ep.24 走る家の条件
黒い石を返すための候補日を宮田に確認してもらっている間も、福山優也の頭から、電車の中で思いついた「移動できる家」という言葉は消えなかった。
翌日の仕事帰りも、優也は座席へ腰を下ろすなりスマートフォンを開いていた。前夜に保存した大型キャンピングカーの画像を眺め、関連する動画をいくつか開いては、車体の大きさや内装を見比べていく。普通のバンを改装した車中泊仕様から、トラックを土台にした大型モーターホーム、さらに何本もの大径タイヤを備えた海外のエクスペディションビークルまで、見始めると際限がなかった。
ただし、前夜とは少し違っていた。格好いい車を見つけて保存するだけではなく、自分が何を欲しいと思ったのかを考えながら見るようになっている。
昨夜のメモには、
『長距離でも疲れにくい』
『二人で寝られる』
『調査道具を積める』
『キッチン』
『トイレ』
『できればシャワー』
『どうせなら、ちょっと夢あるやつ』
とだけ書いてあった。
最後の一行は相変わらず曖昧だが、上から六つについては、奈良へ何度か通った経験から出てきたものだった。測定器やノート、懐中電灯、予備電池などを毎回まとめ、レンタカーへ積み込み、現地で動き回ったあと大阪へ戻る。今の程度なら大きな負担ではないものの、もし遠方へ一泊以上で出ることになれば、宿と車を別々に手配するより、生活できる車そのものを拠点にした方が動きやすい。
そこまでは理由として分かる。
問題は、画面へ流れてくる車を見ているうちに、必要性とは別の部分まで気になり始めることだった。
「これ、ええなぁ……」
思わず声が漏れ、慌てて周囲を見回す。幸い、帰宅時間帯の車内はそれなりに騒がしく、隣の乗客もイヤホンをしていたため、誰も気にしていない。
画面に映っているのは、砂地に停まった大型の四輪駆動キャンパーだった。居住部の側面には大きめの窓が並び、屋根にはソーラーパネルらしい設備が載っている。車高は高く、一般的なキャンピングカーより明らかに頑丈そうで、ただ寝泊まりするための車というより、長期間そこに暮らすための基地に近い。
優也は画像を保存しかけ、手を止めた。
「また見た目から入ってるやん」
自分で自分に突っ込み、代わりにメモを開く。
『欲しい理由と、欲しい装備を分ける』
そこまで入力したところで、昨日の真琴とのやり取りを思い出した。何かを調べる時は、確認できたことと推測を混ぜない。それなら車についても、「必要」と「欲しい」を一緒にしない方がいい。
優也はメモの下へ二つ見出しを作った。
『必要』
『できれば欲しい』
必要の方には、長距離移動、二人分の就寝場所、調査道具の収納、最低限の食事設備、トイレ、空調。できれば欲しい方には、シャワー、大きめの冷蔵庫、ゆっくり座れる場所、見た目、そして少し迷ってから『旅して楽しい』と書いた。
書き終えて眺めると、昨日よりかなり分かりやすくなった。
「これなら三浦さんにも見せられるか」
ちょうど宮田から候補日が届くのを待っているところでもある。次に真琴と会った時、奈良の予定を決めるついでに相談してみようと思い、その日はそれ以上深追いしなかった。
◇
数日後、二人は駅近くの喫茶店で顔を合わせた。
目的は奈良へ黒い石を返す日程の確認だった。宮田からは、昔この辺りで山仕事をしていた男性に話を聞けそうだという連絡も来ており、候補日を見比べた結果、二人の予定が合う日も一つ見つかった。
「じゃあ、この日でお願いしよか。俺、次の日も朝早いけど、夕方までに戻れたら問題ないし」
「私も大丈夫です。今回は石を返すのと、お話を聞くのが中心にしましょう。もし別の場所を案内できると言われても、時間と許可を確認してからです」
「分かってるって。山へ勝手に入らんし、その場の勢いで予定増やさん」
優也が先回りして答えると、真琴は少し笑った。
「最近、その説明を福山さんから先に言うようになりましたね」
「何回も言われたからな。学習してんねん」
「それは良いことです」
奈良の予定が決まると、優也はコーヒーへ手を伸ばしたものの、すぐには飲まず、少し迷ってからスマートフォンを取り出した。
「それで、もう一個相談あんねんけど」
「その言い方、ちょっと嫌な予感しますね」
「まだ何も買ってへんから安心して」
「『まだ』って付いてるのが余計に不安なんですけど」
優也は苦笑しながら、前夜に整理したメモを開いて真琴へ差し出した。
真琴は最初に『必要』『できれば欲しい』という見出しを読み、その下に並んだ項目へゆっくり視線を動かす。大型キャンピングカーの写真をいきなり見せるより先に条件を見せたのは正解だったらしく、すぐに否定されることはなかった。
「移動拠点の話、まだ考えてたんですね」
「むしろ昨日よりちゃんと考えた。いきなり海外のデカいやつ買うとかやなくて、俺らが何に使うなら意味あるんかなって」
「『俺ら』になってますけど、私も乗る前提なんですか?」
そう言われて初めて、優也は自分のメモが最初から二人で使う前提になっていることに気づいた。
「いや、その……調査行く時は三浦さん一緒やろ? 今のところ」
「今のところは、そうですね」
「なら二人分いるやん。寝る場所も別々でな。一個のベッドに二人って意味ちゃうで」
説明するほど妙な感じになり、真琴が小さく吹き出した。
「そこは分かってます。むしろ同じベッド一つしかない車を選んだら、私が止めます」
「そこ止めるんや」
「当然です。調査のあとくらい一人でちゃんと寝たいです」
「俺もや」
冗談めいたやり取りで空気がほぐれたところで、真琴はスマートフォンをテーブルの中央へ置き、メモをもう一度読み直した。
「使う理由は分かります。長距離を移動して、現地で記録をまとめられて、疲れたら休める。道具も載せたままにできるなら、確かに毎回の準備は楽になりますね。ただ、今書いてあるのは生活設備が中心なので、調査に使うならもう少し分けた方が良さそうです」
「例えば?」
「道具を安全に置ける場所と、生活用品を置く場所は分けたいです。黒い石みたいな借り物や試料を持ち帰る可能性があるなら、食べ物の隣に置くのは嫌ですし、測定器も走行中に転がったら困ります」
優也はすぐに納得した。自分一人で運ぶだけなら《収納》へ入れてしまう方法もあるが、それでは真琴が必要な時に取り出せない。二人で測定器や試料を扱う移動拠点にするなら、能力とは別に、置き場所が決まっていて、走行中も固定でき、必要なら施錠もできる物理的な収納があった方がいい。今までバッグやケースで分けていた物を、車そのものの中でも用途ごとに分ける必要があるのだと優也は理解した。
「ほな、調査用の収納は別やな。できれば鍵かかる方がええか」
「その方が安心です。それと、ノートやパソコンを広げられる机。今は喫茶店や貸し会議室で整理してますけど、現地で一度まとめられるなら便利だと思います」
「作業机か。それは要るな」
優也が項目を追加すると、真琴も自分のスマートフォンへ目を落としながら考える。
「電源も大事ですね。スマートフォンだけじゃなくて、測定器やパソコン、照明、冷蔵庫もありますし、車を止めたままでもある程度使えた方がいいです」
「発電か。ソーラー載ってるやつ多いよな」
「そこは後で方式を調べましょう。今は『停車中も生活と記録に困らない電源』くらいでいいと思います」
「なるほど。方式から決めたら、また見た目ええやつ選びそうやもんな」
「自覚あるんですね」
「最近はな」
優也は笑いながらメモを修正した。
生活のために必要なものと、調査を続けるために必要なものを分けると、車へ求める役割が少しずつ見えてくる。単に大きくて豪華ならいいわけではなく、二人が移動しても疲れにくく、現地で無理なく休め、記録を整理できて、道具や試料を安全に扱えることが重要だった。
そこへ優也が「キッチンは削らへんで」と念を押すと、真琴は笑いながら頷いた。
「削るつもりありません。長距離なら食事は大事ですし、冷蔵庫も必要だと思います。ただ、ものすごく大きい厨房まではいらないですよね」
「そこまでは言うてへん。二人分作れたらええし、レンジとIHくらいあれば十分ちゃうかな。冷蔵庫はちょっと大きい方が嬉しいけど」
「福山さん、冷たいビール入れる場所を確保したいだけでは?」
「それも生活や」
「はいはい」
笑われたが、優也は真顔で頷いた。
話は水回りへ移り、トイレは優先度が高いことで一致した。シャワーは短期間の旅ならなくても何とかなるが、山間部や連泊を考えるなら欲しい。水を積めば重量が増えることも分かるため、どの程度が現実的なのかは後で調べることにする。暖房と冷房については、冬の奈良で寒さを経験していることもあり、二人とも最初から必要条件に入れることへ迷いはなかった。
「こうして並べると、普通の車中泊車より家寄りやな」
優也が言うと、真琴はメモを眺めたまま頷く。
「でも、ただ豪華にしたいからじゃないですよね。調査で遠くへ行く可能性があるなら、ちゃんと寝られて、食べられて、体調を崩しにくい方がいいです。疲れた状態で判断する方が危ないですし」
「それ言われたら、快適装備も正当化できそうやな」
「福山さんがその言葉を拡大解釈しそうなのが怖いです」
「大丈夫やって。サウナ欲しいとか言わへんから」
「今、選択肢に入った顔しましたよね?」
「入ってへん、入ってへん」
優也が笑って手を振ると、真琴も呆れたように笑った。
しばらく話してから、真琴はメモの一番上へ戻った。
「あと、これ。『長距離でも疲れにくい』って、かなり大事だと思います」
「座席?」
「座席もですけど、運転そのものですね。大きい車になれば運転する人の負担も増えますし、福山さん一人しか運転できないなら、遠くへ行くほど休憩の取り方を考えないといけません」
「三浦さん免許持ってる?」
「普通免許はあります。でも、どの大きさまで運転できるかは別です」
「俺もそこちゃんと分かってへんな。今の免許でどこまで乗れるんやろ」
優也はその場で検索しようとしたが、真琴が軽く手を上げて止めた。
「今日は条件を決めるところまでにしません? 免許やサイズを調べ始めたら、たぶん福山さん、そのまま車種検索まで行きますよ」
「……行くと思う」
「でしょう?」
図星だったため、素直にスマートフォンを伏せる。
そこで真琴は、必要な装備とは別に『所有するための条件』という見出しを作ることを提案した。車の性能が理想的でも、日本で運転できない、置き場所がない、維持できないのであれば意味がない。
優也は新しい欄を作り、
『今の免許で運転できるか』
『日本の道路で無理がない大きさか』
『保管場所を確保できるか』
『整備できる場所があるか』
『購入費と維持費』
と入力した。
「急に現実的になったなぁ」
「ここが一番大事かもしれませんよ。海外の写真だけ見て『これがいい』って決めても、日本で使えなかったら終わりですから」
「せやな。買う買わん以前に、走られへんかったら意味ないもんな」
「それに、毎回出すのが大変すぎる車なら、調査どころか普通の旅行にも使わなくなります」
真琴が何気なく『普通の旅行』と言ったことで、優也は少しだけ笑った。
「やっぱり旅行にも使う前提なんや」
「使わないんですか? 調査のためだけにそんな大きい車を持つ方がもったいないです」
「俺もそう思ってた。せっかくなら温泉とか行きたいし、海も山もええし、何も調べん日があってもええよな」
「むしろ、そういう日の方が多いくらいでいいです。魔素を探すためだけに出掛けるようになったら、たぶん疲れますよ」
その言葉に、優也は納得した。
奈良へ行った時も、調査の合間に食事をし、景色を見て、温泉へ寄ったことがある。魔素のことは確かに気になるが、それだけで生活を埋め尽くしたいわけではない。もし車を持つなら、調査道具を積んで遠くへ行けるのと同じくらい、何も調べずに好きな場所へ泊まりに行けることも大事だった。
「ほな用途に『普通の旅』も入れとこ」
「はい。その方が福山さんらしいと思います」
優也は『旅と調査、どっちにも使える』と書き足した。
そこまで整理すると、最初のメモにあった『どうせなら、ちょっと夢あるやつ』だけが浮いて見える。真琴も気づいたらしく、そこを指で示した。
「これは、どうします?」
「消さん」
即答すると、真琴が笑った。
「そこだけは早いですね」
「必要条件ちゃうのは分かってる。でも毎回乗るなら、見た時に『これええな』って思える方がいい。便利やけど全然好きちゃう車より、乗りたくなる車の方が長く使うやろ」
真琴は少し考えたあと、意外にも否定しなかった。
「じゃあ『最後に選ぶ条件』にしましょう。安全とか使い勝手とか、現実的な条件を満たした候補の中で、最後に福山さんが好きだと思えるものを選ぶ」
「それええな。見た目が理由で必要条件削るのはなし。でも同じくらいなら、格好いい方」
「それなら私も止めません」
「よし」
優也は『夢あるやつ』を消さず、その横に『最後に選ぶ』と付け加えた。
気づけば、最初は数行だったメモがかなり長くなっている。それでも、欲しい装備を片っ端から足したという感じではなく、なぜ必要なのかが一つずつ見えるようになっていた。
真琴は一度画面全体を見直し、最後にもう一つだけ口を開く。
「福山さん自身の生活を壊さないことも条件に入れません?」
「生活?」
「車のために仕事を無理したり、維持することだけで余裕がなくなったりしたら、旅どころじゃないでしょう。大きい車ほどお金も掛かるでしょうし」
優也は少し黙った。
まだ価格を調べていないので現実味はないが、海外のエクスペディション車が安いはずはない。憧れだけで突っ走れば、手に入れたあとが苦しくなる可能性もある。
「せやな。買うこと自体が目的になったらあかんか」
「私はそう思います。使うために買うんですから」
優也は『持ち続けても無理がない』と一行追加した。
それは装備でも車体の条件でもないが、今日決めた中で一番重要な項目かもしれないと思った。
◇
喫茶店を出たあと、二人は駅まで少し遠回りして歩いた。
奈良へ行く日も決まり、車の話もひとまず条件整理まで終わっている。夕方の商店街には買い物帰りの人が多く、二人は人の流れを避けながら並んで歩いた。
「さっきの話してたら、普通に旅行行きたなってきたわ」
優也が言うと、真琴は笑いながら頷いた。
「私もです。車がなくても行けますけどね」
「それ言うたら終わるやん。今は夢持たせてや」
「否定してないですよ。ただ、車を手に入れるまで旅行しない、みたいにはしないでくださいね」
「せえへんよ。次の奈良も、早く終わったら何か食べて帰ろか」
「それくらいがちょうどいいです」
信号待ちで立ち止まり、優也はポケットからスマートフォンを出して今日のメモを開いた。最初に書いた七項目は、今では用途、生活、調査、運転、所有条件に分かれ、ずいぶん具体的になっている。
「三浦さんと話す前やったら、たぶん今頃『ソーラー何枚』『テレビ何インチ』とか調べてたわ」
「でしょうね。そのあと値段見て急に現実へ戻ってたと思います」
「ありそう」
「だから、まず何に使うのか分かっただけでも十分です」
信号が青へ変わり、二人は横断歩道を渡る。
駅が近づいたところで、真琴がふと尋ねた。
「でも福山さん、最初に見せてくれた海外の大きいやつ、かなり気に入ってましたよね?」
「バレた?」
「分かりやすかったです。画面見てる時、ちょっと嬉しそうでした」
優也は笑いながら頭を掻いた。
「格好ええやん。あんなデカいので山とか雪道とか走って、そのまま中で暮らせるって、男のロマンやと思わん?」
「男のロマンかどうかは分かりませんけど、秘密基地っぽいとは思いました」
「それや。秘密基地」
その言葉は妙にしっくりきた。
ただ寝るための車ではなく、必要な物を積み、食事ができ、風呂に入り、眠れて、調査の記録までまとめられる。外が雨でも雪でも、戻れば落ち着ける場所がある。それを自分たちの都合で移動させられるのなら、確かに秘密基地に近い。
「でも、秘密基地にするなら余計に現実を見ないと駄目ですよ」
「分かってるって。次はちゃんと調べる。日本でどこまでの大きさ走れるんか、免許どうなんか、値段どれくらいなんか」
「順番にお願いします」
「はいはい……じゃなくて、はい」
言い直した優也に、真琴が笑った。
改札前で別れる時、真琴は「調べすぎて夜更かししないでくださいね」と念を押し、優也は「今日は見るだけ」と答えた。その返事を信用しているのかいないのか、真琴は少し笑って手を振り、人混みの向こうへ消えていった。
◇
自宅へ戻った優也は、夕食と風呂を済ませてから、机の上へノートとスマートフォンを並べた。
真琴には「今日は見るだけ」と言ったものの、今夜の目的は車種探しではなく、喫茶店で作ったメモを整理することだった。画面だけでは全体を見にくいため、紙へ書き直しておきたかった。
ノートの新しいページを開き、一番上へ大きく書く。
『走る家の条件』
その下に、まず『用途』と書いた。
『旅と調査の両方に使える』
『二人が無理なく長距離移動できる』
『現地で休みながら記録を整理できる』
次に『生活』。
『別々に寝られる場所』
『キッチン・冷蔵庫』
『トイレ』
『できればシャワー』
『夏冬に使える空調』
『停車中も困らない電源』
さらに『調査』として、道具を固定できる収納、試料や借り物を生活用品から分けて保管できる場所、ノートやパソコンを広げられる机、通信手段を並べる。
最後に『現実』という見出しを作り、免許、車体サイズ、重量、保管場所、整備、購入費、維持費、そして『持ち続けても生活に無理がない』と書いた。
全体を眺めると、豪華な装備の願望というより、本当に小さな家の条件を考えているようだった。
「……そら車もデカなるわ」
優也は笑いながら椅子へ背中を預けた。
普通の乗用車へ全部を求めるのは無理があるし、一般的なバンコンでも条件によっては足りないかもしれない。一方で、大きくすればするほど日本の道路や駐車場所では不便になる。どこに線を引くかは、これから調べていくしかない。
そこまで考え、スマートフォンで画像検索を開く。
今度は格好いい車を探すためではなく、条件に近い車がどんな形になるのかを見るつもりだった。
最初に出てくるのは、バンを改装した比較的コンパクトなキャンピングカー。市街地では使いやすそうだが、二人分の就寝場所とトイレ、シャワー、調査スペースまで求めるとかなり窮屈に見える。もう少し大きなキャブコンになると居住性は上がるものの、道具と生活空間をきちんと分けられるかは車種次第だった。
さらに大型の車両へ進むと、今度は一気に家らしくなる。
固定ベッド、独立したシャワー、広いキッチン、大型冷蔵庫、発電設備、ソーラーパネル、大容量の水タンク。海外のエクスペディション車では、未舗装路を走るための四輪駆動や大径タイヤ、長期滞在を前提にした収納まで備えている。
優也は画面を見ながら、条件の横へ丸や三角を付けていった。
「やっぱ大きい方が条件は満たしやすい。でもデカすぎたら日本で使われへん、と」
当たり前のことだが、実際に見比べるとよく分かる。
広さだけなら大型が有利でも、道路や駐車場所で動けなければ「移動できる家」という目的そのものを失ってしまう。逆に小さすぎれば、移動は楽でも長期の滞在や調査には使いにくい。
優也は検索を閉じ、ノートの余白へ大きく一行書いた。
『大きければいい、ではない』
少し考え、その下へ、
『でも小さすぎるのも違う』
と続ける。
「一番むずいやつやん」
思わず笑った。
答えはまだないが、面白かった。必要なものを増やせば車は大きくなり、現実を考えれば小さくしたくなる。その間で、自分が本当に使える形を探していく。収納や魔素を調べる時とは違う種類の難しさだが、分からないものを一つずつ切り分けるという点では似ている。
優也は今まで保存してきた画像を見返した。
その中に、昨夜から何度も開いている一台がある。箱型の大きな居住部と高い車体、大径タイヤを備えた、海外のエクスペディションビークルだった。
日本の道路には大きすぎそうで、値段も想像したくない。現実的な候補かと聞かれれば、今の時点では違うと答えるしかない。
それでも、見ていると胸が少し高鳴る。
「こういう方向は好きなんよなぁ」
優也は画像を消さず、別のフォルダへ移した。名前は少し考えてから『参考・夢枠』にする。
「これなら三浦さんにも怒られへんやろ」
自分で言って笑う。
ノートの整理を終えた頃、真琴からメッセージが届いた。
『ちゃんと寝る準備してますか?』
時計を見ると、思っていたより遅い。
『今終わった。車は買ってへん』
すぐに既読が付き、
『そこは心配してません。まだ買える車も決めてないでしょう』
と返ってきた。
『条件まとめただけ。写真送るわ』
ノート全体が入るように撮影して送ると、少し間を置いてから返信が来る。
『思ったよりちゃんとしてます』
『思ったよりは余計や』
『でも、いいと思います。特に「持ち続けても生活に無理がない」は消さないでくださいね』
『分かってる。あと「夢枠」作った』
『嫌な予感しかしません』
優也は笑いながら、例の大型車の画像を一枚だけ送った。
『これ』
しばらくして、
『……大きい』
と返ってくる。
『格好ええやろ』
『格好いいとは思います。でも日本で走れるんですか?』
『それを次調べる』
『値段もですよ』
『それも』
『免許も』
『はい』
『保管場所も』
『はい』
そこで少し間が空き、
『じゃあ、まず現実を知るところからですね』
と届いた。
優也はその一文を見て、ノートの最後の余白へ同じ言葉を書いた。
『まず現実を知る』
ペンを置き、改めてページ全体を見る。
欲しい車はまだ決まっていない。大型がいいのか、もっと小さい方がいいのかも分からないし、日本でどの程度まで現実的なのかという基本的なことさえ、これから調べる段階である。
それでも、電車の中で何となく浮かんだ「移動できる家」は、少なくとも今夜、ぼんやりした憧れのままではなくなった。旅と調査の両方に使い、二人が無理なく動けて、現地で暮らすように休める場所。そのために必要なものと、あれば嬉しいもの、そして所有するなら避けて通れない現実的な条件まで、ようやく同じ紙の上に並んでいる。
優也はスマートフォンへ『今日はここまで。もう寝る』と送り、真琴から返ってきた安心したようなスタンプを見てから充電器へつないだ。
机の上のノートは閉じず、そのままにしておく。
明日の朝になっても、おそらく考えは変わらないだろう。格好いい大型車への憧れは残るし、できるなら広くて快適な方がいい。それでも、欲しい気持ちだけで決めるつもりはなかった。
まず、自分の免許で何が運転できるのか。
日本の道路や制度の中で、どの程度の大きさまで現実的なのか。
置き場所はあるのか。
維持するには、いくら掛かるのか。
そして、その条件を全部知ったあとでも、自分は「走る家」が欲しいと思うのか。
そこまで確かめてから次へ進めばいい。
優也は部屋の照明を落とし、寝室へ向かった。
◇
翌朝、出勤前にコーヒーを飲みながらノートを開くと、昨夜最後に書いた一行が最初に目へ入った。
『まず現実を知る』
優也はしばらくそれを眺め、消すどころか下へ線を一本引いた。
夢を見るだけなら、海外の巨大な車を眺めていればいい。しかし本当に使える一台を考えるなら、知らないことを調べるところから始めるしかない。免許も、寸法も、重量も、保管場所も、金額も、知らなければ選びようがない。
「よし。今日は仕事して、帰ってからやな」
そう呟いてノートを閉じる。
玄関で靴を履き、防寒着を羽織りながら、優也は自分が少し浮かれていることを自覚していた。けれど、勢いのまま何かを買おうとしているわけではなく、まず調べると決めたことで、むしろ落ち着いて楽しめている。
奈良では黒い石を返し、昔の山仕事について話を聞く予定がある。収納領域に残った魔素反応の確認も続いている。その一方で、調査とは別に、普通に旅をするための足としても使える「走る家」のことを考え始めた。
どちらか一つを選ぶ必要はなかった。
仕事を続けながら、休みの日に調べ、行きたい場所があれば出掛ける。分からないことがあれば真琴と相談し、現実的でなければ別の方法を考える。そのくらいの速度なら、自分にも合っている気がする。
優也はスマートフォンと財布をポケットへ入れ、玄関の扉を開けた。
外の空気はまだ冷たく、いつもの仕事へ向かう朝と何も変わらない。それでも頭の片隅には、昨夜ノートへ並べた条件と、大きなタイヤを備えた一台の画像が残っている。
「まず、どこまで日本で走れんねやろな」
小さく呟き、優也は駅へ向かって歩き出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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