ep.16 試験が終わったら
二月に入ると、真琴から届くメッセージの数は目に見えて減っていった。
理由は分かっている。医師国家試験が目前に迫り、これまで以上に勉強へ時間を使うようになったからだ。優也も自分から無理に連絡することはせず、魔素について思いついたことがあっても、すぐ送るのではなくスマートフォンのメモへ残すだけにしていた。
以前の自分なら、気になることがあれば相手の都合などあまり考えず、「これどう思う?」くらいは送っていたかもしれない。しかし今は、真琴が何年も積み重ねてきたものの最後にある試験なのだと思えば、自分の好奇心で邪魔をしたくなかった。
仕事を終えて帰宅し、一人で夕食を食べながら実験記録を整理する夜も増えた。
ただし、魔素反応のある試料を収納するような実験はしていない。自分自身に現れる反応についても一日一回程度の確認に留め、キーホルダーや三つの金属部品は透明な袋へ分けて保管している。
その代わり、優也は奈良の空き家について調べ始めていた。
親族から敷地への立ち入り許可は取れているものの、建物内部へ入ることは禁止されている。老朽化している可能性があり、床が抜けたり、屋根や壁の一部が崩れたりしてもおかしくないというのが理由だった。
「そこは無理して入る必要ないわな」
スマートフォンに送られてきた場所の情報を見ながら、優也は一人で頷いた。
許可されているのは敷地と納屋周辺、それに家財を一時的に置いていた場所までで、調査だからといって何でも自由に出来るわけではない。敷地を掘ったり、残されている物を勝手に持ち帰ったりするのも当然駄目だった。
それでも、現地へ行く意味は十分にある。
もし魔素反応が物そのものではなく、何らかの場所や環境と関係しているなら、優也の鑑定で敷地のどこかに同じ引っ掛かりを感じる可能性がある。逆に何も見つからなければ、それも一つの結果になる。
優也はその考えをメモへ残したあと、ふと真琴とのメッセージ画面を開いた。
最後のやり取りは昨日の夜だった。
『今日も勉強?』
『もちろんです』
『ちゃんと寝てる?』
『福山さんに言われたくないです』
『俺は最近ちゃんと寝てるで』
『私が止めてるからでしょう?』
『否定はしない』
そこから返信はない。
別に何か送る必要もなかったため、そのまま画面を閉じようとしたところで、優也は少し考えた。
『試験頑張ってな。返信いらんから』
それだけ送る。
数分後、既読がついた。
さらに少し経ってから、
『ありがとうございます。終わったら奈良ですね』
と返ってきた。
「返信いらん言うたのに」
口ではそう言いながら、優也は笑っていた。
◇
国家試験の日が近づくにつれ、真琴との連絡は本当に途切れた。
優也は仕事へ行き、道路工事の現場でいつも通り車両や歩行者を誘導し、帰宅すれば簡単な食事を作って風呂へ入り、その日の記録だけを確認して眠る。能力が現れる前と比べれば、やっていること自体はそれほど変わっていない。
違うのは、一日のどこかで真琴のことを思い出すようになったことだった。
今頃勉強しているのだろうか。もう寝ただろうか。試験前で緊張していないだろうか。
そこまで考えてから、優也は自分で少し呆れる。
「親か俺は」
とはいえ、連絡はしなかった。
試験当日の朝も、何か送ろうか一度迷ったものの、結局スマートフォンをポケットへ戻した。前日に応援の言葉は送っているし、今さら余計なことを言う必要もない。
その日はたまたま仕事だったため、考え続ける暇がなかったのはありがたかった。
昼休みになってスマートフォンを確認しても、真琴からの連絡は当然ない。午後も仕事へ戻り、夕方になって現場を離れる頃には、優也の方が妙に落ち着かなくなっていた。
「俺が受けてるわけちゃうのにな」
帰りの電車へ乗り、座席へ腰を下ろしたところでスマートフォンが震えた。
画面に表示された名前を見た瞬間、優也はすぐにメッセージを開く。
『終わりました』
続いて、
『疲れたーーー』
と、普段の真琴からは少し珍しい伸ばし方の文章が届いた。
優也は思わず笑う。
『お疲れさん。とりあえず今日は何も考えず休み』
『そうします』
『手応えは?』
送ってから、これは聞かない方がよかったかと思ったが、すぐに返事が来た。
『たぶん大丈夫です。でも結果を見るまでは分かりません』
『三浦さんがそう言うなら大丈夫そうやな』
『それ、根拠ないですよ』
『なんとなく』
『福山さんの「なんとなく」は最近信用できないんですよね』
『鑑定ちゃうわ』
久しぶりに続く軽いやり取りが、妙に懐かしく感じる。
しばらくして、真琴から次のメッセージが届いた。
『今週末、空いてます?』
優也は勤務予定を確認した。
『日曜なら休み』
『じゃあ、久しぶりに会いません? 奈良のこと決めたいです』
『もちろん』
そこまで打ってから、少し考えてもう一言付け足した。
『その前に試験お疲れ会でもする?』
返信が来るまで、少しだけ時間が空いた。
『それ、嬉しいです』
たったそれだけの返事だったが、優也はなぜかしばらく画面を見ていた。
◇
日曜日の昼過ぎ、二人は以前何度か使った大型書店の近くで待ち合わせた。
真琴はいつものように約束より少し早く来ており、優也を見つけると軽く手を振った。服装は白いニットにロングスカートという見慣れた雰囲気だったものの、国家試験前に会った時と比べると、どこか肩の力が抜けているように見える。
「お疲れさん」
「ありがとうございます」
「顔、ちょっと疲れてるで」
「試験終わった次の日、ほとんど寝てました」
「そらそうなるわ」
「でも今日は元気です」
二人は近くの飲食店へ入り、昼食を取ることにした。
優也としては試験のお疲れ会なのだから少しくらい奢るつもりだったが、真琴に「そんな大げさな店じゃなくていいです」と言われたため、結局は気軽に入れる洋食店へ落ち着いた。
「好きなん頼んでええで。今日は俺出すから」
メニューを開きながら優也が言うと、真琴が顔を上げる。
「いいですよ、自分で払います」
「今日は試験お疲れ会やろ。これくらい出させて」
「でも――」
「高級フレンチ連れて来て何万円も払う言うてるわけちゃうし」
「それはそれで困ります」
「やろ?」
真琴は少し迷ったあと、素直に笑った。
「じゃあ、ごちそうになります」
「はい」
「でも次は私が出しますね」
「そこは次になったら考えよ」
料理を待つ間、国家試験の話を少し聞いた。
真琴は細かな問題内容について長々と話すことはなく、緊張したことや、終わった瞬間に一気に疲れが出たことを笑いながら話している。優也には医学の試験そのものについて詳しいことは分からなかったが、彼女がそこへ辿り着くまで何年も勉強してきたことくらいは理解できる。
「六年プラス浪人一年やろ?」
「そうですね」
「七年か。長いなぁ」
「福山さん、中学卒業してすぐ働いてるなら、その間ずっと社会人ですよね」
「そう考えたら全然違う人生やな」
「本当に違いますね」
真琴はそう言ったあと、少し笑った。
「でも今、一緒に魔素調べてるんですよね」
「人生分からんな」
「ですね」
優也も笑った。
学歴も、育った家庭も、年齢も、今まで歩いてきた道もほとんど重ならない。それでも、一枚の白い皿をきっかけに出会い、今では誰にも話していない秘密を二人で追いかけている。
改めて考えると、不思議な関係だった。
料理を食べ終え、コーヒーが運ばれてきたところで、二人は本題へ入った。
「奈良の件なんですけど」
真琴がスマートフォンを取り出し、親族から許可された範囲を表示する。
「敷地と納屋の周囲、それから家財を一時的に置いてた場所までは見て大丈夫です。ただ、母屋には絶対入らないこと。残ってる物を動かす時も、壊さないようにしてほしいって」
「当然やな」
「あと、親族の方は現地には来ないそうです。片づけをした業者さんが、最初だけ場所を案内してくれるみたいです」
「それは助かるな。どの辺からあの金属が出たか聞けるかもしれん」
「私もそれ考えてました」
優也は画面の地図を見ながら、行き方を確認する。
場所は奈良県南部の山間部で、最寄りの駅から歩いて行けるような距離ではない。道路自体は近くまで通っているようだが、最後の区間は細くなるらしく、事前に周辺の状況を確認しておいた方がよさそうだった。
「車どうするかな」
「福山さん、車持ってるんですか?」
「今は持ってへん。仕事も電車で行ける現場多いし、必要な時はレンタカーで済ませてる」
「じゃあ今回もレンタカー?」
「その方が楽やろな。駅から借りて行けばええし」
そこで優也は真琴を見る。
「三浦さん、運転できる?」
「免許はありますよ」
「運転してる?」
「実家に帰った時にたまに」
「じゃあ基本俺が運転するわ」
「何でです?」
「山道で『たまに運転します』の人に任せるの怖いやろ」
「失礼ですね」
「安全第一や」
「警備員っぽいこと言いましたね」
「一応プロやで」
真琴が笑う。
日程は翌週の日曜日に決まった。
朝に大阪を出て奈良へ入り、現地で業者と合流する。調査は明るいうちだけにして、夕方までには山を下りる。危険そうな場所へ無理に近づかず、魔素反応があったとしてもその場で何度も収納実験はしない。
「最後のは福山さん向けです」
「分かってるわ」
「念押しです」
「はいはい」
「“はい”は一回」
「三浦先生、試験終わった途端元気やな」
「まだ結果出てませんけどね」
そう返した真琴の表情には、以前より少し余裕が戻っていた。
◇
店を出たあと、二人は駅まで少し遠回りして歩いた。
冬の空気はまだ冷たかったものの、真琴は試験から解放された反動なのか、いつもよりよく話していた。家族へ試験が終わったと連絡したところ、父からは「お疲れ」と短く返ってきたのに対し、母からは長文が届き、姉からは電話で「これで遊べるね」と言われたらしい。
「家族、ほんま仲ええな」
「うるさい時もありますけどね」
「うちは俺一人っ子やから、姉妹とかちょっと分からんわ」
「お姉ちゃん、自由ですよ。突然夜中に電話してきたりしますし」
「俳優やってる人ってそんな感じなん?」
「姉だけだと思います」
真琴が苦笑する。
「福山さんは、ご両親に私のこと話してるんですか?」
不意に聞かれ、優也の歩みがほんの少し遅くなった。
「何で?」
「なんとなくです」
「……話してないな。そもそも何て説明したらええん?」
「普通に知り合いでいいじゃないですか」
「二十四歳の医学部生の女性と知り合って、一緒に謎の現象調べてます?」
「後半はいりません」
「前半だけでも『どこで知り合ったん?』ってなるやろ」
「書店」
「それ言ったら余計何か勘繰られそう」
真琴が笑った。
優也も笑いながら歩いていたが、自分の両親へ真琴のことを話す場面を頭の中で想像していることに気づき、少しだけ妙な気分になった。
まだ、そんな関係ではない。
知り合って数か月も経っていないし、二人で会う理由の大半は実験だった。
ただ、それだけなら今日わざわざ試験のお疲れ会をする必要もなかったはずだし、真琴もそれを嬉しいとは言わなかっただろう。
優也はそこまで考えたところで、勝手に先へ進みそうになる思考を止めた。
魔素のことと同じだ。
まだ分からないものを、分かったことにしない。
「福山さん?」
「ん?」
「また何か考えてました?」
「いや。何でもない」
「怪しい」
「何でも鑑定しようとすんな」
「それ福山さんの方です」
二人で笑いながら駅へ向かう。
改札前に着いたところで、真琴がスマートフォンの予定を確認した。
「じゃあ、来週ですね」
「うん。奈良」
「やっと行けますね」
その言葉を聞いた瞬間、優也は少しだけ違和感を覚えた。
『調べられますね』ではなく、『行けますね』。
たったそれだけの違いだったが、なぜか耳に残った。
「楽しみなん?」
「そりゃ気になりますよ、魔素」
「そっちか」
「……他に何があるんですか?」
「いや、何でもない」
真琴が少し不思議そうな顔をする。
優也は誤魔化すように手を上げた。
「じゃ、来週な」
「はい。レンタカーの時間決まったら連絡してください」
「了解」
真琴が改札の向こうへ消えてからも、優也は少しだけその場に残っていた。
奈良で何が見つかるのかは分からない。魔素について何も新しい情報が得られず、ただ山の中まで行って帰ってくるだけになる可能性も十分にある。
それでも、以前なら結果が出ない可能性のある遠出を面倒に感じていたはずなのに、今回は不思議とそう思わなかった。知らない場所へ行き、二人で何かを探し、その途中でくだらない話でもしながら帰ってくる。それだけでも悪くないように思えている。
優也は歩き出しながら、自分の変化を少しだけ可笑しく感じた。
白い皿が消えたことで始まったのは、収納や鑑定の実験だけではなかったのかもしれない。
ただ、その答えまで急いで出す必要はない。
来週には、まず奈良が待っている。
優也はそう考えながら、人の流れに混じって駅のホームへ向かった。
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