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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第一章 一枚の皿から
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ep.2 入るもの、出るもの


 白い皿をテーブルの上に置いたまま、福山優也はしばらく動かなかった。


 何度見ても、そこにあるのはただの白い皿だ。縁には細かな擦れがあり、裏にはいつ付いたのかも覚えていない薄い傷がある。四枚セットで買った安物で、割れたところで同じような物を買えば済む程度の存在だったはずなのに、今はどうしても普通の食器には見えない。


 ついさっきまで、確かにこの皿は部屋のどこにもなかった。そして自分は、何もないはずの場所から、それを右手の上へ取り出した。


 勘違いだったと思いたい気持ちは残っている。仕事で疲れていたせいで、無意識に変な場所へ置いただけかもしれない。酒だって少し飲んだ。ただ、一度だけならそうやって無理やり日常の中へ押し込めることもできるが、もう一度同じことが起きたら、さすがに言い訳はできなくなる。


「……もう一回やったら、分かるか?」


 言葉にしてみると、少しだけ緊張した。


 それでも、怖さより好奇心の方が勝っている。


 優也は皿を両手で持ち上げ、最初に消えた時のことを思い返した。何か特別な動作をしたわけではないし、声に出して命令したわけでもない。ただスマートフォンに気を取られていて、気づいた時には手の中から消えていた。


 試しに、皿を見つめたまま小さく呟く。


「消えろ……?」


 何も起きない。


 皿は何事もなかったように両手の上に残り、優也は数秒待ったあと、自分でも可笑しくなって鼻で笑った。


「そら、そうか。呪文ちゃうもんな」


 では、何をしたのか。


 取り出した時は、目を閉じた先に皿の存在を感じた。暗闇の中に姿が浮かんだというより、そこにあることだけが分かったような感覚だった。そして「戻したい」と思った瞬間、右手に現れた。


 なら、その逆をやればいい。


 優也は皿そのものではなく、さっき感じた奇妙な場所を意識してみる。そこが本当に“場所”なのか、ただ頭の中にそう感じているだけなのかは分からない。それでも、自分の中に物をしまえる空間のような何かがあると考えながら、手の中の皿をそこへ移すイメージを浮かべた。


 次の瞬間、両手から重さが消えた。


「……え?」


 優也は思わず自分の手を見下ろした。


 今度は見失っていない。皿がそこにある状態から、何もない状態へ変わる瞬間を確かに見ていた。光も音もなく、霧のように薄くなったわけでもない。そこにあった物だけが、一瞬で抜き取られたように消えている。


「入った……のか?」


 半信半疑のまま目を閉じてみると、さっきよりもずっと簡単に皿の存在を感じ取れた。どこかへ落ちたわけでもなく、消滅したわけでもない。自分には見えない何かの中に、確かに置かれている。


「……おるな。いや、皿に“おる”って変やけど」


 そんなことを口にしながら、今度は右手を前へ出した。


 出す。


 そう意識する。


 すると、白い皿は何の前触れもなく手の上へ戻ってきた。指先に陶器の冷たさが伝わり、重さまでちゃんとある。


 優也はしばらく皿を眺めたあと、静かにテーブルへ戻した。


「……あかん。これは偶然ちゃうわ」


 そこまで認めてしまうと、今度は疑問が一気に増えた。


 何が入るのか。どのくらい大きな物までしまえるのか。重さに制限はあるのか。収納した物はどういう状態で保たれるのか。時間は普通に流れるのか、それとも止まるのか。そもそも、あの“中”にはどれくらいの容量があるのか――考え始めれば、試してみたいことはいくらでも出てくる。


「いきなり高いもんで試すんはアホやな」


 こういう時だけ妙に現実的なのが、自分でも少し可笑しかった。


 優也は台所へ向かい、ステンレス製のスプーンを一本持って戻る。仮に消えたまま戻らなくても、これなら大した損にはならない。


 スプーンへ指を触れ、先ほどと同じように“しまう”ことを意識すると、それも抵抗なく消えた。目を閉じれば、皿とは別にスプーンの存在まで感じ取れる。


 続けて箸を一本、空のペットボトル、ティッシュ箱と試してみるが、どれも結果は同じだった。


「小さい物だけってわけでもなさそうやな……」


 そうなると、次に確かめたいのは大きさだ。


 部屋の中を見回した末、目に留まったのは床に置いてある座椅子だった。ホームセンターで安く買った物で、かなり使い込んでいる。もし失敗しても諦めがつく。


「これ、いける?」


 座椅子の背もたれへ手を置き、全体を意識する。


 次の瞬間、座椅子は床から消えた。


挿絵(By みてみん)


 さっきまでそこにあったはずの物がなくなり、畳まれたラグの跡だけが残っている。小物とは違って視界から占める面積が大きかったぶん、その消え方はかなり異様だった。


「うわ……」


 分かっていても声が漏れる。


 目を閉じれば、皿、スプーン、箸、ペットボトル、ティッシュ箱、そして座椅子。それぞれが混ざったり重なったりすることなく、別々の物として存在していることが分かる。


 棚に並べているような感覚でもないし、床へ置いている感じでもない。ただ、何を入れたかが直感的に把握できる。


「収納……でええんかな?」


 ゲームや小説なら、“アイテムボックス”とか“ストレージ”とか、もっとそれらしい名前があるのかもしれない。だが、自分の身に起きている現象へそんな名前を付けると、急に現実感がなくなってしまう。


 ひとまず“収納”。


 それで十分だった。


 優也は座椅子を取り出そうと考え、元あった位置を思い浮かべる。すると、座椅子はほとんどずれることなく、元の場所へ戻ってきた。


「位置まで決められる?」


 気になって今度はもう一度収納し、少し横へずらした位置を意識して取り出してみる。すると今度は、思い描いた場所へ座椅子が現れた。


 優也は思わず腕を組んだ。


「……便利すぎん?」


 怖さが消えたわけではない。それでも、何度試しても同じ結果になると、未知の現象を見ているというより、新しい道具の使い方を覚えているような気分になってくる。


 ただ、次に思いついた疑問は少し重要だった。


「手で持ってなくてもいける?」


 スプーンをテーブルへ置き、今度は触れずに収納を意識してみる。


 何も起きない。


 視線を固定したまま何度か試したが、スプーンはそのまま残っていた。そこで指先を軽く触れさせ、同じように意識すると、今度はすぐに消える。


「接触は必要……っぽいな?」


 優也はスマートフォンを取り出し、メモアプリを開いた。


 こういう時だけ、普段から高性能なスマートフォンを使っていてよかった気がする。もっとも、今の実験に必要なのは処理速度でもカメラ性能でもないのだが、思いついたことをすぐ書き留められるだけでも役には立つ。


 画面の一番上へ、


『収納?』


 と入力し、その下へ分かったことを書いていった。


 触れている物は収納できるらしい。皿、スプーン、箸、ペットボトル、ティッシュ箱、座椅子までは成功。収納時に光や音はなく、中へ入れた物は感覚的に区別できる。取り出す場所もある程度指定可能。ただし、触れていない物は今のところ収納できない。


 そこまでまとめたところで、優也の指が止まる。


 次に頭へ浮かんだ疑問は、今までとは少し違った。


「……生き物は?」


 思わず口にした瞬間、さっきまでの好奇心が少しだけ引っ込んだ。


 虫でも捕まえて試せば結果は分かるかもしれない。しかし、もし収納した瞬間に死んだら後味が悪いし、そもそも生物を入れて安全な場所なのかも分からない。何でもかんでも試せばいいという話ではない。


「いや、これはやめとこ」


 優也はメモへ『生物は試さない』と追加した。


 知らないことは多いが、だからといって全部一晩で確認する必要もない。危なそうなものは後回し。それくらいの慎重さは残しておいた方がいい。


 次は重量だ。


 部屋の隅に、二リットルの水が六本入った段ボール箱が置いてある。全部で十二キロほど。座椅子よりずっと重い。


 優也は箱へ手を当て、収納を意識する。すると、それもあっさりと消えた。


 身体に重さは感じない。十二キロ分をどこかへ背負ったような感覚もなく、ただ“水の箱も中にある”と認識できるだけだ。


「重さ、こっちには掛からんのかな?」


 もし本当にそうなら、かなり便利だ。


 もちろん十二キロ程度で限界を判断するのは早いし、もっと重い物をいきなり試すつもりもない。優也はメモへ『収納中の重量は身体に感じない。限界不明』と付け加えた。


 そこで時計を見ると、午後九時を過ぎていた。


「……何時間やってんねん」


 少し試すだけのつもりが、いつの間にかずいぶん時間が経っている。


 明日も仕事だ。


 道路工事の交通誘導で寝不足は笑えない。反応が遅れれば、自分だけではなく他人まで危険に巻き込む。


「今日はここまでやな」


 そう決めて収納した物を戻そうとしたところで、最初の白い皿が目に入った。


 全ての始まりになった皿。


 優也はそれを手に取り、少し考える。


「……これだけ、朝まで入れとくか?」


 長時間収納した場合に何か変化が起きるのか。その確認にはちょうどいい。


 それなら温度も試せる。


 優也は冷蔵庫から未開封の小さなペットボトルを一本取り出し、手で持って冷たさを確かめてから収納した。


「朝までこの冷たさのままやったら、中では時間止まってるとか……ある?」


 自分で言ってから、少し笑ってしまう。


 昨日までなら、そんな話を真顔でする人間を見れば距離を取っていたかもしれない。それが今では、自分が一人暮らしの部屋で“異空間の時間経過”について考えている。


「人生、分からんもんやな……」


 シャワーを浴び、寝る準備を済ませても、収納のことは頭から離れなかった。


 ベッドへ横になり、先ほど作ったメモをもう一度読み返す。


『収納?』


 最初は仮につけただけの名前だったが、何度も使っているうちに妙にしっくりくるようになってきた。


「明日の朝になったら、全部夢でした……とかある?」


 もちろん返事はない。


 それでも目を閉じれば、白い皿とペットボトルの存在がはっきり分かる。夢の中だけの出来事なら、こんな感覚が残っているとは思えない。


 病院へ行くべきなのか、誰かに相談するべきなのかという考えも、一応は浮かんだ。


 だが、自分が真顔で説明している場面を想像すると、すぐに躊躇する。


「皿が消えて、頭ん中の変なところに入りました。出そうと思ったら出てきます……って?」


 そこまで言って、優也は小さく息を吐いた。


「そら、別の診察始まるわな」


 自分でも信じ難いことを、他人が簡単に信じてくれるとは思えない。


 今のところ身体に異常はない。頭痛も吐き気もなく、意識もはっきりしている。それなら、しばらくは自分で慎重に調べる方がいいだろう。


 危なそうなことはしない。


 分からないことを無理に試さない。


 そのくらいなら守れる。


 優也はスマートフォンを伏せ、部屋の照明を落とした。


 暗くなった天井を眺めていると、今度は能力そのものより、それを使った時のことが浮かび始める。


 買い物袋を持ち歩かなくていい。旅行の荷物も邪魔にならない。仕事で使う物だって入るかもしれないし、座椅子が入ったのなら、もっと大きな家具まで収納できる可能性もある。


「……いや、待て待て。考え出したら寝られへん」


 優也は布団を少し引き上げた。


 能力があろうがなかろうが、朝になれば普通に起きて、仕事へ行かなければならない。その当たり前の現実だけは、今のところ何も変わっていない。


 けれど眠りへ落ちる直前、ひとつだけ決めた。


 もし明日の朝、収納したペットボトルが今と同じ冷たさのまま出てきたら。


 その時は、もう少し本気でこの能力について調べてみよう。


 そう考えたところで、優也の意識はようやくゆっくりと眠りへ沈んでいった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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