ep.14 仮称・魔素
貸し会議室での実験を終えて自宅へ戻った福山優也は、玄関の扉を閉めると、靴を脱ぐより先に三浦真琴へ『着いた』とメッセージを送った。
駅で別れる直前まで何度も体調を確認されていた以上、連絡を忘れれば余計な心配を掛けるのは分かっている。送信してから上着を脱いでいると、まだ数分も経っていないのにスマートフォンが震えた。
『体調、本当に変わりないですか?』
「まだ聞くんかい」
思わず笑いながら、『変わりなし。頭痛も吐き気もめまいもなし』と返す。少し考えて『約束通り今日は能力使わん』まで付け足すと、今度は安心したようなスタンプが送られてきた。
自分より二十歳ほど年下の女性にここまで念を押されるのは何とも言えない気分だったが、不思議と鬱陶しいとは思わなかった。むしろ一人で実験していた頃なら、気になったことをその日のうちに確かめようとして、今頃キーホルダーや金属片を何度も収納していた可能性が高い。
優也はバッグから試料の入った袋を取り出したものの、約束通り中身には触れず、棚の上へ置いた。
「今日は終わり。明日や、明日」
自分へ言い聞かせてから夕食の準備を始める。
それでも、頭の中まで止めることはできなかった。
黒ずんだ金属片を収納した後、自分自身を鑑定すると現れた『未定義反応――極微量』という情報。それが本当に金属片から移ったものなのか、それとも以前から自分の中に存在していたのに、今まで気づいていなかっただけなのか。
考えれば考えるほど、どちらもあり得るように思えた。
以前、自分を鑑定した時に確認したのは名前や年齢、身体の疲労状態であって、『未定義の何かが存在するか』などと考えたことは一度もない。鑑定が質問に応じて情報を返しているのなら、聞いていなかった情報が表示されなかったとしても不思議ではなかった。
「……それやったら、前からあった可能性もあるんか」
鍋を火に掛けながら呟いたところで、優也はすぐに首を振った。
「いや、今日は考えるだけ。試すなよ、俺」
自分の性格を一番信用できないのは自分自身だった。
◇
翌朝、目を覚ました優也は、まず身体の状態を確かめた。
頭痛もない。吐き気やめまいもなく、手足に違和感があるわけでもない。睡眠時間も普段通りで、むしろ休日の朝としてはよく眠れた方だった。
スマートフォンを見ると、真琴からすでにメッセージが届いている。
『おはようございます。起きて体調に問題がなければ、一度だけ昨日と同じ条件で自分を確認してみてもいいと思います。何回もやらないでくださいね』
「先回りされてるやん」
優也はベッドの上で笑った。
『今からやる』
そう返してリビングへ移動し、椅子へ座ってから左手で右手首を握る。昨日と同じように、まずは身体の状態を知ろうと意識すると、名前と年齢、軽度の疲労など、見慣れ始めた情報が浮かんできた。
そこから意識を変え、自分の中に昨日感じた“知らないもの”があるかを探る。
少し待ったところで、頭の奥へ例の引っ掛かりが現れた。
『未定義反応――極微量』
「……残ってるな」
昨日と大きく変わった感じはない。
優也は結果だけを書き留め、それ以上深く調べずに真琴へ送った。
『昨日と同じ。極微量。体調は普通』
しばらくして返信が来る。
『ということは「昨日の金属から移った」とはまだ言えませんね』
『なんで?』
『前に自分を鑑定した時、未定義反応が無いことを確認したわけじゃないですよね?』
その文章を見て、優也は昨夜自分が考えていたことと同じだと気づいた。
『俺もそれ思ってた』
『ですよね。福山さんの鑑定って、知りたいことによって出てくる情報が変わるんでしょう? だったら以前表示されなかった=存在していなかった、にはならないと思います』
「やっぱそうなるよな」
以前なら、新しい情報が出た瞬間に「金属から俺へ移った」と決めつけていたかもしれない。だが今は、真琴と実験を重ねてきたおかげで、面白そうな答えへ飛びつく前に他の可能性を考えられるようになってきた。
『じゃあ、どうやって確かめる?』
送ると、しばらく間が空いた。
数分後、かなり長い返信が届く。
『まず福山さん自身の反応を何回か別の日に確認して、普段どの程度なのか基準を作りたいです。その上で、普通の物を収納した場合と、未定義反応がある物を収納した場合を比べれば、少なくとも変化があるかは見やすくなると思います。ただし未知のものなので、一度に何回もやるのは無しで』
最後に念押しするあたりが真琴らしい。
『了解、先生』
『まだ医者じゃありません』
『昨日も聞いた』
『だったら覚えてください』
朝から少し笑いながらスマートフォンを置いた。
◇
それから数日間、優也は仕事と日常生活を普段通り続けながら、一日一度だけ自分自身の未定義反応を確認した。
結果は毎回ほとんど同じだった。
『極微量』。
仕事で疲れている日も、休日の朝も変わらない。感覚的な強弱は多少あるような気もしたが、それが本当に変化しているのか、単に優也の集中力の差なのかは分からなかった。
真琴とは毎日長時間やり取りするわけではないものの、夜になると実験結果を送り、その合間に仕事や国家試験の勉強について短いやり取りをすることが増えていた。
『今日も極微量』
『了解です。体調は?』
『普通。三浦さんは?』
『模試で疲れました』
『そっちの方が重症そうやな』
『失礼ですね』
そんな何でもない会話まで混じるようになったのは、優也にとって少し新鮮だった。
以前なら仕事が終わって帰宅すれば、食事をしながら動画を見るか、適当にテレビをつけ、そのまま一日が終わることも珍しくなかった。両親や職場の人間と連絡を取ることはあっても、日々の小さな出来事を誰かへ送る習慣はほとんどない。
真琴とのやり取りが増えたからといって生活そのものが大きく変わったわけではないが、帰宅してスマートフォンを確認する回数だけは明らかに増えていた。
そして次の日曜日、二人は再び前回使った貸し会議室へ集まった。
「ここ、すっかり実験室みたいになってきましたね」
真琴はそう言いながらテーブルへノートを置いた。
「毎回借りる金も地味に掛かるけどな」
「じゃあ福山さんの家でやります?」
あまりに普通の調子で言われ、優也は一瞬返事に詰まった。
「……いや、それはそれで俺が気ぃ遣う」
「何でです?」
「二十四歳の女性を四十四歳のおっさんの一人暮らしの部屋に呼ぶって、普通ちょっと考えるやろ」
真琴は数秒考えてから、小さく笑った。
「そういうところはちゃんと気にするんですね」
「“そういうところは”って何や」
「いえ、別に」
真琴は楽しそうにノートを開き、話を実験へ戻した。
今日の目的は、未定義反応が優也の中で変化する条件を調べることだった。
最初に、何もしていない状態で優也自身を鑑定する。
『未定義反応――極微量』
ここ数日と同じ結果だった。
「基準は今日も極微量ですね」
「うん」
「じゃあ最初は、反応のない普通の物を収納してみましょう。それで福山さん側に変化がなければ、収納を使うだけで増えるわけではない可能性が高くなります」
実験に使ったのは、あの白い皿だった。
真琴が見守る前で、優也は皿を収納してすぐに取り出す。最初に真琴へ見せた時ほどの驚きはなくなったとはいえ、皿が音もなく消えて再び現れる瞬間には、彼女の目が今でも僅かに大きくなる。
「何回見ても変ですね」
「やってる俺も変やと思ってる」
皿を戻したあと、自分自身を鑑定してみる。
『未定義反応――極微量』
「変わらんな」
「念のため、十分くらい置いてもう一度だけ確認しましょう。その間、収納は使わないでください」
待ち時間には、皿そのものへ未定義反応がないことも確認した。
十数分後にもう一度優也を調べても、結果は同じだった。
「少なくとも、普通の物を一度収納しただけでは変化なしですね」
「じゃあ次、反応あるやつ?」
「一番弱い試料を使いましょう」
真琴が取り出したのは、古道具店で購入した小さな留め具だった。
前回、優也が三か四程度と評価したもので、キーホルダーや黒ずんだ金属片より明らかに反応は弱い。それでも鑑定すれば、材質や腐食の情報とは別に『未定義反応――微弱』という引っ掛かりがある。
「今の感覚、数字にすると?」
「三くらいかな。前とそんな変わってないと思う」
「分かりました。収納は一回だけにしましょう」
「了解」
優也は留め具へ指を触れ、収納する。
小さな金属部品がテーブルから消えた瞬間、昨日まで何度も経験してきた、あの独特の感覚が現れる。収納空間の中では金属そのものとは別に、未定義反応だけが周囲から切り離されたように分かりやすくなっていた。
「やっぱり、中に入れるとはっきりする」
「前と同じですね」
「うん」
「じゃあ出してください」
留め具を取り出し、まず試料側を鑑定する。
優也は少し眉を寄せた。
「弱くなってる」
「どのくらい?」
「三やったのが……二くらい」
真琴がノートへ数字を書き込む。
「次、福山さん自身」
優也は右手首を握り、自分へ意識を向けた。
名前、年齢、疲労状態。
そこから未定義反応を探る。
今度は、いつもより少し早く感覚が返ってきた。
『未定義反応――微量』
「……上がった」
真琴のペンが止まる。
「極微量じゃなくて?」
「微量。少なくとも、さっきよりははっきり分かる」
「体調は?」
「何ともない」
「本当に?」
「ほんまに普通」
真琴は優也の顔色を見てから、腕時計で時間を確認した。
「じゃあ、もう能力は使わずに待ちましょう。三十分後に一回だけ確認します」
「このまま下がったら、入れた時だけ俺に移ってる可能性が上がる?」
「可能性は上がりますけど、“移ってる”とまではまだ言えないです。収納を使った刺激で福山さん側の反応が一時的に強くなっただけかもしれないし、試料側が弱くなったのも測定誤差かもしれません」
「慎重やなぁ」
「福山さんがすぐ結論出したがるからです」
「否定できん」
待っている三十分の間、二人は実験とは関係のない話をしていた。
真琴の国家試験が近づいていること。試験が終わったら少しゆっくりしたいこと。優也はその話を聞きながら、「こんなこと付き合わせて大丈夫なん?」と尋ねたが、真琴は息抜きになっているから問題ないと笑った。
「むしろ、こんな謎を見せられて勉強だけしろって言われる方が無理ですよ」
「国家試験落ちたら俺のせいみたいやから勘弁してや」
「そこまで時間使ってませんって」
「ならええけど」
「ちゃんと受かりますから」
その言い方に迷いがなかったため、優也は自然に笑った。
「自信あるんやな」
「不安はありますよ。でも、それとやることは別なので」
「……真面目やなぁ」
「福山さんが自由すぎるんです」
「俺は俺でちゃんと生きてるで?」
「それは知ってます」
さらりと返された言葉に、優也は少しだけ黙った。
自分の仕事や学歴を真琴へ話した時もそうだったが、彼女は慰めるような言い方をしない。ただ、そのままの事実として受け止める。それが優也には妙に居心地よく感じられた。
やがて三十分が経つ。
「そろそろ確認しましょう」
優也は一度だけ自分自身を鑑定した。
『未定義反応――極微量』
「……戻った」
「元の状態?」
「たぶん。いつもの感じ」
真琴はすぐに時刻と結果を書き込んだ。
「じゃあ、少なくとも今日は、反応のある物を収納した直後だけ福山さん側の反応が強くなって、時間が経つと元に戻ったように見える。一方で試料の反応は弱くなったまま……」
「どこ行ったんやろな」
「そこなんですよね」
真琴はペンを置き、テーブルの上の留め具を見つめた。
「もし何かが本当に移動しているなら、福山さんへ一時的に入った後、消費されたのか、外へ出たのか、それとも私たちが測れない形に変わったのか。どれも今は分かりません」
「そもそも何か“物”が動いてるとも限らんしな」
「そうです。だから名前を付けるにしても、今のところ『未定義反応』以上の意味を持たせない方がいいと思います」
「でも、毎回それ言うの長ない?」
「長いですね」
二人とも少し考える。
優也が先に口を開いた。
「ゲームやったら魔力とか魔素とか言うやつやな」
真琴がじっと優也を見る。
「……それでいいんじゃないですか?」
「え?」
「仮の呼び名ですよ。『未定義反応』って毎回書くより分かりやすいですし、正式な物質名だと誤解しなければ」
「医学部生が魔素とか言うてええん?」
「福山さんが皿を消してる時点で、今さらじゃないですか」
「それはそうやけど」
真琴はノートの端へ小さく書き込んだ。
『仮称:魔素』
その横には、きちんと『正体不明。物質・エネルギー等の分類も未確定』と注記を添える。
「堅いな」
「大事です」
「じゃあ、とりあえず魔素で」
「仮称ですからね」
「分かってるって」
優也は少し笑いながら、テーブルに置かれた透明なキーホルダーへ目を向けた。
魔素。
口にしてみれば、あまりにもゲームや小説めいた響きだった。
数週間前なら、自分がそんな言葉を現実の現象に使う日が来るなど考えもしなかっただろう。しかし白い皿が消え、物の情報が分かるようになり、今では正体の分からない何かが古い金属へ付着している。
現実の方が、少しずつその言葉へ近づいてきているようにも思えた。
「でもさ」
優也がキーホルダーを見ながら言う。
「俺の収納とか鑑定も、これと関係あるんかな?」
真琴はすぐには答えなかった。
「可能性はあると思います。でも、まだ証拠はないです。福山さん自身に普段から極微量の反応があることと、魔素がある物を収納した時に反応が変化することくらいしか分かってないので」
「収納できる原因が魔素とか?」
「それも仮説の一つですね。ただ、逆かもしれません。福山さんが収納を使えるから、魔素に反応してる可能性もあります」
「卵が先か鶏が先かみたいな」
「そこまで単純でもないですけど、近いです」
「じゃあ結局、分からん」
「はい」
あっさり言われて、優也は笑った。
「でも前よりは進んだな」
「それは間違いないです」
真琴も笑い、ノートを閉じようとしたところで、ふと思い出したように手を止めた。
「福山さん」
「ん?」
「古道具屋さんが言ってた、奈良の家のことなんですけど」
「ああ」
「魔素が付いている三つが同じところから来た可能性があるなら、その場所を調べる価値はありそうですよね」
「俺も考えてた」
「店主さん、山の方って言ってましたよね」
「場所分からんって言ってたけどな」
「仕入れた業者が分かれば、辿れるかもしれません」
優也は少し考えてから、にやりと笑った。
「次、奈良か」
「まだ場所も分かってませんよ」
「分かったら行くやろ?」
真琴は呆れたような顔をしたものの、否定はしなかった。
「……国家試験が終わってからなら」
「そこは勉強優先でええよ」
「福山さん、一人で先に行ったりしないでくださいね」
「何で?」
「絶対、面白そうだと思ったら行くタイプだからです」
「信用ないなぁ」
「ありますよ」
真琴は少し笑ってから続けた。
「だから、一緒に調べたいんです」
その言葉に、優也は一瞬だけ返事を忘れた。
秘密を共有してから、まだそれほど時間は経っていない。それでもいつの間にか、これはもう自分一人の実験ではなくなっている。
「……ほな、待っとくわ」
「お願いします」
約束を交わしたところで、二人は試料とノートを片づけ始めた。
白い皿から始まり、『収納』『鑑定』と仮の名前をつけながら手探りで進んできた現象に、その日また一つ、新しい名前が加わった。
仮称――魔素。
その正体も、どこから来たのかも分からない。
けれど名前が付いたことで、二人が追いかけているものは、それまでよりほんの少しだけ輪郭を持ち始めていた。
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