隔離の子
父は衝撃で三日三晩、まともに飲み食いできない状態で、放心していたというが、母は違った。
目、鼻、口があるべきところにない、異形のわたしを愛おしそうに抱いて、陽だまりのような優しい声で話しかけた。
産婆姉妹は、出歩く人もいなくなった真夜中に、わたしを連れて帰宅することを提案してくれた。
「この赤ん坊は泣かねえし、誰さも気づかれねえ。わしらも聞かれたら、死産であったって言う。お前たちもそうしろ」
産婆姉はそう言った。
わたしはまさに、顔のない生きた人形だった。
当初おどおどしていた父も、わたしと接するうちに愛情を示すようになった。元来優しい男なのだ。
幼児期のわたしは、そう手はかからなかったと思う。
当たり前だ。わたしは泣くことも、食べることもしない。いや、できない。言い方は悪いが、動物より育てやすかっただろう。
今まで物置同然にしていた部屋が、わたしに当てがわれた。
玄関先から見えず、明り取りの小さな窓だけの部屋。よもや、赤ん坊がいるとは誰も思わなかったはずだ。
母は一日のほとんどを、わたしと過ごした。
周囲の人も、死産にショックを受け塞ぎ込んでいるのだろうと、母の外出が減っても不審に思う者はいなかった。
問題は、わたしが立って歩くようになってからだ。
わたしは気味の悪いことに、食事を取らずとも成長した。わたしが人間ではないことの証明、その二だ。顔がなくても生きているのが、その一。
もちろん、母が出会ったあの不思議な鳥――『件の鳥』のせいだろう。
わたしは見ることも、嗅ぐことも叶わなかったが、不便に感じたことはなかった。生まれつきなのだから、それが当然だろうと思うかもしれない。しかし、そういうことではないのだ。
わたしには、周囲の状況を脳裏で直接感じることができた。
母の顔も、父の顔も、自分の育った部屋のことも、全部覚えている。言葉もちゃんと理解していた。勘も鋭かった。だから、わたしの容姿が他人と大きく違うこと、人に見られたら父母に迷惑をかけてしまうことは、早い段階で察していた。
物分かりの良いわたしは、自ら人目を避けることを徹底していた――つもりだった。
ある日、誘惑に負けてしまった。あれはわたしが四歳になったばかりの頃だろうか。
歌が聞こえた。歌といっても歌詞なんかはない。子どもの鼻歌のようなものだ。
それが、明り取りの窓の外から聞こえた。
窓の外がどうなっているかはわからなかった。家から一歩も出たことはなかったし、窓はわたしの背の届かない場所にあったから。
その日、初めて外に出たいと思ってしまった。壁一枚隔てた場所で歌う子どもの声に魅かれていた。上手いとか下手とか、曲名なんてどうでも良い。あの温かい声の持ち主はどんな子だろう。そう思うといてもたってもいられなくなった。
父はまだ仕事から帰ってきていない。母は近所の家のお婆さんが亡くなったとか言って、数時間前に出て行った。
「遅くならないようにするから。父さんが戻るまで、少しの間、静かに部屋にいてね」
一度もそんなことはしたことがないのに、母は心配そうに念を押した。何か、感じるものがあったのだろうか。
そして、わたしはそっと、玄関の扉を開いた——。




