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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
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ep.47 線が鉄になる日


 東亜モビリティファイナンスから「条件付き事前承認」の連絡が届いた翌朝も、優也はいつもと同じ時間に家を出た。


 駅まで歩き、現場へ着けばヘルメットを被り、無線機の動作を確認して規制帯へ入る。二億円を超える車の契約が現実味を帯びてきたからといって、目の前の道路が広くなるわけでも、車列が待ってくれるわけでもない。


 むしろ、その変わらなさに少し救われていた。


 午前の作業が落ち着き、休憩所へ戻ったところで、久保田が缶コーヒーを片手に優也を見た。


「例の八輪、まだ夢の中か?」


「ちょっとだけ現実寄りになりました。金融会社の事前審査、条件付きで通ったんです」


「ほな、買えるんか?」


 優也は缶コーヒーを開けながら首を横に振った。


「まだです。次は契約書と最終条件を見ます。通ったからって返済が無茶なら、そこで止めます」


「最初のころより慎重になったな。前やったら『いける』でそのまま突っ込んでそうや」


「俺を何やと思ってるんですか」


「二億の八輪を本気で買おうとしてる交通誘導員」


 言われてみると、切り取れば相変わらず無茶な話で、優也も笑った。


 それでも、もう「いつか買えたらいい」と話しているだけではない。三百万円を積み、設計を進め、帳簿を整え、仕事を続け、第三者からようやく「次の手続きへ進める」と判断された。


 午後の規制へ戻るとき、優也は妙に落ち着いていた。


 ここまで来たからこそ、最後に焦る必要はない。


          ◇


 数日後、RHEINHARD Mobility Japanから契約関係の書類一式が届いた。


 ファイル名の最初には、『GRANZ 8×8 Expedition 車両製作契約書(案)』とある。


 優也は自宅のダイニングテーブルへノートパソコンを置き、すぐ署名欄へ進まず、最初のページから順番に読んだ。


 総額は二億一千八百六十万円。すでに支払った技術検討申込金は契約額の一部へ充当され、製作に入ったあとで大きな変更や解約が生じた場合は、その時点までに発生した費用を基準に精算する。登録、保険、法定費用など、納車時に別で確定するものもある。


 細かな文言まで全部を一人で解釈するつもりはなかった。


 優也が確認したかったのは、もう少し単純なことだった。


 金融会社の正式承認が出る前に、車両契約だけが先に走らないか。設計上や法規上、大きな変更が必要になったとき、自分の知らないところで仕様が変わらないか。そして、今まで二人で決めてきたGRANZが、ちゃんと契約上の一台として残っているか。


 夜、真琴が大学帰りに優也の部屋へ来た。


 いつもなら玄関で「お邪魔します」と言ってからすぐ荷物を置くのに、その日はテーブルの上に積まれた紙を見て、少しだけ足を止めた。


「これが本契約ですか?」


「まだ案やけどな。俺だけで読むん嫌やから、付き合って」


「そのために来たんでしょう」


 真琴はカーディガンを椅子へ掛け、優也の隣へ座った。


 二人で最初から読み始める。


 真琴が先に気づいたのは、やはり解除条件だった。


「ここ、金融会社の正式承認より先に発効したように読めません?」


「俺もそこ引っ掛かった」


「確認したほうがいいですね。融資が成立しなかったのに、車だけ契約済みでは困ります」


 優也は付箋を貼り、次のページへ目を移した。


「そこは絶対直したい。欲しいのと、急いで署名するのは別やしな」


 価格変更が必要になった場合の扱い、大きな仕様変更が発生した場合の協議、納期がずれた場合の連絡、製作途中の支払い。


 以前なら、こういう紙を見るだけで面倒になっていたかもしれない。今は、むしろ確認すべき場所が分かる。


「不思議やな。最初のころは装備表見てるときが一番楽しかったのに、今は解除条件見てる」


「大人の買い物になったんですよ。夢があるから、現実のところを雑にしないんです」


 真琴がそう言ってページをめくるのを見ながら、優也は少しだけ笑った。


          ◇


 翌週、RHEINHARDと東亜モビリティファイナンスを交えた最終条件の確認が行われた。


 真琴も同席した。


 最初に整理されたのは、契約の発効条件だった。優也が署名しただけで製作契約が即時に全面発効するのではなく、金融会社の正式承認と必要な自己資金の確認が整った時点で、製作開始へ移る形に修正される。


 優也が最も気にしていた部分だった。


「それなら安心です。俺の都合で途中からやめるのと、金融条件が成立してへん状態は別にしたいんで」


「その認識で問題ありません」


 RHEINHARD側の担当者が答え、続いて最終仕様書を画面へ出した。


 全長八・九六メートル、全幅二・四九メートル、走行時全高三・六メートル以下を基準とする四軸八輪の日本仕様。右側主玄関から前方へ開くリビング、停車時に回転して室内へ加わる運転席と助手席、家具へ自然に組み込む五人目の正式な走行席。左側キッチンには三段式のフラットな冷蔵冷凍庫と、面材の奥へ隠す洗濯乾燥機。独立したシャワー室と、水を使わないClesanaのトイレ室。最後部は中央縦置きの主寝室で、中央天井に収納式モニター、左右へBS-EW3150を一基ずつ組み込む。


 屋根は固定式ソーラーを採用し、前後二基の空調、換気、通信設備との整備空間を残す。ハウスバッテリーは六十キロワット時級を基本とし、追加容量は完成重量と軸重を見てから判断する。


 ブラックタンクはない。


 短い確認だったが、優也は一つずつ目で追った。そこに、もう以前の検討案は残っていなかった。


「これで相違ありません」


 優也が答えると、真琴も横で頷いた。


 ここから先、数センチの調整や施工上の変更はあり得る。それでも、家としての考え方まで勝手に変わることはない。それが確認できれば十分だった。


          ◇


 金融会社側の話へ移ると、部屋の空気が少しだけ硬くなった。


 優也にとって大事なのは、借りられる額の最大値ではない。返済と維持を続けたうえで、普通に生活できることだった。


 担当者は、優也の給与収入、副業の利益推移、自己資金、生活防衛資金、事業運転資金を改めて確認し、製作中の資金はRHEINHARDへ工程ごとに直接支払う方式を前提に組むことを説明した。


 優也は月々の試算を見た。


 軽いとは言えない金額だが、副業が弱い月を想定しても破綻しないよう、返済条件には余裕を持たせる案が出ている。


「これ、事業の利益が落ちた月でも、給与から全部補填せなあかんような組み方にはなってへんですよね」


「はい。むしろ、そこまで余裕がなくなるなら承認条件を下げるべきです。車両を持てても、返済だけで生活が詰まるのは避けます」


 真琴が横から資料を覗いた。


「維持費は別で見てるんですよね」


「もちろんです。保険、整備、燃料、保管、消耗品を含め、車両取得費とは分けて確認します」


 優也はそこで少し安心した。


 高い車を買えるかどうかより、買ったあとも普通に仕事へ行き、真琴と飯を食い、両親を温泉へ連れていけるかどうかのほうが大事だ。


「その条件なら、俺は進めたいです」


 優也が言うと、真琴はすぐに口を挟まず、数秒だけ表情を見た。


「無理してません?」


「してへん。怖いけどな」


「それならいいです。怖くないって言い出したら、そのときは止めます」


 優也は苦笑した。


「真琴、最近ほんま俺の取扱説明書みたいになってるな」


「まだ不具合多いので完成版ではないです」


「ひどいな」


 二人の笑いで、少し固かった空気がようやく緩んだ。


          ◇


 正式審査には少し時間が掛かった。


 その間、優也は以前のようにメールを何度も開かなかった。通知が来れば見る。来なければ仕事へ行く。北摂リユース商会から確認を頼まれれば現物を見に行き、何もなければまっすぐ家へ帰る。


 真琴とも、審査のことばかり話さなかった。


 駅近くの蕎麦屋で食事をした夜、真琴が箸を置きながら笑った。


「思ったより落ち着いてますね」


「落ち着いてるふりしてるだけやで。メール来たら毎回ちょっとドキッとする」


「前なら、自分から問い合わせてませんでした?」


 優也は蕎麦湯を注ぎながら、少し考えた。


「聞いて早くなるなら聞くけど、ならんやろ。待つしかない時間は、もう慣れた。それより、通ったあとのほうが怖いかもな。今までは審査待ちやったけど、通ったら俺が決める番やし」


「やめたくなったんですか?」


「逆。欲しいから怖いんやと思う。契約したら、今度こそほんまに作り始めるし」


 真琴は少しだけ笑った。


「それなら、私は安心です。怖くなくなって勢いだけで押したら、そのほうが心配なので」


 話題はそのあと研究室のことや次の休みの予定へ移り、二億円を超える契約の結果を待っているのに、帰り道ではコンビニの新しい菓子の話をしていた。


 その普通さが、優也には心地よかった。


          ◇


 正式承認の連絡が来たのは、平日の夕方だった。


 その日は現場が少し早く終わり、会社へ戻る車の中で通知だけが目に入った。


『正式審査結果のご案内』


 優也はすぐには開かなかった。


 装備を片付け、着替えを済ませ、駅へ向かう途中の小さな公園でベンチへ座ってから画面を開く。


 条件の欄を上から読んだ。


 自己資金の確認。車両保険。RHEINHARDからの工程報告。製作中の段階支払い。完成後の返済条件。


 そして最後に、『車両製作契約に係る金融枠を正式承認』と書かれていた。


 優也は一度最後まで読み、もう一度最初から読んだ。


「……通った」


 声に出した途端、ようやく実感が追いついてきた。


 三百万円へ届いたときとも違う。


 二億一千八百六十万円の見積書を見たときとも違う。


 ここまでは、買えるようになるための準備だった。


 今度は、本当に「買うか」を自分で決められる。


 優也は真琴へ電話した。


『もしもし』


「通った」


 短く言うと、電話の向こうが一瞬だけ静かになった。


『正式のほうですか?』


「正式。前に見た条件から大きく変わってへん。製作契約へ進めるって」


 真琴はしばらく黙ったあと、ゆっくり息を吐いた。


『……じゃあ、本当に買えるんですね』


「まだ名前書いてへんけどな」


『でも、書くんでしょう?』


 優也は公園の前を通る自転車を眺めながら笑った。


「書く」


 答えた声に迷いはなかった。


          ◇


 製作契約の締結日は、その翌週に決まった。


 優也と真琴は、何度も通った大阪東部の協力工場へ向かった。今日はモックアップを見るためでも、図面を直すためでもない。


 打ち合わせ室のテーブルには、最終版の契約書と仕様書が置かれていた。


 担当者が大きな条件を改めて確認する。


 契約総額。技術検討申込金の扱い。自己資金と金融会社からの支払い。製作中に大きな変更が必要になった場合の協議。そして最終仕様。


 優也は聞きながら、途中で真琴の横顔を見た。


 彼女も書類を見ている。


 最初にこの車を欲しいと思ったのは自分だった。それなのに、ここまで来る間に、真琴がいない状態で大きなことを決めた記憶がほとんどない。


「福山様。こちらの内容で相違ありませんか」


 担当者に聞かれ、優也は視線を戻した。


「大丈夫です」


 ペンを持ち、契約者欄へ名前を書く。


 紙にペン先が触れた瞬間だけ、手が少し重く感じた。


 怖くないわけではない。


 けれど迷いはなかった。


 何度も止まり、確認し、まだ早いと思ったところでは待ってきた。だからこそ今日だけは、勢いで押した一筆ではないと自分でも分かる。


 最後まで署名し、必要な手続きを終える。


 担当者が契約書を確認したあと、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます。これより、福山様向けGRANZ 8×8 Expeditionの製作準備へ進みます」


 優也はその言葉を聞いてから、少しだけ笑った。


「……ほんまに作るんですね」


「はい。今度は図面だけではありません」


 横を見ると、真琴も嬉しそうに笑っていた。


「よかったですね」


「長かったな」


「まだ完成してませんよ」


 優也が少し肩をすくめると、真琴も笑った。


「今日くらいは言わせて」


「今日だけなら」


 そのやり取りまで、いつも通りだった。


          ◇


 契約書の控えを受け取ったあと、二人はすぐ工場を出ず、併設された小さな休憩スペースでコーヒーを飲んだ。


 優也は紙袋に入った契約書を足元へ置き、何度かそこへ視線を落とした。今まで何度も見てきた図面より薄い束なのに、今日は妙に重く感じる。


「もっと達成感あると思ってたわ」


 優也が言うと、真琴は紙コップを両手で持ったまま首を傾げた。


「ないんですか?」


「あるけど、三百万できたときみたいな『やった』より、『もう言い訳できへんな』って感じのほうが強い」


「言い訳するつもりだったんですか」


「そういう意味ちゃう。欲しいって言うだけなら何とでも言えるやろ。でも今日からは、ほんまに自分の車になるために金も時間も動くんやなって」


 真琴は少し考えてから、足元の紙袋を見た。


「私は、少し安心しました」


「何に?」


「ここまで来ても、優也さんがちゃんと怖がってることにです。二億円の契約をして、急に全部うまくいく気になってたら心配でした」


「そこまで単純ちゃうわ」


「知ってます。でも、前よりもっと分かるようになりました」


 言い方が少しだけ柔らかかった。


 優也は紙コップを持ち上げ、真琴のものへ軽く近づける。


「ほな、一応乾杯しとく?」


「コーヒーですけど」


「ええやん。車できたら最初の朝もコーヒーなんやろ」


 真琴は一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。


「じゃあ、その予行練習で」


 二つの紙コップが小さく触れた。


 大げさな祝いではなかった。


 けれど優也には、そのくらいがちょうどよかった。


          ◇


 契約後、二人は製作工程の大まかな流れだけ説明を受けた。


 車両側の正式手配を進め、居住部の骨格や設備部材を工程ごとに準備する。実車側との確認を挟みながら骨格を組み、外装、設備、内装、試験へと進む。


 部材や検査の都合で前後する可能性はあるため、納期を一つの日付へ固定せず、節目ごとに進捗を共有するという。


「写真も送ってもらえるんですよね」


「はい。安全に見学いただける段階になれば、現地確認もご案内します」


 真琴の反応は早かった。


「見たいです。ここまで図面見たんだから、骨組みも見たいでしょう」


「俺より先に言うたな」


「当然です」


 優也は笑った。


 完成後に真琴が乗ることを、もう誰も改めて確認しない。それが当たり前になっているのが少し嬉しかった。


          ◇


 工場を出たあと、二人は駅まで歩いた。


 風は少し冷たく、日が落ちるのも早くなっている。


「今、どんな感じですか?」


 真琴に聞かれ、優也は少し考えた。


「もっとテンション上がると思ってた。でも実際は、やっと始まったって感じやな」


「たぶん、本当に始まったからでしょうね。今までは図面と数字でしたけど、これから物になりますから」


 優也は歩きながら、工場の大きなシャッターを振り返った。


「次来たら、鉄の枠見て喜んでるかもしれん」


「ありそうです。私も写真撮ると思います」


「完成したあと並べる?」


「そのつもりです」


 優也は少し笑った。


「完成後まで考えてるな」


「ずっと考えてますけど」


 真琴はそう言ってから、自分でも少し言いすぎたと思ったのか、視線を前へ戻した。


 優也はすぐに突っ込まなかった。


 代わりに歩幅を少しだけ合わせる。


「最初、どこ行く?」


「またその話ですか?」


「契約した日やから、ええやろ」


 真琴は少し考えたあと、笑った。


「両親と温泉が最初でしょう。その次は、前に言ってた山のほう」


「覚えてたんや」


「一緒に決めたでしょう」


 その言葉は、優也が思っていたより深く残った。


          ◇


 その夜、自宅へ戻った優也は、契約書の控えをダイニングテーブルへ置いた。


 モニターにはGRANZの完成予想図を映す。


 四軸八輪の車体。


 全長八・九六メートル。


 固定式ソーラーを載せた屋根。


 右側の玄関から入れば前方へリビングが開き、左側にはキッチン、その奥に水回り、最後部に主寝室がある。


 これまではその画面を見ながら、「いつか」と思っていた。


 今日からは少し違う。


 まだ工場に完成した車が置かれているわけではないし、明日から急に形になるわけでもない。それでも、自分の名前が入った契約書があり、製作のための手続きはもう動き始めている。


 優也はノートを開いた。


『条件付き事前承認』


 その横へ、正式承認の日付を書き足す。


 続いて、


『車両製作契約――締結』


 と記した。


 以前なら、その下へ「完成予定」と日付を書きたくなったかもしれない。


 今は書かなかった。


 急いでも早くならない時間がある。そのことは、ここまで来る間に嫌というほど覚えた。


 代わりに、新しい一行を書いた。


『次――線が鉄になる』


 少し大げさだと思って、自分で笑った。


 けれど間違ってはいない。


 これまでは、画面の中の線だった。床へ貼ったテープだった。紙に印刷された寸法だった。


 これからは、その線が骨格になり、壁になり、扉になり、家具になっていく。


 優也はブラックコーヒーを入れ、ソファへ座った。


 スマートフォンには、真琴からメッセージが来ていた。


『今日はおめでとうございます。』


 そのあとに、もう一通。


『でも明日も仕事なので、夜更かししないでください。』


「最後それかい」


 優也は笑いながら、『了解』と返した。


 しばらくして、もう一通届いた。


『完成したら、最初の朝はコーヒー入れてくださいね』


 優也の指が少し止まった。


『真琴が入れてくれてもええで』


 送ると、返事は少し遅かった。


『じゃあ、じゃんけんで。』


 主寝室の左右を決めるときと同じ答えだった。


 優也は声を出して笑った。


 まだ恋人ではない。


 同じ家に住む約束もしていない。


 それでも、完成していない車の中で迎える朝を、二人とも自然に想像している。


 その距離を急いで変える必要はなかった。


 GRANZも同じだ。


 署名したからといって、明日完成するわけではない。けれど、もう戻る必要もない。


 優也はモニターに映る完成予想図を眺めながら、契約書の控えへもう一度視線を落とした。


 二億一千八百六十万円という値段に、自分が追いついたわけではない。


 仕事を続け、記録を残し、信用を積み、無理なときには止まって確認してきた結果、ようやくその値段を扱う入口まで来た。


 次に届くのは、きっと豪華な内装の写真ではない。


 むき出しのシャシーや、切り出された構造材や、まだ何の部屋かも分からない金属の枠だろう。


 それでも今の優也なら、たぶん喜べる。


 家になる前の家を見られる。


 そう考えると、完成だけを待つ時間まで少し楽しみになった。


 優也はノートを閉じた。


          ◇


 翌朝、出勤前にRHEINHARDから短いメールが届いた。


 車両には社内の製作管理番号が割り当てられ、ベース車両と居住部側の部材手配が正式に開始されたという。添付されていたのは完成予想図ではなく、工場の作業指示書の一部を写しただけの地味な画像だった。


 優也はそれを見て、妙に嬉しくなった。


 昨日までは契約書だった。


 今日は、もう作る側の書類になっている。


 真琴へ画像を送ると、すぐに返事が来た。


『本当に始まりましたね』


 優也は駅へ向かいながら、『今度は鉄やな』と返した。


 数秒後、


『写真が来たら絶対送ってください』


 と届く。


 優也は笑いながらスマートフォンをポケットへ戻した。


 朝の電車はいつもと同じだったが、自分の知らない場所で、自分たちが何度も線を引いた家の材料が少しずつ動き始めている。


 その事実だけで、今日の仕事まで少し軽く感じた。


 図面の線は、もう紙の上だけにはいない。


 自分たちのGRANZは、ようやく現実の工場へ降りていこうとしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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