ep.25 日本で走れる怪物
「まず現実を知る」とノートへ書いた翌週から、福山優也は本当に現実を調べ始めた。
最初に確認したのは、自分が憧れているような大型のエクスペディションキャンパーが、日本でそのまま使えるのかどうかだった。海外の動画を見ているだけなら、砂漠を横断しようが雪原を走ろうが、画面の向こうの話として気楽に楽しめる。しかし自分で所有するとなれば、道路の幅、駐車場所、車両の重量、免許、維持費、点検できる工場まで、急に現実的な問題が押し寄せてくる。
昼休み、道路工事現場近くの休憩車両で弁当を食べながら、優也はスマートフォンに保存した画像を何枚も見比べていた。
「また車見てんの?」
隣から声を掛けてきたのは久保田だった。
「まあな」
「最近ずっとやん。買い替えるん?」
「買い替えるというか……ちょっと夢の話」
「夢?」
久保田が面白そうに覗き込んできたため、優也は一瞬迷ったあと、いちばん無難そうな大型キャンピングカーの写真を見せた。
「こんなん」
「……家やん」
「俺もそう思う」
「これ日本走れるん?」
「今それ調べてんねん」
「買う気あるん?」
「まだない。いや、ちょっとある」
「どっちやねん」
久保田が笑い、優也もつられて笑った。
当然ながら、収納や鑑定、魔素のことは話していない。ただ、旅をしながら使える大きなキャンピングカーが欲しいというだけなら、少し変わった趣味として十分通る。
「福山さん、キャンプ好きやったっけ?」
「本格的なんはせえへんけど、車中泊とか旅動画は前から見るで」
「へえ。こういうの、めちゃ高いやろ」
「そこが一番の問題やな」
「宝くじ当たったら買い」
「それ待ってたら一生乗られへん気がする」
そう答えながら、優也は画面を閉じた。
今の給与だけで考えれば、到底手が届かない。だからといって、まだ何も調べないうちから諦めるのも違う気がしていた。
◇
夜、自宅へ戻った優也は、真琴と通話をつないだままパソコンの画面へ向かっていた。
『で、日本で現実的に走れそうなの、ありました?』
「普通のキャンピングカーならいっぱいある」
『普通じゃ嫌なんですね』
「嫌っていうか、せっかくなら長距離と悪路に強い方がええやろ。山の方へ行くこともあるし」
『“せっかくなら”で車格を上げるのやめません?』
「そこは検討やって」
真琴の呆れた声に笑いながら、優也は検索結果を一つずつ開いていく。
国内で流通している一般的なキャブコンやバンコンは、旅をするだけなら十分魅力的だった。ベッドもキッチンもあり、モデルによってはトイレやシャワーまで備わっている。それでも優也が画面を眺めていると、どうしても気になる点が出てくる。
荷物の量。
長距離走行の余裕。
悪天候や悪路への強さ。
そして、何よりも“あとから必要になるかもしれないもの”を受け止められる余白。
「今は測定器とノートくらいやけど、もし調査続けてたら増えると思うねん」
『それは私もそう思います』
「せやろ?」
『ただし、だからといって装甲車みたいなのを買えとは言ってません』
「まだ言うてへんやん」
『画面に出てます』
「見えてた?」
『画面共有してますから』
「あっ」
思わず間の抜けた声が出て、真琴が笑った。
優也が開いていたのは、海外の大型エクスペディション車両を扱うサイトだった。八輪駆動の巨大な車体に、箱型の居住モジュールが載っている。一般的なキャンピングカーとは明らかに雰囲気が違い、旅の道具というより、どこへでも持っていける小さな基地に近い。
『それ、さっきの“普通じゃなくていい”の最終形じゃないですか』
「でも、かっこええやろ」
『そこは否定しません』
「お、珍しい」
『見た目は好きです。ただ、日本でそのまま使えるかどうかは別です』
「そこなんよな」
優也はページを下へ送りながら、車体寸法や重量、エンジン、装備欄を確認していった。海外本国仕様は、明らかに日本の道路事情へそのまま持ち込むようなものではない。もし輸入できたとしても、登録や整備、保管場所まで含めれば、現実的とは言い難かった。
そこで一度ページを閉じかけた時、検索結果の下の方に、見慣れない社名が表示された。
『RHEINHARD Mobility』
海外の特殊車両メーカーらしい。
優也は何となくリンクを開いた。
表示されたのは、これまで見ていた車両より少し洗練された、低く構えた8×8の大型車だった。無骨さは残しながらも、軍用車両そのものというより、高級な遠征用車両としてまとめられている。
「……これ、ええな」
『また始まった』
「いや、ちょっと待って。これ、名前なんやろ」
画面を拡大する。
『GRANZ 8×8 Expedition』
優也は、その名前を声に出して読んだ。
「グランツ、8×8エクスペディション……」
『完全に好きそうですね』
「うん。めっちゃ好き」
即答すると、真琴が電話の向こうで笑った。
ただし、好みと現実は別である。海外仕様のスペックを見る限り、これも決して小さくはない。しかも価格欄は“個別見積もり”となっており、嫌な予感しかしなかった。
「こういう“お問い合わせください”が一番怖いねん」
『値段が書いてないやつですね』
「絶対高いやつ」
『でも問い合わせるんでしょ?』
「……問い合わせるだけなら無料やし」
『もう止めません』
優也は苦笑しながらメーカー情報を調べ、さらに検索を続けた。
すると、完全な本国仕様をそのまま持ち込むのではなく、日本を含む一部地域向けに車幅・重量・装備を見直した特注仕様へ対応した実績があるらしい、という記述が見つかった。
「三浦さん」
『はい』
「日本向け、作れるかもしれん」
『“買える”じゃなくて“作れる”ですか?』
「特注対応っぽい。幅とか重量とか、法規に合わせて設計変更できるみたい」
『そこまでして買う車なんですか』
「……まだ買うって言うてへん」
『声がもう買う人の声です』
自分でも否定できなかった。
ほんの数日前までは、“移動できる家があったらいい”という程度の話だった。それが今は、メーカー名と車名が目の前にあり、日本向けの特注という現実的な入口まで見え始めている。
もちろん、最大の問題はまだ何一つ解決していない。
金。
免許。
保管場所。
整備。
そして、本当にそこまでの車が必要なのかという根本的な問い。
それでも優也は、画面の中に映るGRANZ 8×8から目を離せなかった。
◇
翌日、優也は仕事帰りに真琴と待ち合わせ、小さなファミリーレストランへ入った。
今回は実験ではなく、完全に“車の相談”である。
「昨日のやつ、もう一回見せてください」
「気になってるやん」
「福山さんが変な方向へ行ってないか確認するためです」
「言い方」
優也はAQUOS R9をテーブルへ置き、保存していたGRANZの資料を開いた。真琴は自分のスマートフォンでも関連ページを確認しながら、車両の寸法や装備を一つずつ見ていく。
「海外仕様のままは無理として、日本向けに縮めるなら、何を残すかですよね」
「そう思う」
「八輪駆動は?」
「残したい」
「即答ですね」
「そこ削ったら、これ選ぶ意味だいぶ減るやろ」
「じゃあ居住部の豪華装備は?」
「そこも……」
「福山さん」
「必要なもんだけでええ」
「今、ちょっと間がありましたよ」
真琴に睨まれ、優也は視線を逸らした。
しかし話し合っていくうちに、必要なものと欲しいものは少しずつ分かれてきた。
長距離移動を前提に、運転席と助手席は疲れにくいこと。
調査道具を積める収納。
二人が数日生活できる寝床。
キッチン、冷蔵庫、トイレ、シャワー。
電源と通信。
そして、多少の悪路でも移動できる走破性。
真琴がメモを取りながら、ふと顔を上げた。
「これ、今の時点では“調査車両”として考えてますけど、普通の旅行にも使いますよね?」
「使いたい」
「じゃあ、住み心地も削りすぎない方がいいですね」
「ほら」
「だからといって全部盛りしていいとは言ってません」
「分かってるって」
二人で笑いながら、条件を詰めていく。
話し合いの最後に、真琴はふと真面目な顔になった。
「でも福山さん、一つだけ先に言っておきます」
「何?」
「問い合わせるのはいいです。ただ、見積もりが出ても勢いで契約しないでください」
「そこまでアホちゃうよ」
「欲しい物の前だと怪しいです」
「信用ないなぁ」
「九割五分です」
「またそれか」
笑いながら答えたものの、優也自身も分かっていた。
この車を本気で欲しいと思った瞬間、自分はかなり危ない。
だからこそ、一人で決めない方がいい。
真琴が横にいることは、思っていた以上に大きな意味を持っていた。
◇
帰宅後、優也はメーカーの問い合わせフォームを開いた。
氏名、連絡先、希望用途、使用地域。
入力項目を一つずつ埋めていくうちに、妙な緊張が出てくる。
まだ買うわけではない。
ただ話を聞くだけだ。
そう何度も自分へ言い聞かせながら、最後の自由記入欄へ希望を書いた。
『日本国内で合法的に登録・走行可能な仕様を希望。長距離移動と調査用途を想定。2名での居住性、積載性、悪路走破性、電源・通信設備を重視。』
書き終えてから、少し考え、もう一文加えた。
『可能であれば、8×8構成は維持したい。』
「そこは譲らんのかい」
自分で突っ込んで笑った。
送信ボタンの上へ指を置く。
一瞬だけ止まったあと、押した。
画面には『お問い合わせを受け付けました』という表示が出た。
たったそれだけのことなのに、不思議と胸が高鳴る。
数日前まで、画面の向こうにあるだけだった巨大な車へ、自分から初めて手を伸ばした瞬間だった。
その夜遅く、優也は真琴へ短いメッセージを送った。
『問い合わせた』
返事はすぐに来た。
『やっぱり』
『止めへんかったやん』
『問い合わせまでは止めません』
『見積もり来たら?』
少し間が空き、
『一緒に見ましょう』
と返ってきた。
優也はその一文を眺めながら、静かに笑った。
まだ車はない。
資金もない。
それどころか、メーカーが本当に日本仕様を作れるかどうかさえ確定していない。
それでも、ただの妄想だった“走る家”は、問い合わせ一通を境に、ほんの少しだけ現実側へ近づいた。
そして数日後。
優也のもとへ、RHEINHARD Mobilityの日本窓口を名乗る担当者から、一通の返信が届くことになる。
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