前席まで一緒に使えるの、思っていた以上に効きますね。リビングが途中で切れないです」
優也は可動テーブルへ手を掛けた。
「動かしてええです?」
「もちろんです。ただし、まだ最終調整前なのでゆっくりお願いします」
担当者の許可をもらい、テーブルを少しだけ横へ逃がす。中央通路が広がり、食事をする位置へ戻せば、ソファと前席を含めた居場所の中心になる。
「これ、最初めっちゃ触ると思う」
「三日くらいですか?」
真琴が先に言ったので、優也は笑った。
「覚えてるやん」
動くものを触りたくなる気持ちは変わっていない。ただ、以前のように機能そのものへ夢中になるより、どう使えば生活しやすいかを先に考えるようになっていた。
◇
運転キャビン上部には、降下式ベッドも収まっていた。
普段は天井側へ上がり、必要なときだけ約二メートル×一・四メートル級の寝床として下ろす。まだ最終調整中のため、担当者が操作して見せてくれた。
ベッドがゆっくり降りてくると、優也は思わず身を乗り出す。
「これ、やっぱええなあ」
「そこは変わらないんですね」
「普段消えてるのに、寝るときだけ出てくるんやで。秘密基地やん」
真琴は呆れたように笑ったが、実際の大きさを見てから少し表情を変えた。
「でも、二人でも寝られそうなくらいありますね」
「親父とおかんにはここ登るんキツいやろけど、誰か泊まるときには普通に使えそうやな」
優也はベッドの高さを見上げながら、両親を乗せたときのことを考えた。母親を温泉へ連れていく話も、父親に事故だけはするなと言われたことも、もう遠い夢の話ではない。誰がどこで寝るかまで考えられるところまで来ていた。
◇
玄関へ戻ると、左側の壁には十五インチの統合操作パネルが入っていた。
その周囲は家具面で整えられ、電装や通信のサービス領域は普段は蓋の中へ隠れる。入口を開けた瞬間に配線や機器が並んで見えることもなく、かといって点検のたびに家具を壊す必要もない。
優也が画面を触ると、担当者が横から説明する。
「今日は仮設定ですが、照明、空調、給湯、タンク状態、電源、充電状態などをまとめて確認できます。主要な照明や必要な設備には物理スイッチも残しています」
「パネル死んだら真っ暗、にはならんのやな」
「はい。そこは避けています」
表示を切り替えると、ハウスバッテリーは六十キロワット時級の構成で組まれ、固定式ソーラーは発電量とMPPTの状態を確認できるようになっていた。
以前のような展開機構はない。屋根のパネルは固定されているため、走り出す前に何かを畳み忘れる心配もない。
「これでええな。可動部減ったぶん、気楽や」
「旅先で壊れるところも減りますね」
真琴がそう言うと、優也は少し笑った。
「真琴、ロマンより故障率見るようになったな」
「旅先で困りたくないだけです」
追加バッテリーも、この段階では載せていない。六十キロワット時級を基準に、重量と軸重へ余裕を残す。完成後の実測で十分な余裕があれば再検討できるが、最初から容量だけを追わない。その決定を、今の優也は惜しいとは思わなかった。
◇
リビングから左側のキッチンへ進むと、真琴が最初に見たのはやはり冷蔵冷凍庫だった。
壁面と同じ面材が三段に分かれている。
閉じた状態では、知らなければ収納壁の一部にしか見えない。
「本当に冷蔵庫に見えないですね」
「そこそんな嬉しい?」
「嬉しいです。入口から大きい家電が見えないだけで、かなりすっきりします」
真琴が上段を開ける。
上段が冷蔵、中段が野菜・チルド、下段が冷凍。それぞれ独立して使えるようになっており、走行時には機械式のトラベルロックが掛かる。
優也も横から覗いた。
「思ってたより入るな」
「最初から詰め込みすぎないでくださいね」
真琴の言葉に、優也は少し眉を上げた。
「冷蔵庫まで言われるん?」
「空いてると埋めたくなるでしょう」
否定しきれず、優也は笑った。
キッチンには大型シンク、二口IH、ビルトインのオーブンレンジ、食洗機が入り、洗濯乾燥機は下部のキャビネット内へ収まっている。普段は同じ面材で隠れるため、キッチンへ家電が並んでいるような雑然さはない。
優也は洗濯乾燥機の前面を開き、点検できる範囲を確認した。
「ここ、ちゃんと前から触れるんやな」
「はい。換気と給排水も専用で取り、主電装や通信機器を上へ重ねていません」
担当者の答えに、優也は頷いた。見た目だけ隠して、修理できない家具にはしたくない。その考えも設計時から変わっていなかった。
真琴はキッチン前へ立ち、シンクから冷蔵庫、IHまでの動きを一度確認するように身体を向けた。
「これなら使いやすそうです。振り返れば冷蔵庫ですし、作業台もあります」
「その後ろ俺通るけどな」
真琴は優也のほうへ振り返って笑った。
「料理中なら声掛けてください。どいてとは言いません」
前回、仮設パネルで確かめた通路の幅は、実際の家具が入るとさらに現実的になっていた。
広々ではない。
けれど、通れないわけでもない。
二人が同時に動けば、少しだけ互いの位置を気にする。それくらいだった。
優也は玄関側から寝室方向まで歩き、途中で真琴とすれ違った。肩が近い。
「やっぱ近いな」
「でも前より気にならないです。必要なものを入れた結果としてこの幅なら、納得できます」
優也ももう一度通路を見た。
「せやな。広くしたいから何か削るより、これで慣れるほうがええわ」
限られた幅の中へ、生活を入れる。それは妥協ではなく、設計そのものなのだと、実物を前にするとよく分かった。
◇
水回りも、ほぼ完成形へ近づいていた。
シャワー室は独立し、トイレ室も別にある。
優也はまずシャワー室へ入り、肩を回すように腕を動かした。
「思ったより普通に使えそうやな」
「この車の大きさで身体ひねらないと洗えないなら悲しいですよ」
優也は笑いながらシャワー室を出た。
「前も似たこと言うたな」
「言いました」
シャワー室には防湿照明と専用換気が入り、温水系統も確認が進んでいる。
トイレ室にはClesanaが設置されていた。
水洗用の配管はなく、ブラックタンクはない。
手洗い、鏡、収納、個室換気は残され、消耗品も通路を塞がず取り出せる位置へ収まっている。
優也は十五インチのパネルの表示項目について確認した。
「ブラックタンクの残量みたいな、存在せえへん情報は出さんのやな」
「はい。実際に取得できる状態だけを表示します」
担当者の返事に、優也は満足そうに頷いた。
真琴は収納扉の動きを確認しながら、通路側へ一歩下がる。
「これなら使うときも邪魔にならないですね」
「ほんま使う側の目線やな」
「使うつもりなので」
真琴はごく自然に言った。
優也は何も返さず、少しだけ笑った。
◇
最後部の主寝室へ入ると、優也はまた足を止めた。
中央には縦向きのベッドが入り、左右へ通れる余白が残っている。両側の窓にはまだ保護材が一部残っていたが、昼の光は十分に入る。天井中央には大型モニターの収納部があり、その左右へBS-EW3150が一基ずつ収まっていた。
中央を照明で塞がず、モニターを必要なときだけ下ろす。
図面で何度も見た構成が、そのまま頭上にある。
「ここまで来ると、ほんま寝室やな」
「寝室ですから」
真琴が笑う。
優也はベッドの端を見ながら肩をすくめた。
「分かってるけど、前は床に線やったやん」
「今日はもう座れますね」
真琴がベッドの端へ軽く腰掛ける。
優也も反対側へ座った。
同じ方向へ並んで座ると、急に空間が少しだけ私的になった気がした。
優也は何となく窓のほうを見る。
「朝ここ開けたら、景色見えるな」
「前から言ってます」
「俺、昼まで寝てるかもしれんけど」
真琴は少し笑った。
「そのときは先にコーヒー飲んでます」
完成後の朝、自分がまだ寝ていて、真琴が先に起きている。その景色が、変に具体的に頭へ浮かぶ。
「……朝飯冷める前には起こして」
「私が作る前提ですか?」
優也は窓のほうを見たまま、少し笑った。
「コーヒー担当は真琴やろ」
「いつ決まったんです?」
真琴も小さく笑い、しばらくしてから立ち上がった。
「じゃあ、そのへんはじゃんけんですね」
またそれか、と優也も笑う。主寝室の左右を決めるときから、何かとじゃんけんにされる。そのやり取りが、いつの間にか二人だけの小さな癖になっていた。
◇
担当者が照明の確認を始めるため、二人は再びリビングへ戻った。
工場内の照明が少し落とされる。
まず、リビングの主照明。
柔らかい面発光と間接照明が入り、必要以上に白くならない。
キッチンでは手元灯が独立して点き、シンクやIHの作業面だけをしっかり照らす。玄関の足元灯、ソファまわりの読書灯、夜間移動用の低い照明もそれぞれ分けて使える。
主寝室では左右のBS-EW3150、読書灯、足元灯を個別に動かせる。
「全部点けんでもええの、やっぱいいな」
「夜中にトイレ行くだけで昼みたいに明るくなったら嫌ですから」
優也が真琴を見る。
「真琴、寝起き弱そうやもんな」
「その想像、ずっと失礼です」
真琴はそう言いながらも笑っていた。
次に空調。
前後二基のルーフエアコンは別々に動かせる。前側はキャビン、リビング、キッチン側。後ろ側は水回りと主寝室を担当し、必要に応じて使い分ける。
キッチン、シャワー、トイレにはそれぞれの換気系統があり、主寝室にも就寝中の低風量換気が入る。
優也は説明を聞きながら、以前は空調機器そのものの名前や台数ばかり気にしていたことを思い出した。
いま気になるのは、夜にうるさくないか、料理の匂いが残らないか、シャワーの湿気が寝室へ回らないか。
機械を持つことより、暮らすことのほうが先になっていた。
◇
屋根側の確認は、工場内の安全上、画面と写真で行った。
固定式ソーラーパネルは、前後二基のルーフエアコン、換気排気、通信アンテナ類の整備スペースを避けて配置されている。
発電量だけを求めて隙間なく敷き詰めるのではなく、交換や清掃、人が作業できる余白を残す。
「前の俺やったら、あと何枚入るか聞いてたやろな」
「聞いてましたね」
真琴の即答に、優也は苦笑した。
「成長したってことにしといて」
「そこは認めます」
電源系統は六十キロワット時級のLiFePO4バッテリーを基本に、走行発電と固定式ソーラー、外部電源を組み合わせる。
追加バッテリーは、まだ載せない。
完成時の重量と軸重を実測し、十分な余裕がある場合だけ候補へ戻す。
「もう六十でええ気もしてきたわ」
優也が言うと、担当者が頷いた。
「実際に使って不足が見えるまでは、それも合理的です」
付けられるものを全部付けることが完成ではない。必要な余白を残すことも、完成の一部だった。
◇
見学の終盤、担当者から暫定の重量確認について説明があった。
まだ最終検査前なので確定値ではない。
内装の一部、積載物、燃料や清水の状態でも変わるため、数字を断定する段階ではないが、現在の構成は最大車両総重量十九・八トン以下という目標内へ収める方向で進んでいる。
優也が最初に聞いたのは、追加装備ではなかった。
「ちゃんと余裕残りそうです?」
「現時点では、その方向です。ただし、最終実測までは確定ではありません」
優也はすぐに頷いた。
「なら、追加は考えんでいいです。まずこの状態で完成させたいです」
真琴が横から少し笑う。
「ほんとに変わりましたね」
「また言われた」
真琴は否定せず、少し楽しそうに図面へ視線を戻した。
この車に必要なのは、最後の一キログラムまで埋めることではない。人が乗り、水と燃料を積み、旅の荷物を載せても、なお余裕を残して走れることだ。
そう思えるようになっただけでも、長い設計の時間には意味があった気がした。
◇
見学が終わるころ、担当者から次の段階について説明を受けた。
これから内装の最終仕上げ、各設備の動作確認、漏水や電装、空調、充電系統の試験を進める。外装も最終状態へ整え、登録や納車に必要な確認へ入っていく。
その言葉を聞いた瞬間、優也の頭に浮かんだのは、車の中ではなかった。
置く場所だった。
以前、真琴と一緒に見に行った大型車用の月極区画。
まだ購入資金すら見えなかったころ、現地へ行き、地面へメジャーを伸ばしながら「買えることと持てることは別だ」と実感した場所だ。
「そろそろ駐車場、本気で決めなあかんな」
「前に見たところ、まだ同じ区画が空いているとは限りませんしね」
優也は頷きながら、頭の中で準備するものを数えた。
「納車されてから置くとこない、が一番笑われへん。保険もあるし、最初に積むもんも考えなあかん」
「今ならまだ時間があります。一つずつやれば大丈夫だと思います」
担当者も、納車時期の見通しが立った段階で必要書類や受け入れ条件を案内すると説明した。
これまでは、どうやって作るところまで行くかを考えてきた。
これからは、完成した車をどう自分の生活へ迎えるか。
同じGRANZの話なのに、問題の種類が変わってきている。
その変化が、完成の近さを何より実感させた。
◇
工場を出たあと、二人は近くの店で遅い昼食を取った。
席へ着くと、優也は今日撮った写真を何枚か開いた。今度は真琴も何も言わず、同じように自分の写真を見ている。
「今日、一番どこ良かった?」
優也が聞くと、真琴はしばらく考えた。
「寝室の窓と照明です。実際にベッドが入って、夜の明るさまで見ると、朝と夜の感じが想像しやすかったので。優也さんは?」
「リビングかな。前席回したら一部屋になる感じ、思ってたよりちゃんとしてた。あと、ベッド降りてくるやつ」
真琴は笑った。
「やっぱりそこ入るんですね」
「そこは外せん」
しばらくして、真琴が少し真面目な顔になる。
「でも今日見たら、完成後の準備を始めないといけないなって思いました。今までは工場側の工程を待つ時間が長かったですけど、ここからは私たちの側で決めることが増えそうです」
「私たち、なんや」
優也が言うと、真琴は一瞬だけ止まった。
けれど、以前のように慌てて言い直さなかった。
「ここまで一緒に決めたんだから、もういいでしょう」
「うん。ええと思う」
優也もそれ以上からかわなかった。
その一言だけで、十分だった。
◇
帰りの電車では、二人とも少し疲れていた。
長く工場を歩き、車内を何度も行き来したせいで、座席へ座ると会話も自然にゆっくりになる。
真琴が窓の外を眺めながら言った。
「最初の一泊、何を確認したいですか?」
優也は少し考えた。
「まず運転やろ。あとは寝られるか、飯作れるか、水回り問題ないか、夜の照明、朝起きたときの感じ。観光より、家として普通に使えるか見たいんやと思う」
「なら、本当に近場でいいですね。何か忘れても戻れますし」
優也は頷いた。
「一泊して、翌朝帰るだけでもええかもな」
「それでも十分だと思います。最初から予定を詰めるより、車の中で過ごす時間を見たほうが次につながります」
最初の旅は派手でなくていい。
遠くへ行かなくてもいい。
まず一晩、この車の中で普通に暮らしてみたい。
その考えが、家具や照明の入ったGRANZを見たことで、はっきりした。
「真琴、何持ってく?」
「まだ決めません。優也さんが先に大量に積みそうなので、それを止めてからです」
優也は声を出して笑った。
「信用ないなあ」
「信用してるから、先に止めるんです」
妙な理屈だと思いながらも、その言い方が少し嬉しかった。
◇
その夜、自宅へ戻ると、優也は今日撮った写真をパソコンへ移した。
リビング。
キッチン。
Clesanaのあるトイレ室。
シャワー室。
主寝室。
照明を落とした夜間モードの車内。
以前なら、写真の中には「ここに何が入るか」を想像する余白があった。
もう、それはない。
ソファもテーブルも冷蔵冷凍庫もベッドもある。
水回りも形になり、照明が点き、空調も試験へ入る。
ここから先は、完成へ向かう微調整と検査だ。
優也はノートを開いた。
『主要内装――確認』
『生活動線――問題なし』
『バッテリー――60kWh級で継続』
『追加装備――最終重量を見るまで増やさない』
『次――受け入れ準備』
その下へ、少し間を空ける。
駐車場所。
保険。
運転の準備。
最初に積むもの。
項目を書こうと思えば、いくらでも出てくる。
けれど今夜は、そこまで細かく書かなかった。
写真の中のリビングを開く。
今日、真琴がソファへ座っていた。
キッチンでは通路の話をし、トイレ室では実際に使う側の目線で収納を見て、寝室では朝のコーヒーの話をした。
まだ一度も旅へ出ていない。
それでも、その車の中にはすでに少しだけ二人の日常が入り始めている。
優也は写真を一枚ずつ送りながら、骨組みだったころの画像まで遡った。
線が鉄になった。
鉄が箱になった。
箱に窓が付いた。
そして今日、そこへ家具と設備と灯りが入った。
変化を追っていると、豪華なキャンピングカーを買ったという感覚より、自分たちで一つの家を育ててきたような感覚のほうが強かった。
その家は道路を走る。
両親を温泉へ連れていける。
何もない場所で、雨の音を聞きながら飯を食うこともできる。
真琴が先に起きてコーヒーを飲んでいる朝も、たぶんある。
そこまで考えたところで、スマートフォンが震えた。
真琴からだった。
『今日の夜モードの写真、送ってもらえます?』
優也は該当する一枚を選んで送る。
『これ?』
少しして返事が来た。
『それです。完成したら、同じ角度でまた撮りたいです』
優也は少し笑った。
『最初の旅でも撮る?』
『撮ります。朝と夜、両方。』
優也は画面を見たまま、しばらく動かなかった。
大げさな言葉は何もない。
それでも、その返事の中には完成後の時間が当たり前のように入っている。
『じゃあ決まり』
そう返して、ノートへ最後の一行を足した。
『迎える場所を決める』
車そのものを作る段階は、終わりへ近づいている。
次は、この大きな家を現実の生活へ置く場所が必要になる。
優也は以前見た大型車用の月極駐車場の資料が、どこへしまってあるかを思い出した。
明日、もう一度引っ張り出してみよう。
完成したGRANZを最初に迎える場所を、今度は夢ではなく現実として選ぶために。
暮らしはもう、車の中へ入っていた。
あとは、その暮らしごと帰ってこられる場所を決める番だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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