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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
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ep.35 得意を選ぶ


 久保田から預かったカメラ一式を売り切ってから数日、優也の副業は表面上ほとんど変わっていなかった。


 仕事が終われば帰宅し、夕食を済ませ、気になる中古品の相場を少し見る。仕入れるものがなければ無理に買わず、預かり品の相談が来ても、写真と型番を見て自分で扱えそうなものだけ返事をする。最初のころのように、店へ入ったからには何か買わなければ損をしたような気分になることも減っていた。


 その代わり、木製テーブルの上に広げるノートには、以前より多くの数字が並んでいる。


 仕入れ値、販売価格、送料、手数料、利益、売れるまでの日数、作業時間。そこへ最近は『質問数』『値下げ回数』『再出品の有無』まで加わった。真琴に言われたことを全部取り入れていった結果、もはや小さな帳簿というより観察記録に近い。


 優也はこれまで扱った商品を種類ごとに分け、電卓を叩きながら傾向を見直した。


 カメラ関係は、状態確認に時間がかかるかわりに、何を見ればいいかが少しずつ分かってきた。外装、液晶、センサー、レンズ内の埃や曇り、バッテリーの状態。写真で見せたほうがいい場所も、最初ほど迷わない。問い合わせで聞かれる内容にも似たものが増え、答えるまでの時間も短くなっている。


 工具は比較的回転が早かった。外観が多少傷んでいても、動作がしっかりしていれば実用品として売れることが多い。ただし、種類によっては自分の知識が追いつかず、使い方そのものを理解していないものまで手を出すのは危ない。動くかどうかだけではなく、その道具が本来どんな負荷で使われるのかを知らなければ、説明できないことが増える。


 一方、小型レコーダーや古い電子機器は、状態が良くても売れるまで時間がかかることがあった。相場だけ見れば利益が出そうでも、購入者が少なければ資金が寝たままになる。


「やっぱ、何でもやるんは違うな」


 優也はページの端に『カメラ』『工具』と大きめに書き、その下へ『当面この二つ中心』と付け足した。


 得意、と言うにはまだ早い。それでも、少なくとも「何を見るべきか分かる分野」にはなり始めている。


 ちょうどそのとき、スマートフォンに通知が入った。


 以前コンパクトカメラを買った相手からだった。


『前に相談した交換レンズですが、急ぎではないので、もし扱えそうなものを見つけたら教えてください。予算は四万円くらいまでです』


 優也は画面を見ながら、すぐには返事をしなかった。


 前にも似た依頼は来ていたが、そのときは「見つける約束はできない」とだけ返している。今回は予算まで具体的に書かれていた。


 頼まれたものを探す。


 それ自体は単純に見えるが、もし「四万円で探します」と約束すれば、見つからなかったときに責任が生まれる。逆に、自分が普段見る範囲で候補があったときだけ知らせるなら、今のやり方から大きく外れない。


 優也は少し考えてから返信した。


『型番と希望条件を教えてもらえますか。こちらから探す約束はできませんが、普段見ている店や出品の中で、状態を確認できそうなものがあれば、その時点でお知らせします』


 数分後、型番と用途、外観は多少傷があっても構わないこと、カビや曇りが強いものは避けたいことが送られてきた。


 優也はその内容をノートへ書き写し、丸で囲んだ。


 今までなら、自分が売りたいものを探していた。


 今回は、誰かが欲しいものを覚えておく。


 似ているようで、少し違った。


          ◇


 週末、優也はいつもの中古店を回った。


 目当ての交換レンズだけを探しているわけではない。工具もカメラも、自分が普段見る棚は変わらず確認する。そのうえで、依頼された型番があれば状態と価格を見る。


 一軒目にはなかった。


 二軒目では同じシリーズの一本を見つけたが、価格は四万五千円を超えており、予算外だった。状態は悪くなさそうだったものの、頼まれてもいないのに予算を上げてもらう話をする気にはならない。


 三軒目で、ようやく条件に近いものがあった。


 値札は三万二千八百円。外装には擦れがあり、フードにも小さな傷がある。店頭説明には『実用品・動作確認済み』とだけ書かれていた。


 優也は店員に声をかけ、カウンターで確認させてもらった。


 まず自分の目で見る。


 前玉、後玉、マウント、絞り羽根、リングの動き。光へ向けると、細かな埃は見えるが、少なくとも肉眼で分かる大きなカビはなさそうだった。


 そのあとで鑑定する。


『交換レンズ――』

『光学系――微細塵あり』

『カビ――なし』

『曇り――なし』

『絞り機構――正常』

『フォーカス駆動――正常』

『外装――擦過傷あり』

『継続使用――問題なし』


 条件としては悪くない。


 ただ、優也はその場で買わず、いったん店の外へ出た。


挿絵(By みてみん)


 近くのベンチへ腰を下ろし、スマートフォンで相場を調べる。同程度の外観で実際に売れている価格を何件か確認し、送料と販売手数料まで含めて電卓へ入れた。


 店で買って自分が出品すれば、利益は大きくない。それでも今回は、自分の利益だけを見て決めるのではなく、依頼してきた相手にとって四万円以内で買う意味があるかも考えなければならない。


 優也はレンズの型番、価格、状態を短くまとめて送った。


『候補が一つありました。店頭価格32,800円。外装に擦れ、フードに傷あり。こちらで確認した範囲では動作問題なし、目立つカビや曇りも見当たりません。自分で購入して再確認・清掃したうえで出品する場合、送料などを含めて36,000〜37,000円くらいになると思います。必要なら進めますが、見送っても大丈夫です』


 送信してから、優也はスマートフォンを膝の上へ置いた。


 以前なら、「条件がいいから買う」で終わっていた。今は、相手が欲しいと言う前に自分の判断だけで仕入れれば、その瞬間から普通の在庫になることが分かっている。


 十分ほどして返事が来た。


『その条件ならお願いしたいです』


 その一文を読んでから、優也は店へ戻った。


 仕入れ値は三万二千八百円。


 いつもの十万円枠から出す金だが、今回は売れるかどうか分からない品物を買うのとは少し違う。購入希望者がいるとはいえ、最終確認で問題が見つかれば売れないし、相手が気を変える可能性だってある。だから安心しきることはできない。


 それでも、以前とは明らかに違う種類の仕入れだった。


          ◇


 帰宅した優也は、レンズをいつもの手順で確認した。


 店頭では見落としていた細かな擦れを写真に残し、フードの傷も角度を変えて撮る。ズームリングとフォーカスリングを何度か動かし、手持ちのカメラへ装着して撮影できることも確かめた。


 鑑定結果に問題がないからといって、そのまま相手へ渡すわけにはいかない。


 実際に自分で確認できた範囲を、相手にも分かる形にする。


 その考え方はもう習慣になりつつあった。


 出品ページは一般公開したが、依頼してきた相手には先に連絡を入れた。専用出品にはせず、一定時間内に購入されなければ他の人が買う可能性があることも伝える。


 価格は三万六千八百円。


 仕入れとの差は四千円。そこから販売手数料と送料を引けば、利益は大きくない。けれど、今回は利益率だけを追うつもりはなかった。


 連絡から十五分ほどで購入された。


 翌日、優也は仕事帰りにはくつう便の受付へ箱を持ち込んだ。梱包したレンズをカウンターへ渡し、受付票を確認してから発送を済ませる。箱が奥へ運ばれていくのを見送ったあと、スマートフォンの取引画面を開いた。


 売れたことより、頼まれた条件に合うものを見つけ、説明し、相手が納得したうえで買ってくれたことのほうが印象に残った。


 帰宅すると、優也は今回にかかった時間もざっくり計算してみた。


 店を三軒回った時間、候補を見つけて相場を調べた時間、帰宅してからの清掃と動作確認、撮影、説明文の作成、梱包と発送。移動時間まで全部入れれば、数時間は簡単に消えている。


「これ、利益だけ見たら微妙やな」


 ノートへ数字を書きながら笑う。


 ただ、最初の一件だから余計に時間がかかった部分もある。確認する場所や連絡の仕方が固まれば、次は同じだけ迷わないはずだ。逆に、何度やっても同じだけ時間がかかるなら、それは仕事として向いていないという判断材料になる。


 優也は『依頼品 一件目』と書き、今回の流れを順番に分けていった。


 希望条件を聞く。候補を見つける。状態と価格を確認する。購入前に条件を伝える。自分で再確認する。出品し、発送する。


 こうして並べてみると、やっていることは特別ではない。けれど、一つでも抜けると相手との認識がずれる可能性がある。


 とくに、見つけたからといって先に買ってしまえば、相手が不要だと言った瞬間に普通の在庫へ戻る。


「先に聞く。勝手に決めへん。これやな」


 優也は独り言を言いながら、その一文だけ二重線で囲んだ。


 鑑定で商品の状態が分かることと、相手の希望まで分かることは別だった。むしろ能力に頼れる部分があるからこそ、それ以外は勝手に決めないほうがいい。


          ◇


 二日後、受取評価が付いた。


『探していた条件にぴったりでした。状態説明も分かりやすく、安心して買えました。また機会があればお願いします』


 利益を計算すると、最終的には二千円台だった。


「少なっ」


 思わず声が出た。


 普段の仕入れなら、わざわざ狙ってやるほどの利益ではない。店へ行き、状態を見て、清掃し、撮影し、梱包して発送して、二千円少々。


 それでも、優也は失敗したとは思わなかった。


 今回得たものは、利益より「欲しい条件を聞いて探す」という流れそのものだった。


 誰かが何を欲しがっているか分かれば、仕入れの判断は変わる。売れるかどうかを完全に予測することはできなくても、「この条件なら欲しい」という相手が一人いるだけで、少なくともゼロから市場を読む必要はなくなる。


 ただし、これを何十件もやるのは無理だとも分かった。


 一件だから覚えていられる。型番、予算、許容できる傷、避けたい不具合。人数が増えれば、誰が何を希望していたのか混ざるだろうし、見つからない商品をずっと探し続けることにもなる。


 優也はノートに新しく欄を作った。


『購入希望メモ――最大三件まで』


 その横に、今回の相手の希望条件と結果を書き込む。


 枠を作ると、不思議と気持ちが楽になった。


 できることを増やすのではなく、できる量を決める。


 最近は、何を始めるにしてもそれが先になっている気がした。


 さらに、探し物の欄には『予算』『急ぎかどうか』の二つだけを追加した。細かい希望を聞きすぎれば、それはもう注文に近くなる。今の自分がそこまで責任を持てないことは分かっているので、店を見たときに思い出せる程度の情報で十分だった。


 見つからなければ何もしない。条件が悪ければ買わない。


 その余白を残しておくことが、今はむしろ大事だった。


          ◇


 その日の夜、真琴と会った。


 場所は駅近くの定食屋だった。副業の相談をするために呼んだわけではなかったが、注文した料理を待つあいだ、優也が今回の話をすると、真琴は意外そうに目を丸くした。


「それ、もう少し商売っぽくなってきましたね。今までは『安く買えそうだから買う』だったのに、今回は先に欲しい人がいて、それに合わせて探したんでしょう?」


「商売っぽい言うても、利益二千円ちょいやで。時給にしたら泣けると思う」


「でも、それだけで判断しなくていいんじゃないですか。利益が少なかった理由も分かってるし、今回は仕組みを試した一回目でしょう。次に同じことをするなら、手数料の取り方を変えるとか、そもそも利益が残る価格帯の商品だけにするとか、改善できますよね」


 真琴はそこで一度言葉を切り、運ばれてきた味噌汁を自分の手元へ寄せた。


「ただ、何でも頼まれるようになると大変そうです。『これ探してください』『あれもお願いします』って増えたら、優也さん、途中から全部気になって断れなくなりそうだから」


「そこはもう決めた。三件まで。久保田さんの委託も一件ずつ。購入希望は三件まで。俺、だんだん自分に制限かけるの上手くなってるやろ」


「成長の方向がちょっと面白いですけど、いいと思います。できることが増えたときに、全部やるんじゃなくて、何をやらないか決めるのも必要ですから。研究でも似たところありますよ。気になる条件を全部一度に試したら、結局どれが原因か分からなくなりますし」


 その言葉を聞きながら、優也は少し前の自分を思い出した。


 GRANZの見積もりを見たときは、二億円という数字に圧倒され、とにかく金を増やす方法ばかり考えていた。鑑定があるなら中古品で稼げるかもしれないと思い、最初は「何を買えば儲かるか」しか見ていなかった。


 今は少し違う。


 どの分野を見るか、いくらまで使うか、何件まで預かるか、何件まで探すか。


 増やす前に、範囲を決める。


 それで稼ぎが急に大きくなるわけではないが、続けられる形には近づいている気がした。


「なあ真琴。俺、これ続けてたら、そのうちちゃんと仕事になると思う?」


 優也が聞くと、真琴はすぐには答えなかった。少し考えてから、箸を置いて言葉を選ぶ。


「なる可能性はあると思います。でも、『鑑定があるから成功する』じゃなくて、優也さんが今みたいに記録して、得意なものを選んで、失敗したらやり方を変えられるなら、だと思います。能力があっても、全部適当にやったら普通に失敗するでしょうし。それに、今の本業を続けたままやるなら、売上より時間のほうが先に限界が来る気がします」


「夢ないなあ」


「前にも言いましたけど、嘘ついて夢見せても仕方ないです。ただ、最初に六千円くらい儲かったときより、今のほうがやってることはちゃんと仕事に近づいてると思いますよ」


 真琴は笑った。


 優也も笑いながら、ご飯へ箸を伸ばした。


 その返事のほうが、今はありがたかった。


          ◇


 数日後、優也のスマートフォンに久保田から写真が送られてきた。


 義兄が持っているという電動工具は、全部で四台あった。


 優也が扱えそうだと思ったのは、そのうち一台だけだった。以前に売ったものと同系統の充電式工具で、型番から相場も調べやすい。


 残り三台のうち一台は用途自体は分かるものの、消耗品の状態を自分で評価する自信がなく、もう一台は古すぎて相場が安定していない。最後の一台は業務用に近い機種で、動作確認の方法そのものを知らなかった。


 仕事の休憩中、優也は久保田へそのまま伝えた。


「一台なら見れますけど、残りは俺が触らんほうがええと思います。売れるかもしれんけど、分からんまま説明するの嫌なんで。専門の店に持っていったほうが早いと思います」


「全部いけると思ってたわ。鑑定みたいに見たら何でも分かるんちゃうんか」


 冗談混じりの言い方に、優也は少しだけ心臓が跳ねたが、久保田はもちろん本当の能力を知っているわけではない。ただ「お前、最近何でも状態見るの得意やな」という程度の意味で言っているらしかった。


「何でも分かったら、とっくに会社辞めてますよ。知らんもんは知らんです」


「それもそうか。まあ、分からんって言ってくれるほうが安心やわ。全部『いけます』言われるほうが怖いしな」


 久保田はあっさり納得した。


 その反応に、優也は少し救われた。


 何でもできるように見せる必要はない。できないものを断ったからといって、すぐ信用を失うわけでもない。副業を始めたばかりのころは、機会を逃すことばかり気にしていたが、今は「扱わないものを決める」ことも、自分の仕事の形を作るうえでは必要なのだと思えるようになっていた。


 久保田の義兄からは、扱える一台だけ後日見せてもらうことになった。


 もう一件、以前取引した相手からカメラバッグについて質問が来ていたが、それは購入希望というより「もし良さそうなものがあれば」という軽い相談だった。


 三件の枠のうち、まだ二件。


 それ以上は受けない。


 優也はそう決めて、スマートフォンのメモにも同じ内容を残した。


          ◇


 その夜、優也は副業ノートの最初のページを開いた。


 始めたばかりのころに書いた『GRANZ資金』という文字と、最初の小さな利益が残っている。


 三万一千二百四十円。


 そこから少しずつ増え、今では五万円台へ入っていた。


 もちろん、二億円には遠い。


 遠いどころか、比べるのが馬鹿らしくなるほど差がある。


 けれど、以前の五万円と今の五万円は、同じ数字には思えなかった。


 ただ貯めた金ではなく、何を買うか考え、何を買わないか決め、誰かの物を預かり、誰かが欲しいものを探し、その過程で少しずつ残った金だった。


挿絵(By みてみん)


 優也はノートを閉じず、その横にもう一枚の紙を置いた。


 紙の上部に『今できること』と書き、その下へ三つだけ並べる。


『自分で仕入れて売る』

『預かって売る』

『希望条件に合うものを探す』


 どれも規模は小さい。


 それでも、最初は一つしかなかったやり方が、三つになっている。


 さらに下へ『カメラ・工具中心』と書き、『無理に広げない』と囲んだ。


 派手ではない。一気に資金が増えたわけでもない。


 けれど、優也にはその紙が、これまでの数字より少しだけ頼もしく見えた。


 GRANZを買うために何億円を作るかという答えは、まだ見つかっていない。ただ、自分の手元にある十万円と、仕事が終わってから使える数時間を、どうやって少しずつ価値へ変えるか。その方法なら、以前よりずっと具体的に考えられるようになっている。


 それに、得意な分野を決めたことで、中古店へ行ったときの見え方まで変わった。


 以前は棚全体を眺め、安そうなものを片端から気にしていた。今はカメラと工具を中心に見ればいい。そのぶん一つの商品を丁寧に確認できるし、知らない分野で「これも儲かるかも」と迷う時間も減る。


 選ばないことが、効率につながっている。


 その感覚は、優也にとって少し新しかった。


 スマートフォンが震えた。


 真琴からだった。


『次の黒い石の確認、予定通り一週間後でいいですか?』


 優也はノートの端に日付を書きながら返信した。


『了解。勝手に触ってへんで』


 すぐに返事が来る。


『それを毎回報告しないと信用されない時点で、まだ途中ですね』


 優也は声を出して笑った。


 副業も、鑑定も、真琴との関係も、どれもまだ途中なのだろう。


 ただ、途中だからこそ次がある。


 優也は『今できること』と書いた紙をノートへ挟み、次に見る中古品の候補を確認し始めた。


 何でもできるようになる必要はない。


 今の自分が分かるものを、ひとつずつ増やせばいい。


 その積み重ねの先にGRANZがあるのかは、まだ分からない。それでも、二億円という遠い数字だけを眺めていたころより、優也の足元には確かに道らしいものができ始めていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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