ep.28 積み上げる六千円
最初のカメラが売れた翌朝、福山優也はいつも通り道路工事現場へ向かった。
六千円あまりの利益が出たからといって、生活が何か変わるわけではない。朝は決まった時間に起き、簡単に腹へ入れてから制服に着替え、まだ少し冷たい空気の中を駅へ向かう。現場へ着けばヘルメットを被り、無線機の動作を確認し、規制帯の位置や車両の流れを頭へ入れてから持ち場につく。前日の夜にノートへ『第一号 利益 約六千円』と書き込んだ時は、確かに少しだけ胸が浮ついていたのだが、車列が動き始めればそんな気分はすぐに消え、いつものように目の前の安全へ集中するしかなかった。
午前の規制が一段落した休憩中、優也が休憩車両の外で缶コーヒーを飲んでいると、久保田が隣へ腰を下ろした。
「そういや福山さん、前にでかいキャンピングカー見てたやろ。まだ調べてんの?」
「調べてるで。値段まで聞いて、ちょっと笑ったけどな」
「いくらやったん?」
「仕様次第やけど、二億超えるかもしれんって」
久保田は飲みかけのコーヒーを口元で止めたまま数秒固まり、それから「家どころか、もう建物やん」と笑った。
優也も笑いながら、今すぐ買えるなどとは思っていないこと、それでも本気で欲しいから、少しずつでも資金を作れないか考え始めたことだけを話した。収納や鑑定、魔素の話はもちろん伏せる。それでも、中古品の売買を副業として始めたという部分だけなら、会社へも届けを出している以上、隠す必要はなかった。
「この前、一個売って六千円くらい利益出た」
「おお、それはええやん。じゃあ三万何千個くらい売ったら買えるな」
「計算すんな。気ぃ遠なるわ」
「でも一個目で利益出たなら、向いてるんちゃう?」
久保田は気軽にそう言ったが、優也は少し考えてから首を振った。
「まだ分からん。一回だけやし、たまたま状態のいいの引いただけかもしれへん。売るのも思ってたより手間掛かったしな」
自分でそう答えたあと、優也は少しだけ可笑しくなった。
以前の自分なら、一度上手くいけばその勢いのまま次へ行きたくなっていたかもしれない。けれど今回は、真琴に釘を刺されたからというだけでなく、自分でも「一回は一回」と思えている。二億円という途方もない数字を一度見てしまったからこそ、最初の六千円を過大評価しても仕方がないと分かっていた。
その日の午後も、優也はいつも通り誘導灯を振った。
副業で利益が出ても、自分の本業が急に軽くなるわけではない。大型車が近づけば注意して進路を確保し、歩行者が来れば工事車両との間を確認し、現場監督から規制変更が入れば無線で周囲へ共有する。仕事の合間に「次は何を仕入れよう」と考える余裕などなく、それがかえって良かった。
生活の軸が変わっていない。
そのことに、少し安心している自分もいた。
◇
次の仕入れまで、優也は一週間待った。
休みの日に二軒の中古店を回り、カメラ、工具、小型オーディオ、測定器をいくつも見たが、鑑定結果が良いという理由だけでは買わなかった。むしろ最初の成功があったからこそ、同じやり方で本当に続けられるのかを確かめるつもりで、一つずつ条件を見直していった。
ある店では、少し古い交換レンズが目に留まった。
外観は綺麗で、店頭価格も安い。鑑定すると光学系に大きな問題はなく、内部の機構も正常だった。カビも曇りもなく、使用に支障があるような故障も見当たらない。
以前の優也なら、その場で「これはいける」と思ったかもしれない。
しかし、スマートフォンへ型番だけ控えて帰宅し、夜に市場を調べてみると、正常品の相場が思ったほど高くないことが分かった。流通量が多く、状態の良い個体も珍しくない。販売手数料と送料を引けば、売れても数百円程度しか残らず、少し値下げしただけで赤字になる。
「……鑑定だけで商売できるわけちゃうんやな」
画面を眺めながら、優也は小さく呟いた。
考えてみれば当たり前だった。
物が良いことと、その物が高く売れることは別である。鑑定は前者を助けてくれるが、需要まで作ってくれるわけではない。人気、流通量、季節、付属品、送料、販売手数料、そして売れるまでの時間。商売として見れば、それら全部が価格の一部になる。
この一件以降、優也は仕入れ候補を見つけても、その場で買うことがほとんどなくなった。
型番と値段を控える。
帰宅して相場を確認する。
正常品と不具合品の価格差を見る。
過去の成約件数を確認する。
利益が出そうなら翌日まで考える。
その間に売れてしまえば、「今回は縁がなかった」で終わらせる。
最初は面倒に感じたが、続けているうちに、この一晩置く時間が意外と大事だと分かってきた。店頭では魅力的に見えた物でも、家で数字だけ並べてみると急に冷静になれる。
そうして二件目に選んだのは、傷だらけの充電式電動工具だった。
外装はかなり使い込まれ、グリップにも擦れがあり、ケースも付属していない。ところが鑑定すると、モーターとギアには大きな異常がなく、主な問題はバッテリー端子の汚れとスイッチ接点の軽い摩耗だった。
価格は安い。
相場を見ても、動作品ならまだ需要がある。
優也は一度帰宅してから翌日もう一度店へ行き、商品が残っているのを確認して初めて買った。
持ち帰った工具は、必要以上に分解せず、手の届く範囲だけ清掃し、何度も負荷を掛けながら動作を確認した。説明文には傷の多さも、使用感も、接点清掃を行ったことも正直に書く。最初のカメラと同じように「新品同様」などとは書かず、自分が買う側だったら知りたいことをなるべく先に出すようにした。
一週間ほどで売れ、利益は三千円少々だった。
金額だけ見れば最初のカメラより小さい。
けれど、同じ考え方で二回目も利益が出たことの方が、優也には大きかった。
三件目は小型の音声レコーダーだった。
こちらは外見こそ綺麗だったが、バッテリー蓋の接点が弱く、持ち方によって電源が落ちることがある。鑑定で原因は分かったものの、清掃だけでは完全には改善せず、結局、同型の交換部品を取り寄せる必要があった。
部品代。
送料。
交換に掛かった時間。
それを全部足すと、想定していたほど利益は残らなかった。
それでも直したあとの動作は安定し、購入者から「説明通りで安心しました」と評価が付いた時、優也は数字とは別の手応えを感じた。
四件目は古い計測器。
五件目はカメラ用の外付けフラッシュ。
計測器は意外と早く売れたが、フラッシュは思ったより動かなかった。何日待っても反応がなく、価格を一度下げ、それでも売れず、二度目の値下げでようやく買い手がついた。
最終的な利益は千円にも届かなかった。
その数字を見た時、優也は少し拍子抜けしたが、同時に納得もした。
「動くから売れる、ちゃうんやな」
買い手が欲しがるかどうか。
その差は、鑑定では見えない。
◇
一か月ほど経った頃、優也はそれまでの取引を一度全部見直すことにした。
休日の朝、コーヒーを淹れ、机の上へレシート、発送控え、取引記録を並べる。
売上だけを合計すると、それなりの数字に見えた。
ところが、そこから仕入れ代、販売手数料、送料、梱包資材、清掃用品、交換部品、店までの交通費の一部まで引いていくと、残る額は想像よりずっと小さくなる。
計算し直しても同じだった。
三万一千円ほど。
優也は電卓の表示を眺め、しばらく考えた。
三万円。
二億円とは、比べる意味すらないほど遠い。
けれど、最初の一か月としては悪くないとも思えた。
なにより大きかったのは、「鑑定を使えば必ず儲かる」という幻想が、早い段階で消えたことだった。
状態が良くても売れない物はある。
状態が悪くても、直せるなら価値が出る物もある。
相場を読み違えれば利益は減る。
売れるまで長く掛かれば、その間ずっと資金が止まる。
写真を撮り、説明を書く時間も必要で、梱包や発送もただではない。
副業は、能力を使った瞬間に金が湧いてくる仕組みではなかった。
ただ、自分には「見えない故障を見誤る怖さ」が普通の人より少ない。
それだけでも十分強い。
その日の夜、真琴へ一か月分の結果を送ると、少しして電話が掛かってきた。
「一か月で三万円なら、かなり順調だと思います。ただ、福山さんの場合、ここで仕入れ額を急に増やしそうなので、先に言っておきますけど、まだ十万円の枠は変えない方がいいです。今は利益額より、同じやり方を何か月続けても崩れないかを見る時期ですし、商品ごとに何時間使ったかもざっくり残した方がいいと思います。利益が出ていても、十時間掛けて千円なら続け方を変えた方がいいですから」
真琴は一息にそこまで言い、それから少し笑って付け加えた。
「あと、生活費と混ぜないでください。仕入れ用のお金、売上、利益を分けておいた方が後で絶対に楽です。福山さん、通帳見て残高が増えてたら『これ使えるやん』ってなりそうなので」
優也はノートを開きながら苦笑した。
「信用ないなぁ」
「あります。ただ、欲しい物の前では例外です。GRANZの話をしてる時の福山さんは、普段より判断が一段甘いです」
「そこまで分かる?」
「分かります」
短く返した真琴の声には、完全に笑いが混じっていた。
優也もつられて笑ったあと、真面目に考えた。
確かに、生活費と副業の金が一緒になっていると、どこまでが利益なのか分かりにくい。少し残高が増えただけで、「まだ使える」と錯覚する可能性もある。
その日のうちに副業用の口座を分け、売上はそこへ入れ、仕入れもそこから出すように決めた。
利益が出ても、しばらくは生活費へ戻さない。
そこに残っている金だけで次の仕入れをする。
ルールを決めると、数字の見え方が少し変わった。
◇
数日後、仕事帰りに寄った別の中古店で、優也はこれまでとは明らかに違う商品を見つけた。
業務用のカメラだった。
価格は十一万八千円。
店頭説明には『起動不良・現状販売』とある。
今まで扱ってきた商品と比べれば、一気に桁が上がる。
普通なら眺めるだけで終わる価格帯だったが、優也は店員に頼んで実物を確認させてもらい、慎重に鑑定した。
『業務用デジタルビデオカメラ』
『主要機構――正常』
『撮像系――正常』
『記録系――正常』
『電源系統――起動電圧不安定』
『電源基板周辺――一部接触不良』
『その他――使用摩耗・中程度』
致命的な故障ではない。
少なくとも鑑定結果だけ見れば、直せる可能性は高い。
さらに相場を調べると、正常動作品は二十万円前後で動いていた。
修理が想定通りで済めば、これまでとは桁の違う利益が出る。
優也は商品を前に、しばらく動かなかった。
頭の中ではすぐ計算が始まる。
十一万八千円で仕入れ。
修理費が軽く済む。
仮に十九万円前後で売れれば、手数料と送料を引いてもかなり残る。
一回で一か月分を超える可能性もある。
「……いけそうなんよな」
店員へ聞こえない程度に呟き、スマートフォンでもう一度相場を確認した。
検索結果はさっきと同じだ。
数字だけ見れば、魅力的だった。
鑑定も背中を押している。
けれど、優也はその場で真琴の言葉を思い出した。
十万円の枠を変えない。
今は同じやり方が続けられるかを見る。
高額商品ほど、状態確認も購入者の要求も厳しくなる。
もし修理が想定より難しく、売れないまま十一万八千円が止まったら、今の自分にはかなり重い。
それに、自分はまだ業務用カメラを一台も扱ったことがない。
鑑定が「直せそう」と言っていることと、自分が商売として扱えることは同じではなかった。
優也はしばらく悩んだあと、店員へ礼を言って商品を戻してもらった。
何も買わず、店を出る。
外へ出た瞬間、少しだけ惜しい気持ちが湧いた。
今ならまだ買えるかもしれない。
戻ろうと思えば戻れる。
けれど、信号待ちで立ち止まっているうちに、その気持ちは少しずつ落ち着いた。
もし今日買えば、「儲かりそうだったからルールを変えた」ことになる。
それは嫌だった。
帰宅後、その話を真琴へすると、彼女は少し考えてから、ゆっくり返した。
「買わなくて良かったと思います。利益が大きい商品を見つけたことより、今決めているルールを守って帰ってきたことの方が、今は大きいですよ。福山さんが本当にこの副業を続けるなら、たぶんこれから何度も“買えば儲かるかもしれない物”に会いますよね。そのたびに全部買っていたら、どこかで一回外しただけで崩れます。今日は、鑑定より自分の判断を優先できたってことじゃないですか?」
言われてみると、確かにそうだった。
能力がある。
だから買う。
それだけなら、結局は能力に振り回されているだけだ。
能力を使ったうえで、「今の自分には扱えない」と判断して買わない。
そこまでできて初めて、自分が能力を使っていると言えるのかもしれない。
その夜、優也はノートの余白へ一行だけ書いた。
『買わないのも仕入れ判断』
少し格好をつけすぎた気もしたが、消さなかった。
◇
その週の給料日、優也は副業用の口座へ、これまでの利益分だけを移した。
三万一千二百四十円。
大きな数字ではない。
それでも、口座名義の横に表示された残高を見ていると、不思議と少し嬉しかった。
ノートにはこれまでの取引が並んでいる。
第一号のカメラ。
傷だらけの電動工具。
音声レコーダー。
古い計測器。
なかなか売れなかった外付けフラッシュ。
それぞれの横に、仕入れ額、販売額、経費、利益、掛かった時間、売れるまでの日数を書き足していく。
最初は数字の羅列だったものが、今では一件ごとに小さな記憶を持っていた。
工具の傷を見て「これは売れへんかな」と思ったこと。
レコーダーの部品を探すのに思ったより時間が掛かったこと。
フラッシュが売れず、値下げするたびに少し悔しかったこと。
そして、十一万八千円の業務用カメラを目の前にして、初めて自分から「買わない」を選んだこと。
数字だけを見れば、どれも小さい。
けれど、その小さな判断が積み重なって今の三万円になっていた。
優也はノートのページをめくり、最後の空白へ新しく一行だけ書いた。
『GRANZ資金 31,240円』
書いた瞬間、自分でも笑ってしまった。
二億円の車に対して、三万円。
割合にすれば誤差にもならない。
仮に毎月三万円ずつ増えても、現金だけで買おうとすれば何百年掛かるのか分からない。
それでも、ゼロではない。
一か月前は、ただ「欲しい」と言っていただけだった。
今は三万一千二百四十円ある。
その金額よりも大きいのは、自分なりのやり方が少しずつ見え始めていることだった。
いきなり高額商品へ飛ばない。
売れるかどうかまで調べる。
生活費と分ける。
記録を残す。
買わない判断もする。
今はまだ小さな副業に過ぎないが、もし半年、一年と続けて経験が増えれば、扱える商品の幅も少しずつ広がるかもしれない。さらに規模が大きくなるなら、その時は税理士や専門家へ相談し、個人の小遣い稼ぎではなく、きちんと事業として考える必要も出てくるだろう。
そこまで想像してから、優也はふとスマートフォンを手に取った。
保存してあるGRANZ 8×8の画像を開く。
雪の残る山道に停まる、巨大な四軸八輪の車体。
本国仕様そのままでは日本で使えない。
日本仕様へ作り直せば、二億円を超える可能性がある。
今の自分には、まだ遠すぎる。
けれど以前と違い、その「遠い」という感覚にも少し形が出てきた。
資金だけではない。
免許。
保管場所。
維持費。
整備。
そして、車を持ったあとも普通に生活を続けられる余裕。
真琴が言っていた通り、買えれば終わりではない。
むしろ、買ったあとに困らない状態まで作って初めて、本当に手が届いたと言える。
優也は画像を閉じ、ノートへ戻した。
三万一千二百四十円という数字は小さい。
しかし、今の自分が実際に動いて作った金だった。
誰かにもらったわけでもない。
偶然当たったわけでもない。
能力を使いながらも、相場を調べ、失敗しないよう考え、一件ずつ積み上げた結果である。
そう考えると、三万円という金額が少しだけ違って見えた。
急いで近づく必要はない。
近づき続ければいい。
来月も同じように続けられるかを見る。
その次の月も崩れなければ、また少し考える。
夢を現実に変えるというのは、もしかすると、こういう地味なことの連続なのかもしれない。
優也はノートを閉じ、窓の外に広がる大阪の夜景を眺めた。
遠くの灯りの向こうに、実物のGRANZ 8×8があるわけではない。まだ図面と写真と見積もりの中にしか存在しない、遠い車だ。
それでも以前より、その距離を少しだけ測れるようになった気がした。
そして優也は、自分でも気づかないうちに、その遠さそのものを楽しみ始めていた。
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