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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
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ep.48 骨組みの家


 車両製作契約を結んでから数週間が過ぎても、優也の生活は拍子抜けするほど変わらなかった。


 朝になれば道路工事の現場へ向かい、規制帯の中で工事車両の出入りを見ながら歩行者や自転車へ声を掛け、夕方になれば規制材を片付けて会社へ戻る。副業も同じで、北摂リユース商会から確認を頼まれた品があれば休みの日に現物を見に行き、分からないものや時間的に無理のある案件は断った。


 二億円を超える車を契約したからといって、毎日が急に特別になるわけではない。


 むしろ、変わらない生活があることに優也は少し安心していた。


 RHEINHARD Mobility Japanからは、節目ごとに簡単な進捗報告が届いた。製作管理番号に紐づいた車両側の手配が進んだこと、居住部の構造材が準備されたこと、必要な部材の確認が取れたこと。報告は専門用語を延々と並べるようなものではなく、いま何が始まり、次に何をするのかが分かる程度にまとめられている。


 以前の優也なら、ボルト一本の規格まで知りたくなっていたかもしれない。


 今は違った。


 自分たちが決めたものから大きく外れていないと分かれば、作る側へ任せるところは任せたほうがいい。何度も設計をやり直し、モックアップを歩き、最後に契約書へ名前を書いたことで、その境目が少し分かるようになっていた。


 それでも、報告メールが来れば必ず開く。


 ある夜、添付されていた写真の一枚には、大型のシャシーと、その近くへ並べられた金属の構造材が写っていた。まだ車というより工場の途中経過にしか見えず、優也が最初に動画で見た豪華なエクスペディション車とは似ても似つかない。


 優也はその写真を真琴へ送った。


『まだ家どころか車にも見えへんな』


 少しして返信が来る。


『でも、これがあの図面になるんでしょう?』


『らしいで。俺もまだ信じられん』


『完成したら、この写真は残しておいたほうがいいですね』


 優也は画面を見ながら少し笑った。


『真琴も残す気やん』


『もちろんです』


 短いやり取りだったが、それだけで十分だった。


 以前は「いつか乗れたら」と話していたものが、いまは鉄の材料として現実の工場に置かれている。


 見た目には地味でも、その変化だけは確かだった。


          ◇


 最初の製作見学の案内が届いたのは、それから少し経ったころだった。


 居住部の骨格が車両側へ載り、主要な開口や内部区画の基準位置まで確認できる段階へ進んだため、安全に入れる範囲で一度見学できるという。


 優也は勤務表を確認し、休みの日を一つ選んだ。


 真琴にも送る。


『見に行く?』


 返事はすぐに来た。


『行きます。ここまで図面を見て、骨組みだけ見ないのは嫌です』


 見学当日の朝、二人は駅で待ち合わせた。


 真琴は普段より動きやすそうな服装で、長い髪も邪魔にならないよう低い位置でまとめている。靴も歩きやすいものを選んでいた。


 優也はそれを見て、思わず笑った。


「なんか本気やな」


「優也さんこそ、朝からずっと顔がにやけてますよ」


「しゃあないやろ。今日は鉄の枠でも俺の車や」


「まだ完成してないのに、所有感だけは早いですね」


 真琴も笑った。


 電車の中ではGRANZの話ばかりにはならなかった。真琴の大学での予定や、優也の現場で前日にあった小さなトラブル、駅前にできた店の話をしながら移動する。


 二人にとって、GRANZへ向かう日まで少しずつ普通の日になっていた。


          ◇


 工場へ着くと、いつもの担当者が二人を迎えた。


 これまでは打ち合わせ室へ入ってから図面を開くことが多かったが、この日は簡単な安全説明を受けると、そのまま製作スペースへ案内された。


 高いシャッターの向こうには大型車両が並び、金属を削る音やエア工具の音が遠くから響いている。塗装前の部品や治具が整然と置かれ、床には作業区画を示すラインが引かれていた。


 その一角へ進んだところで、優也は足を止めた。


 見覚えがある。


 正確には、見覚えのある形になり始めている。


 四本の車軸。


 八本の大きなタイヤ。


 高い運転キャビン。


 その後ろに、まだ外壁も窓もない居住部の骨格が載っている。


 完成予想図のような重厚さも、落ち着いた外装色もない。居住部は構造材がむき出しで、反対側の工場の壁まで見通せた。


「……これ?」


「はい。福山様向けのGRANZです」


 担当者にそう言われ、優也はしばらく返事をしなかった。


 図面では何度も見た。


 床へテープを貼った実寸モックアップも歩いた。


 それでも、目の前にあるものは違った。


 大きい。


 分かっていたはずなのに、物体としてそこへ立っているだけで大きさの意味が変わる。


 真琴も少し離れた位置から車体全体を見上げていた。


「写真より、ずっと大きく見えますね。数字では分かっていたつもりでしたけど」


「俺も同じこと思ってた。モックアップは床やったからな」


 担当者は、現在は車体と居住部骨格の取り合いを確認し、外装を閉じる前に配線や配管、開口位置、構造上のクリアランスを詰めている段階だと説明した。


 優也は聞きながら、車体の周囲をゆっくり歩いた。


 右側には、主玄関になる大きな開口がある。


 まだ扉もステップも付いていないため、完成後とはまるで違う。


「ここから毎回入るんやな」


「そうです。完成時にはステップや手すり、玄関まわりの仕上げが入ります」


 優也は開口の前に立ち、中を覗いた。


 壁がないため、前から後ろまでほぼ一続きに見える。


 ただし、床面には基準線や仮のマーキングが入り、主要な家具や設備がどこへ来るのか分かるようになっていた。


 玄関から前方へ開くリビング。


 左手には十五インチの統合操作パネルと、普段は扉の中へ隠す電装・通信のサービス領域。


 さらに左側へキッチンが続き、その壁面へ三段式の冷蔵冷凍庫が収まる。洗濯乾燥機はキッチン下部へ入り、独立した機械の箱として通路へ張り出すことはない。


 奥にはシャワー室とClesanaを置くトイレ室。


 最後部が主寝室だ。


 何度も決めた配置だった。


 それでも、鉄の骨格の中へ線として現れると別物に見えた。


          ◇


 安全上入れる範囲を確認したあと、二人は担当者と一緒に居住部へ上がった。


 まだ床は仮の部分が多く、足を置ける場所も指定される。完成後のように自由に歩けるわけではない。


 それでも、玄関になる位置から一歩入った瞬間、優也の胸が少し熱くなった。


「ここがリビングですね」


 真琴が前方を見た。


「せやな。停まったら運転席と助手席回して、こっちがラウンジ。五人目の正式な走行席はこの辺に自然に入るんやな」


「玄関を塞いでないですね」


「そこは絶対やったからな」


 前方はまだ何も置かれていないため、かなり広く感じる。


 やがて大型のソファと可動テーブルが入れば、今の印象からは変わるだろう。それでも中央の動線が前後へ抜けることは骨格の段階でも分かった。


 真琴は玄関左側のマーキングへ視線を落とした。


「ここ、操作パネルの位置ですね」


「そう。入ったとき、いきなりトイレとか壁にならんようにしたとこ」


「まだ気にしてるんですか」


「気にするやろ。最初に毎日見る景色やで」


 真琴は笑いながら頷いた。


 そこから奥へ進む。


 左側のキッチン予定位置では、給排水や電源を通すための準備が見え、壁面には冷蔵冷凍庫の外形を示す基準線があった。


「これが三段の冷蔵庫ですね」


「閉じたら壁に見えるやつ」


「完成したら、本当に分からなくなりそうです」


 真琴は手を伸ばさず、線だけを追った。


 上段が冷蔵、中段が野菜・チルド、下段が冷凍。


 扉面は周囲の壁と揃える。


 見た目のためだけではなく、通路へ余計な出っ張りを作らないためでもある。


「前の案より、こっちのほうが絶対ええな」


「はい。大きい冷蔵庫が入口から見えて主張するより、私は好きです」


「真琴、この冷蔵庫ほんま気に入ってんな」


「毎日使うものだからです」


 その言い方があまりに自然で、優也は一瞬だけ真琴を見た。


 真琴は気づかず、その先のキッチン側を見ている。


「洗濯乾燥機もこの下ですよね?」


「うん。扉閉めたら見えへんやつ」


「なら上は普通に収納として使えるんですね」


「使えるけど、何でも詰め込むなよ」


「それは優也さんに言いたいです」


 二人のやり取りを聞いていた担当者が小さく笑った。


          ◇


 さらに後ろへ進むと、水回りの区画が見えてくる。


 今は壁がないため、シャワーもトイレも同じ空間に見える。


 けれど床の基準線では、二つの個室がきちんと分かれていた。


「こっちがシャワーで、こっちがトイレですね」


「はい。トイレ側はClesanaなので、黒水タンクへ落とす配管はありません。室内の換気と電源、手洗い側の給排水を別で処理します」


 担当者の説明に、優也は床下を覗き込んだ。


「ブラックタンク無いだけで、下だいぶ違うんですね」


「構成は単純になります。ただ、空いたから何でも入れられるわけではありません。重量配分と整備性を見ながら、電装や配管の通し方を調整しています」


「バッテリー追加はまだ決めへんまま?」


「はい。六十キロワット時級を基本にしています。完成重量と軸重を見て、余裕が明確にある場合だけ再検討です」


 優也はすぐに頷いた。


「そのままでええです」


 昔なら、空いた場所を見れば何か載せたくなっていた。


 今は、空いていることそのものが余裕になると分かっている。


 真琴が少し横から見て笑った。


「成長しましたね」


「最近それ多いな」


「昔の優也さんなら、あと何キロワット時入るか聞いてます」


「……聞いてたかもしれん」


 否定できず、優也も笑った。


          ◇


 最後部へ進むと、主寝室になる空間があった。


 まだベッドはない。


 壁も仕上がっていない。


 それでも中央には、縦向きのベッドが入る範囲が分かるよう印が付けられ、左右に人が通るための余白が残されている。


 天井中央は大型モニターの収納と展開機構のために空けられ、その左右へBS-EW3150を入れる局所二重天井の構造が準備される。


 真琴は後ろを見回しながら、少し静かになった。


「ここが寝室になるんですね」


「うん」


「骨組みだけだと、変な感じです」


「まだ向こう見えるもんな」


 優也も周囲を見た。


 窓が付けば景色が変わる。


 ベッドが入れば部屋になる。


 照明が入り、モニターが降りてきて、夜になれば足元灯だけで動ける。


 図面の中では何度も想像した。


 けれど、今はその想像を置く場所そのものがある。


「どっち側使う?」


 優也が何気なく聞いた。


 真琴は少し驚いてから笑った。


「まだ言うんですか」


「骨組み見た記念」


「じゃあ、窓が付いてから決めます。景色で変わるので」


 優也は以前も同じ答えを聞いた気がして、思わず笑った。


「またそれか」


「公平でしょう」


 二人で笑った。


 その会話が、もう冗談だけには聞こえなくなっていることを、優也は少しだけ意識した。


 主寝室の下には後部ガレージの構造があり、自転車や小型バイクを固定するためのレールを入れる準備も進められていた。


 広く取りすぎれば荷物を増やしたくなる。


 狭すぎれば使えない。


 何度も話したその加減が、鉄の高さとして目の前にある。


「収納、思ってたより控えめやな」


「いいと思います」


「即答やん」


「優也さんが余計なものを積まないためです」


 真琴は少し間を置き、骨組みの奥へ視線を戻した。


「私も一緒に乗るので、荷物で通路が狭くなるのは嫌です」


 優也は一瞬だけ返事を止めた。


「……そやな」


 それ以上は言わなかった。


          ◇


 見学を終え、工場の休憩スペースへ戻ると、担当者から今後の流れについて説明を受けた。


 ここからは外殻を閉じ、窓や玄関の開口を仕上げ、断熱や配線、配管を進める。そのあと設備と内装へ入る。


 ただし、全部の工程を見学できるわけではない。


 作業の邪魔にならない節目で写真や報告を共有し、必要な確認があるときだけ現地で見てもらう。


「毎週来たら邪魔ですもんね」


 優也が言うと、担当者は笑った。


「お気持ちは分かりますが、作業時間が減ってしまいますので」


「我慢します。月一くらいで」


「十分多いです」


 真琴にすぐ返され、優也は肩をすくめた。


 見学の最後に、工場側から数枚の写真を共有してもらった。


 斜め前から車体全体を写した一枚。


 右側の玄関開口が見える一枚。


 骨組みの中から前方を見た一枚。


 優也はその全部を保存した。


 完成予想図とは似ても似つかない。


 それでも、どの画像も妙に愛着があった。


          ◇


 工場を出た二人は、駅へ向かう途中で遅い昼食を取った。


 道路沿いの小さな食堂へ入り、優也は生姜焼き定食、真琴は焼き魚定食を頼んだ。


 料理が来るまでの間、優也はさっき保存した写真を何度も見ていた。


「そんなに変わりませんよ。さっき実物見たばかりでしょう」


「分かってるけど、つい見るやろ」


「実物より写真がいいんですか?」


「ちゃうって。完成したあと並べたいねん。最初こんなんやったんやって」


 真琴は少し笑った。


「それは私も見たいです」


「真琴も撮ってたやろ」


「はい。寝室のところも撮りました」


「そこ撮るんや」


「だって、壁が付いたら今の状態は見えなくなるでしょう」


 優也は湯呑みを持ったまま少し笑った。


「完全に記録係やな」


「優也さんが全部同じ角度で撮るからです」


「統一感や」


「偏りです」


 そこで料理が運ばれてきた。


 しばらく食べたあと、優也がふと思い出したように口を開く。


「なあ、真琴。今日、中で普通に『毎日使う』とか『一緒に乗る』って言うてたやろ」


 真琴は箸を止めた。


「言いましたね」


「前より自然になったなと思って」


 真琴は少し考え、味噌汁の椀を置いた。


「ここまで一緒に決めてきたのに、完成したら一度だけ乗って終わり、とは思ってません。長い旅行じゃなくても、普通に休日に出掛けたり、中で何もしない日があってもいいと思ってます」


「何もしない日?」


「車を買ったからって、毎回観光しないといけないわけじゃないでしょう。景色のいいところで本読んだり、コーヒー飲んだりでもいいです」


 優也はその場面を想像した。


「それ、ええな」


「でしょう?」


「じゃあ、そういう日も作ろ」


 真琴はすぐには答えず、ほんの少しだけ笑った。


「はい」


 短い返事だった。


 けれど優也には、それで十分だった。


          ◇


 製作は、その後も少しずつ進んだ。


 写真が届くたび、GRANZの姿が変わる。


 骨組みだけだった居住部へ外殻が入り、右側の玄関、生活側の窓、左側のサービス開口、最後部の主寝室窓が輪郭を持つ。屋根側でも前後二基の空調、換気、通信設備、固定式ソーラーを載せるための基準位置が整えられていった。


 優也は写真を拡大して眺めるものの、細かな質問を毎回送ることはしなかった。


 大きく違っていない。


 それが分かればいい。


 ある夜、優也の部屋で最新の写真を見ながら、真琴が言った。


「ここからは、作る人に任せるところですね」


「俺もそう思う。必要なとこはもう決めたし、俺らが全部口出したら逆にややこしなる」


「完成したあとに使ってみて、初めて分かることもありますし」


「そのとき文句言う?」


「必要なら」


 優也が笑うと、真琴も少し笑った。


「怖いなあ。でも、言ってくれるほうがええか」


「優しくは言います」


「それ前も聞いた気するわ」


 何もしていない時間を、以前ほど不安に感じなくなった。


 待つことも製作の一部であり、自分が触っていない間にも、専門家の手で家は進んでいる。


 それを信じて待てるようになったのは、自分でも少し意外だった。


          ◇


 そのころ、優也は両親にも「本当に作り始めた」と改めて伝えた。


 母親は電話の向こうで少し驚いたあと、すぐに笑った。


『ほんまに買うたん? あの大きいやつ』


「買うたっていうか、今作ってる途中やな。この前、骨組み見てきた」


『骨組みまで見せてもらえるん? もう家建ててるみたいやん』


「車やけどな」


『中で寝て、ご飯作って、風呂も入れるんやろ。ほんなら家や』


 そう言われると、否定しづらい。


『温泉、忘れんといてや』


「それまだ覚えてたんか」


『当たり前やん』


 横から父親の声も聞こえた。


『事故だけはすんなよ』


「まだ走ってへんって」


『走り出してから言うたら遅いやろ。あんなデカい車、慣れるまで無茶すんな』


「分かってる。最初から山奥突っ込んだりせえへんよ」


 優也は笑いながら答えた。


 以前、実家で昔のアルバムを見ながら「買えたら温泉へ連れていく」と話したときは、本当にそんな日が来るのか自分でも分からなかった。


 今は違う。


 まだ完成していない。


 それでも、その約束はもう夢だけではなかった。


 電話を切ったあと、優也はふと昔の写真を思い出した。


 雨の夜。


 父親のワゴン。


 三人で身体を寄せて眠ったこと。


 あの狭さを嫌だった記憶ではなく、妙に楽しかった記憶として持っている自分が、今度は四軸八輪の大きな車へ両親を乗せようとしている。


 ずいぶん遠くまで来た気がした。


          ◇


 次の見学案内が届いたのは、外殻と主要な窓まわりが形になったころだった。


 内装工事へ本格的に入る前に、空間の見え方と主要な開口を確認してほしいという。


 メールに添付された写真を開いた瞬間、優也は画面へ顔を近づけた。


 まだ最終の外装色ではない。


 屋根設備も全部は載っていない。


 それでも、一目で分かった。


 もう骨組みではない。


 ちゃんと車だった。


 四軸八輪の車体。


 高いキャビン。


 その後ろへ続く居住部。


 右側の主玄関。


 側面に切られた窓。


 完成予想図で何度も見た輪郭が、現実の光の中に立っている。


 優也は写真を真琴へ送った。


『……車になってる』


 すぐに返事が来た。


『前から車やで』


『骨でした』


『言い方』


 少しして、もう一通。


『今度は中が気になります。絶対見に行きたいです』


 優也は笑いながら返した。


『俺も。休み合わせよ』


          ◇


 その夜、優也はノートを開いた。


『車両製作契約――締結』


 その下へ、今日の日付とともに書き足す。


『居住部骨格――確認』

『外殻・窓工程――進行』

『次――内装前確認』


 以前なら、そこへ設備名や寸法まで書き込みたくなったかもしれない。


 今は、それ以上書かなかった。


 必要なことは図面に残っている。


 自分のノートへ残したいのは、何ミリ動いたかではなく、どんなふうに家が生まれていったかだった。


 優也は最初の骨組み写真と、今日届いた写真を並べた。


 同じ車とは思えない。


 向こう側まで見えていた空間が、今はしっかりした箱になっている。


 その中には、まだソファもベッドもない。


 三段式の冷蔵冷凍庫も、Clesanaも、照明も、モニターも付いていない。


 それでも、優也にはもう見えていた。


 右側の玄関を開けて入る。


 前にはリビングがあり、停車すれば運転席と助手席もそこへ加わる。


 左側のキッチンでは真琴がコーヒーを入れ、自分は可動テーブルを寄せて座っている。


 奥へ行けば水回りがあり、最後部には眠る場所がある。


 両親を乗せて温泉へ行く。


 何もせず、景色のいい場所で一日過ごす。


 雨なら、窓の外を見ながら車内で飯を食う。


 以前なら、それはただの想像だった。


 今は、その想像を受け止める箱そのものが現実にある。


 優也はブラックコーヒーを一口飲み、スマートフォンへ届いた真琴のメッセージをもう一度見た。


『休み、合わせられそうです。』


 その一文へ、『ほな決まり』と返す。


 完成まではまだ時間が掛かる。


 だから急ぐ必要はない。


 次に見に行ったとき、また少し家になっていればいい。


 そう思えるくらいには、待つことにも慣れていたし、待っている時間そのものがもう二人の旅の一部になり始めていた。


 図面だった線は鉄になった。


 鉄の骨格は壁を持ち、窓を持とうとしている。


 その内側で、優也と真琴が過ごす時間まで、少しずつ現実へ近づいていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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