ep.4 どこまで入るのか
収納の存在を知ってから数日が経つ頃には、福山優也の日常にも少しずつ変化が生まれていた。
とはいっても、能力を派手に使い始めたわけではない。朝になれば起きて仕事へ向かい、道路脇で車や歩行者を誘導し、帰宅すれば簡単な夕食を済ませて風呂へ入る。以前とほとんど変わらない生活を続けながら、寝る前になるとテーブルの上へ実験に使う物を並べ、一つか二つだけ疑問を確かめる。それがここ数日の新しい習慣になっていた。
変化が一番分かりやすく表れているのは、スマートフォンに作った『収納?』というメモだった。最初は数行しかなかった内容が、今では画面を何度かスクロールしなければ最後まで読めないほど増えている。
冷たい物は冷たいままで、温かい物も温度をほとんど失わない。収納中のキッチンタイマーは進まず、取り出した瞬間から再び動き始め、氷についても外へ出しておいた物とは明らかな差が生まれた。少なくとも、収納された物には外と同じ時間が流れていないと考えてよさそうだった。
そこまでは、かなり自信を持って言える。
ただし、能力そのものについては、むしろ分からないことの方が増えていた。
「大きさも重さも、まだ限界が分からないな」
仕事が休みだった土曜日の午前中、優也はコーヒーを飲みながら部屋の中を見回した。
これまで収納した中で一番大きい物は座椅子で、一番重い物は二リットルの水が六本入った段ボール箱だった。どちらも拍子抜けするほど簡単に収納できてしまったため、それより少し大きい物や重い物を試したところで、限界へ届くとは思えない。
それなら、もっと大きな物を試せばいい。
理屈だけならそうなるのだが、視線の先にある冷蔵庫を実験台にする気にはなれなかった。洗濯機も同じで、いくら古いとはいえ、もし戻せなくなれば生活に支障が出る。
「戻ってこんかったら普通に困るしな。そこまでして試すことでもないやろ」
独り言を漏らしながら別の候補を探していると、部屋の隅に立て掛けてある折り畳み式の小さなテーブルが目に入った。
以前、誰かが来た時に使えるだろうと思って購入したものの、そもそも家へ人を招く機会がほとんどなく、ここしばらくは完全に物置の一部と化している。
「これなら、まあいいか」
折り畳んだテーブルを部屋の中央へ運び、天板の端へ手を添える。今までと同じように収納することを意識すると、座椅子の時とまったく変わらず、一瞬で視界から姿を消した。
身体へ重さが加わった感覚もなければ、大きな物を収納したからといって頭痛や疲労が増した様子もない。意識を向ければ、そこに折り畳みテーブルが存在していることだけが自然と分かる。
「これも余裕か……」
せっかくなので、取り出す場所についても少し試すことにした。
元あった場所ではなく、部屋の反対側にある空いたスペースを眺め、脚が床へきちんと接する位置を思い浮かべる。その状態で取り出してみると、折り畳みテーブルは考えていた場所へ現れ、ほとんど音も立てずに床へ収まった。
「位置まで結構自由なんだな」
荷物を持ち上げる必要がなく、収納している間は重量も感じず、取り出す場所まである程度選べる。この三つだけでも、引っ越しや旅行には相当便利そうだった。
仕事へ持っていく荷物にも使えるし、買い物帰りに大量の袋を抱える必要もなくなる。そんな使い道を考え始めると次々に思いついてしまうため、優也は途中で想像を打ち切り、スマートフォンへ『折り畳みテーブル成功。取り出し位置も指定可能』と記録した。
次に確かめたかったのは、箱の中に別の物が入っている場合の扱いだった。
用意したのは、以前ネット通販で届いた小さな段ボール箱。その中へタオル、空のペットボトル、使っていない充電ケーブル、それに文庫本を二冊入れて蓋を閉じる。
「箱だけ消えて、中身だけ残ったら面白いけどな」
そうなればそうなったで仕組みを知る手掛かりにはなるが、できれば片づけは増やしたくない。
優也は箱の側面へ手を触れ、中身も含めて一つの荷物として収納するイメージを作った。
段ボール箱が消える。
予想していたように中身が床へ落ちることもなく、箱だけが抜け殻のように消えたわけでもない。意識を収納へ向けると、段ボール箱と、その中に何かが入っていることまで何となく把握できた。
「中身ごと入ったみたいだな」
取り出して蓋を開けると、タオルもペットボトルも充電ケーブルも文庫本も、入れた時とほとんど変わらない位置に収まっている。
それなら、昨日まで何気なく収納していた水の段ボール箱も同じ理屈なのだろう。外側の箱へ触れていても、その中身を含めて一つのまとまりとして認識すれば、全部まとめて収納できるらしい。
ここまで確認したところで、優也の視線が台所へ向いた。
以前から気になっていたことがある。
「水、そのままでも入るのかな?」
ペットボトルや洗面器に入れた水ではなく、液体そのものを収納できるのか。
もし可能なら容器すら必要ないことになるが、逆に水だけでは収納できないのなら、この能力には“対象として区切れる何か”が必要なのかもしれない。
さすがに流し台へ張った水で試す勇気はなかった。水だけを収納するつもりが、流し台や排水管まで一緒に消えたら笑えないため、優也は浴室へ小さな洗面器を持ち込み、その中へ水を張る。
これなら多少こぼれても問題はない。
優也は水面へ指先を入れ、洗面器ではなく水だけを意識した。
「水だけ。洗面器はなし……」
頭の中で対象をはっきり分けながら収納しようとするものの、数秒待っても変化は起こらない。もう一度意識を集中させてみても、水面に小さな波紋が広がるだけだった。
「これは無理っぽいか」
そこで今度は洗面器の縁へ触れ、中の水ごと収納するように意識する。すると、先ほどまでの苦戦が嘘のように、洗面器は水を入れた状態のまま消えた。
取り出して床へ戻し、中を覗き込んでみても、水が減った様子はない。
「容器に入ってたらいける。でも、水だけだと今のところ無理……そんな感じか」
一度や二度失敗しただけで断定する気はない。それでも、対象を一つの物として認識できるかどうかが、収納の成否に関係している可能性はありそうだった。
優也はその結果もスマートフォンへ記録してから部屋へ戻った。
昼を過ぎる頃には、テーブルの上に温度計や空箱、充電ケーブル、メモを表示したスマートフォンなどが散らばり、数日前までの自分なら何をしているのか理解できない光景になっていた。
「……俺、何目指してんねやろ」
椅子へ腰を下ろしながら、自分でも可笑しくなって笑う。
ただ、嫌ではなかった。
子どもの頃、新しいゲームを買ってもらった時の感覚に少し似ている。何ができるのか分からず、とりあえず色々試してみる。上手くいけば嬉しくなり、失敗すれば別の方法を考える。
違うのは、説明書も攻略情報も存在しないことだった。
検索したところで「謎の収納空間の使い方」など出てくるはずもないし、誰かに聞くこともできない。それなら結局、自分で一つずつ確かめていくしかない。
優也はスマートフォンに残した記録を上から読み返していく。
接触した物を収納できる。収納中は重量を感じない。内部では時間経過がほぼ停止している。温度変化も見られず、容器の中に入った物は容器ごと収納可能。一方で、水のように境界が曖昧な物は、少なくとも今の方法では単体収納できなかった。
こうして文章にして並べてみると、少しずつではあるが法則らしいものが見えてくる。
そこで、ふと最初の項目が気になった。
「接触が必要って……本当に絶対なのか?」
これまで、触れていない物を収納することには一度も成功していない。ただ、最初に試した時は単純にスプーンへ向かって念じただけで、距離や意識の仕方を細かく変えたわけではなかった。
優也はテーブルの中央へスプーンを一本置き、両手を膝の上へ載せたまま見つめる。
収納したい。
そう強く意識してみるが、スプーンはぴくりとも動かない。距離を少し詰めたり、手のひらを向けたりしてみても結果は変わらず、最終的に人差し指の先だけを触れさせた瞬間、何事もなかったように消えた。
「そこは変わらんか」
触れているか、触れていないか。その境界については思った以上にはっきりしている。
そこで優也は別のことを思いつき、薄いタオルを一枚取り出した。スプーンの上へタオルをかぶせ、その上から指を置いてみる。
「直接触ってなくても、これならどうだ?」
まずはタオルとスプーンの両方を収納するつもりで意識すると、二つはまとめて消えた。
「おお、いけるな」
元へ戻し、今度は同じ状態のまま、タオルだけを収納するつもりで試してみる。
するとタオルだけが消え、下にあったスプーンは何事もなかったようにテーブルへ残った。
優也は思わず身を乗り出す。
「……触れてる物を全部持っていくわけじゃないんだな」
接触は必要だとしても、自分とつながっている物を無差別に収納するわけではないらしい。何を対象にするかを意識し、それを一つの物として認識することも重要なのだろう。
そう考えながらスプーンを手に取った時、ふと別の疑問が浮かんだ。
このスプーンは、そもそも何でできているのだろう。
見た目からすればステンレス製だと思う。百円ショップで買った物なので、過去に包装か何かで材質表示を見た可能性もある。
ところが、何気なくそう考えた瞬間、優也の頭の奥を今までとは違う感覚が走った。
「……ん?」
眉を寄せたまま、手の中のスプーンを見つめる。
収納した時に感じる“どこかへ移った”という感覚とは違う。何かを思い出しかけた時にも似ているが、自分の記憶を探している感じでもない。
ただ、このスプーンについて何かが“分かった”ような気がした。
材質はステンレス。
そこまでは常識から考えただけとも言える。
しかし、もう少し意識を向けてみると、表面に付いた細かな傷や、長く使われていることまで、ぼんやりと情報のような形で頭へ浮かんでくる。
「……待て待て。何や、これ?」
驚いた拍子に手を離すと、スプーンが乾いた音を立ててテーブルの上へ落ちた。
優也はしばらくそれを眺め、今の感覚が単なる思い込みだったのか考える。しかし、どうにもそうは思えなかった。
恐る恐るもう一度手を伸ばし、今度は自分から確かめるつもりでスプーンへ触れる。
収納したいのではない。
この物が何なのか、知りたい。
そう意識した瞬間、頭の中へ先ほどよりも明瞭な情報が浮かび上がった。
『材質――ステンレス鋼』
文字が視界へ表示されたわけではなく、耳元で誰かが読み上げたわけでもない。それでも、その内容だけは最初から知っていた事実のように、優也の中へすんなり収まった。
「……収納だけちゃうんか?」
手の中のスプーンを見つめながら漏れた声には、さっきまでより強く関西弁が混じっていた。
数日前、一枚の白い皿が消えたところから始まった異変は、荷物を便利にしまえるだけの能力では終わらないらしい。
優也はしばらくスプーンを見つめたまま動けなかった。
そして、その日の『収納?』というメモの一番下には、それまでとは少し違う新しい項目が追加された。
『物に触れて“知りたい”と思うと、情報が分かる?』
まだ名前を付けるには早い。
ただ、白い皿から始まった異変が、新しい段階へ進み始めたことだけは確かだった。
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