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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第一章 一枚の皿から
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ep.13 見えないものを測る


 白い皿が二度目にテーブルの上へ戻ってきてからも、三浦真琴はしばらく何も言わなかった。


 驚いていないわけではない。むしろ、目の前で起きたことをどう受け止めればいいのか整理できず、先ほどまで皿が消えていた場所と、何事もなかったように置かれている白い皿を何度も見比べている。福山優也はそんな真琴を急かさず、スマートフォンに残してきた実験記録を開いたまま待っていた。


 やがて真琴は小さく息を吐き、テーブルの端に置いていた自分のノートを引き寄せた。


「……福山さん、一回整理していいですか?」


「もちろん。俺も未だに整理できてへんし」


「まず、この皿を消す現象を、福山さんは『収納』って呼んでるんですよね?」


「そう。正式名称とか分からんから、勝手にそう呼んでるだけやけど」


「消した物がどこにあるのかは分からない。でも、入っている物は何となく把握できて、取り出したいと思えば戻せる。しかも収納中は、少なくともキッチンタイマーや氷を使った実験では時間経過がほとんど確認できなかった」


 真琴は優也のスマートフォンを見ながら一つずつ確認し、その内容を自分のノートへ書き写していく。


「それと、今まで生き物は入れてない」


「入れてない。そこは怖いから、試す気もない」


「それは続けましょう。少なくとも、安全性が分からないうちは絶対に」


「そこは俺も賛成」


 真琴が真剣な顔で頷くのを見て、優也は少し安心した。


 目の前で説明のつかない現象を見せれば、もっと取り乱すか、逆に何でも試したがるかもしれないと思っていた。しかし真琴は驚きながらも、まず何が分かっていて何が分からないのかを分けようとしている。その姿勢は、これまで何度か一緒に実験してきた時と変わらなかった。


「あと、もう一つあるんですよね?」


 真琴が顔を上げる。


「もう一つ?」


「物の中身とか材質を当ててた方です。あれも『直感』じゃないんでしょう?」


「……やっぱそこも聞くよな」


「ここまで見せてもらって、そこだけ直感だとは思えません」


「まあ、そうやんな」


 優也は少し頭を掻いてから、これまで『鑑定?』と呼んでいた能力について説明した。


 物に触れ、何を知りたいのか意識すると、その材質や状態、場合によっては故障箇所などが頭の中へ情報として伝わってくること。最初は接触が必要だと思っていたものの、最近では目で見えている物なら、距離によって精度が落ちるとはいえ非接触でも使えることがある。ただし、何でも分かるわけではなく、自分に知識が足りなければ意味を理解できない場合もあり、答えそのものが返ってこないこともある。


 話を聞き終えた真琴は、少しだけ眉を寄せた。


「それで、USBメモリのデータが入ってないことまで分かったんですか?」


「そう」


「私が作った箱の中身も?」


「そう」


「……ずるくないですか、それ」


「何が?」


「試験で使えたら無敵じゃないですか」


「そういう使い方すんなって」


 思わぬ方向から来た言葉に、優也は笑ってしまった。


 真琴もつられて笑ったものの、すぐに表情を戻してノートへ『鑑定?』と書き込む。


「これも福山さんが付けた名前?」


「仮名。四十四のおっさんが家で『鑑定スキル』とか言ってるの、我ながらちょっと痛いやろ」


「今さらそこ気にします?」


「気にするわ」


「皿を異空間みたいなところへ消してる人が?」


「それとこれは別や」


 そんなやり取りを挟んだことで、部屋に残っていた緊張が少しだけ薄れた。


 ただ、真琴の目が再び真剣になったのは、優也がバッグから三つの古い金属部品と、例の透明なキーホルダーを取り出した時だった。


「で、問題はこっち」


「『未定義反応』ってやつですね」


「キーホルダーで最初に感じて、今日の古道具屋で三つ増えた。普通の鑑定やと鉄とか腐食とかは分かるんやけど、それとは別に何か引っ掛かる」


「その“何か”を、福山さんは直接感じてる?」


「感じてるって言ってええんかな……。見えてるわけでも、音が聞こえるわけでもない。ただ、そこに普通とは違うものがあるって分かる感じ」


「私には全然分かりません」


「やっぱり?」


 真琴はキーホルダーを手に取り、照明へかざしたり、裏返したりしてみたが、当然ながら見た目に変わったところはない。


「少なくとも肉眼では、普通のアクリル樹脂と金属片にしか見えません。私が触っても何も感じないです」


「俺も能力使わんかったら同じ」


「じゃあ、福山さんだけが検出できる何かがある……可能性がある、と」


「まだ“ある”って決めるのは早いやろ?」


 優也が言うと、真琴は少し驚いたように目を上げたあと、嬉しそうに笑った。


「ちゃんと慎重になりましたね」


「誰のせいやと思ってんねん」


「良い影響じゃないですか」


「まあ、それは認める」


 真琴はノートへ『現時点では存在未確認。優也のみ知覚』と書き、その横へ線を引いた。


「昨日、収納すると反応が変わったって言ってましたよね?」


「うん。キーホルダーを入れた時、外にある時より“何か”の輪郭がはっきりした。それで取り出したら、反応が少し弱くなった気がした」


「“気がした”なんですね」


「数値で測れへんからな。俺の感覚だけ」


「だったら、まずそこを出来るだけ記録しましょう。絶対的な数字にできなくても、同じ人が同じ条件で比較するなら意味はあります」


「例えば?」


「収納前の反応を十段階で評価して、取り出した直後と比べるとか。ただ、福山さんが結果を期待すると判断が変わる可能性があるので、本当はもっと客観的な測定方法が欲しいですけど」


「今のところ俺しか分からんもんな」


「そうなんですよね……」


 真琴は少し考えたあと、キーホルダーと三つの金属部品を横一列に並べた。


「じゃあ、今日は壊さない範囲で比較だけにしましょう。何度も収納して反応を消してしまう可能性があるなら、同じ物を何十回も使うのは避けたいです」


「俺もそう思ってた」


「まず四つ全部、今の反応の強さを福山さんの感覚で順位付けできます?」


 優也は一つずつ手に取り、鑑定を使ってみた。


 キーホルダーが一番強い。次が黒ずんだ金属片で、古い鍵と留め具はそれよりさらに弱く、二つの差はほとんど分からない。


「キーホルダーが一番。これを十としたら、黒いのが六くらい。鍵と留め具は三とか四かな」


「かなり主観的ですけど、最初の基準として残しましょう」


 真琴が数字を記録する。


 次にキーホルダーではなく、反応が中程度の黒ずんだ金属片を使うことになった。もし収納によって本当に反応が弱くなるなら、貴重そうなキーホルダーを最初から消耗させる必要はないという真琴の判断だった。


「じゃあ、入れます」


「お願いします」


 優也が金属片へ触れ、収納を意識すると、テーブルの上からそれが消えた。


 初めて皿を消した時ほどではないものの、真琴はやはり一瞬だけ目を見開く。すぐにノートへ視線を戻し、時刻を書き込んだ。


挿絵(By みてみん)


「収納の中では?」


「ある。普通に分かる」


「未定義反応は?」


 優也は意識を収納空間へ向けた。


 昨日キーホルダーで試した時と同じように、金属そのものとは別の何かが薄くまとわりついている。そして外に出ていた時より、その存在だけが妙にはっきり感じられた。


「……やっぱり、こっちの方が分かりやすい」


「強くなってる?」


「強くなるっていうより、周りと分かれて見える……いや、見えてへんけど。なんて説明したらええんやろ」


「ノイズが減る感じ?」


「あ、それ近いかも」


 真琴はすぐに『収納内では反応識別性が上昇? 強度増加とは断定しない』と書き込んだ。


「取り出してください」


「了解」


 金属片が再びテーブルへ戻る。


 優也はすぐに手へ取り、同じように鑑定を使った。


『鉄系合金。腐食あり。用途――不明』


 その奥にある違和感へ意識を向ける。


『未定義反応――微弱』


「……ちょっと弱い」


「どのくらい?」


「六やったのが、五くらい?」


「一回で?」


「たぶん。ただ、これくらいやと気のせいの範囲かもしれん」


「そうですね。もう一回やれば差がはっきりするかもしれないですけど、反応そのものを失う可能性もあります」


 真琴はペン先を止めた。


「今日はやめましょう」


「ええの? 絶対もう一回やりたいやろ」


「やりたいです」


「即答やん」


「でも、試料が四つしかないですから。原因も分からないまま全部使い切る方がもったいないです」


 真琴は名残惜しそうに金属片を見ながらも、そこで実験を打ち切った。


 優也はその様子を見て笑う。


「三浦さん、意外と我慢できるんやな」


「どういう意味ですか?」


「もっと『もう一回だけ!』ってなるかと思ってた」


「研究で“もう一回だけ”を繰り返して試料なくしたら怒られますよ」


「経験者の言葉やな」


「私はまだそんな失敗してません」


「“まだ”って言うたで」


「言葉の綾です」


 二人で笑いながらも、机の上には確かに新しい事実らしきものが残った。


 収納へ入れると、未定義反応は優也にとって識別しやすくなる。そして取り出した後には、その反応が弱くなる可能性がある。


 真琴はノートのページを眺めながら、しばらく考え込んでいた。


「福山さん」


「ん?」


「この反応、消えてると思います?」


「そこなんよな。俺も昨日考えた」


「もし消滅してるんじゃなくて、どこかへ移っているとしたら?」


 その言葉に、優也は少しだけ表情を変えた。


「収納の中?」


「可能性の一つです。収納空間が何なのかも分からないので、そこに残ってるかもしれないし、別のところへ移動してるかもしれない。もちろん、本当に反応が弱くなっているなら、ですけど」


「……それ、どうやって確かめる?」


「まず収納空間そのものを調べられるかですね」


「何も入ってない状態を鑑定するとか?」


「できます?」


「やったことない」


「じゃあ――」


 真琴が言いかけて、すぐに口を閉じた。


「いや、今日はやめましょう」


「そこ止まれるんや」


「さっき自分で言ったばっかりですから」


 少し悔しそうな顔をしているのが可笑しくて、優也は笑った。


    ◇


 一時間で借りていた部屋は、気づけば残り十五分ほどになっていた。


 机の上を片づけながら、真琴はこれまでの記録を優也へ見せる。時刻、試料、収納前の反応、収納中の感覚、取り出した直後の反応まで細かく書かれており、優也が一人で付けていたメモと比べると、同じ実験とは思えないほど整理されていた。


「やっぱ三浦さんおった方がええな」


「何ですか、急に」


「俺一人やったら、たぶん今頃あの金属を十回くらい出し入れしてる」


「絶対やめてください」


「せやから褒めてんねんって」


「褒め方が変なんですよ」


 真琴は笑いながらノートを閉じた。


 その時、優也はふと自分の身体について鑑定したことを思い出した。


 以前、自分へ使った時には、名前や年齢、疲労、肩の筋肉疲労などが分かっている。もし未定義反応が本当にどこかへ移動しているのなら、収納を使っている自分自身を調べてみる意味もあるのではないか。


「……三浦さん」


「はい?」


「一個だけ試していい?」


「何ですか?」


「俺自身」


 真琴が首を傾げた。


 優也は左手で右手首を握り、以前と同じように自分自身の状態を知ろうと意識する。


「自分にも鑑定使えるんですか?」


「一回やった。軽い疲労とか肩の筋疲労は出た」


「それ先に言ってくださいよ」


「今思い出したんやって」


 真琴はすぐノートを開き直した。


「今日の実験前にやってないなら、比較には使えませんよ?」


「分かってる。何か変なのが出ないか見るだけ」


 優也は目を閉じ、身体の状態へ意識を向ける。


『福山優也。44歳』


 いつも通り。


『軽度の疲労』


 それも珍しくない。


 右肩には仕事による筋疲労が残っている。それ以外に緊急性の高い異常もない。


「今のところ普通やな」


「他には?」


「ちょっと待って」


 そこで優也は、いつものように健康状態だけではなく、自分の中に“知らないものがないか”と問い掛けるように意識を変えてみた。


 すぐには何も浮かばない。


 やはり関係なかったのかと思い始めたところで、頭の奥に微かな引っ掛かりが生まれた。


 キーホルダーや古い金属を鑑定した時に感じるものと、よく似ている。


 優也の表情が止まった。


「福山さん?」


 真琴の声が聞こえる。


 優也は答えず、もう少しだけ意識を深く向けた。


 すると、今まで自分自身を鑑定した時には一度も感じなかった情報が、ぼんやりと形を持ち始める。


『未定義反応――極微量』


「……え?」


「どうしました?」


 優也はゆっくり自分の右手を見た。


 見た目には何も変わっていない。


 痛みも、熱も、違和感もない。


 それでも、鑑定は確かに反応している。


挿絵(By みてみん)


「俺にも……ある」


「何が?」


 真琴の表情が一瞬で真剣になる。


「未定義反応。めちゃくちゃ弱いけど」


「前に自分を調べた時は?」


「なかった。少なくとも気づいてない」


「今日収納した金属の反応が移った……?」


「分からん」


 優也はもう一度自分へ鑑定を使ったが、結果は同じだった。


『未定義反応――極微量』


 そこで初めて、真琴の顔から好奇心だけではない表情が消えた。


「福山さん、今日はもう能力使わないでください」


「でも――」


「駄目です」


 いつもより強い言い方だった。


 優也が少し驚いて黙ると、真琴は落ち着いて言葉を続ける。


「それが身体に悪いものかどうか、まだ何も分からないんですよね? だったら原因を確かめるために追加で収納するのは、今はやめた方がいいです。何も症状がなくても、安全とは限らないですから」


 言われれば、その通りだった。


「……分かった」


「体調は?」


「普通。何ともない」


「頭痛、吐き気、めまい、動悸とかは?」


「ないよ」


「本当に?」


「ほんまにないって」


 真琴はそれでも心配そうだったが、優也の様子に変化がないことを確認すると、少しだけ息を吐いた。


「帰ってからも何か変だったら連絡してください。明日になっても反応が残ってるかは確認してほしいですけど、今日はもう収納も鑑定も最低限にしてください」


「医者みたいになってるで」


「まだ医者じゃないです」


「でも、だいぶそれっぽい」


「茶化さないでください」


「はいはい」


 いつもの調子で返したものの、優也自身も内心では少しだけ落ち着かなくなっていた。


 未定義反応が金属から弱くなり、自分の中へ現れた。


 偶然なのか。


 収納を使ったからなのか。


 それとも、最初から自分の中にも存在していて、今まで気づかなかっただけなのか。


 答えは一つもない。


 ただ、これまで外にある物だけの問題だと思っていた現象が、初めて優也自身へつながった可能性が出てきた。


 貸し会議室を出て駅へ向かう途中、真琴はいつもより何度も優也の顔を見ていた。


「ほんまに大丈夫やって」


「確認してるだけです」


「五分前にも聞いたやん」


「五分で変わることもあります」


「心配性やなぁ」


「福山さんが適当なんです」


「俺、今日かなり慎重やったと思うけど?」


「普段との比較じゃなくて、安全かどうかで考えてください」


「……はい」


 そこまで言われると反論できない。


 それでも、心配されること自体を嫌だとは感じなかった。


 改札の前へ着くと、真琴はもう一度念を押す。


「家に着いたら連絡してくださいね」


「分かったって」


「能力は?」


「今日は使わない」


「キーホルダーは?」


「触らない」


「金属三つも?」


「触りません」


「よし」


「保護者か」


「誰のせいですか」


 二人で少し笑い、その日はそこで別れた。


 電車へ乗った優也は座席へ腰を下ろし、窓の外を流れる街の灯りを眺めながら右手を開いた。


 何も見えない。


 何も感じない。


 それなのに、自分の中には今までなかった“何か”があるらしい。


 白い皿が消えた時には、自分だけが不思議な力を得たのだと思った。


 けれど、もし順番が逆だったとしたら。


 自分が力を持っているのではなく、もともと存在していた何かに、自分だけが触れられるようになったのだとしたら。


 そこまで考えて、優也は首を振った。


「……まだ早いな」


 真琴に教えられたばかりだった。


 分からないことを、分かったことにしない。


 今あるのは、ただ一つ。


 優也自身からも『未定義反応』が検出された。


 それだけだった。


 しかし、その小さな事実は、これまで二人が追いかけてきた謎を、もう一段深い場所へ進めるには十分だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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