ep.27 最初の仕入れ
駅前の中古品店へ入った優也は、いつもなら素通りしていたガラスケースの前で足を止めた。
店内にはカメラ、腕時計、小型家電、工具、オーディオ機器まで雑多に並び、それぞれに値札と簡単な状態説明が付いている。新品を買うつもりで見る時とは違い、今日は値段そのものよりも「店がどう評価しているか」と「自分の鑑定で何が見えるか」を確かめるのが目的だった。
最初に目へ入ったのは、少し古いミラーレスカメラだった。ボディには細かな擦り傷があり、値札には『電源不安定・現状品』とある。
優也は店員へ声を掛け、実物を手に取らせてもらった。
外観を眺め、電源ボタンへ触れながら意識を集中する。
『デジタルカメラ』
『主要機構――正常』
『撮像素子――正常』
『シャッター機構――使用摩耗・軽度』
『電源接点――接触抵抗増大』
『その他――軽微な外装摩耗』
頭へ浮かんだ情報をそのまま鵜呑みにせず、優也は何度か電源を入れ直した。確かに、一度では反応しない時がある。しかしバッテリーを少し押し込むようにすると安定し、画面やシャッターそのものには異常が見られなかった。
「接点かな……」
小さく呟いてから、今度は隣のレンズを鑑定する。
『交換レンズ』
『光学系――微細塵』
『カビ――なし』
『曇り――なし』
『絞り機構――正常』
値札に書かれている内容と、大きくは違わない。
それが逆に面白かった。
鑑定は何でも“掘り出し物”へ変えてくれる魔法ではない。普通に店員が正しく状態を見抜いている商品も多く、状態が悪い物は本当に悪い。それでも、外からは分かりにくい故障原因をかなり正確に絞れるなら、買う側としての失敗を減らせる可能性はある。
優也はその場で買わず、型番と価格だけメモした。
次に工具売り場へ移る。
充電式の電動工具、測定器、古いトルクレンチ。いくつかを鑑定してみると、見た目は綺麗でも内部の摩耗が進んでいる物があれば、傷だらけなのに機構そのものはほとんど傷んでいない物もあった。
その違いを見ているうちに、優也の中で漠然としていた考えが少しずつ具体的になる。
見た目の綺麗さだけでは分からない。
逆に、見た目が悪いからといって使えないとも限らない。
そこへ普通の相場調査を組み合わせれば、少なくとも「買ってから大外れ」という事故はかなり減らせそうだった。
◇
その日の夜、優也は買わずに帰ったカメラの型番を検索した。
中古販売店の価格だけではなく、個人売買サイトの成約履歴、付属品の有無、傷の程度、正常動作品と不具合品の価格差まで見比べる。
店頭価格は二万四千八百円。
正常動作品なら、状態と付属品次第で三万円台後半に届くことがある。ただし、そこから販売手数料や送料、梱包資材を引けば、単純に一万円以上残るわけではない。さらに、接点清掃だけで本当に直る保証も、普通ならない。
だが優也には、少なくとも故障箇所の見当が付いている。
「……なるほどな」
電卓を叩いてみると、うまく売れたとして残る利益は数千円程度だった。
二億円という数字を見たあとでは、笑いたくなるほど小さい。
それでも、優也は不思議と落胆しなかった。
むしろ、現実的な数字が出たことの方が大きかった。
何となく「鑑定を使えば稼げるかもしれない」と考えるのと、二万四千八百円で買い、清掃や確認をして、いくらで売れれば何円残るのかまで数字にするのでは、意味がまるで違う。
翌日、真琴へ一連の話をすると、彼女は利益額よりも先に、優也が何も買わずに帰ったことを評価した。
「最初から買ってきたって言われたら止めるところでした。でも、状態を見て、相場を調べて、それから考えるなら私は賛成です。ただ、継続して中古品を仕入れて売るなら、普通の不用品処分とは話が違いますよね。会社の副業規定も、必要な許可も、税金も最初に確認して、後から『知らなかった』にならないようにしてください。それと、最初に使う金額は決めた方がいいです。能力があっても、商売そのものは別ですから」
優也は通話をスピーカーにしたまま、ノートへ項目を書き込んでいった。
「そこは俺もそう思ってる。とりあえず仕事は辞める気ないし、会社に隠れてやるつもりもない。最初は十万くらいまでにして、それ以上は増やさん。売れて利益が出たら、その中から次を買う感じにするわ。いきなり高級時計とか宝石とか触るのは、俺も怖いし」
「それならいいと思います。あと、売った物と買った物は全部記録してください。福山さん、面倒になったらレシートを適当に箱へ入れそうなので」
「……なんで分かるん?」
「だいたい分かります」
真琴の声には笑いが混じっていたが、言っている内容はもっともだった。
◇
翌週、優也は会社の就業規則を確認した。
副業そのものが全面的に禁止されているわけではなく、事前に届け出たうえで、本業へ支障を出さないこと、会社の名称や備品を私的な商売へ利用しないことなど、いくつかの条件が書かれている。
念のため事務所でも確認すると、担当者は少し意外そうな顔をしたものの、内容を聞いたあとは特に問題視しなかった。
「休日に自分で中古品を売買するくらいなら、必要な届出だけ出しといて。現場に穴開けたり、会社の名前使ったりせんかったらええよ。ただ、勤務中に発送とか仕入れとかはやめてな」
優也は当然だと答え、その日のうちに必要な書類を受け取った。
古物を継続して仕入れ、販売するための手続きについても調べ、必要書類を揃えて申請を進めた。面倒ではあったが、二億円の車を本気で欲しいと思ったあとでは、申請書を何枚か書くくらいで諦める気にはならなかった。
許可を待つ間は、買わずに市場を見ることへ徹した。
仕事帰りに中古店へ寄り、休日には別の店舗も回る。気になった物は型番と値段を記録し、帰宅してから相場を確認する。鑑定で状態が分かったとしても、需要がなければ売れないし、送料が高ければ利益が消える。逆に、誰でも名前を知っている人気商品ほど価格差は小さく、状態が分かりにくい少し古い機材の方が、自分の強みを使いやすいことも見えてきた。
その作業を一か月ほど続けるうちに、優也のノートにはカメラ、工具、小型オーディオ、計測機器などの価格帯が少しずつ蓄積していった。
最初の頃は「高い」「安い」くらいだった感覚も、いつしか「この状態なら、この価格ではまだ高い」「付属品が揃っていれば、この値段でも売れる」と考えられる程度には変わっていた。
そして、必要な準備が一通り整った頃、優也はもう一度、最初の中古品店へ向かった。
◇
以前見たカメラはもう売れていた。
「そらそうか」
少し残念ではあったが、逆に肩の力が抜けた。
あれに固執する必要はない。
店内を見て回っていると、別の棚に一台のカメラがあった。少し古いモデルで、外装には使用感があり、『電源が時々落ちるため現状販売』と表示されている。価格は二万一千八百円。
店員に頼んで確認させてもらい、優也は鑑定する。
『デジタルカメラ』
『主要機構――正常』
『撮像素子――正常』
『シャッター機構――正常範囲』
『電源系統――バッテリー端子接触不良』
『端子腐食――軽微』
『その他――外装摩耗』
優也は何度か動作を確かめたあと、いったん棚へ戻し、スマートフォンで同型機の相場を確認した。
正常動作品なら三万円台半ば。
付属品は少ないが、致命的ではない。
送料と販売経費を考えても、きちんと直って売れれば数千円は残る。
何より、今まで一か月近く見てきた中で、ようやく「自分の判断で買っていい」と思える物だった。
「これ、お願いします」
会計を済ませた時、優也は少しだけ緊張した。
二万一千八百円。
二億円と比べれば誤差にもならない。
しかしこれは、ただ欲しくて買った物ではなく、利益を出すために自分で選んだ最初の商品だった。
◇
帰宅後、優也は机の上へ柔らかい布を敷き、カメラを置いた。
端子部分を確認すると、確かに薄い汚れと軽い腐食がある。無理に分解することはせず、手の届く範囲を専用のクリーナーで慎重に清掃し、乾燥させてからバッテリーを戻した。
電源を入れる。
正常に立ち上がる。
一度切り、もう一度。
さらに何度か繰り返したが、今度は落ちなかった。
翌日まで時間を置き、撮影、保存、充電、連続動作を確認し、それでも異常が出なかったため、優也は商品の状態を正直に書いたうえで出品した。
新品同様とは書かない。
外装傷も写真に残す。
電源不良があったこと、端子清掃後は症状が出ていないことも記載した。
価格は三万四千八百円。
相場の中では少し控えめだった。
出品から二日後、そのカメラは売れた。
発送を終え、購入者から受取確認が届いたあと、優也は売上から販売経費、送料、仕入れ代、清掃に使った消耗品分まで引いてみた。
最終的に残ったのは、六千円あまり。
ノートへ数字を書いたあと、優也はしばらくその金額を眺めた。
「……六千円か」
もちろん、これを三万回繰り返せば二億円、などと馬鹿な計算をする気はなかった。
毎回同じように売れる保証もないし、不良品を引く可能性が完全になくなったわけでもない。商品の撮影や説明、梱包、発送にも時間が掛かり、仕入れへ行く交通費まで考えれば、さらに細かく見る必要がある。
それでも、一つだけ確かなことがあった。
鑑定を、誰かを騙すためではなく、自分が仕入れで失敗しにくくするために使い、普通に商品を売って利益を出せた。
それは、六千円という額以上に大きかった。
真琴へ結果を送ると、しばらくして返事が来た。
『おめでとうございます。でも、その六千円を見て、明日から十台仕入れようとか考えないでくださいね。最初の一件が上手くいった時が一番危ないです。今のやり方を何回か繰り返して、本当に同じようにできるか確認してから広げましょう。』
優也は画面を見ながら笑った。
「ほんま、俺の扱い分かってきたな」
その忠告どおり、次に使う金額を増やすつもりはなかった。
まずは十万円の枠の中だけで回す。
売れた利益を足し、また次を探す。
それを繰り返して、自分が本当に商売として続けられるのかを見る。
二億円への道として考えれば、最初の六千円はあまりにも小さい。
けれど、一か月前までの優也には、その六千円すら存在していなかった。
大きな車を買う話が、少しずつ免許や法規の話になり、会社への届出になり、古物の手続きになり、とうとう一つの商品を仕入れて売るところまで来た。
夢の方が急に近づいたわけではない。
ただ、自分の足元に一本の細い道が見え始めた。
優也はノートの一番下へ、『第一号 利益 約六千円』と書き、その横に小さく丸を付けた。
そして次のページを開き、今度は何も書かずに閉じた。
焦る必要はない。
GRANZ 8×8は逃げない。
少なくとも今は、そう思っておくことにした。
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