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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
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ep.30 十万円の回し方


 日曜日の朝、優也はいつもより一時間ほど遅く目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光はまだ柔らかく、外から聞こえてくる車の音も平日ほど慌ただしくない。顔を洗い、簡単に朝食を済ませてからコーヒーを淹れると、昨夜のまま木製テーブルに置いていたノートを引き寄せた。


 開いたページの上には、昨夜自分で書いたばかりの文字が残っている。


『目標① 十万円を減らさず回せるようになる』


 二億円という数字と並べて考えれば、笑ってしまうほど小さな目標だった。それでも、真琴と話してからは不思議とこちらのほうが現実味を持って見える。二億円をどう作るのかと考えると、頭の中には巨大な壁しか浮かばないが、十万円をどう使えば減らさずに戻せるのかと考えれば、昨日までの経験から答えの欠片くらいは拾えそうだった。


 優也はこれまでの取引記録を一件ずつ見返し、利益額の横に売れるまでの日数を書き足していった。三日で売れたもの、十日かかったもの、二週間以上動かなかったもの。同じ三千円の利益でも、三日で戻ってきた金と二週間寝ていた金とでは意味が違う。売れなければ、その間は次の仕入れに使えないからだ。


「金って、使ったら減るだけやと思ってたけど……戻ってくる速さもあるんやな」


 誰に聞かせるでもなく呟きながら、優也はページの余白に自分なりの基準を書き込んでいった。状態を自分の言葉で説明できるものを選び、売れるまでの時間も考え、一つの商品へ資金を寄せすぎない。その三つを守るだけでも、勢いで仕入れる回数はかなり減るはずだった。


 細かな数値まで決めてしまうと、今度は数字を守ること自体が目的になりそうなので、最初はそこまでにしておく。さらに仕入れへ使う金額も十万円全部ではなく、当面は八万円までと決めた。残り二万円は、送料や梱包材の不足、値下げ対応、予想外の出費があったときのために置いておく。


 十万円まで使えるのだから十万円使えばいい、と少し前の自分なら考えていた気がする。そう思うと、利益額はまだ小さくても、考え方だけは少しずつ変わっているらしかった。


          ◇


 昼前、優也は電車に乗って中古店を回り始めた。


 一軒目では小型のレコーダーが目に留まった。外装には擦れがあり、付属品も一部欠けていたが、鑑定では主要機能に異常はなく、端子にも目立った劣化はない。ただし相場を調べると、今の値札では利益がほとんど残らなさそうだった。


 以前なら「状態がいいならいけるかも」と考えていたところだが、今回は写真も撮らず、値段だけノートへ記録して棚へ戻した。


 二軒目の工具売り場では、以前扱ったことのあるメーカーの充電式インパクトドライバーを見つけた。ケースはないもののバッテリーが付属し、動作確認済みと書かれている。店員に頼んで実際に回転を見せてもらい、異音や振動がないことを自分の耳と手で確かめてから鑑定した。


『充電式インパクトドライバー――』

『駆動部――正常』

『バッテリー――劣化軽度』

『外装――使用傷あり』

『継続使用――問題なし』


 価格は二万四千八百円。中古相場を確認すると、状態を正直に説明しても三万円台半ばまでは狙えそうだった。


 さらに別の店では、少し古いコンパクトデジタルカメラが三万一千円で出ていた。液晶には小さな擦れがある一方、センサーやズーム機構に異常はなく、バッテリーも実用範囲に収まっている。最後に立ち寄った店では、業務用として使われていた小型ICレコーダーが一万九千六百円。付属品は少なかったが、本体の状態は悪くなかった。


 三つ合わせて、七万五千四百円。


 店を出た優也は近くのベンチに腰を下ろし、スマートフォンの電卓を開いて金額をもう一度確かめた。八万円の上限には収まっているし、どれも自分で状態を説明できる範囲にある。ひとつが売れなくても、残り二つまで止まるわけではない。


 それでも、すぐには購入確定の画面へ進まなかった。以前なら「条件が合うなら買う」で終わっていたが、今は売れるまでの時間や送料、説明に必要な手間まで考えている。未来が分かるわけではない以上、最後は自分で判断するしかない。


挿絵(By みてみん)


「……今日は、これで終わりやな」


 もう一軒くらい回ろうと思えば回れたが、優也はそこで切り上げた。買えるだけ買うのではなく、決めた範囲で止める。それも今回の練習のうちだと思えば、少し物足りないくらいでちょうどよかった。


          ◇


 帰宅すると、優也は三つの商品をいつもの木製テーブルへ並べた。


 まず仕入れ直後の状態を写真に残し、細かな傷や付属品の有無を書き出していく。コンパクトカメラはレンズ周りと液晶を丁寧に清掃し、インパクトドライバーは外装の汚れを落としてからバッテリーを満充電にした。ICレコーダーは録音と再生を何度か繰り返し、内蔵メモリーや各ボタンの動作を確認する。


 鑑定で異常がないと分かっていても、出品文に書くのは自分で確かめたことだけにした。鑑定結果をそのまま商品説明へ書けるわけではないし、購入者にとって必要なのは不思議な能力の保証ではなく、実際に何を確認したかという情報だからだ。


 清掃、撮影、説明文の作成、価格設定まで終えるころには、窓の外はすっかり暗くなっていた。それでも、三つの商品を一度に扱ったことで、作業の順番にも少し慣れが出てきた。写真を撮る前に付属品を揃え、傷のある場所を先に確認し、発送用の箱まで大体の大きさを合わせておく。小さな工夫ばかりだが、一件ずつやっていたころより無駄な動きは減っている。


 優也はノートに作業時間を書き込み、最後に三つの出品ページを確認してからスマートフォンを伏せた。


          ◇


 三つのうち、最初に売れたのはインパクトドライバーだった。


 出品から二日後、値下げ交渉が一件入り、優也は相場を見直したうえで少しだけ価格を下げた。送料と手数料を引いた利益は四千円を少し超える程度だったが、それ以上に、二万四千八百円の仕入れ資金がすぐ手元へ戻ってきたことが嬉しかった。


 コンパクトカメラは五日目に売れた。液晶の擦れを角度を変えて撮影し、説明文にも隠さず書いていたため、購入前に状態確認の質問が一件来ただけで、その後はスムーズだった。最終的な利益は六千円台になり、取引完了後の評価には『説明通りの状態でした』と書かれていた。


 問題は、最後に残ったICレコーダーだった。


 一週間経っても動かない。十日目になっても閲覧数だけが増え、購入にはつながらなかった。


 優也は仕事の休憩中に画面を開いては閉じ、帰宅すると相場を調べ直した。同じ型番がまったく売れていないわけではないが、付属品の揃っている商品との差が思ったより大きく、優也が付けた価格では「あと少し出せば付属品付きが買える」という微妙な位置に入っている。


 十五日目の夜、優也はノートと出品画面を見比べた末、価格を千五百円下げた。


 翌日、ようやく売れた。


 送料と手数料を引き、仕入れ値との差を計算すると、利益は九百八十円だった。


「……二週間以上待って、九百八十円か」


 笑うしかなかったが、不思議と腹は立たなかった。今回は、どこで判断を外したのかが記録に残っている。商品の状態は問題なかったし、仕入れ値も極端に高くはない。ただ、付属品の不足によって売れる価格帯が下がることを最初に甘く見ていた。


 鑑定では商品の状態は分かる。しかし、その商品を欲しがる人が何人いるのか、同じ価格ならどの条件の商品を選ぶのかまでは教えてくれない。


挿絵(By みてみん)


 当たり前のことなのに、自分の金が二週間以上止まってみると、その意味はずっと分かりやすかった。


          ◇


 その夜、真琴から電話がかかってきた。


 優也はスマートフォンを耳に当てたまま冷蔵庫からビールを一本取り出し、ソファへ腰を下ろした。最近の取引について話し始めると、真琴は途中で細かく口を挟まず、三つすべての結果を聞いてから、少し考えるような間を置いた。


「それなら、今回は比較しやすいですね。インパクトドライバーは利益が大きくなくても二日で資金が戻ってきて、カメラは五日で六千円くらい。レコーダーは二週間以上かかって千円弱だったんですよね。だったら次から、同じ金額を使うならどれに近い商品を増やしたいか、自分で判断できる材料になります」


 優也は缶のプルタブを開けながら、テーブルに置いたノートへ目をやった。


「そうなんよ。レコーダーだけ見たら別に赤字ではないんやけど、売れるまでずっと金を預けっぱなしにしてる感じやったわ。その間、次の仕入れに使われへんし、毎日ちょっと気にもなる。九百八十円残ったから損ではないけど、同じ一万九千円なら、もっと回しやすいもんに使ったほうがええんやろな」


「そこまで分かったなら、十分じゃないですか。状態を見抜けることと、売れやすいものを選べることは別だって、実際のお金で確認できたんですから。しかも赤字じゃなくて九百八十円は残ってるので、授業料を払ったというより、少し報酬をもらいながら勉強した感じですよね」


 真琴の言い方が妙にもっともらしくて、優也は思わず笑った。


「なんや、その得したんか損したんか分からん授業。でもまあ、前より数字見るのは面白くなってきたわ。利益だけじゃなくて、何日で売れたとか、どれだけ手間かかったとか見てると、同じ数千円でも全然ちゃうし」


「優也さん、そういうの意外と向いてると思います。勢いで買いそうなところはありますけど、数字が残るとちゃんと見直すでしょう。今の十万円も、単なる予算じゃなくて、何回働かせられるかを見るためのお金になってきてるんじゃないですか。全部使う必要もないし、利益率だけ高ければいいわけでもない。早く戻るものと、少し時間がかかっても利益が大きいものを混ぜていけば、そのうち優也さんなりの形が見えてくると思います」


 電話の向こうで真琴がそう続けるのを聞きながら、優也は「何回働かせられるか」という言葉を頭の中で繰り返した。


 自分の金を働かせるなど、少し前まで考えたこともなかった。給料は入れば生活費へ消え、残れば貯金するものだった。それが今は、十万円が商品へ変わり、売れればまた現金に戻り、その途中で少しだけ増えていく。


「投資家みたいやな」


「そこまで大げさじゃないです。ただ、一台に十一万八千円突っ込もうとするより、今のほうがずっと安心です」


 真琴が最後だけ少し楽しそうに言ったので、優也は苦笑した。あのカメラを見送った話は、どうやらしばらく使われるらしい。


 その後は研究室の話や、最近ようやく朝晩が涼しくなってきたこと、次に会うならどこで食事をするかといった取り留めのない話へ移った。副業の相談だけなら十分ほどで終わっていたはずなのに、気づけば通話は四十分近く続いていた。


 電話を切ったあと、静かになった部屋で優也はしばらくスマートフォンを手に持ったまま座っていたが、やがて立ち上がり、テーブルへ戻った。


          ◇


 三つの取引をすべて終えた時点で、今回増えた利益は一万一千円ほどになった。


 梱包材や送料の細かな差まで記録すると端数はもう少し動く。それでも、仕入れに使った七万五千四百円はすべて戻り、元の十万円を崩さないまま次の仕入れへ回せる状態になった。


 優也は利益分だけを別にし、『GRANZ資金』へ移す。


 三万一千二百四十円だった数字が、四万円を超えた。


 まだ二億円から見れば、ほとんど何も変わっていない。それでも今回は、単に一万円増えたという感覚ではなかった。自分で決めた範囲の資金を使い、複数の商品へ分け、それぞれを売り切って元金を戻し、そのうえで余分を残すという流れを一度最後まで経験できたからだ。


 梱包材の切れ端を片づけ、優也はノートの新しいページに『一回目 終了』と書いた。その下へ、早く売れたもの、時間がかかったもの、次に注意する点をまとめていく。以前より文字は増えたが、数字だけが並んでいたころより、自分が何をやって何を間違えたのかがずっと分かりやすい。


 ちょうど書き終えたところで、スマートフォンに通知が入った。


 先ほど取引を終えた購入者ではなく、数日前に売ったコンパクトカメラの購入者からだった。何か不具合でも出たのかと少し身構えながら画面を開くと、そこには短いメッセージが届いていた。


『先日はありがとうございました。同じシリーズの交換レンズを扱う予定があれば、また出品されますか?』


 優也は画面を見たまま、すぐには返事を打たなかった。


 同じ商品を持っているわけではないし、頼まれたものを確実に探して用意できるほど仕入れ先も知識もない。今の段階で「探しておきます」と書けば、それは約束に近くなってしまう。


 それでも、「またこの人から買ってもいい」と思ってもらえたのだとすれば、それは利益とは別のものが少しずつ積み上がっているということなのかもしれなかった。


 優也は少し考えてから、『今のところ在庫予定はありませんが、扱うことがあれば出品します。ありがとうございます』とだけ返した。


 送信すると、スマートフォンを伏せ、ノートの余白へ視線を戻す。


 十万円を一度回しただけで、何かが劇的に変わったわけではない。けれど、金額だけを追っていたときには見えなかったものが、少しずつ増えている。売れるまでの速さ、説明の仕方、買わない判断、そして一度取引した相手がもう一度思い出してくれること。どれも帳簿の利益欄だけでは測れないものだった。


 二億円へ続く道が見えたわけではないが、少なくとも次に何を試せばいいのかは、前よりずっと具体的になっている。


 優也はノートの端に『得意な分野を作る』と書き足した。


 カメラなのか、工具なのか、それともまだ知らない何かなのか。答えは分からない。それでも、十万円をただ増やそうとするのではなく、自分が何を扱えば失敗を減らせるのかを探していけば、その先には今とは違うやり方が見えてくるかもしれない。


 ページを閉じる前に、優也は『二回目』とだけ次の欄に書いた。


 今度は、同じ十万円をもう一度働かせるつもりだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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