ep.43 設計が始まる日
RHEINHARD Mobility Japanへ技術検討申込みを進めたいと送った翌朝、優也のスマートフォンには担当者からの返信が届いていた。
出勤前の狭い時間に開くには、添付されている書類の名前が少し重い。
『GRANZ 8×8 Expedition 日本仕様 技術検討申込書』
優也は通知だけ確認し、ファイルを閉じた。三百万円を払うところまでは自分で決めたが、だからといって朝食を片手に流し読みしていい書類ではない。帰宅してから落ち着いて読むことにして、いつも通り作業着へ着替えた。
その日の現場は住宅地に近い道路の舗装工事だった。片側交互通行で、通学時間を過ぎても配送車や自転車が途切れない。誘導灯を持って車列を止め、歩行者を先に通し、無線の指示を聞きながら工事車両を入れる。頭の片隅には申込書のことがあったものの、仕事が始まればそれどころではなかった。
昼休みになってようやく仮設休憩所へ戻ると、久保田が弁当の蓋を開けながら優也を見た。
「今日、なんか落ち着かんな」
「そう見えます?」
「見える。朝からスマホ三回くらい確認してたやろ」
「仕事中ちゃいますよ」
「そこは分かってる。で、何や。またあのデカい車か?」
優也は缶コーヒーを開け、苦笑した。
「設計始めるための申込書が来たんです。まだ車買う契約ではないですけど」
「前に家より高い言うてたやつやろ。ようまだ諦めてへんな」
「自分でも思います。でも、置き場所も維持費も調べて、実寸の中まで歩いて、それでも欲しいんですよね。勢いやったら、もう冷めてると思うんですけど」
久保田は少しだけ考えるように箸を止めたあと、「ほな、好きなんやろ」とあっさり言った。
「ただし、車のこと考えて赤旗出すの遅れたら、俺が先に止めるで」
「そこはちゃんと仕事しますって」
「ならええ」
家より高い車の話をしていても、休憩が終わればまた道路へ戻る。その変わらなさが、優也には妙にありがたかった。
◇
帰宅後、風呂と夕食を済ませた優也は、ダイニングテーブルへノートパソコンを置いた。
真琴とは八時に通話する約束をしている。それまでに申込書を一度読み、分からないところへ印を付けておこうと思った。
書類には、これまで口頭やメールで聞いてきた内容が改めて文章になっていた。
技術検討申込金は三百万円。正式な車両製作契約へ進んだ場合は車両代金の一部へ充当される。途中で中止する場合は、すでに行われた設計や法規確認、外部試験などの費用を精算し、残額があれば返金される。
詳細設計が終わったからといって、自動的に車両購入義務が発生するわけではない。
そこへ線を引いたところで、スマートフォンが震えた。
『読みました?』
「今ちょうど。前に聞いたのと大きくは変わってへんけど、書類になったら三百万って急に重たく見えるな」
『それは普通だと思います。私も確認用の写しを見ていますけど、途中で止めた場合の精算だけ、もう少し具体的に聞きたいです。何をもって作業開始になるのかと、高額な外部費用が発生するときに事前連絡があるのか』
優也はペンを取り、余白へ書き足した。
「あと重量やな。十九・八トン以下って目標は分かってるけど、今の装備全部入れてほんまに成立するんか。そこは最初に聞きたい」
『追加バッテリーも、まだ確定にしないんですよね』
「うん。六十キロワット時で足りるなら、無理に増やさん。ブラックタンクなくしたところへ何か積めるとしても、重量見てからやな」
『そのほうがいいと思います。空いた場所があるから埋める、を始めると終わらないので』
「誰の話や」
『優也さんの話です』
即答され、優也は笑った。
それから二人は、書類の上で気になったところを拾っていった。質問は増えたが、昔のように「何を付けられるか」ばかりではない。修理するときに外せるのか、屋根上の設備へ人が手を入れられるのか、洗濯乾燥機の点検でキッチンを半分壊すようなことにならないか、固定式ソーラーは空調や換気の邪魔にならないか。
真琴がふと笑った。
『夢のキャンピングカーの相談というより、もう家電と配管の話ばっかりですね』
「二億超えるかもしれん家やからな。壊れたら毎回海外送りとか嫌やろ」
『確かに。それに、私は今のほうが面白いです』
「そうなん?」
『はい。最初は優也さんが欲しい車を一緒に見ていただけでしたけど、今は完成したら自分がどこに座るかとか、どこに物を置くかまで想像できますから』
優也は返事をしようとして、少しだけ間が空いた。
「……ほな、勝手に収納増やすなよ」
『増やしません。むしろ優也さんが増やさないように見ます』
「監視役かい」
真琴の笑い声が聞こえた。
そこからはGRANZの話を離れ、研究室であった小さな失敗や、優也の現場で久保田がまた手袋を片方なくした話をした。書類を前にしていたのに、最後はいつもの会話になっていた。
◇
翌々日、RHEINHARDとの最終確認はオンラインで行われた。
担当者は優也たちが送った質問を順番に確認し、技術検討の開始日は申込金の着金と必要書類の受領後に正式通知すること、高額な外部試験や特別な技術検証が必要になった場合は原則として事前説明を行うことを答えた。
重量についての説明に入ると、優也は画面へ少し身を寄せた。
「最大車両総重量十九・八トン以下は、設計上の上限として扱います。現時点では乾燥重量十七トン以下を上限目標としていますが、最終値は構造、装備、軸重まで含めて検証します」
「今の仕様やと、そこ結構ギリなんですか?」
「余裕があるとは申し上げません。ただし、今回の仕様変更で軽くなる部分もあります。ブラックタンクと黒水系統を廃止し、ソーラーも可動機構を持たない固定式へ変更していますので、従来案より構成は単純になります」
真琴が画面上の屋根図を指した。
「固定式にしたぶん、展開レールやモーターがなくなりますよね。その空いた重量を、そのままバッテリー追加へ使うわけではない、という理解で合っていますか?」
「はい。標準は六十キロワット時級のままです。追加五から十キロワット時は候補に残しますが、軸重と満載重量を確認してからです。空いた床下区画は、バッテリーだけでなく重量配分や整備アクセスにも使えます」
優也はそこで頷いた。
「それでいいです。容量だけ増やして十九・八トンに張り付くんは嫌なんで」
担当者は次に屋根レイアウトへ切り替えた。前後二基のルーフエアコン、キッチンとシャワー、トイレの換気、通信アンテナ類、その間へ固定式ソーラーパネルを配置する案が表示される。
「ソーラーは約三キロワット級以上を目標とします。ただし、空調の吸排気、換気、アンテナ整備、人が作業できるクリアランスを優先します」
「三・六キロワットとか、数字だけ上げるために詰め込まんでええです」
「承知しています」
以前の優也なら、載せられるだけ載せたいと言っていたかもしれない。真琴もそれを覚えているらしく、画面の端で少し笑っていた。
居住部の確認へ移ると、担当者は現在の固定条件を一度だけ読み合わせた。
右側主玄関。入って右手から前方へ広がるリビング。左手に十五インチ統合操作パネルと電装・通信サービスウォール。前席二脚は停車時に回転してリビングへ参加し、五人目の正式な走行席は玄関を塞がない形で家具へ組み込む。
左側キッチンには三段式のビルトイン冷蔵冷凍庫が壁面と同じ面材で収まり、洗濯乾燥機も下部キャビネットへ隠す。水を使わないClesanaは独立したトイレ室へ設置し、シャワー室とは分ける。最後部の主寝室には中央縦置きのベッドが入り、中央天井の大型モニターを避けて左右へBS-EW3150を一基ずつ埋め込む。
優也は聞きながら、何度も修正してきた配置がようやく一つの形になったことを感じていた。
「詳細設計に入れば、数センチ単位の調整は出ます。ただし、今申し上げた関係性を崩して勝手に配置を変えることはありません」
「そこだけお願いします。入り口開けたらいきなりトイレとか、もう勘弁なんで」
優也が言うと、担当者が一瞬黙り、それから笑った。
「その件は記録にも強調されています」
「強調されてるんや……」
真琴が口元を押さえた。
確認は一時間ほどで終わった。担当者は今日中に決める必要はないと最後まで念を押したが、優也の気持ちは変わらなかった。
「進めます。条件が変わってへんか確認したかっただけなんで」
言ってしまうと、不思議なくらい普通だった。
◇
週末、真琴が優也の部屋へ来た。
テーブルの上には申込書と振込案内が並び、その横に二人分のコーヒーが置かれている。真琴は座るなり書類をもう一度最初から読み、途中で優也が付けた付箋を一枚だけ外した。
「ここ、昨日回答もらってますよね」
「ああ、それもう要らんな」
「こういうの残してると、また不安になって同じこと聞きますよ」
「俺そんな面倒な客?」
「かなり」
「ひどない?」
「でも、二億円の車を買おうとしてる人なら、これくらいでいいと思います」
真琴はそう言って、外した付箋を丸めて自分の横へ置いた。
優也は署名欄へ名前を書き、スマートフォンで金融機関の画面を開く。金額を入力すると、三、〇〇〇、〇〇〇という数字が小さな画面の中へ収まった。
「ほな、いくで」
「振込先、もう一回だけ見てください」
「そこは俺でも見る」
「三百万円ですから」
「分かってるって」
口では軽く返したものの、最終確認のボタンを前にすると指が止まった。
真琴は何も言わず、隣に座ったまま待っていた。
数秒が長く感じられる。
「……やっぱ怖いな」
優也が笑うと、真琴も少しだけ表情を緩めた。
「怖くていいと思います。今日思いついて払うわけじゃないですし、払ったあとに生活が崩れないことも確認したでしょう。それでも嫌なら、今やめてもいいです」
「やめへん」
「じゃあ、押してください」
妙にあっさり言われ、優也は笑った。
「真琴のほうが腹据わってるやん」
「私のお金じゃないですから」
「そこ言う?」
「大事です」
優也はもう一度口座名義と金額を確認し、ボタンを押した。
処理中の表示が出て、数秒後に完了へ変わる。
三百万円が口座から消えた。
部屋の景色は何も変わらなかった。
「……払ってもうた」
「払いましたね」
「三百万やで」
「横で見てました」
真琴が笑う。
優也もつられて笑った。
振込記録と申込書の控えをRHEINHARDへ送り、一時間ほどすると受領の返信が届いた。社内手続き完了後、正式な技術検討開始日を案内するという。
優也はその一文を何度か読み直した。
「これで、作るんやな」
「まだ設計です」
「今日くらいはええやろ」
「今日だけなら」
真琴はそう言いながら、テーブルの端にあった平面図を自分のほうへ引いた。
「これ、冷蔵庫の扉、本当に壁に見えるんですよね」
「そこ気になる?」
「気になります。普通の冷蔵庫が置いてある感じより、絶対きれいです」
「完成したら最初に開ける?」
「中身入ってからでいいです」
「夢ないなあ」
「空の冷蔵庫を開けて何が楽しいんですか」
夕方まで、二人はそんなことを話していた。
三百万円を振り込んだ日の夕食は、近所で買ってきた惣菜と炊いたご飯だった。特別な料理ではなかったが、優也にはその普通さが妙に心地よかった。
◇
数日後、RHEINHARDから正式な技術検討開始通知が届いた。
初回レビューの日程候補を見た優也は、勤務表と照らし合わせ、真琴にも画像を送った。
『この日なら行ける』
少しして返事が来る。
『私も空けられます。今度は本当に図面が始まるんですね』
その一文を見たとき、三百万円を払った瞬間より胸が高鳴った。
これまでも図面は見てきた。モックアップも歩いた。それでも、次に見るのは既存モデルへ希望を当てはめた参考案ではない。自分たちの条件を前提に、重量も配管も構造も考えられた一台の設計図になる。
◇
初回設計レビューの日、二人は大阪東部の協力工場を訪れた。
以前、床へテープを貼って車内幅を体験した場所と同じ建物だったが、今日は打ち合わせ室の空気まで違って感じられた。担当者のほかに、車体設計を担当する技術者と居住設備側の設計担当が同席し、テーブルの中央には大判の図面が何枚も重ねられている。
「本日から、福山様向けGRANZの設計レビューを始めます」
最初の一枚が広げられた。
四本の車軸と八本のタイヤ、高い運転キャビン、その後ろに蛇腹接続を介して載る居住ボディ。外形だけなら何度も見たGRANZだったが、寸法線と設備位置が入ると別の車に見えた。
全長八・九六メートル。
全幅二・四九メートル。
走行時全高三・六メートル以下。
そこから先の数字は、まだ確定ではない。
技術者は車体中央を指しながら、四軸位置と前後オーバーハングを一から見直していることを説明した。以前の七・二メートル案で使っていた区画長や軸位置を単純に伸ばすのではなく、八・九六メートルの車体として走行安定性と旋回性、タイヤの動きまで組み直す。
「まず家具より先に、走る車として成立させます。清水、燃料、バッテリーのような重いものは、後から好きな場所へ移せません」
「やっぱ水が先なんですね」
「四百リットル級ですから、満水かどうかで重量が大きく変わります。左右二分割を基本にして、軸間と整備性を見ながら位置を詰めます」
図面には清水タンクの候補位置が左右へ分かれて描かれていた。中央はプロペラシャフトやトランスファー、排気系など8×8の駆動系が通るため、生活設備のために勝手に使えない。
優也は図面を覗き込み、ある場所で指を止めた。
「ここ、前はブラックタンクやったところですか?」
「そうです。Clesanaへ変更したので、黒水タンクと排水配管が不要になりました。ただし、空いたからそのままバッテリーを入れるとは決めていません」
担当者が別の図面を重ねる。
「重量バランス次第では、既存のバッテリーモジュールの一部をこちらへ寄せるだけでも意味があります。追加容量を載せるとしても、そのあとです」
真琴が図面へ顔を近づけた。
「つまり、容量を増やすための場所というより、配置を自由にするための余裕なんですね」
「その理解が近いです」
優也は少し笑った。
「空いたら全部使いたくなるから、先に止められてる気するな」
「実際、福山さんから追加容量のお話はいただいていますので」
「ほら」
真琴が小声で言い、優也は肩をすくめた。
◇
屋根図へ移ると、空気が少し変わった。
以前は左右へ展開する仕組みまで考えていたソーラーは、固定式へ変わっている。モーターもレールもない。そのぶん図面はすっきりしていたが、何も考えずパネルを敷き詰められるわけではなかった。
前側と後側にルーフエアコンを一基ずつ置き、キッチン、シャワー、トイレの換気排気を確保し、通信アンテナと衛星通信設備にも整備できる余白を残す。
「パネル、思ったより隙間あるな」
優也が言うと、設備担当が頷いた。
「詰めればもう少し増やせます。ただ、エアコンの吸排気や換気へ影響が出る配置は避けます。交換作業のとき、人が触れない屋根にもしたくありません」
「なら今のでいいです。数字のために全部塞ぐのはやめます」
真琴が優也を見る。
「成長しましたね」
「またそれ言う」
「前なら絶対、『あと何枚入ります?』って聞いてました」
「……聞いてたかもしれん」
「聞いてました」
技術者たちまで笑い、優也も諦めて笑った。
固定式ソーラーは約三キロワット級以上を目標とする。ただし、屋根設備との干渉を避けた結果として増減する余地は残す。六十キロワット時級のハウスバッテリー、約八キロワット級の走行発電、外部電源と組み合わせて、発電量だけを見て容量を決めない。
以前なら、説明を聞くだけで頭がいっぱいになっていた内容だった。
今は違う。
どれか一つの数字を最大にするより、車全体が無理なく成立しているほうがいい。優也自身がそう思えるようになっていた。
◇
昼を挟んで、午後は居住部へ移った。
右側の玄関を基準にした平面図がテーブルへ広げられる。
「ここから入ったときの見え方は、前回モックアップで確認したものをそのまま基準にしています」
玄関から入ると、右手から前方へリビングが開く。高い壁や設備で視線を遮らず、停車時には回転した運転席と助手席まで一続きの居場所になる。
五人目の正式な走行席は、玄関前へ独立した椅子を置くのではなく、リビング家具の中へ自然に組み込む。シートベルトと固定構造を成立させながら、停車時には「一席だけ乗用車の椅子が残っている」ように見せない方向で詰める。
左手には十五インチの統合操作パネルと、その下から奥へ電装・通信のサービスアクセス。普段は扉で隠し、必要なときだけ開けられる。
「入ってすぐ機械だらけに見えるんは嫌なんですよ」
「そのため、操作面だけを見せ、サービス部は家具面へ隠します」
優也は満足そうに頷いた。
その先の左側キッチンには大型シンク、二口IH、ビルトインのオーブンレンジ。洗濯乾燥機は下部へ入れ、同じ面材の扉で隠す。壁面へ溶け込む冷蔵冷凍庫は、上段が冷蔵、中段が野菜・チルド、下段が冷凍で、閉じれば大きな家電が置かれているようには見えない。
真琴はその部分をしばらく見ていた。
「これ、取っ手も目立たなくできます?」
「できます。ただし、走行中に開かない機械ロックは必要ですので、完全な何もない平面にはしません」
「それでいいです。見た目より、安全のほうが大事なので」
「真琴、そこ結構こだわってるな」
「毎日見るところだからです」
その言葉が自然すぎて、優也は少しだけ真琴を見た。
真琴は気づかず図面を見ている。
毎日見る。
完成したあと、自分もこの車の中で過ごすことを、彼女はもう前提のように口にする。
優也は何も言わなかったが、口元だけ少し緩んだ。
◇
水回りは、以前より話が早かった。
シャワー室とトイレは別室。トイレはClesanaを固定し、小型の手洗いと収納を付ける。ブラックタンクがないため床下配管は軽くなるが、個室換気は残す。
「水使わへんトイレでも換気は要りますよね」
「もちろんです。便槽用のベントは不要ですが、個室としての換気は別です」
優也が「そらそうやな」と頷く横で、真琴が収納位置を見ていた。
「消耗品、ここだと交換するとき通路塞ぎません?」
担当者が図面を確認する。
「確かに。扉の開きと重なるので、こちら側へ浅い収納を移したほうが良さそうです」
赤い線が一本引かれ、収納が少し動いた。
優也はそれを見て笑った。
「真琴、住む気満々やん」
「優也さんが使うときにも邪魔でしょう」
「そういうことにしとくわ」
「そういうことです」
二人のやり取りを聞いていた担当者が、小さく笑いながら次の図面へ進んだ。
主寝室は最後部。
中央に縦向きのベッドを置き、左右に人が動ける空間を残す。下部は後部ガレージとの取り合いがあるため、全部を収納へ使わない。自転車や小型バイクを載せるガレージ側は、重い物をできるだけ後端へ寄せず、床レールと複数点固定を前提にする。
天井中央には収納式の大型モニター。その左右へBS-EW3150を一基ずつ、室内側の局所二重天井へ埋め込む。
「ここ、中央に照明入れたらモニターと喧嘩しますもんね」
「はい。照明は左右、モニターは中央。後部の空調系統とも分離します」
ベッド左右には読書灯とAC電源、USB-C。夜間用の足元灯も入れる。
優也は少し黙って図面を見たあと、真琴へ聞いた。
「ベッドの左右、どっち使う?」
「まだ完成もしてないのに決めるんですか?」
「想像やん」
「じゃあ、窓の景色がいいほう」
「それ現地によって変わるやろ」
「なら毎回じゃんけんですね」
真琴は何でもないように言い、優也は一瞬だけ返事が遅れた。
「……負けへんで」
「そこ本気になるんですね」
冗談で流せたことに少し安心しながらも、優也の胸には妙な温かさが残った。
◇
午後も遅くなるころには、机の上の図面へ赤と青の書き込みが増えていた。
大きな変更はない。
キッチンのシンク位置を少し前へ寄せる。Clesanaの消耗品収納を移す。玄関まわりのサービス扉を開いたとき、五人目シートと干渉しないよう蝶番位置を見直す。主寝室の照明とモニターの点検口を分ける。
どれも数センチ、数十センチの話だった。
けれど、優也にはそれが面白かった。
「もっとでかい話ばっかすると思ってました」
休憩に入ったところで優也が言うと、車体設計の技術者が笑った。
「最初の大きな線が決まっているからこそ、今はこういう話ができます。住みにくい車は、だいたい小さい干渉の積み重ねで住みにくくなります」
「なるほどなあ」
真琴が紙コップの紅茶を持ちながら横から言う。
「だから、冷蔵庫の前に私を立たせないでくださいね」
「まだ言う?」
「前にモックアップで、優也さんが私の後ろ通れなかったじゃないですか」
「それは真琴がど真ん中立ってたからやろ」
「確認です」
「はいはい」
言い合いながらも、二人とも笑っていた。
設計担当者が席を外した数分の間、優也は図面を見たまま呟いた。
「なんか、ほんまに一緒に作ってるな」
真琴は少しだけ顔を上げる。
「今さらですか?」
「いや、前から一緒に考えてたけど。今日のは、もう俺が聞いて真琴が意見言うって感じちゃうやん。普通に自分の使い方で話してるし」
真琴はすぐには答えず、図面の端を指で押さえた。
「……完成したら、使わせてもらう気ではいますから」
「旅行だけ?」
口に出したあと、優也は少し踏み込みすぎた気がした。
真琴も一瞬だけ黙った。
窓の向こうでフォークリフトの音が聞こえる。
「旅行だけじゃなくても、いいんじゃないですか」
声は小さかったが、聞き間違えるほどではなかった。
優也は真琴を見た。
真琴は図面から目を上げない。
「雨の日に中で過ごすとか、研究の記録まとめるとか。優也さんが車いじってる横で、私は別のことしててもいいでしょうし」
「……うん」
「だから、コンセントの位置とか収納とか、気になるんです」
それ以上は言わなかった。
優也も聞かなかった。
ただ、自分の家を作っているはずの図面の中へ、真琴の日常まで自然に入ってきたことが嬉しかった。
◇
初回レビューが終わったのは、外が少し暗くなり始めてからだった。
決まったのは、完成車の見栄えを左右する豪華な素材ではない。
水と燃料をどこへ置くか。バッテリーをどこへ分散するか。固定式ソーラーと空調、換気、通信設備をどう共存させるか。玄関を開けたときに何が見えるか。洗濯乾燥機をどう点検するか。トイレの収納扉が通路を塞がないか。
完成すれば見えなくなるものばかりだった。
それでも、その見えないものが一つずつ決まるたび、GRANZが遠い夢から生活の道具へ変わっていく。
工場を出た二人は、そのまま駅へ向かわず、近くの喫茶店へ入った。
優也はブラックコーヒー、真琴は紅茶。
席へ座った途端、二人とも同時に息を吐いた。
「疲れたな」
「疲れました。でも、面白かったです」
「三百万払って、今日決めたん水と配管と扉の蝶番やで」
「すごく大事じゃないですか。水漏れしたり、扉開かなくなったりするほうが嫌です」
「まあ、そうやけど」
真琴は紅茶を一口飲み、少しだけ笑った。
「それに、今日の図面、ちゃんと私たちが考えたGRANZでした」
優也の手が止まる。
「私たち、なんや」
真琴は言ってから気づいたように目を瞬かせた。
「……一緒に考えた、という意味です」
「分かってる」
「変な取り方しないでください」
「してへんって」
優也は笑いながらコーヒーを飲んだ。
けれど、嬉しかった。
真琴もそれ以上言い訳はせず、窓の外へ目を向けた。
駅へ向かう途中、風が少し冷たくなっていた。
並んで歩きながら、真琴がバッグの持ち手を直す。
「次は何を決めるんでしょうね」
「たぶん、もっと細かなるんちゃう。照明とかコンセントとか」
「それは大事です。ベッドの両側にUSB-C欲しいです」
「もう自分の側決めてるやん」
「じゃんけんって言ったでしょう」
「ほんまにやる気やな」
真琴が笑う。
優也も笑った。
まだ恋人ではない。
住む約束をしたわけでもない。
それでも、完成していない車の中で、どちら側のベッドを使うかまで笑って話せる距離にはなっている。
そのことを、優也は急いで名前にしようとは思わなかった。
◇
帰宅した優也は、RHEINHARDから送られてきた初回レビュー用の図面データを大きなモニターへ映した。
画面の中には、まだ色も質感もないGRANZがある。
四本の車軸と八本のタイヤ。
右側の玄関。
前方へ開くリビング。
左側のキッチンと、壁面へ溶け込む三段式冷蔵冷凍庫。
独立したシャワーとClesanaのトイレ室。
最後部の主寝室。
屋根には固定式ソーラーと二基のルーフエアコン、換気、通信設備が無理なく並ぶよう検討線が引かれ、床下では清水や燃料、バッテリーが8×8の駆動系を避けながら左右へ分散されている。
見た目だけなら、まだ線の集まりだ。
けれど、その一本一本には理由があった。
玄関から入ったときにリビングが見えるようにした理由。
冷蔵庫を家電らしく見せたくなかった理由。
洗濯乾燥機を電装と重ねなかった理由。
ブラックタンクを捨て、Clesanaへ変えた理由。
ソーラーを展開式から固定式へ変えた理由。
バッテリーを増やせるだけ増やさず、まず重量を残した理由。
中央の天井をモニターへ空け、照明を左右へ分けた理由。
どれも単体では小さな選択だった。
積み上がると、それはもう「豪華なキャンピングカーの装備一覧」ではなく、優也がどう暮らしたいか、そのものになっている。
ノートを開く。
『技術検討申込み――進める』
前に書いた一行の横へ日付を書き、その下へ新しく記した。
『設計開始』
さらに少し考え、もう一行。
『まず、走る家として成立させる』
最初に欲しかったのは、巨大で格好いい八輪のキャンピングカーだった。
そこへ両親を温泉へ連れていきたいという気持ちが加わり、真琴と知らない土地へ行きたいという願いが増え、実寸の通路を歩き、置き場所や維持費を知り、それでも欲しいと思った。
今日、その願望の下に初めて構造と重量と配管が入った。
夢が現実になる瞬間というのは、もっと派手なものだと思っていた。
実際には、タンクの位置を数十センチ動かしたり、扉の蝶番を反対側へ変えたり、屋根の隙間を残したりするような、地味な積み重ねなのかもしれない。
優也は画面の中の平面図へ視線を戻した。
リビングの一角に、五人目の正式な走行席が描かれている。
キッチンの前には、真琴がさっき「毎日見る」と言った冷蔵庫がある。
主寝室の左右には、まだ誰がどちらを使うか決まっていないベッド脇の空間がある。
そのどれもが、まだ実物ではない。
それでも、もう想像だけではなかった。
設計図の中で、自分たちの家は確かに作られ始めていた。
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