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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
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ep.38 買ったあとの現実


 業者市場で最初の工具を売り切ってから一週間ほど経ったころ、RHEINHARD Mobility Japanの担当者から、優也のところへ新しいメールが届いた。


 前回のような仕様変更の資料ではなく、件名はもっと事務的だった。


『日本仕様検討に伴う保管場所・整備体制について』


 仕事を終えて帰宅した優也は、夕食より先にノートPCを開いた。本文には、GRANZ 8×8 Expeditionの日本仕様を今後さらに詰めるにあたり、納車後の保管場所と整備先についても早い段階から想定してほしいと書かれている。


 当然と言えば当然の話だった。


 全長約七・二メートル、全幅約二・四九メートル、走行時の全高は三・六メートル前後。しかも四軸八輪で、車両総重量は二十トン未満を目標にしている。普通の月極駐車場へ入れて終わり、という車ではない。


 優也は画面を見たまま、しばらく考えた。


「……置くとこ、ちゃんと考えてへんかったな」


 これまで頭の中にあったのは、車両本体の価格と、日本で走れる仕様にできるかどうかだった。三百万円の技術検討申込金が最初の目標として見えたことで、ようやく「買うまで」の道筋を考え始めたばかりである。


 しかし、車は買った瞬間に消えるわけではない。


 置かなければならない。


 壊れれば直さなければならない。


 燃料も要るし、保険も要る。定期的な点検も必要になる。


 優也はメールを読み進めた。


 RHEINHARD側では、日本国内の協力会社を通じて大型車両を扱える整備拠点をいくつか確認しており、大阪周辺にも候補がある。ただし、日常の保管場所については購入者側で確保する必要があるため、車体サイズだけでなく出入りする道路幅や地盤、周囲の障害物まで確認したほうがいいという。


 添付された簡単なチェック項目を見て、優也は苦笑した。


 高さだけ合えばいいわけではない。入口に電線や低い看板があれば入れないし、曲がり角が狭ければ敷地まで辿り着けない。地面が柔らかければ、十数トンの車を長期間置くには向かない。


 考えれば当たり前のことばかりなのに、自分の中では「大きい駐車場を借りればええんやろ」くらいで止まっていた。


 優也はスマートフォンを手に取り、真琴へメッセージを送った。


『GRANZ、買う前に置き場所探さなあかんらしい』


 数分後、返事が来た。


『それはそうでしょう。今まで考えてなかったんですか?』


「冷たいなあ」


 声に出してから、優也は笑った。


 続けて資料の一部を送ると、今度は少し長い返事が来た。


『でも、今のうちに分かったのは良かったと思います。三百万円だけ貯めてから「置けません」になったら困るので。候補、見に行きます?』


 優也はすぐに『行く』と返した。


          ◇


 翌日の休憩時間、優也は大型車両向けの月極駐車場や貸しヤードを調べた。


 乗用車用の検索サイトではほとんど役に立たない。大型トラックの月極駐車場、資材置き場、貸しヤード、事業用車両保管地といった言葉に変えると、ようやく候補が出てきた。


 大阪市内に近いほど条件は厳しく、広さがあっても大型車の出入りを想定していない場所が多い。逆に東大阪や大東、八尾方面まで広げると、工場や倉庫の周辺に大型車対応の区画が見つかる。


 ただし、安くはない。


 広さだけなら月三万円台の場所もあるが、舗装されていなかったり、夜間出入りに制限があったりする。防犯カメラとゲートがあり、二十四時間出入りでき、大型車が無理なく旋回できる場所になると、月額は一気に上がった。


 優也は候補を三か所に絞り、問い合わせを送った。


 その日の帰り、久保田にも話す。


「二億の車買う前に、駐車場で詰まりそうですわ」


「そらそうやろ。あんな化け物、うちの会社の車庫でも邪魔やぞ」


「化け物言わんといてください」


「褒めてんねん。で、どこ置くん?」


「まだ探してます。東大阪のほうで一個、見に行けそうなとこあるんですよ」


 久保田は缶コーヒーを飲みながら笑った。


「福山、お前ほんまに買う気なんやな。最初は動画見て騒いでるだけやと思ってたわ」


 優也は少し考えてから答えた。


「俺も最初はそうやったと思います。でも、調べたら日本で走れる可能性あるって分かって、値段聞いて、金どうするか考えて……ここまで来たら、買えるかどうかは別として、買うつもりで動かんと何も分からんですからね」


 言葉にすると、自分でも少し不思議だった。


 二億円という数字は今も現実離れしている。それでも、夢の中の車ではなく、「何が足りないかを調べる対象」にはなっていた。


          ◇


 週末、優也と真琴は東大阪市の工業地域へ向かった。


 駅から少し離れた場所に倉庫や町工場が並び、その間を大型トラックがゆっくり通っていく。住宅地とは道路の雰囲気がまるで違い、交差点の角も広く取られている場所が多かった。


 最初に見た候補は、金網フェンスで囲まれた舗装済みの貸しヤードだった。


 管理会社の担当者に案内され、優也たちは奥の一画まで歩く。


「こちらが大型車用の区画です。幅四メートル、奥行き九メートルほどあります。現在は空きが一台分だけですね」


 何も置かれていない区画を見ると、数字だけでは広く感じる。


 優也は持ってきた巻き尺を伸ばし、真琴と一緒にGRANZの想定寸法を地面へ落としてみた。


 七・二メートル。


 二・四九メートル。


 真琴が片側を持ち、優也が反対へ歩く。


「ここまでで七・二です」


「意外と収まるな」


「車だけなら、です。ドア開けたり、荷物出したりするでしょう?」


「そうか。右側に入口あるから、そっち余裕要るな」


 車体幅だけで見れば、四メートルの区画には入る。しかし右側中央のエントランスドアを開き、人が乗り降りするなら、片側に少し余裕が欲しい。左側も壁ぎりぎりでは点検しづらい。


 さらに、車体後部の大型ハッチや収納へアクセスすることを考えると、奥行き九メートルも「余裕たっぷり」というほどではなかった。


挿絵(By みてみん)


 管理会社の担当者は、二人が地面を測っているのを見ながら説明を続けた。


「大型キャンピング車ですか?」


「海外のエクスペディション車を日本仕様にする予定で。まだ買ってないんですけど、全長七・二、幅二・四九、高さ三・六くらいになるみたいです」


「高さは屋外なので問題ありません。重量は?」


「二十トン未満になる予定です」


 その数字を聞くと、担当者は少し表情を変えた。


「でしたら、この舗装区画なら地盤については確認できますが、契約前に車検証か仕様書を見せてください。あと、ここは保管場所としての貸し出しです。車内で宿泊したり、長時間生活したりする用途は不可です」


「それは大丈夫です。置くだけです」


 優也は即答した。


 GRANZが家になるからといって、駐車場までキャンプ場のように使うつもりはない。


 気になったのは料金だった。


 月額六万八千円。管理費を含めれば七万円を少し超える。


 年間で八十万円以上。


 優也は数字を聞いて、一瞬だけ黙った。


 真琴も同じことを考えたらしく、管理会社の担当者が離れたあと、小さな声で言った。


「買ったあとも、結構かかりますね」


「駐車場だけでこれやもんな」


「今の副業の利益だと、まず駐車場代にも届かない月があります」


「現実突きつけるなあ」


 優也は笑ったが、冗談で済ませられる話ではなかった。


 車両代を用意できても、毎月の維持費が払えなければ持ち続けられない。


 結局、その場で契約はしなかった。


 今すぐ借りれば、GRANZが来るまで何年も空き区画へ七万円を払い続けることになる。条件が合う場所が存在することを確認できただけで、今は十分だった。


          ◇


 午後は、RHEINHARD側が候補として紹介してくれた大型車両の整備工場へ向かった。


 場所は同じ大阪東部だったが、駐車場とは少し離れている。


 敷地へ入ると、大型トラックが何台も並び、その奥に天井の高い整備棟が見えた。普通乗用車の整備工場とはスケールが違う。シャッター一枚が建物の壁のように大きく、中には四軸の大型トラックが一台、点検用のピットを跨ぐように停められていた。


 RHEINHARDの担当者と、整備工場の責任者が待っていた。


「日本仕様が成立した場合、日常的な点検と一般整備はこちらのような大型車対応拠点を使う想定です。もちろんRHEINHARD固有の部品や居住設備については、こちらだけで完結しないものもあります」


 担当者の説明を聞きながら、優也は整備中の大型車を見上げた。


 タイヤ一つでも、乗用車のものとは大きさがまるで違う。


 しかもGRANZは八輪である。


 整備工場の責任者が、優也の視線に気づいて笑った。


「タイヤ代、気になります?」


「めちゃくちゃ気になります」


「車種と銘柄次第なので今は何とも言えませんが、八本ありますからね。交換時期が来たら、それなりの金額は見ておいたほうがいいです。ただ、一度に全部交換するかどうかも摩耗状態次第ですし、ローテーションも含めて管理します」


 燃料、オイル、ブレーキ、タイヤ、重量車向けの点検。


 さらに居住部には、冷蔵庫、空調、給排水、電装、通信設備が入る予定だ。


 優也は頭の中で、今まで別々に考えていたものが一気につながるのを感じた。


 GRANZは高い車ではない。


 高い「家と車を一緒に持つ」ようなものなのだ。


挿絵(By みてみん)


 整備棟の中を一通り見せてもらったあと、担当者は小さな打ち合わせスペースで資料を開いた。


「福山さんの場合、購入価格だけではなく、保管、保険、燃料、定期点検、消耗品、それに将来的な大きな整備まで含めて年間コストを見ておいたほうがいいです。まだ仕様が確定していないので数字は出せませんが、詳細設計に入る段階で概算表は作れます」


「お願いします。俺、完全に買う金のことしか考えてなかったです」


「最初は皆さんそうですよ。特にこのクラスは、買えることと持てることが別です」


 その言葉は、優也の中に残った。


 買えることと、持てることは別。


 三百万円を作り、契約へ進み、最終的に二億円を用意できたとしても、それで終わりではない。


 むしろ、そこから始まる。


 真琴は隣で資料を見ながら、特に何も言わなかった。


 工場を出てから、ようやく口を開く。


「副業の目標、少し変えたほうがいいかもしれませんね」


「三百万やめる?」


「やめるんじゃなくて、その前に一つ追加する感じです。買うための資金を作るだけじゃなくて、毎月かかる費用を副業の利益だけである程度まかなえる状態にしておいたほうが安心じゃないですか」


 優也は歩きながら考えた。


 駐車場だけで月七万円前後。


 そこへ保険や点検費用を月割りした積み立て、燃料、消耗品が乗る。


 もちろんGRANZを買うころには、今とは収入の形が変わっている可能性もある。それでも、今の時点で「買えたら何とかなる」と考えるより、持ち続ける費用まで意識したほうがいい。


「じゃあ、副業で月十万安定して残せるくらいが先か」


「数字はちゃんと計算してからですけど、考え方としてはそうだと思います。一回だけ十万円儲かるんじゃなくて、何か月か続けても無理がない状態」


「三百万より地味やな」


「でも、そっちのほうが難しいかもしれませんよ」


 真琴はさらっと言った。


 優也は少し考えたあと、「確かに」と笑った。


          ◇


 帰り道、二人は駅近くの小さな蕎麦屋へ入った。


 席へ座ると、優也はメニューを見ながらも、頭の中では今日見た空の駐車区画と、大型車が入った整備棟を思い返していた。


「なんか今日、GRANZが一気に現実になった気するわ」


「車そのものは見てないのに?」


「見てへんからやと思う。今まで写真とか図面ばっかりやったけど、今日見たんは置く場所と直す場所やろ。買ったあとに絶対いるもんやん」


 真琴は少し考え、頷いた。


「確かに。夢の部分じゃなくて、生活の部分を見た感じですね」


「月七万の駐車場見て、夢覚めそうにもなったけどな」


「それでもやめる気はないでしょう?」


「ない」


 即答すると、真琴が笑った。


「じゃあ、計算すればいいだけです」


 その言い方が妙に真琴らしくて、優也も笑った。


 注文した蕎麦が運ばれてくると、GRANZの話はいったん終わった。


 仕事のこと、大学のこと、最近美咲にまた「たぶんの友達とはどうなったの」と聞かれたこと。真琴がその話を出すと、優也はむせそうになりながら「その呼び方まだ続いてんの?」と笑った。


 以前なら、GRANZや魔素の話が終われば会話も終わっていたかもしれない。


 今は、何も決めなくても時間が続く。


 それが二人にとって自然になり始めていた。


          ◇


 夜、帰宅した優也は、副業ノートとは別に一枚の紙を出した。


 上に『GRANZ 買ったあと』と書く。


 その下へ、今日分かったものを並べていった。


 保管場所。


 保険。


 燃料。


 定期点検。


 タイヤやオイルなどの消耗品。


 居住設備の修理。


 まだ金額を書けない項目ばかりだった。


 だからこそ、今の段階では数字を決めつけないことにした。


 代わりに、その下へ一つだけ書く。


『購入資金と維持費は別に考える』


 そして、副業ノートの『第一目標 3,000,000円』の横へ、新しい欄を作った。


『並行目標 月利益を安定させる』


 最初から十万円と固定するのはやめた。


 今は業者市場を使い始めたばかりで、どこまで無理なく件数を増やせるのかも分からない。まず三万円を安定させ、その次に五万円、それから先を考えればいい。


 大きな数字を見たからといって、一気にそこへ飛ばない。


 その考え方は、副業を始めてから何度も身につけ直してきた。


 優也はスマートフォンを取り出し、今日測った駐車区画の写真を見た。


 何も置かれていない、ただの舗装された長方形。


 それでも優也には、その空白の中にGRANZの姿が少しだけ見える気がした。


 まだ存在しない車を置くための場所を、先に見に行った。


 普通に考えれば気が早い。


 けれど、夢を現実にするというのは、こういう面倒なことを一つずつ先回りして潰していくことなのかもしれない。


 数分後、真琴からメッセージが届いた。


『今日はお疲れさまでした。駐車場の年間費用、あとで一緒に整理しましょう。整備費は仕様が固まってからで大丈夫だと思います』


 優也は返信した。


『了解。買う前から維持費で心折れそうやけどな』


 返事はすぐに来た。


『心折れてない人が言う台詞じゃないです』


 優也は笑った。


 三百万円という入口が見えたと思ったら、その向こうに駐車場があり、整備工場があり、維持費があった。


 道は短くなるどころか、調べるほど長くなっている。


 それでも、不思議と前より遠く感じなかった。


 どこへ行けばいいのか分からない遠さではなく、途中に何があるのか少しずつ見えるようになった遠さだったからだ。


 GRANZを買うこと。


 そして、買ったあとも持ち続けること。


 優也の夢は、その二つを初めて同じ現実として考え始めていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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