第69話 少女は、底のないものを受け入れる
荒野の奥で、ロックライノは静かに息をしていた。
岩と見紛う外殻は、夕暮れの光を浴びても、ほとんど色を変えない。
「あれが……ロックライノ……」
――でかい。
少女の三倍はある巨体。
あの質量で真正面から受ければ、生きてはいけない。
「まだ、気づかれていないよ」
「……わかってる」
背後にはベガ。
心強いが、頼りたくはない男。
よほどのことがない限り、彼の干渉は避けたかった。
「ふぅ……」
距離を保ったまま、魔力の流れを探る。
赤い光が、自然と指先に集まった。
――だが。
「……っ!」
放たれた火は、ロックライノの表面をなぞっただけで霧散する。
焼ける気配はない。
それどころか、拒まれるように弾かれた。
「……相性が、悪い……?」
「ああ。言い忘れてたけど、ロックライノに炎魔法は無効だよ」
「……早く言って」
「知ってると思った」
炎は、岩に近い存在にはあまりに非力だった。
少女の攻撃に反応し、硬い岩盤が軋む。
ロックライノが、敵を認識したのだ。
巨体が地を蹴り、少女へと突進する。
――けれど、触れない。
神に愛された少女に、魔物は直接攻撃できない。
死なないことは、知っている。
ロックライノは、寸前で動きを止め、苛立つように唸った。
「……どうしたら……」
焦りが、胸の奥に滲む。
もう一度、力を込めようとする。
「水魔法が有効だよ?」
背後で、ベガが腕を組み、余裕の笑みを浮かべていた。
いつもの、甘い表情。
「……うるさい」
その軽さが、余計に焦燥を煽る。
ロックライノが低く唸り、大地を踏みしめる。
その振動が、腹の底まで響いた。
「出来たら、苦労しないよ……」
初めて魔力に触れたときの感覚が、脳裏をよぎる。
暴走した水。
制御できなかった力。
すべてを飲み込みそうになった、あの感覚。
(……また、ああなったら)
振り出しだ。
躊躇が、指先を鈍らせる。
可能性が溢れすぎて、思考がまとまらない。
――広すぎる。
キャンバスが、再び膨らもうとしている。
興奮したロックライノが、大地を揺らす。
「……そうか」
少女は、呟いた。
「底がないなら――底なしで、いいんだ……」
制御しようとするから、溢れる。
区切ろうとするから、迷う。
(……無限があるなら……無限のまま、使えばいい)
視線を、地面へ落とす。
火でも、水でもない。
攻撃でも、防御でもない。
ただ――落とす。
地表の、ごく薄い層だけを認知する。
氷の膜のような、脆い境界を広げる。
ロックライノが踏み込む。
――バキリ。
薄氷を踏み抜いたときの音。
最も簡単で、最も壊れやすい割れ方。
耐えきれなくなった地面が、崩れ落ちる。
弱くなった足場を、ロックライノは自ら踏み抜いた。
その先にあるのは――
底の見えない奈落。
重い身体は、抗う間もなく闇に吸い込まれ、
やがて音すら、消えた。
残ったのは、風と、静寂だけ。
少女はしばらく、その穴を見つめていた。
遅れて、自分の鼓動が耳に戻ってくる。
「……」
背後で、拍手の音。
「上出来だ」
ベガは笑う。
いつもの余裕ある声で。
けれどその奥に、解けた緊張が、わずかに滲んでいた。
少女は――
自分が、一つ越えたことだけを、静かに感じていた。




