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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第一章 一枚の皿から
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ep.26 現実の値段


 RHEINHARD Mobilityから返信が届いたのは、問い合わせフォームを送ってから三日後の夜だった。


 仕事を終えて帰宅し、風呂を済ませてから何気なくメールを確認した優也は、件名に『GRANZ 8×8 Expedition/日本国内仕様について』とあるのを見つけ、まだ湯上がりの髪も乾ききっていないままダイニングテーブルへ座った。


 文面は丁寧で、問い合わせ内容を確認したうえで、日本国内での登録と運用を前提にする場合、本国仕様をそのまま輸入するのではなく、シャシー、車体幅、重量配分、灯火類、居住設備などを最初から見直す特注設計になる、と書かれている。ただし、優也がこだわっていた8×8の駆動方式については、条件次第で維持できる可能性があり、同社としても「日本国内向け特別仕様」の検討自体は可能らしい。


「……マジか」


 思わず声が漏れた。


 添付されていた資料を開くと、本国仕様のGRANZ 8×8が荒れた岩場を進む写真や、雪原に停車した車体の写真、居住モジュール内部の参考レイアウトなどが並んでいた。どれも今の優也には遠い世界のものに見えるが、問い合わせ前と違うのは、その下に『Japan Special Specification:Preliminary Study』という仮の資料まで付いていたことだった。


 本格設計に入る前のたたき台とはいえ、そこには日本での運用を想定した目標値として、全長約七・二メートル、全幅約二・四九メートル、走行時全高約三・六メートル、総重量は二十トン未満を目指すという方向性が示されていた。居住部は本国仕様より短くなる一方、軽量な複合材とアルミ構造を組み合わせ、燃料、水、電源設備の容量も日本国内での利用に合わせて調整することで、8×8の骨格と遠征車らしい走破性を残したいという。


 優也は文章を二度読み、三度目は数字を追いながら読み直した。


 本当に考えている。


 メーカー側が、少なくとも「そんなものは無理です」と笑って終わらせてはいない。


挿絵(By みてみん)


 興奮したまま真琴へ連絡すると、その日はまだ起きていたらしく、しばらくして通話がつながった。


「返信来た。しかも日本仕様、ほんまに検討できるって」


『良かったですね。……と言いたいところですけど、福山さんの声がもう危ないので、先に金額を見てください。あと、できることと買えることは別ですからね。』


 出鼻から釘を刺され、優也は笑いながらも資料の最後まで画面を送った。


 そこには、より詳しい要望を聞くため、日本窓口担当とのオンライン面談を提案する一文があった。価格については現段階で正式な見積もりを出せないものの、ベース車両、日本向け再設計、居住モジュール、輸送、国内で必要になる各種調整を含めれば、一般的なキャンピングカーとは比較にならない規模になるとだけ記されている。


「値段、まだ書いてへん」


『それが一番怖いですね。でも、せっかくここまで返事をもらえたんですから、話だけ聞いてみたらどうですか。その代わり、何を聞くか先に整理しましょう。福山さんの場合、担当者さんに勧められたら全部欲しくなる可能性がありますから。』


「そこまで信用ない?」


『信用してるから言ってます。福山さんは無茶をする人ではないですけど、好きな物には急に判断基準が甘くなるので。今回は車そのものだけじゃなくて、置き場所や維持、免許、整備まで全部含めて考えないと意味がありません。』


 一息にそこまで言われると、優也も反論しづらい。


「……分かった。ちゃんと聞く項目まとめるわ。八輪だけは残したいけど」


『そこだけは最初から諦める気ないんですね。』


「それ削ったら、俺がこれ見て惚れた意味なくなるやん」


 真琴は呆れたように笑ったが、そこで止めようとはしなかった。


     ◇


 オンライン面談は、その週の土曜日に設定された。


 優也の自宅から参加し、真琴も別の場所から同席する形にした。先方は日本窓口を担当する男性で、特殊車両の輸入と国内仕様の設計調整を担当しているらしく、優也が想像していたような営業一辺倒の話し方ではなく、最初から「日本で使うなら、できないこともかなりあります」と説明した。


 担当者の話は現実的だった。


 本国仕様のままでは大きすぎる部分があり、日本仕様では車体そのものを別物に近いところまで見直す必要があること。8×8を維持する場合でも、居住部を欲張りすぎれば重量と取り回しに跳ね返ること。大容量の水タンクや燃料を積めば便利だが、その分だけ他の装備を削らなければならないこと。そして、海外の展示車でよく見るような横方向へ大きく張り出すスライド機構は、日本仕様では採用しない方がいいという提案だった。


 優也はむしろ、その最後の説明に納得した。


「横に広がらんでもええです。走る時も停めてる時も、なるべく普通の車体のままで使いたいんで。その代わり、中で二人が生活して、調査道具も積める余裕は欲しいです」


 担当者は頷き、現在の要望なら、前方に二座の運転キャビン、その後ろへ小型のラウンジとキッチン、独立したシャワーとトイレ、後部に主寝室という構成が現実的だろうと説明した。運転席と助手席を回転させて停車時の居住空間に組み込み、キャビン上部へ降下式ベッドを設ければ、客用の就寝スペースも確保できる。屋根には空調機器と通信設備を置きつつ、左右へ展開できる薄型ソーラーパネルも検討可能だという。


 そこまで聞くうちに、優也の頭の中ではすでに完成車が走り始めていた。


 真琴はそれに気づいているらしく、途中から「収納量はどの程度確保できますか」「設備を増やした場合に整備性は落ちませんか」「日本国内で長期間使う前提なら、特殊部品の供給はどうなりますか」と、優也が飛ばしそうな部分をまとめて確認していった。


 担当者は一つずつ答えたあと、最後に価格の話へ移った。


『現段階では仕様が決まっていませんので正式見積もりではありません。ただ、日本向けの専用設計を行い、8×8を維持したうえで、このクラスの居住設備まで載せるとなると、ベース状態でも一億円台後半は見ていただく必要があります。電源、通信、内装、空調、特殊装備までご希望を反映すると、二億円を超える可能性は十分あります。』


 優也は、画面の前でしばらく動かなかった。


 予想していなかったわけではない。


 それでも、想像の中の「高い」と、具体的に二億という数字を聞くのでは重さが違う。


「……二億」


 ようやく口にすると、担当者は申し訳なさそうに「特注車ですので」と付け加えた。


 さらに、正式設計へ進む場合は最初に設計契約が必要で、その後は仕様確定、製造開始、車体完成などの節目ごとに支払いが発生する。全額を最初に用意する必要はないものの、一般的な自動車ローンで気軽に買う商品でもなく、事業用途なら別途ファイナンスや融資を検討する例もあるという。


 面談が終わったあと、優也はしばらくパソコンの画面を閉じられなかった。


 真琴の声がスピーカーから聞こえてくる。


『どうですか。少し冷静になりました?』


「冷静にはなった。欲しくなくなったかって聞かれたら……逆やけど」


『だと思いました。私も、話を聞いて車そのものはかなり良いと思いました。ただ、二億円を“何とかなるかもしれない”で動かすのは絶対に駄目です。買うなら、車を買ったあとも普通に生活できて、維持できる状態を作ってからです。』


 真琴の言い方には、夢を諦めろという響きがなかった。


 だからこそ、優也も素直に頷けた。


「うん。そこはちゃんとする。無理して買って、ガソリン代払われへんとか笑われへんしな」


『それ以前に、途中で支払いが止まったら笑い話にもなりません。まずは数字を出しましょう。』


 結局、その夜は購入の話ではなく、自分の現状を確認する時間になった。


     ◇


 優也はテーブルへノートと電卓を置き、現在の収入、毎月の生活費、貯金、今後必要になりそうな費用をできる範囲で書き出した。


 当然ながら、二億円とは桁が違う。


 警備の仕事を何十年続けても、普通に生活しながら現金で買えるような金額ではなかった。


 だからといって、宝くじでも当たればという話で終わらせる気にもなれない。


 ノートの横には、メーカーから送られてきた日本仕様の仮資料を印刷した束が置かれている。その表紙には、まだ完成していないGRANZ 8×8の輪郭図と、目標寸法だけが記されていた。


挿絵(By みてみん)


 優也は椅子へ座ったまま、以前から使っている鑑定のことを考えた。


 物の材質や状態を見分けられる。


 故障の原因が分かることもある。


 古い物の中に、見た目以上の価値が残っていることもある。


 今までは実験のために使ってきただけで、それを金に換えることを本気で考えたことはなかった。しかし、能力を隠したままでも、一般の人より正確に「買っていい物」と「買わない方がいい物」を判断できるなら、中古品の売買とは相性がいいのかもしれない。


 ただ、そこで優也は一度考えるのを止めた。


 能力があるからといって、相手が価値を知らない物を極端に安く買い叩くようなことはしたくない。第一、それを続ければいずれ揉めるし、自分自身も気分が悪い。


 翌日、真琴にその考えを話すと、彼女はしばらく黙ってから、かなり真面目な声で返した。


『私は、鑑定を使ってお金を稼ぐこと自体は悪いと思いません。福山さんしか分からない情報を使うという意味では有利ですけど、知識や経験で良い物を見つける人だって同じように有利です。ただ、相手を騙したり、明らかに価値を知っているのに嘘をついて買い叩いたりするのは違うと思います。やるなら普通の商売として、必要な許可や税金、それから会社の副業規定まで最初に確認した方がいいです。そこを曖昧にしたまま金額だけ大きくなる方が、車を買うより怖いですから。』


 優也は、その話を聞きながらノートへいくつか項目を書き足した。


 副業規定。


 中古品販売の手続き。


 確定申告。


 仕入れ先。


 最初に使っていい金額。


「最初から高いもん触るんは怖いし、まず小さいところからやな。工具とかカメラとか、その辺をちゃんと見て、普通に売って利益出るか試してみる」


『それがいいと思います。あと、最初からGRANZの代金を稼ぐって考えない方がいいですよ。まず、その方法が本当に続けられるのか確認してください。』


「二億って数字見たあとやと、数万円の利益がちっちゃく見えそうやけどな」


『そこを小さいと思わないでください。数万円をちゃんと積み上げられる方が、いきなり何千万を狙うより信用できます。』


 言われてみれば、その通りだった。


 優也はもともと一発逆転を狙って人生を組み立てるタイプではない。欲しい物には思い切って金を使うことがあっても、その前には意外と長く調べるし、無理だと思えば一度引く。


 GRANZ 8×8だけは、その「一度引く」が少し難しそうだった。


     ◇


 次の休み、優也は駅前へ出た。


 目的はキャンピングカーの展示場ではなく、中古品店だった。


 今までなら、店先のカメラや工具を見ても「安いな」「古いな」くらいで通り過ぎていたが、今日は少し違う。商品そのものだけではなく、値札と状態、それを自分の鑑定で見た時に何が分かるのかを確かめるつもりだった。


 もちろん、いきなり買う気はない。


 まず見る。


 それから調べる。


 利益が出るとしても、なぜ出るのかを理解する。


 その順番で始めると決めていた。


 店の自動ドアが開く前、優也は一度だけポケットのスマートフォンへ触れた。


 そこには、RHEINHARD Mobilityから届いたGRANZ 8×8の画像が保存されている。


 二億円。


 まだ笑うしかないほど遠い数字だった。


 けれど、昨日までとは違う。


 遠いなら、どれくらい遠いのかを測ればいい。届かないなら、何が足りないのかを一つずつ埋めればいい。


 白い皿が消えた時も、最初から答えがあったわけではなかった。


 収納も、鑑定も、魔素も、分からないから試し、記録し、少しずつ輪郭を掴んできた。


 金を作ることだって、もしかすると同じなのかもしれない。


「……まず、一個目やな」


 小さく呟いて、優也は中古品店の中へ入った。


 巨大な8×8の走る家へ続く最初の一歩は、意外なほど小さな売り場から始まろうとしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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