ep.31 預かるという仕事
十万円を一度回し終えてから、優也は仕入れの見方を少し変えた。
以前なら、店に入るとまず「安いものはないか」と棚を眺めていたが、今は相場が分かるもの、自分で状態を説明できるもの、そして売れるまでの時間をある程度想像できるものから見るようになっている。カメラ、工具、小型の録音機器。扱った回数はまだ少ないものの、少なくとも何を見るべきか分かり始めた品物だけに絞ると、店を回る時間も以前ほど散らからなくなった。
その一方で、使える資金は相変わらず十万円である。
利益分はGRANZ資金へ移し、仕入れの元金とは混ぜないと決めた以上、売れるまで金が戻らないという問題は消えない。インパクトドライバーのように二日で売れればいいが、ICレコーダーのように二週間以上止まれば、その分だけ次の選択肢が減る。
だからといって上限を簡単に三十万円へ増やすつもりはなかった。
真琴にも言われた通り、今は十万円で何ができるのかを覚えている途中だ。扱える金額を増やすより先に、自分がどんな商品なら無理なく扱えるのかを知るほうが大事だと思えるようになっていた。
そんなことを考えていた平日の昼休み、現場の休憩場所で弁当を食べていると、向かいに座っていた久保田が思い出したように口を開いた。
「そういや福山、お前まだ中古のやつやってんのか。カメラとか売ってる言うてたやろ」
「やってますよ。まだ小遣い稼ぎに毛ぇ生えたくらいですけど」
優也がペットボトルのお茶を飲みながら答えると、久保田は少し考えるように顎をさすり、それから自分のスマートフォンを取り出した。
「うちに古いカメラ一式あるんや。昔、子どもの運動会とか撮ってたやつで、もう何年も押し入れや。捨てるんももったいないし、店持ってって二束三文やったら腹立つし、福山が見て分かるんやったら一回見てくれへんか」
「見るだけならええですよ。ただ、俺も何でも値段分かるほど詳しくないですし、買い取るかどうかは見てからになりますけど」
「買い取ってくれ言うてるわけちゃうねん。売れそうかだけ分かったらええ。どうせ置いといても使わんしな」
その言葉に、優也は少しだけ引っかかった。
買い取る必要はない。
これまで仕入れとは、自分の金を出して商品を手に入れることだと思っていた。けれど、持ち主が売りたいものを預かり、自分が状態確認や出品、発送を代わりに行い、売れたら手数料をもらう方法もある。
もちろん、思いついたからといって、その場で「じゃあやります」とは言えない。人の物を預かる以上、自分の商品を売るより責任は重くなる。
「一回持ってきてもらっていいですか。状態と相場だけ見ます。そのあと、もし俺が売るならどういう形がいいか調べてから話しますわ」
「えらい慎重やな」
「人のもんですからね。壊したら笑えへんし」
久保田は「そらそうやな」と笑い、そこで話は終わった。
◇
二日後、久保田は本当にカメラバッグを持ってきた。
現場が昼から片側交互通行へ切り替わる前の休憩時間、作業車の陰に置かれた折り畳みテーブルの上へ、少しくたびれた黒いバッグが置かれる。優也がファスナーを開くと、中には古いデジタル一眼のボディが一台、標準ズームと望遠ズームが一本ずつ、充電器、予備バッテリー、それに取扱説明書が入っていた。
「ちゃんと一式あるやん」
「几帳面やったからな、昔は。今は押し入れに突っ込んでただけやけど」
優也は笑いながらボディを手に取り、まず外観を確認した。グリップには使用感があるが、落下したような大きな傷はない。標準ズームは少し埃っぽいものの、レンズ表面は比較的綺麗だった。望遠ズームのほうは、前玉の奥に白っぽいものが見える。
周囲に人の目がないことを確認してから、優也は一つずつ鑑定した。
『デジタル一眼カメラ――』
『撮像部――正常』
『シャッター機構――正常』
『外装――使用傷あり』
『バッテリー――劣化中程度』
『継続使用――可能』
標準ズームも大きな問題はなかったが、望遠ズームにはやはり内部のカビが出ていた。写りへ直ちに大きな影響が出るほどではないものの、状態良好として売ることはできない。
優也は結果を頭の中に置いたまま、久保田には自分の目で確認できる範囲から説明した。
「ボディは普通に売れそうです。標準のレンズもたぶん大丈夫。ただ、この長いほう、ちょっと中にカビっぽいのありますね。これだけは値段落ちると思います」
「やっぱりか。押し入れ長かったからなあ」
「店の買取に持っていったら一式でまとめて査定されると思いますけど、売り方分けたほうが高くなる可能性はあります。ただ、手間も増えるんで、どっちがええかですね」
「福山が売ったらどうなん?」
久保田にそう聞かれ、優也は少し間を置いた。
「やるなら、俺が買い取るんじゃなくて、一回預かって売る形かなと思ってます。でもそれ、勝手にやったらあかんので、条件ちゃんと決めてからにしたいです。売れへんかったときどうするかとか、いくら以下なら売らんとか、壊れた場合どうするかとか、そのへん曖昧やと後で揉めますし」
「俺とお前で揉めるか?」
「揉めへんと思ってても、決めといたほうがええんですよ。たぶん」
自分で言いながら、真琴なら同じことを言うだろうと思った。
◇
その夜、優也は帰宅してすぐ、委託販売について調べた。
古物を継続的に扱う以上、これまで進めてきた必要な手続きや記録の範囲だけでなく、他人の所有物を預かって販売する場合に何を残しておくべきかも確認する。所有者、品物の内容、最低販売価格、手数料、送料、売れなかった場合の返却、預かっている間に破損した場合の扱い。調べていくと、最初に久保田へ言った通り、曖昧なまま始めないほうがいいことばかりだった。
ちょうど真琴からメッセージが来たので、優也は要点だけ送った。
『久保田さんから古いカメラ預かって売るかもしれん。買い取りじゃなくて委託みたいな感じ』
数分後、電話がかかってきた。
「それ、優也さんには合ってるかもしれませんけど、人の物を預かるなら自分の仕入れより先にルールを作ったほうがいいと思います。最低いくらで売るのか、手数料をどうするのか、送料は誰が負担するのか、売れなかったらいつ返すのか。それに、途中で『やっぱり返して』って言われた場合も決めておいたほうがいいですよ」
予想通りだったので、優也は笑った。
「今ちょうど、それ全部メモしてたとこや。俺もだんだん真琴化してきたかもしれん」
「それはいいことです。少なくとも、勢いで人のカメラを預かってから考えるよりは」
真琴はそこで一度言葉を切り、少し柔らかい声になった。
「でも面白いですね。今までは十万円をどう使うか考えてたのに、今回は自分のお金を使わなくても仕事ができるかもしれない。もちろん何でも預かればいいわけじゃないですけど、優也さんが状態を見られて、説明できるものに絞るなら、次の段階としては自然だと思います」
「俺もそう思った。ただ、これで味しめて何でも預かり出したら絶対パンクするから、最初は久保田さんの一件だけにするわ」
「それがいいです。あと、手数料を安くしすぎないほうがいいですよ。写真を撮って、説明を書いて、質問に答えて、梱包して発送するなら、それはちゃんと仕事なので」
優也はその言葉に少し考えさせられた。
自分の能力があるから状態確認は早い。だからといって、自分の時間まで無料になるわけではない。安く買って高く売るときは利益がそのまま報酬になるが、委託では手間そのものに値段を付けなければならない。
電話を切ったあと、優也はA4用紙一枚に収まる程度の確認書を作った。堅苦しい契約書というより、預かった品物、希望する最低金額、手数料、販売期間、売れなかった場合の返却方法を、お互いが後から見返せるようにまとめたものだった。
◇
週末、久保田に内容を説明すると、反応は拍子抜けするほどあっさりしていた。
「そんなんちゃんと書くんやな。俺は福山に任せるけど」
「任せるって書かれてへんのが一番困るんですよ。最低、これ以下やったら売らんって金額だけ決めてください」
結局、ボディと標準ズームはまとめて売り、望遠ズームはカビありとして別にすることになった。手数料は売れた金額の一割。送料や販売手数料を引いたうえで、残りを久保田へ渡す。一定期間売れなければ価格を見直すか返却することも確認した。
自宅へ持ち帰った優也は、いつものテーブルを撮影場所には使わず、窓際に白い模造紙を広げて簡単な背景を作った。カメラバッグから一つずつ取り出し、全体、背面、液晶、マウント、傷のある部分、付属品と、購入者が知りたそうな場所を順番に撮っていく。
自分の商品なら「まあこれでええか」と妥協しそうなところでも、人の物だと思うと一枚多く撮ってしまう。
望遠ズームについては、カビの位置が分かるよう光へ透かし、説明文にも『内部にカビあり。現状での動作は確認済みだが、状態を理解したうえで購入してください』と書いた。高く見せるより、後で「聞いていない」と言われないほうが大事だった。
出品して三日後、ボディと標準ズームのセットが売れた。
購入前にシャッター回数やバッテリーの持ちについて質問が入り、優也は自分で確認できた範囲を丁寧に答えた。望遠ズームのほうは一週間ほど動かなかったが、カビありを理解したうえで安く使いたいという購入者が現れ、こちらも無事に売れた。
二つの取引が終わると、優也は送料と販売手数料を差し引き、確認書に沿って久保田へ渡す金額を計算した。
自分の取り分は、合わせて六千円ほど。
大きな金額ではなかった。それでも、自分の十万円は一円も仕入れに使っていない。
次の現場で久保田へ売上の明細と代金を渡すと、久保田は金額を見て目を丸くした。
「店持ってくより全然ええやん。こんな残るんやな」
「その代わり売れるまで待ってもらってますからね。あと、毎回こうなるとは限らんですよ。今回はボディが普通に動いたから良かっただけで、状態悪かったらもっと下がります」
「それでも助かったわ。押し入れ空いたし」
久保田は満足そうに笑ったが、優也はそこで「ほかにもあったら持ってきてください」とは言わなかった。
むしろ今回やってみて、預かるほうが楽だとは思えなかった。自分の資金を使わない代わりに、他人の物を預かる責任が増え、売れない場合には持ち主へ説明しなければならない。写真や説明文も、自分の商品以上に慎重になる。
ただ、それでもひとつ分かったことがある。
仕入れとは、自分の金を出して買うことだけではない。
状態を見る力、相場を調べる手間、分かりやすく説明すること、売れる場所へ出すこと、発送まできちんと終えること。その一連を任せてもらえるなら、自分が商品を所有しなくても仕事にはなる。
◇
帰宅した優也は、ノートの『得意な分野を作る』という文字の下に、新しく一行を追加した。
『自分で買う以外のやり方もある』
その横へ、少し考えてから『ただし、一件ずつ』と書き足す。
何でも預かれば資金は要らない、などと考え始めれば、たぶんすぐに手が回らなくなる。今はまだ本業があり、仕事が終わってから清掃や撮影、出品、発送をしているだけなのだから、時間には明確な限界がある。
それに、鑑定があるからといって、知らない商品まで扱えるわけではない。状態を見抜けても、その商品の市場や買う人の基準を知らなければ、ICレコーダーのときと同じように売り方を外す。
だから当面は、カメラや工具など、自分が何度か扱ったものだけにする。
ノートを閉じようとしたところで、スマートフォンに通知が入った。以前コンパクトカメラを買った相手からだった。
『前に聞いた交換レンズ、もし見つかったら教えてもらえますか。急ぎではありません』
優也は画面を見ながら、少し笑った。
今度は、すぐに「探します」とは返さなかった。
『見つける約束はできませんが、扱える状態のものを見かけたら候補として確認してみます』
そう返してから、ノートの端にレンズの種類だけを書いておく。
誰かから物を預かることも、誰かが欲しがっている物を覚えておくことも、自分の十万円を増やすこととは少し違う。それでも、こうして一つずつ「自分にできる仕事」が増えていけば、いつか資金の大きさだけでは決まらない商売の形が見えてくるのかもしれない。
GRANZの価格は、相変わらず遠い。
けれど、その遠さに向かって同じ歩幅で進む必要はないのだと、優也は少しずつ分かり始めていた。
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