ep.15 名前を与えたもの
『仮称・魔素』という言葉を使い始めた翌日の夜、福山優也は仕事から帰ると、着替えを済ませてからいつものテーブルへ座った。
目の前には、透明な樹脂の中へ錆びた金属片が封じ込められたキーホルダーと、古道具店で買った三つの金属部品が並んでいる。真琴からは「一人で無茶な実験はしないでください」と念を押されているため、今日は収納を使うつもりはなく、ただ今までと同じ条件で鑑定結果を確認するだけにするつもりだった。
「さて……名前付けたからって、別に何か変わるわけちゃうよな」
自分で口にしてから、キーホルダーへ指を触れる。
これまでなら、最初にアクリル樹脂や金属の材質が伝わってきて、その奥に『未定義反応』という曖昧な情報が続いていた。優也は余計な期待をしないよう、昨日までと同じように「この物に普通ではない反応があるか」と意識を向ける。
すぐに、頭の奥へ情報が浮かんだ。
『アクリル樹脂。鉄系合金。経年劣化あり』
そこまでは変わらない。
さらに奥へ意識を向けると、続いて現れた情報を見た瞬間、優也は眉を寄せた。
『魔素反応――微弱』
「……いやいや、待て待て」
一度手を離し、キーホルダーを見つめる。
昨日まで『未定義反応』だったものが、たった一日で『魔素反応』へ変わっている。
「お前、そんな素直に名前変わるん?」
もちろんキーホルダーが答えるはずもない。
優也は少し考え、今度は黒ずんだ金属片へ触れて同じことを試した。こちらも材質や腐食状態に続いて、『魔素反応――微弱』という情報が自然に浮かんでくる。
古い鍵も、留め具も同じだった。
「……これ、魔素って確定したわけちゃうよな?」
真琴がいれば真っ先にそう言うだろう。
昨日二人で決めたのは、あくまで毎回『未定義反応』と呼ぶのが面倒だから付けた仮称であって、正体が魔力や未知の粒子だと証明されたわけではない。それなのに鑑定側が当然のように呼び名を採用したとなれば、別の意味で気になる。
優也はスマートフォンを取り出した。
『ちょっと変なこと起きた』
送ると、五分ほどして真琴から返信が届いた。
『今、勉強中なので怖い書き出しやめてください。何ですか?』
優也は思わず笑いながら、
『昨日まで「未定義反応」だったのが、今鑑定したら「魔素反応」になってる』
と送った。
既読がついたあと、しばらく返事が来ない。
「考えてるな、これ」
予想通り、数分後に届いた返信は少し長かった。
『それ、むしろ重要かもしれません。鑑定が未知のものを客観的な名前で表示してるんじゃなくて、福山さんが理解できる概念へ置き換えてる可能性があります』
「……やっぱそっちか」
優也も同じことを考え始めていた。
『つまり本当に魔素って名前なわけじゃない?』
『そうです。たとえば外国語を自動翻訳して読んでるような感じかもしれませんし、もっと単純に福山さん自身が「これは魔素って呼ぶ」と決めたから、その言葉で認識するようになっただけかもしれません』
『じゃあ鑑定って、答えそのものを見せてるわけじゃない?』
今度の返信は早かった。
『そこはまだ分かりません。ただ、少なくとも「表示された言葉=自然界での正式名称」だと思わない方がよさそうです』
「なるほどなぁ……」
優也は椅子の背へ身体を預けた。
これまで鑑定で得た情報を、かなり素直に受け取っていた。ステンレスならステンレス、電源基板なら電源基板、USBメモリなら記録媒体。それらは後から確認できたため、鑑定が教えてくれる言葉そのものに疑問を持つ必要がなかった。
しかし今回の『魔素』は違う。
二人が昨日作った言葉を、そのまま鑑定が使い始めた。
能力が何か外部のデータベースを読み取っているのか、それとも優也自身の知識や認識を利用して情報を組み立てているのか。それすら分からなくなってきた。
『これ、鑑定の方もちゃんと調べなあかんな』
『最初からそう言ってます』
『言ってたっけ?』
『言ってました』
『覚えてない』
『でしょうね』
最後に呆れた顔のスタンプが送られてきた。
優也は笑いながらスマートフォンを置き、キーホルダーを透明な袋へ戻す。今日のところはそれ以上試さず、『呼称を決めた翌日から鑑定表示が「魔素反応」に変化』と記録だけを残した。
名前を付けたことで謎が一つ減ったどころか、むしろ鑑定そのものについて新しい疑問が増えてしまった。
それでも優也は、その状況を嫌だとは思わなかった。
分からないことが増えるたびに、次に何を確かめればいいのかが見えてくる。それが最近では少し楽しくなっている。
◇
数日後、古道具店の店主から真琴を通じて連絡が入った。
例の三つの金属部品がどこから来た物なのか気になっていると伝えていたところ、店主が仕入れ記録を調べてくれたらしい。古い家の片づけを請け負った業者の名前が分かり、事情を説明して問い合わせてみると、さらに当時の記録が残っていた。
仕事の休憩中に真琴から送られてきたメッセージを読みながら、優也は思わず背筋を伸ばした。
『分かりました。奈良県南部の山間部にあった古い民家です。去年、所有者が亡くなって空き家になったあと、親族から依頼を受けた業者が家財を整理したみたいです』
『住所まで分かる?』
『詳しい場所は今確認してもらってます。ただ、その家自体はもう人が住んでないそうです』
『行けそう?』
送信してから、優也は自分でも少し早かったと思った。
案の定、すぐに返ってきた。
『福山さん』
『はい』
『私の国家試験』
『覚えてます』
『本当に?』
『先に一人で行くなって話やろ』
『分かってるなら大丈夫です』
優也は苦笑しながらスマートフォンをポケットへ戻した。
正直なところ、場所が分かれば次の休みにでも行ってみたい気持ちはある。魔素らしき反応を持つ物が複数出てきた家なら、現地にはもっと強い反応が残っているかもしれないし、なぜ古い金属だけに付着していたのかを確かめられる可能性もある。
ただ、真琴と一緒に調べると約束した以上、勝手に行くつもりはなかった。
それに国家試験が近い今、何度も実験へ付き合わせるのも違う。
「まあ、逃げるもんでもないやろ」
そう考えて仕事へ戻った。
◇
その週末、二人は直接会わなかった。
真琴から『今週は勉強に集中します』と連絡が来ており、優也も『それがええ』と返した。秘密を共有してから毎週のように顔を合わせていたため、会わない週末が少し久しぶりに感じられたものの、だからといって暇になったわけではない。
むしろ優也には、今まで後回しにしていたことが山ほどあった。
まず、これまでの実験記録を整理する。
収納については、接触が必要であること、複数の物を同時に入れられること、収納中は時間がほぼ停止しているように見えること、重量を身体へ感じないこと。鑑定については、接触時の方が情報量が多く、非接触では距離や集中状態によって精度が変化すること、そして今回新たに『表示される言葉が優也自身の認識に影響される可能性』が加わった。
魔素についてはまだ分からないことばかりだった。
優也自身には普段から極微量の反応があり、魔素反応のある物を収納すると一時的に反応が強くなる。その一方で、収納された試料側の反応は弱まる傾向があり、普通の白い皿を収納しただけでは優也側に変化がない。
こうして一覧にすると、数週間前には想像もしていなかった内容ばかりが並んでいる。
「……我ながら意味分からんな」
優也はコーヒーを飲みながら画面を眺めた。
そこへ真琴からメッセージが届く。
『勉強の休憩中。何してます?』
『実験記録まとめてる』
『珍しい』
『失礼やな』
『ちゃんと続いてるのが』
『もっと失礼や』
笑いながら返信したあと、優也は整理した一覧のスクリーンショットを送った。
数分後、
『見やすくなってますね』
と返ってくる。
『三浦先生に鍛えられたから』
『だからまだ医者じゃないです』
『いつまでそれ言うん?』
『福山さんが言わなくなるまでです』
そんな他愛もないやり取りをしていると、続けて別のメッセージが届いた。
『ところで、片づけ業者から住所の件、返事来ました』
優也の指が止まる。
『どこ?』
『奈良県南部。かなり山側です。詳しい住所も教えてもらえましたけど、今は空き家で、敷地は相続した親族の所有になってます』
『勝手に入ったらあかんな』
『当然です』
『分かってるって』
『福山さん、先にそこ言うかなと思って』
「ほんま信用ないな」
口ではそう言いながら、優也もその点は気になっていた。
空き家だからといって自由に入っていいわけではない。敷地も建物も誰かの所有物であり、山の中だから人目が少ないという理由で勝手に調べるつもりもなかった。
『親族には連絡取れるん?』
『業者さん経由なら確認してもらえるそうです。ただ、「何を調べたいのか」は説明が必要になると思います』
そこが難しい。
まさか『その家から出てきた古い金属に魔素という仮称の未知反応が付いていたので調べたい』とは言えない。
『大学の研究とか言ったら?』
送ってから、優也はすぐにもう一通送った。
『いや、それは嘘になるか』
真琴からの返事も同じだった。
『大学名を使うのは駄目です。正式な研究じゃないので』
『やっぱそうやんな』
『普通に「古い金属部品の由来を調べていて、家財があった場所を見せてもらいたい」くらいでしょうか。断られたら諦めるしかないです』
『それでいこう』
数分後、真琴から『業者さんへお願いしておきます』と送られてきた。
優也はスマートフォンを置き、椅子の背へ身体を預けた。
数週間前まで、何かを調べたいと思えば自分一人で勝手に動いていた。誰かへ許可を取る必要があるなら面倒になって諦めることもあっただろうし、興味が勝てば先に見に行っていたかもしれない。
ところが今は、真琴と相談しながら一つずつ進めている。
「……俺、だいぶ真面目になったんちゃう?」
誰もいない部屋で呟き、自分で少し笑った。
◇
それから数日後、仕事を終えて帰宅途中の電車に乗っていた優也のスマートフォンが震えた。何気なく画面を確認すると、表示されていたのは真琴の名前で、その下には短い文章が一つだけ届いている。
『許可、取れました』
優也は一瞬意味を理解するのが遅れ、画面を二度見してからすぐに返信した。
『マジで?』
『はい。家の中は危険だから駄目ですけど、敷地内と、業者さんが家財を運び出した納屋の周辺なら見てもいいそうです。親族の方も、何か価値のある物が見つかったのかと思ってるみたいです』
『価値あるかは分からんけどな』
『そこはちゃんと説明しました。古い金属の状態を調べたいだけで、金銭的価値があるとは限らないって』
『さすが』
そこまでやり取りしたところで、真琴からもう一通届いた。
『ただし』
その二文字を見た瞬間、優也は何となく続きが想像できた。
『行くのは国家試験が終わってからです』
予想通りの内容に、優也は思わず笑う。
『分かってるって』
『本当に?』
『一人で先に行きません』
『よし』
『やっぱ保護者やん』
『誰のせいですか』
そこでやり取りはいったん途切れ、優也はスマートフォンをポケットへ戻した。
窓の外では、冬の大阪の街並みが流れている。ビルの灯りや住宅街の明かりが車窓を横切っていくその向こうに、今はまだ見えない奈良の山があるのだと思うと、自然とこれまでの出来事が頭の中へ浮かんできた。
古い家から持ち出された金属部品には、二人が仮に『魔素』と呼び始めた未知の反応が残っていた。その反応は収納へ入れると弱まり、代わりに優也自身から一時的に強く検出されることがある。そして、その優也にはそもそも収納や鑑定という、今のところ科学では説明できない力が備わっている。
最初は一枚の白い皿が消えただけだった。
それを面白半分に試しているうちに鑑定が見つかり、鑑定を確かめるために真琴と知り合い、さらに二人で調べ始めたことで魔素という新しい謎に辿り着いた。今では、それぞれ別の出来事だと思っていたものが少しずつ同じ方向へつながり始めているように見える。
もちろん、本当につながっていると決まったわけではない。
そこまで考えたところで、優也は自分で少し笑った。
「……三浦さんに言ったら、また『まだ決めつけないでください』って言われそうやな」
頭の中には、少し呆れた顔でそう返してくる真琴の姿まで簡単に浮かんでくる。
以前の優也なら、分からないことがあれば早く答えだけを知りたいと思っていただろう。気になれば自分一人で確かめ、結果が出ればそれで満足する。ところが今は、仮説を立て、真琴に否定され、別の可能性を考え、また二人で確かめるという遠回りそのものを楽しみ始めていた。
奈良へ行きたい理由も、最初は魔素の正体を知りたいからだったはずだ。
それは今も変わっていない。
ただ、真琴から『一緒に調べたい』と言われた時に感じた嬉しさを思い出すと、もう理由はそれだけではないのだろう。
優也自身は、まだその気持ちへはっきりした名前を付けるつもりはなかった。
けれど、奈良へ向かう日を待ち遠しいと思う理由の中に、未知の現象だけではなく、隣で一緒に考えてくれる一人の女性が含まれ始めていることくらいは、そろそろ認めてもよさそうだった。
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