第95話 少女は、終わりの夢を見る
夕暮れが、畑の輪郭をやわらかく溶かしていた。
昼の熱を名残惜しそうに残した土の匂いに、春の冷えが混じる。
今日の畑仕事を終えたデネラは、自然とリブのいる方へ足を向けていた。
ここ最近、彼は頻繁に畑を手伝いに来る。
気づけば、それが当たり前のようになっている。
今日のお駄賃は、キャベツとじゃがいも。
春に食べるには、ちょうどいい野菜だ。
それらを籠に入れ、ふかふかとした畑の中へ踏み入る。
「最近、いっつもうちを手伝ってくれるけどさ。冒険者の方はいいの?あっちの方が稼げるでしょ」
デネラは籠を地面に下ろし、腕の裾で額の汗を拭った。
気づかぬうちに、頬に土がつく。
「お前ん家の手伝いの方が忙しいだろ。困った時は、お互い様だ」
リブはそう言って、何気なく自分のタオルを取り出した。
そして、ためらいもなくデネラの頬に触れる。
土をぬぐうその手つきは、驚くほどやさしかった。
「それに最近、魔物が大人しすぎてな。依頼がねーんだよ」
彼は毎朝、ギルドには顔を出している。
けれど掲示板は、ほとんど空白だった。
残っているのは、今の彼には重すぎる依頼ばかり。
「不思議なこともあるもんだね……。まあ、それなら、しばらく農家でもいいか」
例年なら、春は魔物が動き出す季節だ。
討伐依頼が途切れることなど、まずない。
「まるで誰かさんの心と、連動してるみたい」
「あー……前に言ってたやつか」
「うん。ナナシちゃんの心の状態で、魔物の凶悪さが変わるんじゃないか説。あたしは一理あると思うけど」
「不思議チャンだからな、あいつ……。けど親父は『そうかもしれん』って言うだけでさ。ちゃんと調べてくれてんのかな」
「今の、モノマネ?似てたよ」
茶化すように言うと、リブは軽くデネラの頭をこづいた。
「親子だぜ」
胸を張って笑うその顔は、どこか誇らしげだった。
血は繋がっていない。
それでも、確かに“家族”の距離感だった。
「……親子でしたね」
「おうよ」
春の強い風が吹き抜ける。
舞い上がった土が、二人の足元に小さく当たった。
「風、強いな」
「帰ったらちゃんと洗いなよ。耳の中まで土だらけだから」
「お前はオレのカーチャンか!」
その言葉に、デネラの呼吸が一瞬だけ止まった。
――お母さん。
胸の奥で、かすかな痛みが生まれる。
不意に、かつてベガに言われた言葉が蘇った。
「……あたしを見つめる、あんたの瞳」
風に紛れるほど、声を落として呟く。
リブの耳には、届かない。
「なんか言ったか?」
デネラは答えず、ただ彼を見つめた。
いつの間にか逞しくなった体。
大人びた横顔。
いつもそばにいる、変わらない優しさ。
「な、なんだよ」
不服そうな声。
けれどその奥にあるのは、はっきりとした情だった。
胸が、急に苦しくなる。
「……なんでも、ない!!」
意識した途端、頬が熱くなる。
自分の方が先に気づいたのだと、思っていた。
でも――もし。
もし、この視線が向けられている先が、
“少女”ではなく、デネラなのだとしたら。
「急に黙るなよ」
さすがに困らせてしまったらしい。
デネラは大きく息を吸い、吐き切るように笑った。
「あたしさ、勘違いしてた。リブって、ナナシちゃんのこと好きなんだと思ってたの」
「……はぁ!?」
間を置いて、素っ頓狂な声。
「俺のどの要素で、あいつのこと好きになるんだよ」
「だって最初、『あいつの居場所は俺が作る!』って、すごい勢いだったじゃん」
「それは……っ」
「昔の自分を見てるみたいだった、とか?」
「……ぐっ」
沈黙が、答えだった。
父・ユウゴに拾われなければ、生き延びられなかった過去。
だからこそ、同じ匂いを持つ存在を放っておけなかった。
「……同族嫌悪、だよ」
「ふーん……。じゃあ、あたしの勘違いだったんだね」
「お前らしいな。アホらしい」
「すみませんね。自分のことになると、恋愛音痴みたいで」
「……“自分”? 」
言葉にしてから、デネラははっとして口を抑えた。
「好きなやつ、いんのか?」
「今の流れでそれ聞くの、面白すぎでしょ」
「なんだよ」
「あのー、もしや…リブさん。……鈍感ですか?」
「どういう意味だよ」
「あちゃーーーー」
デネラは空を仰ぎ、手で顔を覆う。
「この前、ベガさんに言われたの。気になる相手がいるなら、その人がどんな目で自分を見てるか、ちゃんと見なさいって」
「ベガさんのこと、好きなのか?」
「違う!!」
思わず声が大きくなる。
「……悪い」
伝わらない。
ここまで言っても、まだ足りない。
「無自覚って、罪だよ」
あんな視線を向けておいて、
それが何なのか分かっていない。
「あたしは別に、あんたとどうなりたいとか決めてない。ただ……あんたが、どうしたいか。ちゃんと考えて」
本当は、
デネラのことで、頭をいっぱいにしてほしかった。
「考えてよ」
意地悪だと分かっていて、言ってしまった。
「……お、おう」
曖昧な返事。
それでも、何かが揺れたのは分かった。
雲が、太陽を隠す。
再び強い春風が吹いた。
その向こうから、不規則な足音が聞こえてくる。
「あ……っ……くそ……ここにも、いないか」
「……ベガ、さん?」
息を切らし、髪をかきあげる男。
いつも冷静なその顔は、汗で濡れていた。
「どうしたんだよ」
「あの子が……レディが……いなくなった」
その言葉が落ちた瞬間、
畑の木々が、大きく揺れた。
静かに積み重なりはじめたものの上に、
確かな影が差し込む。
少女の行く先に、
終わりの気配が、忍び寄っていた。




