ep.136 閑話『知らなくても分かること』
☆あんパンまん☆と申します。(。ᵕᴗᵕ。)
何となく頭に浮かんだ事を始めてみました。
よろしくお願いします。
しばらく挿絵は控えさせていただきます┏○ペコッ
福山優也と真琴が、自分たちの関係にまだ名前を付けなくても困らないと思っていた頃。二人の外側では、その名前を知らなくても分かることが、少しずつ増えていた。
◇
昼休憩に入った道路工事の現場で、久保田はヘルメットを外し、詰所の長椅子へ腰を下ろした。午前中は車両の出入りが多く、片側交互通行の流れも何度か詰まりかけたが、大きな混乱はない。弁当の蓋を開ける前に缶コーヒーを一口飲み、向かいへ座った西村を見ると、その隣では優也がスマートフォンを確認していた。以前なら休憩へ入った瞬間に一人で画面を眺め始め、そのまま終わりまでほとんど顔を上げない日も珍しくなかった。最近もスマートフォンを見ること自体は変わらないが、何か通知が入った時だけ表情が少し違うことがある。本人はたぶん意識していない。口元がほんの少し緩み、画面を閉じたあともしばらく機嫌がいい。
久保田はそれを何度か見ていた。本人に言えば否定されそうなので黙っていたが、通知を見たあとの優也だけ、ほんの少し空気がやわらかくなるのは気のせいではなかった。
「福山、今日やたら機嫌ええな」
「そうか?」
優也はスマートフォンを伏せ、コンビニで買ってきたおにぎりの袋を開ける。隠すような動きではなく、話題にされるとも思っていなかった顔だった。
「さっきから何回か笑ろてるやん」
「笑ってへんわ」
「いや、笑ってたで」
西村まで混ざると、優也は面倒そうに二人を見た。ただ、本気で嫌がっている感じでもなく、昔のように話題そのものを切ってしまうより、適当に受け流しながら一緒に笑える余裕がある。
「真琴から連絡来ただけや」
名前が出るまでが早くなった、と久保田は思った。以前は休みの予定を聞いても「ちょっと出る」「車で走る」くらいで終わり、相手が誰なのかまで自分から話すことは少なかった。それが今では「真琴がここ行きたい言うてる」「真琴が前から気になってるらしい」と、ごく普通の予定として名前が混ざる。わざと見せつけるでもなく、逆に隠すでもない。
「今度どっか行くんか?」
「まだ決めてへん。あいつが候補持ってるみたいやけど、言いたくなった時に言うらしい」
久保田は少し眉を上げた。サプライズと呼ぶほど大げさなことではなさそうだが、相手が話したくなるまで待つという発想が、以前の優也からは少し想像しにくかった。
「何やそれ。サプライズか?」
「そこまで大げさちゃうやろ。俺も一個、まだ言うてへん候補あるし」
「お前ら、よう分からんな」
「俺も全部分かってるわけちゃうで」
優也はそう言って、何事もなかったようにおにぎりを食べ始めた。その返し方も、昔とは少し違う。分からないことをそのままにしておける男ではなかった、とまで言えば言い過ぎだが、以前の優也は自分が納得できる形まで一度整理してから動くことが多かった。仕事でも、曖昧な指示を受ければ確認する。それ自体は悪くない。ただ、人のことまで同じように答えを出そうとするところが、たまにあった。
最近は、分からないなら分からないまま、必要なところだけ確かめて進むことが増えた。分からない部分を埋めることより、その時の相手が何を望んでいるかを優先しているように見える。
「そういや前も、真琴ちゃんが何か選んだ店行った言うてたな」
久保田が思い出して言うと、優也は少し考えてから頷いた。休日の話を自分から詳しくすることは今でも多くないが、真琴が関わる出来事だけは以前より自然に口へ出る。
「この前な。倉庫改装した店が集まってるとこ。あれは真琴が朝から調べて、俺を連れてった」
「連れてった?」
西村が妙なところへ反応する。運転しているのは優也なのに“連れて行ってもらった”と言うのが、普段の彼からすると少し珍しく聞こえたらしい。
「お前が運転したんやろ?」
「運転は俺やけど、行き先決めたんは真琴やから、気分的には連れてってもろた感じ」
久保田と西村は一度だけ顔を見合わせた。優也は気づいていない。あるいは気づいていても気にしていない。以前の彼なら、自分がハンドルを握っている以上「自分が連れて行った」と言っていたかもしれない。それが今は、行き先を選んだ人間のほうを素直に立てている。その程度の変化を本人へ指摘したところで、たぶん「別に普通やろ」と返されるだけだ。
久保田は面白がって口元を緩めたが、あえて何も言わなかった。休憩が終わる少し前、現場代理人から午後の搬入予定が変わったと無線が入った。本来なら三時前に来るはずだった資材車が、一時間近く早く到着するらしい。午前中の配置のままでも対応できなくはないが、交差点側の一般車が増える時間と重なれば、出入口の一人だけでは少し忙しい。久保田が午後の配置表を見ながら考えていると、優也が横から覗き込んだ。
「搬入来る間だけ、俺こっち残ろか。終わったら元の配置戻ればええやろ」
「お前、午後は反対側やったやろ」
「最初から最後まで同じにせんでもええやん。資材車入る二十分くらいだけ二人で見たほうが楽やろ」
西村が出入口と交差点の距離を確認し、無線の届き方にも問題がないことを確かめる。結局、搬入が終わるまで優也が補助へ入り、そのあとは予定どおり反対側へ戻る形になった。たったそれだけの話だった。けれど久保田には、少し前からこういう場面が増えたように思えた。昔の優也も必要なら配置変更へ応じていたが、決めたあとでまた戻すことを面倒がる時があった。最近は、必要な時間だけ変え、終われば戻るという扱いを当たり前のように口にする。
午後の搬入は二十分も掛からなかった。大型車が出入口へ近づくと優也と西村がそれぞれ一般車と歩行者を見て、久保田が中から合図を出す。資材車が完全に入ったところで流れを戻し、優也は「ほな戻るわ」と反対側へ向かった。誰かへ恩を売ったような言い方もしない。予定外の仕事をやったから次は誰かが返せ、という空気もない。久保田はそこまで細かく優也を分析しているつもりはなかったが、昼に聞いた「真琴が選んだ場所へ連れて行ってもらった」という話と、今の動きがどこか同じに見えた。自分が全部決めなくてもいいし、一度決めた形を最後まで守り続けなくてもいい。最近の優也は、そういう小さな余白を前より気楽に扱っている。
現場の反対側へ歩いていく後ろ姿を見ながら、久保田はふと西村へ言った。昼の雑談だけなら気のせいで済ませていたが、仕事の中でも同じような変化が見えると、やはり以前とは少し違うように思えた。
「やっぱ変わったよな」
「まだ言うてんのか」
久保田はさっきの搬入対応を思い返し、今度は昼の雑談だけではないと言いたそうに顎をしゃくった。
「いや、今の見て思っただけ」
「仕事できるようになったって言いたいんやったら、本人に言え」
「そこまで大げさちゃう」
久保田は笑い、ヘルメットを被り直した。説明しようとすると上手く言えない。仕事ぶりが別人になったわけでも、急に愛想が良くなったわけでもない。ただ、以前より他人と一緒に動く時の力の抜き方が自然になっている。それを誰から覚えたのかまでは知らない。知る必要もなかった。
◇
その数日前。川沿いの古い倉庫を改装した複合施設で、コーヒースタンドを任されている女性スタッフは、入口近くの窓から駐車場へ続く道を見ていた。週末は散歩客や近所の家族連れが多く、昼前になると席が埋まり始める。そこへ、見慣れないほど大きな車から二人連れが歩いてきた。最初に目へ入ったのは車だった。一般的なキャンピングカーより明らかに大きく、遠目でも四軸八輪だと分かる。無骨な大型車体なのに、軍用車両のような威圧感は薄く、外装は長距離を走るための実用車らしくまとまっている。施設から少し離れた大型車区画へきれいに収まり、建物へ近づいてくる二人は、その大きさを特別なものとして見せびらかす様子もなかった。
男性は四十代くらい、女性はもっと若い。二人は手を繋いでいた。それだけなら恋人同士なのだろうと考えるところだが、スタッフは接客業をしているうちに、外から見える一場面だけで関係を決めるのはやめていた。夫婦でも手を繋がない人はいるし、付き合っていなくても近い人はいる。だから「仲のいい二人連れ」くらいに留め、注文を受けるためカウンターへ戻った。
「深煎り、ブラックで」
男性が先に選び、女性は豆の説明を聞いてから中煎りへ目を向けた。二人で来ていても同じものを選ぶ必要はないらしく、それぞれが自分の好みをその場で確かめている。
「これ、ミルクなしでも飲みやすいですか?」
「酸味は少しありますけど、苦味は深煎りより軽いですよ。途中でミルクを足すこともできます」
「じゃあ、まずそのままでお願いします」
スタッフがカップを用意し始めると、男性が隣から口を挟んだ。けれど決めるための助言というより、あとで変えられる選択肢を一つ確認しているだけの軽い聞き方だった。
「苦かったらミルク入れる?」
「飲んでから決めます」
「了解」
それだけだった。男性が「こっちのほうが飲みやすい」と決めたり、女性が相手へ合わせて同じ豆を選んだりすることもない。片方が選び、もう片方はその答えをそのまま受け取る。ささやかなやり取りだったが、妙に印象へ残った。コーヒーを渡したあとも、二人はしばらく店内を見て回っていた。温室側の売り場では女性が鉢植えを手に取り、男性は少し離れたところで待っている。スタッフから見える範囲では、男性が買うよう勧めることも、女性が相手へ意見を求めることもなかった。しばらくすると鉢は棚へ戻され、二人はそのまま別の場所へ移る。
何を話しているかまでは聞こえない。けれど、妙に急かさない二人だとは思った。昼前になり店が少し忙しくなってから、スタッフは二人のことを忘れていた。再び目に入ったのは、川沿いから戻ってきた時だった。男性は女性のスマートフォンを覗き込み、何か写真を見せてもらっている。女性が笑うと男性も笑い、そのあと二人はまた手を繋いだ。恋人なのかもしれない。
夫婦には見えない。まだ付き合っていない可能性も、なくはない。結局、外から分かるのはそこまでだった。ただ一つだけ、相手と一緒にいることを二人ともかなり気に入っているらしい、ということだけは、関係の名前を知らなくても分かった。書店側でも、別のスタッフが二人を見ていた。男性は工場建築や車両、旅の本が並ぶ棚へ行き、女性は少し離れた写真集の棚へ向かう。入店してからずっと一緒にいる客は、片方が興味のない棚まで付き合い続けることも多いが、この二人はそうではなかった。男性は自分の本を見つけるとその場でページを開き、女性も自分の気になる本を静かに眺めている。
十分ほど、ほとんど別々だった。それでも、どちらかが相手を探して落ち着かなくなる様子はない。女性が写真集を一冊持って男性のところへ行き、開いたページを見せると、男性は自分が読んでいた本を閉じて素直に覗き込んだ。何か短く話し、二人で少し笑ったあと、またそれぞれ別の棚へ戻る。店員はその光景に妙な居心地の良さを感じた。近いからといって、ずっと同じものを見る必要はないらしい。
別々のものを見ていても、気に入ったものがあれば相手へ持っていく。興味がなければ無理に付き合わず、戻りたくなれば自然に戻る。その距離感が、長く一緒にいる夫婦のようにも見えたし、まだ新しい関係の二人が互いを探っているようにも見えた。どちらなのかは、店員には分からない。ただ、女性が棚へ戻した写真集を男性が勝手に買って驚かせようとしたり、男性が自分の趣味の本を女性へ熱心に勧めたりしないことだけは分かった。相手が興味を示したものを覚えていても、選択そのものは相手へ残している。
しばらくして会計へ来たのは男性だけで、手にしていたのは建築の小冊子一冊だった。女性は何も買わず、入口近くで待っている。
「お連れさまの分は大丈夫ですか?」
店員が念のため聞くと、男性は女性のほうをちらりと見てから笑った。相手が何も買わないことを残念がるでもなく、自分が代わりに選んでやろうとするでもない。
「大丈夫です。欲しかったら自分で買うと思うんで」
それ以上でも、それ以下でもない言い方だった。店員は会計を済ませ、二人が並んで出ていくのを見送った。そのあとすぐ別の客が入ってきて、仕事はいつもの流れへ戻った。二人の名前も、住んでいる場所も、あの大きな車が何なのかも知らない。けれど、相手へ近づくことと、相手の領分へ踏み込むことを同じにしていない二人だという印象だけは、なぜか残った。
◇
複合施設の駐車場を管理していた年配の男性は、別のことを見ていた。大型車区画へ入ってきた八輪の車は目立つ。大きさのわりに切り返しは少なく、白線の中央へ余裕を残して停められている。運転席から男性が降り、助手席側から女性が降りると、二人で一度車体の周囲を確認してから歩き出した。帰ってきた時も同じだった。先に男性だけが運転席へ向かうのかと思えば、二人とも車体の横で一度立ち止まり、女性が何かを話している。男性が笑いながら頷き、今度は女性が側面玄関から先に車内へ入った。
珍しい車に乗っている人間の中には、車そのものを見せることが目的になっている者もいる。駐車位置へ神経質になり、他人が少し近づいただけで警戒し、同行者まで車の付属品のように扱う人間も、長く駐車場を見ていればたまにいる。あの二人には、それがなかった。むしろ大きな車のほうが、二人の生活へ馴染んで見えた。女性が荷物を先に持って入れば、男性はそれを取り上げずに別の物を持つ。車体の確認をしている間も、片方だけが全部を決めている様子はない。かといって、一つ一つ相談しているような大げささもない。
慣れているのだろう、と男性は思った。車に、ではない。二人で動くことに。それ以上を知る必要はなかった。その日の午後、駐車場の男性は休憩から戻ったあと、もう一度あの八輪の車を見た。側面玄関は閉まり、車内の様子までは分からない。少しして二人が出てくると、今度は女性が先に歩き、男性が一歩遅れてついていく。何かを探しているようでもあり、ただ散歩へ出ただけにも見えた。
女性が途中で立ち止まり、男性へスマートフォンを見せる。男性は画面を覗き込み、しばらくしてから頷いた。次の瞬間には二人とも笑って歩き始めた。大きな車のオーナーが男性なのか、二人で使っているのか、駐車場の男性には分からない。ただ、車へ戻る時には女性が側面玄関を迷いなく開け、男性も当然のようにその後ろから入っていった。客として乗せてもらっているだけの人間の動きには見えなかった。
だからといって、夫婦だと決める根拠もない。分からないものを分からないままにしておけば、目の前にあることだけが残る。あの車は、二人にとって特別な展示物ではなく、帰っていく場所らしい。駐車場の男性には、それだけで十分だった。
◇
再び道路工事の現場。午後の作業が始まる少し前、久保田は弁当箱を片付けながら、優也の机の端に置かれたスマートフォンが一度だけ光ったのを見た。画面の内容までは見えない。見る気もない。ただ、優也が通知を確認したあと、少しだけ笑ってからスマートフォンをポケットへ戻したのは分かった。
「また真琴ちゃんか?」
「何で分かんねん」
久保田は大げさに説明する代わりに、優也の口元を指で示した。
「顔」
「そんな顔してへんやろ」
「してる」
優也は納得いかなそうに眉を寄せたが、否定はしなかった。真琴からの連絡で表情が変わることを自覚していないらしく、からかわれてもどこか腑に落ちない顔のままだった。
「今度、俺が場所決める番やねん」
「番?」
優也は交代制のように聞こえたことに気づき、すぐ首を振った。
「別に交代制ちゃうで。ただ俺も一個見つけたから、行けそうやったら連れてく」
「どこ?」
「まだ言わへん」
久保田は笑った。自分へまで秘密にする必要は確かにないが、真琴へ伝える前に他人へ話したくないという優也の感覚は、何となく理解できた。
「俺にまで秘密にする意味ある?」
「真琴にまだ言うてへんから、先に他のやつに言うの何か違うやろ」
その答えを聞いて、西村が缶コーヒーを持ったまま小さく頷いた。誰に先に話すかなど気にしないように見えていた優也が、相手へ渡す順番まで自然に考えているのが少し面白かった。
「それは分からんでもないな」
「やろ?」
「けど、お前そういうこと気にするタイプやったっけ」
西村が何気なく言うと、優也は少し考えた。変わったかどうかを反射的に否定せず、自分でも分からないこととして一度置いてみるような間だった。
「知らん。前からやったかもしれんし、最近かもしれん」
無理に答えを出さない。久保田はその返しを聞き、また少しだけ面白くなった。以前の優也なら、「前からや」と即答していた気がする。変わったと言われるのが嫌で、今の自分も昔から変わらないと説明していたかもしれない。今は、どちらでもいいらしい。優也本人が気づいていない変化は、まだいくつもあるのだろう。
◇
仕事が終わり、現場から会社へ戻る車の中で、久保田は助手席から流れる街並みを眺めていた。後ろでは西村と優也が次の現場の話をしている。
「月曜の入口、朝一だけ搬入多いらしいぞ」
「ほな最初だけ二人で見たほうがええか?」
「たぶんな。落ち着いたら一人回せる」
「了解。最初から一人で固定せんと、流れ見て変えよか」
仕事の話だ。ただ、こういう言い方も増えた。最初から最後まで一つのやり方で押し切るのではなく、その場で変える。全部を決めず、必要なところだけ合わせる。誰かがやると言ったからといって、その人へ最後まで背負わせない。久保田は、優也が休日に何をしているのか詳しく知らない。あの大きな車の中で何が起きているのかも、ほとんど知らない。
真琴という女性がどんな人間なのかも、何度か聞いた断片しか知らない。それでも、休日に一緒にいる相手や、あの車で過ごす時間が、優也の中へ何かを積み上げていることくらいは分かった。
「福山」
「ん?」
久保田はどう言えば伝わるか考えながら、少しだけ言葉を選んだ。
「お前、最近ちょい丸なったな」
「太ったって意味?」
「ちゃうわ」
久保田が笑うと、優也はますます分からない顔をした。体型の話ではないと分かっても、性格のどこが丸くなったのかまでは、自分ではまるで見当が付いていないらしい。
「性格や。前より角取れた」
「そうか?」
久保田自身も説明し切れず、窓の外を見ながら手のひらを軽く振った。
「前も別に尖ってたわけちゃうけど、何かこう……人が言うたこと、そのまま置いとけるようになったっちゅうか」
「何やねんそれ」
「俺も上手く言えん」
西村が後ろで笑った。久保田自身が説明に詰まっているので、優也の変化を言葉にすることの難しさまで含めて可笑しかった。
「久保田が一番説明下手やんけ」
「うるさい」
車内に笑いが広がる。久保田も、自分の言いたいことを正確には説明できなかった。ただ、前より話しやすくなった。前より他人の答えを急いで決めなくなった。そして何より、以前より少し楽しそうに見える。それで十分だった。翌週、久保田はまた優也と同じ現場へ入った。朝の集合前、優也は車止めの脇で無線機を確認しながら、スマートフォンの画面を一度だけ見ていた。久保田が横を通ると、すぐ画面を閉じる。隠したというより、仕事が始まるからしまっただけの動きだった。
「真琴ちゃん?」
「違う。天気」
「何や」
「何期待してんねん」
二人で笑い、そこで話は終わった。久保田は、自分が何でも真琴へ結び付け始めていることに気づき、少し反省した。優也には優也の時間があり、真琴と一緒でない時まで全部がその話になるわけではない。外から見える断片だけで、人間全体を一つの説明へまとめるのは違う。それでも昼前、次の休みの話になった時、優也は「まだ言うてへんけど、行けそうなら一個連れてく」と少し楽しそうに話した。
久保田は今度こそ、それ以上聞かなかった。場所は知らない。いつ行くのかも知らない。真琴がどんな返事をするのかも知らない。けれど、優也がその返事を待つつもりでいることだけは、話し方で分かった。それくらいなら、知っていてもよさそうだった。
◇
同じ頃。優也がまだ真琴へ場所を明かしていない丘の展望施設について、ACROSSは進入経路と大型車区画の情報だけを優也個人の候補として保持していた。真琴には表示されていない。共同候補にも混ざっていない。それは二人の外側にいる誰かが知ることではなく、今は真琴自身も知らない。次の休日に優也が自分から話すのか、もう少し調べてからにするのか、それすらまだ決まっていなかった。
けれど、その予定がどうなるかを知らなくても、久保田たちが見ていたものと、あの複合施設のスタッフが感じたものは、そう遠くなかった。優也は以前より人の言葉を待つようになった。真琴は以前より自分から優也を連れ出すようになった。二人は近づいている。ただし、同じ人間になろうとしているわけではない。知らないことを残し、別々に考える時間を持ち、そのうえで一緒にいたい時には自然に隣へ行く。
名前を知らなくても、全部を知らなくても、そこまでは外からでも分かることがある。二人が互いを急かさず、それでも一緒にいる時間を大切にしていることだけは、断片だけを見た人間にも自然に伝わっていた。
◇
次の休日を待つACROSSは、ガレージの中で静かに停止していた。外から見れば、そこにあるのは四軸八輪の巨大なキャンピングカーだけだ。側面玄関は閉まり、ブラインドの向こうに誰かの姿もない。内部でどんな声が交わされ、どんな記録が残り、何を二人だけのものとして残すのかを、外の人間が知ることはない。それでよかった。すべてが見えなくても、人は相手の変化を感じ取る。
言葉にしなくても伝わるものがあり、知らないままだから守られるものもある。そして次に二人がここへ来た時も、おそらく久保田も、コーヒースタンドのスタッフも、駐車場の男性も、その先で何が起きるのかは知らない。ただ、もしまたどこかで二人を見かけたなら。前より少し近くなった距離くらいは、きっと分かるのだろう。
皆様のちょっとしたスキマ時間の
暇つぶしになれば幸いです(*˘︶˘*).。.:*♡
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