↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第三章 ACROSSの声
124/270

ep.124 何を確かめるか


 山あいの温泉へ出掛けた翌週、優也がACROSSへ入ったのは昼前だった。今日は朝から動く予定ではなく、午後に少し買い物をして、夕方から近郊の冬季ライトアップを見に行くことになっている。


 外は晴れているものの空気は冷たく、昼になっても気温は一桁台のままだった。夕方にはさらに下がる予報が出ている。


〈おはようございます、優也〉


「おはよう。今日は夕方からやから、朝ゆっくりできて楽やな」


〈本日の外出予定は十六時前後の出発で共有されています〉


「うん。真琴も昼過ぎに来るって」


 優也はコーヒーを一杯だけ淹れ、リビングでゆっくり飲んだ。


 前回、ACROSSは一時試行を始める時に終了条件と復帰先を持つようになった。試して終わりではなく、どこで終わるか、何へ戻るかまで先に決める。そうすれば、暫定状態がそのまま残り続けることを防げる。


 今日は、その仕組みを特に使う予定はない。


 少なくとも、この時点ではそう思っていた。


          ◇


 十二時半を少し過ぎた頃、玄関が開いた。


「おはようございます」


〈おはようございます、真琴〉


「おはよう。今日はゆっくりやったな」


「はい。午前中に家のこと済ませてきました」


 真琴は上着を脱ぎ、いつものように優也の隣へ座る。優也は二杯目のコーヒーを淹れ、真琴にも同じものを渡した。


「今日のライトアップ、何時くらいが一番良さそうですか?」


 優也はモニターへ目を向ける。


「ACROSS、今の混雑予想どう?」


〈十七時三十分以降、来場者数が増加する予測です。大型車区画は通常駐車場と分離されており、現時点では満車リスクは高くありません〉


「じゃあ駐車場は大丈夫そうですね」


「帰りは?」


〈二十時前後から周辺道路の混雑が増える可能性があります〉


 優也は少し考えた。


「ライトアップ見て、何か温かいもん食べて帰っても十九時半くらいやろ」


「そのくらいですね」


 大まかな流れはそれで決まった。


 出発前に近くの店で薄手の手袋インナーと車内用の小さな保温ボトルを買い、そのままライトアップ会場へ向かう。現地では一時間ほど歩き、帰りに軽く食べるか、ACROSSへ戻ってから簡単に済ませる。


 予定としては軽い。


 けれど、帰ってきた時の車内温度をどうするかという話から、思わぬところへ進み始めた。


          ◇


「外から戻った時、車内あったかいほうがええよな」


 優也が何気なく言うと、真琴もすぐ頷いた。


「今日はかなり冷えそうですしね」


 そこでACROSSが声を出した。


〈帰着前の予熱について、二つの方法を提案できます〉


「二つ?」


〈一つは、帰着予測時刻の三十分前から室温を上げ、帰着時点で快適温度へ近づける方法。もう一つは十五分前から上げ、電力消費を抑えながら必要最低限の温度上昇を行う方法です〉


「どっちがええん?」


 優也が聞くと、ACROSSはすぐには答えなかった。


〈どちらが良いかは、今回何を確かめたいかによって変わります〉


 真琴が少し顔を上げる。


「何を確かめたいか?」


〈はい。三十分前開始は帰着時の快適性を評価しやすく、十五分前開始は消費電力との両立を評価しやすい設定です。同じ予熱でも、評価目的が異なれば結論も変わります〉


 優也は少し眉を上げた。


「前は、とりあえず試して良かったかどうか見てたよな」


〈はい。しかし、“良かった”という評価だけでは、何に対して良かったのかが曖昧です〉


 真琴はカップを置き、少し考える。


「帰ってきた時すぐ暖かいのが目的なら三十分。電気をなるべく使わず、寒過ぎなければいいなら十五分、みたいな?」


〈はい〉


 優也が真琴を見る。


「今日はどっち優先する?」


「私は、帰ってきた時に寒くないほうがいいです。外を一時間以上歩く予定ですし」


「俺もそれでええわ」


 二人の希望が揃う。


〈承知しました。本日の主目的を“帰着時の快適性確認”とし、予熱開始を帰着予測三十分前に設定します。副目的は過剰な電力消費を避けること。終了条件は帰着後十五分、または二人から通常設定への復帰指示があった時点とします〉


「前回の終了条件もそのまま入るんやな」


〈はい〉


 試行そのものだけでなく、何を確かめるための試行なのか。


 その違いを、ACROSSは初めてはっきり分け始めた。


          ◇


 真琴はノートを取り出した。


『試行前に目的を設定』

『同じ変更でも、何を確かめるかで評価が変わる』

『快適性・省電力・速度・静音など、評価軸を分ける』

『目的と終了条件を同時に保持』


 そこまで書いて手を止める。


「目的って、一個だけですか?」


〈一つに限定する必要はありません。ただし、複数目的が競合する場合、優先順位が必要です〉


「競合?」


〈例えば、“帰着時点で十分暖かい”と“消費電力を最小化する”は、ある範囲では両立できます。ただし、両方を極端に追求すると互いに制約になります〉


 優也が少し笑う。


「暖房ガンガンなら快適やけど電気食う。節電し過ぎたら寒い、みたいな?」


〈はい〉


「それなら分かる」


 ACROSSは今日の予熱について、主目的を快適性、副目的を過剰消費回避として保持した。


 快適さを最大化するために必要以上の高温へ上げるわけでもない。


 節電のために寒さを我慢するわけでもない。


 何を優先するかが決まれば、同じ機能でも使い方が変わる。


          ◇


 午後二時頃、二人は近くの店へ買い物に出た。


 真琴はいつものように優也の腕へ自分の腕を絡める。優也も自然にその手へ自分の手を重ねた。


 店では手袋用の薄いインナーと、車内で使う小さな保温ボトルを見る。


「これ二人で使う?」


 真琴がボトルを持ちながら聞いた。


「共有でええんちゃう? 飲み物入れるだけやろ」


「じゃあ色、どっちにします?」


 棚には黒とアイボリーがある。機能も値段も同じだった。


「俺どっちでもええで」


 真琴は少し見比べ、アイボリーを選んだ。


「こっちで」


「ええよ」


 真琴が少しだけ意外そうに横を見る。


「理由、聞かないんですね」


「今決めるのにいらんやろ?」


 真琴が笑う。


「そうですね」


 優也はそれ以上聞かなかった。


 自分はどちらでもいい。


 真琴はアイボリーを選んだ。


 共有で使う。


 今必要なのはそれだけだった。


          ◇


 ACROSSへ戻って軽く休み、十六時前に出発した。


 目的地は街外れの大きな公園で、冬の時期だけ園内の木々や遊歩道がライトアップされる。現地には小さな飲食ブースも出るらしい。


 日が傾き始めた頃、ACROSSが前方の状況を更新する。


〈大型車区画は現在空きあり。入口待機はありません〉


「ちょうど良かったな」


「はい」


 真琴は助手席から夕暮れの空を眺める。


「寒さ、大丈夫そう?」


 優也が聞く。


「今は大丈夫です。歩き始めたら分かると思います」


「了解」


 ACROSSはそこへ追加の質問を入れなかった。


 今必要な確認は、もう済んでいる。


          ◇


 会場へ着く頃には、空はほとんど暗くなっていた。


 駐車場から園内入口までは徒歩十分ほど。外へ出ると、予報どおり空気が冷たい。


「これは寒いな」


「でも風弱いから、まだ平気です」


 真琴は買ったばかりの薄手インナーを手袋の内側へ着ける。


「それ、試すん?」


「はい。今日は暖かさだけ見ます」


 優也が笑う。


「もう目的って言うようになったな」


「大事なんでしょう?」


「ACROSSに染まってるやん」


 二人で笑う。


 優也が腕を差し出し、真琴がそこへ絡む。手袋越しなので、重ねた手の感覚はいつもより少し遠い。


          ◇


 園内へ入ると、白と暖色を中心にした照明が並木道へ続いていた。


 派手に色を変えるというより、冬の木々を柔らかく浮かび上がらせるような演出で、足元には小さな灯りが等間隔に続いている。


「綺麗ですね」


「思ったよりええな」


 真琴がスマートフォンを出す。


 優也はもう腕を外そうとしなかった。


「今日はそのままで撮るんやな」


「もう慣れました」


「俺も」


 真琴が一瞬だけ横を見る。


「今の、どっちにですか?」


「写真にも、この距離にも」


 真琴の表情が少しやわらぐ。


「……私もです」


 二人はそのまま歩いた。


 周囲に人は多い。


 それでも、以前ほど視線を気にしなくなっている。


          ◇


 中央広場には温かい飲み物を売る小さな店が並んでいた。


 優也はブラックコーヒー、真琴はホットミルクティーを買う。


「インナーどう?」


「かなり暖かいです」


「じゃあ成功?」


 真琴は少し考えた。


「暖かさを確かめるのが目的なら成功です。でも、長時間着けて蒸れないかまではまだ分かりません」


 優也が笑う。


「ちゃんと目的分けてるな」


「今日のACROSSの話、そのままです」


 同じ物を使っても、一つの感想だけで全部を評価することはできない。


 暖かさ。


 蒸れにくさ。


 動かしやすさ。


 着脱しやすさ。


 どれも別の話だ。


          ◇


 中央広場を抜けると、人通りの少し減った遊歩道へ入った。


 真琴が少し優也側へ寄る。


「寒い?」


「少し。でもそれだけじゃないです」


「またそれだけじゃない、か」


「便利でしょう?」


「まあな」


 二人で笑う。


 人の多い場所より、少し静かな道のほうが二人とも落ち着く。


「ライトアップ来たのに、暗いほう歩いてますね」


「見たいとこは見たやろ」


「確かに」


 そのまま歩き、途中のベンチへ座る。


 真琴は優也の腕へ絡んだまま、手袋越しに重ねた手を見た。


「手袋だと、ちょっと違いますね」


「感覚分かりにくいな」


 真琴は少し迷ったあと、片方だけ手袋を外す。


「外します?」


「寒いやろ」


「少しだけなら」


 優也も片方だけ外した。


 素手同士で重ねる。


 冷えた空気の中では、互いの手の温度がはっきり分かった。


「こっちのほうが落ち着きます」


 真琴が小さく言う。


 優也も少しだけ照れた。


「俺も」


 真琴の指がゆっくり動き、優也の指へ重なる。


「寒なったら戻そ」


「はい」


 戻る条件は簡単だった。


 冷たくなったら手袋へ戻す。


 今はまだ、その必要はない。


          ◇


 十分ほど休み、二人は再び歩き始めた。


 手袋は着け直したが、腕は組んだままだった。


 園内を全部回る必要はない。見たい範囲を見終えたところで、駐車場へ戻る。


「もう満足?」


「はい。十分です」


「俺も。寒くなる前に戻ろ」


 ACROSSへ戻るまであと十分ほど。


 その頃には、事前に設定した予熱が始まっているはずだった。


 今日の主目的が本当に満たされるか。


 結果が分かるのは、もうすぐだった。


          ◇


 玄関を開けた瞬間、外との違いがはっきり分かった。


 冷えた頬へ暖かい空気が触れ、上着を脱ぐ前から帰ってきた安心感がある。


「暖かい」


 真琴が最初に言う。


「これは三十分前で正解やったな」


「快適です」


 ACROSSが声を出した。


〈本日の主目的“帰着時の快適性確認”について、二人の評価を確認してよいですか〉


「俺は良かった」


「私もです。入ってすぐ寒くないのがいいです」


〈承知しました〉


 優也は上着を脱ぎながらモニターを見る。


「電気はどれくらい使った?」


〈十五分前開始と比較した推定差は提示できます。ただし、本日の主目的は快適性確認です。副目的として過剰消費回避を設定しているため、参考値として扱います〉


「見せて」


 モニターへ簡単な比較が出る。


 三十分前開始のほうが消費は増えている。


 ただし、外気温、車内初期温度、日射の有無で差は変わるため、一回だけで固定判断はできない。


「今日の目的では良かった。でも、省電力として一番ええ方法かはまだ分からん?」


〈はい〉


 真琴が頷く。


「同じ結果でも、目的が違えば評価が変わるんですね」


〈はい〉


          ◇


 真琴はノートを開いた。


『試行前に評価目的を設定』

『主目的と副目的を分離可能』

『一つの結果を全目的への成功と扱わない』

『評価軸ごとに結果を保持』

『快適性で有効でも、省電力で最適とは限らない』

『目的が競合する場合は優先順位を設定』

『“良かった”を一つの意味へまとめない』


 書き終えてから少し考える。


「これ、前にやった“複数の意味を一つにしない”のと似てますね」


「今回は結果のほうやな」


「はい。一つの結果に、一つの評価しかないわけじゃない」


 ACROSSは静かに返す。


〈その理解で問題ありません」〉


 推定だけではなく、結果の評価にも複数の軸を持つ。


 何が起きたかだけでなく、何を確かめようとしていたのか。


 そこまで揃って初めて、評価に意味が出る。


          ◇


 夕食は外へ寄らず、ACROSSで簡単に作ることにした。


 冷蔵庫の野菜と卵を使い、具の多いスープとパンで済ませる。


「今日は先生なしやな」


「スープくらいなら大丈夫でしょう」


「信用ない?」


 真琴が少し笑う。


「あります。前より」


「前よりかい」


 キッチンへ二人で立つ。


 前回グラタンを作った時のようにテーブルを動かす必要はない。作業量も少なく、通常位置のままで十分だった。


「今日はテーブル動かす提案せえへんのやな」


〈現在の作業量と仮置き面積では、通常配置で十分です。前回有用だったことは保持していますが、同じ調整を毎回提案する必要はありません〉


「そこも目的次第か」


〈はい〉


 一度うまくいったものを、何でも次回へ持ち込まない。


 必要な時だけ使う。


 その扱いも、少しずつ自然になってきた。


          ◇


 スープが完成し、二人はリビングへ戻った。


 真琴が一口飲んで頷く。


「美味しいです」


「今日は聞く前に言うたな」


「言いたかったので」


「ほな確認済み」


 真琴が笑う。


「そこはまだ言うんですね」


 二人で笑いながら食べる。


 食後、ライトアップで撮った写真を見返した。


 明るい中央広場。


 白い息。


 温かい飲み物。


 ベンチで少しだけ写った二人の手元。


「最近、手の写真多いな」


「増えましたね」


「顔より手なん?」


 真琴は少し考える。


「どっちも好きです」


 優也が一瞬だけ横を見る。


「写真の話?」


 真琴の動きが少し止まった。


「……今は写真の話です」と


「今は、ね」


「そこ拾わなくていいです」


 優也は笑い、それ以上は聞かなかった。


 今は写真の話。


 本人がそう言ったなら、そこまででいい。


          ◇


 食後は同じブランケットを膝へ掛け、ソファへ並んで座った。


 真琴はいつものように優也の腕へ絡み、優也はその手へ自分の手を重ねる。


 今日は室内なので、手袋もない。


 真琴の指先は温かかった。


「ライトアップの時よりあったかいな」


「そりゃ室内ですから」


「さっき素手にした時、結構冷たかったやろ」


「でも、あれは良かったです」


 優也が少し横を見る。


「何が?」


 真琴は言ってから少し照れたように笑った。


「手袋越しより、ちゃんと触れてる感じがするので」


 優也も少しだけ照れながら笑う。


「ほな、安心感で言えば良かったってこと?」


「そうですね。評価目的を言うなら、安心感です」


「そこまでACROSS風にせんでもええやろ」


「でも分かりやすいです」


 優也が重ねた手を少しだけ握る。


「俺も、そこでは良かったと思う」


 真琴の指がゆっくり絡む。


 言葉にしたあとも距離が変わらない。


 それが一番分かりやすかった。


          ◇


 少しして、真琴が優也の肩へ頭を預けた。


 優也は肩の位置をほんの少しだけ変える。


「今、動きました?」


「首きつそうやったから」


 真琴は一度だけ肩の位置を確かめ、少し深く預け直した。


「ありがとうございます」


「合わんかったら戻すで」


「今のほうがいいです」


 その返事を聞いて、優也もそれ以上は動かさなかった。


「了解」


 それで終わった。


 姿勢を変えた理由を全部説明する必要もない。


 今のほうが楽。


 それが分かれば十分だった。


          ◇


 帰る時間が近づき、真琴は手袋を着けながら言った。


「インナー、今日は暖かさだけは確認できました」


「蒸れは?」


「今日はそこまで長時間じゃなかったので、まだ分かりません」


 優也は少し考え、つい検証の続きを口にしかけた。


「ほな次回の課題やな」


「何でも課題にしなくていいです」


 真琴が笑うと、優也もすぐに頷いた。


「確かに」


 二人で笑った。


 何でも検証しなくていい。


 必要になった時に、必要なことだけ確かめればいい。


 それも、最近のACROSSが覚え始めたことと同じだった。


          ◇


 外へ出る。


 真琴は優也の腕へ絡み、優也はその手へ手を重ねる。


 手袋越しだと、やはり感覚は少し遠い。


 数分歩いたところで、真琴が言った。


「一個だけ、外していいですか?」


「手袋?」


「はい」


 真琴は片方だけ外す。


 優也も同じように外した。


 今度はベンチではなく、歩きながら素手同士で重ねる。


「寒なったら着けるで」


「はい」


 その条件は二人とも分かっている。


 すぐには戻さなかった。


 寒くなるまでは、手袋より互いの手の温度を選んだ。


          ◇


 駅が近づく頃、優也が真琴の手を少しだけ握った。


 今までのように上へ置くだけではなく、指先が少し絡む。


 真琴の歩幅が一瞬だけ遅くなる。


「嫌?」


 優也が小さく聞く。


「嫌じゃないです」


 真琴は、そのまま指を絡め返した。


 腕を組みながらなので、普通の手繋ぎとは少し違う。


 それでも、今までよりはっきり相手の手を持っている感覚があった。


「これ、何を確かめてます?」


 真琴が少し笑いながら聞く。


 優也は少し考えた。


「……別に何も確かめてへんかも」


「試してるわけでもない?」


「うん。したかっただけ」


 真琴は前を向いたまま、少しだけ頬を赤くした。


「私もです」


 それ以上の評価軸はいらなかった。


 試行でも検証でもなく、二人ともそうしたかった。


 その一点だけで十分だった。


          ◇


 帰宅後、真琴から今日の記録が届いた。


『ACROSSは、一時試行を評価する前に“何を確かめるための試行か”を設定し、結果を目的別に分けて保持するようになった。同じ結果でも、快適性・省電力・速度・静音など評価軸が違えば結論は異なる』


 優也はその一文を読みながら、今日の予熱を思い返した。


 三十分前から暖めた。


 帰った瞬間、車内は快適だった。


 その目的では良かった。


 でも、一番電気を使わない方法だったかは分からない。


 十五分前でも十分だったかもしれない。


 もっと短くてもいい日があるかもしれない。


 だから、“良かった”だけでは足りない。


 何に対して良かったのか。


 何を確かめたかったのか。


 そこが違えば、同じ結果でも意味は変わる。


 優也は少し笑った。


 ただ、帰り道のことまで同じように考える必要はない。


 真琴の手へ指を絡めた。


 何かを検証したかったわけではない。


 安心感を測りたかったわけでもない。


 続けられるか試したわけでもない。


 ただ、そうしたかった。


 真琴も同じだと言った。


 それで十分だった。


 ACROSSには、目的を分けて考える力が必要だった。


 けれど、人と人の間には、目的なんて決めなくても始まるものがある。


 全部を同じ仕組みへ押し込めなくてもいい。


 優也はスマートフォンを置き、指先に残る感触を思い出す。


 手袋を外した冷たい空気。


 絡んだ指。


 真琴が返してきた力。


 次の土曜日は、真琴が見つけた冬のクラフト市へ行く予定になっている。


 短い制作体験も予約してある。


 今度は、どこまでやれば十分なのか。


 その線をACROSSが考え始めることになるとは、この時の優也はまだ知らなかった。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


続きが気になりましたら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

評価・感想も励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。