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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第三章 ACROSSの声
123/270

ep.123 戻る目印


 十二月に入って最初の土曜日は、朝からよく晴れていた。気温は低いが風は弱く、空気も澄んでいて、ガレージの前から見える空までいつもより高く感じる。


 優也がACROSSへ入ると、フロントガラスから差し込む冬の光がリビングの床まで伸びていた。室内は十分に暖かく、外で冷えた頬がゆっくり戻っていく。


〈おはようございます、優也。現在の外気温は六度です。山間部は昼前でも四度前後の予報です〉


「おはよう。ちょうど温泉日和やな」


〈温泉利用に適した気温という客観基準は保持していません〉


「分かってるって。気分の話や」


 優也は笑いながらキッチンへ向かった。


 今日は、以前から候補に残していた山あいの日帰り温泉へ行くことになっている。湖畔へ出掛ける相談をした頃から残っていた場所で、真琴も「寒くなったら行きたい」と言っていた。先週の帰りにその話が改めて出て、ようやく今日の予定として決まった。


 ACROSSは前日のうちに、大型車対応の駐車場、山道の幅、営業時間、帰路の凍結予報、周辺の食事処まで必要な範囲だけ更新している。候補を大量に並べることはせず、今日使う可能性が高い情報だけがモニターへまとまっていた。


 九時を少し過ぎた頃、玄関が開いた。


「おはようございます」


〈おはようございます、真琴〉


 白に近い淡いグレーのマフラーを巻いた真琴は、外気の冷たさで頬が少し赤くなっている。


「おはよう。寒かった?」


「寒いです。でも今日は温泉があるので平気です」


「それは分かるわ」


 優也も同じ気分だった。


 真琴は上着を脱いで隣へ座り、渡されたコーヒーを両手で包む。


「山のほう、道は大丈夫そうですか?」


〈現時点で積雪・凍結情報はありません。午前中の路面温度も危険域には達していません。ただし、日陰区間の一部は低温のため継続監視します〉


 優也はモニターを見ながら頷いた。


「条件悪なったら中止でええよな」


「はい。無理して行く場所じゃないです」


 真琴の返事は早かった。


 行きたい場所ではある。


 でも、行くこと自体を目的にして安全を崩す必要はない。


 ACROSSも追加質問はせず、出発時点の条件だけ確認して経路を表示した。


          ◇


 市街地を抜け、郊外へ出る頃には、正面の山がかなり近くなっていた。


 真琴は助手席で景色を眺め、ときどきスマートフォンで写真を撮る。


 最初の三十分ほど、ACROSSはいつもどおり交差点や分岐のたびに案内を出していた。ただ、交通量は少なく、道もほぼ一本道で、優也には少し情報が多く感じられる。


「ACROSS。この道、しばらく一本道やろ?」


〈はい。次の主要分岐まで二十三・四キロです〉


「なら、その間は案内少なくてもええ気するな」


 真琴がモニターを見る。


「でも事故とか規制は欲しいですね」


「それはいる」


 少し間を置いて、ACROSSが返した。


〈提案があります。次の主要分岐まで、経路維持に不要な音声案内を減らす一時試行が可能です〉


「昨日の続きみたいなやつ?」


〈はい。ただし今回は、開始前に終了条件と復帰先を設定することを提案します〉


 優也が少し眉を上げた。


「戻れるだけじゃ足らんの?」


「戻せることに加え、いつ戻すかを明確にします。試行状態が不要になったあとも継続することを防ぐためです」


「具体的には?」


〈主要分岐の三キロ手前。事故・通行規制など安全関連情報の発生。優也または真琴から通常案内を求められた場合。このいずれかで通常音声へ戻します〉


 真琴が少し感心したように頷く。


「試す前に終わり方も決めるんですね」


〈はい。さらに復帰先を“現在の通常案内設定”として保持します〉


 優也は運転しながら少し考えた。


 前回は、元へ戻せるということ自体が大事だった。


 今度は、戻す場所だけでなく、戻るきっかけまで先に決める。


「それならええな。やってみよ」


「私もいいです」


〈承知しました。安全関連情報は試行対象外とし、通常どおり通知します〉


 そこまで決まると、車内は少し静かになった。


          ◇


 ナビゲーション画面には経路が残っているが、細かな音声案内は入らない。


 優也は運転へ集中し、真琴は窓の外を眺める。


「静かなほうが運転しやすいですか?」


「一本道ならこっちのほうが楽やな。ずっと言われても聞き流すだけやし」


「私も好きです。景色見てる時に声が入り過ぎないので」


 ACROSSは、その会話へ補足を入れなかった。


 十五分ほど走ったところで、前方の工事区間について必要な情報だけが流れる。


「十二キロ先、片側交互通行区間があります。現時点の待ち時間は約四分です」


「こういうのは来るんやな」


〈安全・遅延影響情報は試行対象外です〉


「それでええわ」


 再び静かな車内へ戻る。


 優也は少し気づいた。


 “音声を減らした状態”を自分でずっと監視しなくてもいい。


 どこで戻るかが決まっているから、途中で「このままでいいのか」と考え続ける必要がない。


 試すことそのものより、終わりが見えていることのほうが安心につながっていた。


          ◇


 主要分岐まで三キロになったところで、ACROSSは自動的に通常案内へ戻った。


〈試行終了条件へ到達しました。通常案内へ復帰します。次の分岐は三・一キロ先です〉


「ほんまに戻ったな」


〈設定した条件どおりです〉


 真琴が少し笑う。


「これ、前回より安心ですね」


「何が?」


「試したあと、いつまで続くんだろうって考えなくていいからです」


「確かに。戻して言うの忘れてても戻るしな」


〈試行開始時に、終了条件と復帰先を同時に保持します〉


 優也は頷いた。


「元の状態分からんかったら、戻せるも何もないもんな」


〈はい。変更前状態を明確に保持できない場合、一時試行としては扱いません〉


 その言葉が、優也には妙に納得できた。


 戻れること。


 戻る場所。


 戻るきっかけ。


 この三つが揃えば、試すことの重さはかなり軽くなる。


          ◇


 山道へ入ると、道幅は十分にあるものの、緩い上りとカーブが増えた。


 日陰には霜の残る場所もあったが、路面は乾いている。ACROSSは不要な案内を増やさず、低温区間だけを必要な範囲で知らせた。


「この辺、雪降ったら綺麗でしょうね」


 真琴が窓の外を見ながら言う。


「綺麗やろけど、凍結路は怖いで」


「見るなら、安全に行ける時ですね。無理して来る場所じゃないです」


「せやな」


 ACROSSは、その会話を勝手に旅行候補へ登録しなかった。


 雪景色を見たいという話と、雪の日にここへ来る予定を立てることは同じではない。


 少しして、温泉施設へ続く最後の坂へ入った。


 大型車用の区画は空いており、優也は余裕のある位置へACROSSを止める。


「着いたー」


「お疲れさまです」


「まだ風呂入ってへんけど、もう来て良かった気する」


 真琴が笑う。


「早いです」


          ◇


 温泉へ入る前に、二人は近くの食事処で昼を取ることにした。


 木造の小さな店で、山菜そばや地元野菜の定食が中心らしい。優也は温かい山菜そば、真琴は鶏肉と野菜のせいろ蒸し定食を選んだ。


「寒い日に蕎麦ええわ」


「前も似たこと言ってませんでした?」


「冬は何回言うてもええねん」


 湯気の立つ丼へ顔を寄せる優也を見て、真琴が笑う。


 食事の途中、ACROSSからスマートフォンへ道路状況の更新が一度だけ入った。


 帰路予定区間に事故や凍結はなく、現時点では通常どおり戻れる。


「今日は通知少ないですね」


「今、走ってへんからちゃう?」


〈はい。施設滞在中は走行案内が不要なため、現在地と帰路判断に必要な情報だけを通知しています〉


「試行終わったら全部元どおり、じゃないんですね」


 真琴が言う。


〈通常状態へ復帰しても、現在行動に不要な情報まで増やすことはありません〉


 優也は少し笑った。


「前より自然やな」


 元へ戻ることは、昔の状態へ機械的に巻き戻すことではない。


 試した部分だけを元へ戻し、それ以外は今の場面に合わせる。


 そこも、ACROSSは分けて考え始めているらしい。


          ◇


 食事を終え、二人は温泉施設へ入った。


 受付で時間を確認し、男女別の浴場へ分かれる。


 優也は内湯で体を温めてから露天風呂へ出た。山あいの空気は冷たく、湯面から白い湯気が立ち上がっている。


「これやな、冬は」


 誰に聞かせるでもなく呟き、肩まで湯へ沈む。


 冷たい空気と熱い湯の差が気持ちいい。


 ただ、長湯し過ぎれば逆に疲れるので、露天と内湯を何度か行き来して上がった。


 休憩所へ出ると、真琴はまだ戻っていない。


 優也は水を一本買い、ベンチへ座って待つ。


 十分ほどして、真琴が浴場側から出てきた。髪はきちんと乾かしているが、頬にはまだ湯上がりの赤みが残っている。


「お待たせしました」


「全然。ゆっくり入れた?」


「はい。露天、すごく良かったです。ずっと入っていたくなりました」


「湯あたりするで」


「だから出ました」


 真琴は満足そうに笑った。


 外へ出ると、気温は低いままだったが、体の芯に熱が残っているせいで行きより冷たさを感じない。


 真琴はいつものように優也の腕へ絡む。


 優也も、その手へ自分の手を重ねた。


「今日は冷たくないですよ」


 真琴が自分の手を見る。


「知ってる」


「じゃあ、温めてるわけじゃない?」


「今日はちゃうな」


 真琴は少し黙った。


 優也も何かを足そうとはしなかった。


 数歩歩いたあと、真琴の指がゆっくり動き、優也の手へ軽く重なり返す。


「じゃあ、このままで」


「うん」


 寒さという理由がなくても、手を重ねることを二人とも選んだ。


 それ以上、説明は必要なかった。


          ◇


 ACROSSへ戻ると、二人は温かい飲み物を用意した。


 優也はコーヒー、真琴は紅茶。


 湯上がり直後なので、普段なら快適な車内も少し暑く感じる。


「ACROSS、ちょい暑いな」


〈現在の室温は二十三・五度です。入浴後の体温変化により、一時的に暑く感じている可能性があります〉


「下げる?」


 真琴が聞く。


〈二十二度へ変更する一時試行が可能です。十五分後に二十三・五度へ自動復帰する設定、または二人から復帰指示があった場合はその時点で終了できます〉


 真琴が少し笑った。


「今日は戻る時間まで最初から入ってるんですね」


〈はい〉


「ほな、それでやってみよか」


「私もお願いします」


 設定温度が少し下がる。


 湯上がりの体にはちょうどよく、真琴もソファへ深く座りながら小さく息を吐いた。


「今はこっちのほうがいいです」


「俺も」


 十数分後、優也の体が少し冷えてきた頃、ACROSSが告知する。


〈試行終了まで三分です。予定どおり二十三・五度へ戻します。継続希望がある場合は変更できます〉


「戻してええよ」


「私も大丈夫です」


〈承知しました〉


 三分後、設定は元へ戻った。


 自分たちで時間を覚えておく必要もない。


 最初に決めた場所へ自然に戻る。


 それだけで、一時変更がかなり扱いやすくなっていた。


          ◇


 真琴はノートを開き、今日の変化を整理し始めた。


『一時試行の開始前に終了条件を設定』

『復帰先を明確に保持』

『終了条件は時間・地点・安全情報・本人指示などで設定可能』

『安全関連情報は試行対象外』

『終了条件へ到達したら自動復帰』

『継続希望があれば延長可能』

『元の状態が不明な変更は一時試行にしない』


 そこまで書いてから、最後にもう一行を足す。


『始める条件だけでなく、やめる条件も必要』


「それやな」


 優也が横から見る。


「前回は戻せることが大事でしたけど、今日は“いつ戻すか”です」


「試しっぱなしになったら、もう試しちゃうもんな」


〈はい〉


 ACROSSも同意した。


〈終了条件がない場合、暫定状態が長期化し、実質的な恒常設定と同じ働きになる可能性があります〉


「それは嫌やな」


「私も嫌です」


 優也は少し考えた。


「途中で条件変わったらどうするん?」


〈試行中に新しい条件が発生した場合は追加できます。ただし、当初設定した安全側の終了条件を解除する場合は確認を求めます〉


「行きの音声案内なら?」


〈主要分岐三キロ前で復帰する設定後に事故情報が発生すれば、予定より早く通常案内へ戻ります。反対に、分岐を越えて試行を延長する場合は確認が必要です〉


 真琴が頷く。


「短くする方向は安全側なら自動。長くする時は勝手に広げない」


〈はい〉


 試すことを軽くしても、範囲まで勝手に広げない。


 その線は変わらなかった。


          ◇


 午後は、温泉街の外れにある川沿いの遊歩道を少しだけ歩くことにした。


 往復しても三十分ほどなので、帰る前の散歩にはちょうどいい。


 外へ出ると、真琴はまた優也の腕へ絡み、優也も手を重ねる。


 川沿いへ出ると、水の音が思っていたより大きかった。冬の川は透明度が高く、浅いところでは底の石まで見える。


「綺麗ですね」


「夏も良さそうやな」


「夏なら温泉より川見たくなりそうです」


「それはある」


 二人はゆっくり歩き、小さな橋で一度立ち止まった。


 真琴がスマートフォンを出し、川の写真を撮る。


 優也は腕を外そうとしたが、真琴が先に言った。


「そのままで大丈夫です」


「撮れる?」


「片手で撮れます」


「前も言うてたな」


 真琴が笑い、そのまま数枚撮った。


 橋を渡った先のベンチへ座る。


 優也は真琴の手へ自分の手を重ねたまま、川を眺めた。


「さっきの終了条件の話やけど」


「はい?」


「人間関係にそのまま使ったら、なんか嫌な感じするな」


 真琴が少し笑う。


「“何時になったら手を離します”とかですか?」


「それは嫌やろ」


「嫌ですね。でも、“嫌だったら離す”はあります」


 優也は少し考えた。


「それは前からあるな」


「はい。戻れるって分かってるから、近づきやすいのかもしれません」


 優也は真琴を見る。


「でも今は?」


 真琴は腕を組んだまま、重なった手へ目を落とした。


 少しだけ考え、それから答える。


「今は、戻りたいと思ってないです」


 優也はすぐに言葉を返さなかった。


 代わりに、重ねていた手を少しだけ握る。


「俺も」


 真琴の指が、今度ははっきり重なり返した。


 嫌なら戻れる。


 戻れることを知っている。


 それでも、今は戻さない。


 その選択だけで十分だった。


          ◇


 帰路へ入る前に、ACROSSは道路状況を再確認した。


 凍結情報はなく、事故による大きな遅延もない。日が落ちる前には山道を抜けられる見込みだった。


「ほな帰ろか」


「はい」


 優也が運転席へ座ると、ACROSSが声を出す。


〈往路で実施した音声案内低減について、復路でも同条件の試行を行いますか〉


 優也は少し考えた。


「山道抜けるまでは普通でええわ。日暮れ近いし、情報多いほうが安心や」


「私もそのほうがいいです」


〈承知しました。山間区間では通常案内を維持します〉


 行きに良かったからといって、帰りも同じとは限らない。


 同じ試行でも、条件が違えば選択も変わる。


 山道を抜け、交通量の少ない平地区間へ入ったところで、ACROSSが再び確認した。


〈次の主要分岐まで十九・八キロです。往路と同条件で音声案内低減を試行できます。終了条件は主要分岐三キロ前、安全関連情報発生、二人からの復帰指示です〉


「お願い」


「私も大丈夫です」


〈承知しました〉


 車内が再び静かになる。


          ◇


 真琴は助手席で、今日撮った写真を整理していた。


 温泉。


 山道。


 川。


 橋。


 その中の一枚を、少し長く見ている。


「これ、好きです」


「どれ?」


 見せてもらうと、川を撮った写真の端に、二人の手元だけが少し写っていた。優也の手が真琴の手に重なり、腕も近い。


「顔写ってへんやん」


「だからいいんです」


「何で?」


 優也は聞いてから、自分で少し笑った。


「また理由聞いてるな」


「一個くらいならいいですよ」


 真琴も笑う。


「じゃあ一個だけ。何で好きなん?」


 真琴は少し考えてから答えた。


「その時の感じが残ってるからです」


「感じ?」


「川の音とか、優也さんの手がここにあったとか。見たら思い出せるので」


 優也は、それ以上聞かなかった。


 もう十分だった。


「俺にも送って」


「はい」


 すぐに写真が届く。


 顔が写っていない一枚なのに、今日の中では妙に印象へ残る写真だった。


          ◇


 ガレージへ戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 車を止め、二人で荷物を片付ける。


「今日の音声少ないやつ、俺は良かったで」


「私も。一本道では静かなほうが好きです」


〈今後、類似条件での提案候補として保持します。自動適用はしません〉


「そこは変わらんのやな」


「はい」


 真琴はノートへ最後の一行を足した。


『反復成功しても、終了条件と本人確認を省略しない』


「これもいりますね」


「慣れてきた時が一番、勝手に続けそうやしな」


「はい」


 何度うまくいっても。


 便利でも。


 よく使うようになっても。


 試すことと、恒常化することは同じではない。


 その線だけは残しておく。


          ◇


 帰る準備を終え、二人は玄関へ向かった。


「また次回」


〈また次回、優也、真琴〉


 外へ出ると、朝よりさらに冷えていた。


 真琴は優也の腕へ絡む。


 優也は、その手へ自分の手を重ねる。


 少し歩いたところで、優也がふと思いついた。


「これ、終了条件いる?」


 真琴が横を見る。


「何時まで、とかですか?」


「いや。嫌になったら離す、とか」


 真琴は少し笑った。


「それなら最初からあります」


「せやな」


「でも、今は終了予定なしでいいです」


 優也も笑う。


「俺も」


 そのまま二人は駅へ向かった。


 腕を組み、手を重ねた距離は途中で変わらない。


 どちらからも戻そうとはしなかった。


          ◇


 帰宅後、真琴から送られてきた記録の最後には、今日の変化が一文でまとめられていた。


『ACROSSは、一時試行を開始する際、変更内容だけでなく終了条件と復帰先を同時に保持し、条件到達時には自動で元の状態へ戻すようになった』


 優也はその一文を読みながら、一日をゆっくり思い返した。


 走行中の音声案内を減らした。


 一本道では静かなほうが楽だった。


 主要分岐の前には自動で戻った。


 事故や規制があれば、もっと早く戻る。


 湯上がりには室温を少し下げた。


 十五分後には元へ戻した。


 どちらも、始める前に終わりが決まっていた。


 だから試しやすかった。


 合わなければ戻れる。


 時間が来れば戻る。


 条件が変われば戻る。


 そう決めておけば、最初の一歩は軽くなる。


 でも、全部に終了時刻が必要なわけではない。


 真琴と腕を組むこと。


 その手へ自分の手を重ねること。


 今日、寒さだけを理由にしていたわけではなかった。


 それでも二人とも、そのままでいた。


 橋のベンチで真琴は言った。


『今は、戻りたいと思ってないです』


 優也も同じだった。


 嫌なら離せる。


 離れたくなれば戻れる。


 その余地は最初から残っている。


 だからこそ、今すぐ終わりを決める必要もなかった。


 優也は、真琴から送られた写真を開く。


 冬の川。


 画面の端に、重なった二人の手。


 顔は写っていない。


 けれど真琴が言ったように、その時の感覚はちゃんと残っていた。


 水の音。


 湯上がりの暖かさ。


 少し冷たい空気。


 戻ろうと思えば戻れたのに、戻さなかった時間。


 優也はその写真をお気に入りへ追加した。


 来週は、夕方から近郊の冬季ライトアップを見に行く話が出ている。


 今度は何を試す日になるのか、まだ分からない。


 ただ、試す前に何を確かめるべきか。


 そこは、そろそろ次に考えることになりそうだった。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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