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ナナシと呼ばれた魔法使いが、神に拾われ魔王と恐れられるまで  作者: こいち


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第91話 少女は、何気ない日常に想いを馳せる

朝の光は、窓辺の魔石灯よりも、ずっと穏やかだった。

淡く、静かで、世界を起こさないまま差し込んでくる。

少女は、先に目を覚ます。

隣では、ベガが眠っていた。

規則正しい寝息。

呼吸に合わせて、胸がゆっくりと上下する。

その当たり前の動きが、なぜか胸に沁みた。


「……夢じゃない」


確かめるように、心の中で呟く。

それだけで、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。

そっと身を起こそうとした、その瞬間だった。

腕を取られる。


「……また一人で、どこかに行くつもりじゃないよね?」


寝起きの、少し掠れた低い声。

けれど、責める色はない。


「起こした……?」


「起きるよ。レディがいなくなるほうが、困る」


「どこにも行かないよ……」


「オレが、レディの帰る場所だって言質、まだ取ってないからね」


「……なにそれ」


言い終わる前に、もう一度引き寄せられる。

少女の額が、ベガの胸に触れた。

温度と、鼓動。


「……重いでしょ」


「全然。むしろ、ちょうどいい」


少女は、そのまま動くのをやめた。


「オレは……帰る場所になれた?」


「……じゃなきゃ、ここにいないよ」


少しの間を置いてから、ベガはゆっくりと起き上がる。


「朝食、軽めでいいよね?」


「……うん」


「じゃあ、座ってて」


「……え」


まただ、と少女は思う。

何もしなくていい場所に、そっと置かれる感覚。

台所に立つ背中を見つめながら、

少女は膝の上で指を組んだ。

手持ち無沙汰なのに、不思議と落ち着いている。

ベガが振り返り、笑った。


「そんな顔しなくていい。今日は……甘やかす日だから」


「……慣れないよ」


「言っただろ?意味があるとしたら、オレがそうしたいだけだって」


その言葉は、静かに、深く沈んだ。

食事は簡素だった。

焼いたパンと、温かなスープ。

それでも、向かい合って食べるだけで、十分だった。


「口、ついてる」


「……え」


指先が、そっと頬に触れる。

一瞬で離れるのに、心臓が大きく跳ねる。


「取れた」


「……ありがとう」


「どういたしまして、レディ」


その呼び方が、少女は好きだった。

特別で、でも、重くない。

食後、ベガは少女を窓際へ連れていく。


「ほら、こっち」


言われるまま近づくと、肩を抱かれる。


「今日は、なにするの?」


「……なにもしない。そういう日があってもいいだろ?」


「………いい」


「世界がどうであっても……今は、オレのものだしね」


その言葉を、どう受け取ればいいのかわからず、

少女はただ、ベガの服を小さく掴んだ。


午後は、本当に何も起こらなかった。

同じ部屋で、別々のことをして、

時々、視線が重なる。

そのたびに、ベガは微笑む。


「どうしたの?」


「……なんでもない」


「そっか」


それだけで、会話は終わる。

終わってしまうことが、怖くなかった。


夕方。

少女は、ベガの隣に座り、そっと体を預ける。


「近い?」


「全然。むしろ嬉しい。もう少し、こっちに来てほしいくらいだ」


促されて、距離を詰める。

自然と、膝の上に座る形になる。

少女は、少しだけ固まった。


「……いいの?」


「嫌なら離れてもいい。でも、嫌じゃなさそうだ」


「……」


否定できなかった。

背中に回された腕は、しっかりしているのに、優しい。


「落ち着く」


「……ほんと?」


「ほんと。レディがいると、全部……静かになる」


胸の奥が、じん、と鳴った。

その時、魔石が起動する音がした。


「ああ……もう時間か」


浴室の奥から、微かな振動。

指定された時刻になると、自動で湯が張られる。

安定した魔石の音は、生活の一部のように小さい。

少女は、ベガの上に腰掛けたまま、その気配を聞いていた。

やがて、廊下まで湯気が漂ってくる。


「先に入ってきなよ」


「……一緒は、いいの?」


冗談のつもりだった言葉が、

胸の奥で、少しだけ強く脈打つ。

ベガは一瞬、視線を逸らし、苦笑する。


「今日は我慢する。代わりに……後で、ちゃんと甘やかさせて」


「……やめてよ」


少女は熱くなる顔を誤魔化すように、浴室へ逃げた。

湯は柔らかく、体の芯まで染み込む。

肩まで浸かると、自然と呼吸が深くなる。


――生きてる。


――ちゃんと、ここにいる。


そう思えた。

湯から上がると、ベガが用意した布で髪を包まれる。


「拭くよ」


「……うん」


少女は素直に椅子に座る。

慣れた手つきで水気を取り、

指先に魔力が宿る。

ふわり、と温かな風。

音もなく、撫でられるように乾かされる髪。

少女は思わず目を閉じた。

触れられていないのに、

触れられているよりも、丁寧だった。


「動くなよ……結構、慎重な作業なんだから」


低い声が、すぐ近くにある。

それだけで、心臓が静かに高鳴る。


「明日は、もっと上手くなっておく」


「……うん」


即答できた自分に、少し驚く。

明日の約束ができたことに。



夜。

灯りが落とされ、魔石灯が淡く揺れる。

外の世界から切り離されたみたいに、静かだった。

ベガは先にベッドに腰掛け、少女に手を伸ばす。


「レディ。おいで」


命令ではなく、誘い。

少女は一瞬迷い、それから近づく。


「甘やかすって言ったの、忘れてないよね?」


首を振ると、

腕がそっと背中に回る。

強くはない。

逃げ道を残したまま、体温だけを伝える距離。

呼吸の音が近い。

自分の心臓の音も、きっと聞こえている。


「……あったかい」


「そうだね。レディは……特に」


軽く顎が、頭に乗る。

髪に触れる指先は、撫でるだけ。

少女は、そっとベガの服を掴んだ。

拒まれなかった。

それが嬉しくて、もう少しだけ距離を詰める。


「続き……してもいい?」


囁く声が、耳に近い。


「……ん」


「そのまま、ゆっくり。……焦らなくていい」


指が緊張でうまく動かない。

いつも簡単に外せるボタンが、なかなか言うことをきかない。


「……かわいい」


少女は、ベガの胸に額を預けた。


「……ずるい」


規則正しい鼓動が、確かに伝わってくる。


「……このまま、オレがエスコートしてもいい?」


「………いい、よ」


答えたあと、

ベガは少女の肌に鼻先を寄せ、深く、長く息を吸い込んだ。

切実で、抑えきれない呼吸。

背中を撫でる手は、眠りを誘うようにゆっくりで、

それでも、確かに存在を確かめる動きだった。

少女は、目を閉じる。

胸が、静かに満たされていくのを感じながら。

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