第三章 千年の狩人、檻の中
◆ ◆ ◆
┌─ 【手記・DAY 5】
│ 北へ向かっている。
│ ガルドが「車」に乗れて喜んでいる。
│ 運転手にはあとで詫びる。
│ ヴェイルが心配だ。
│ 彼女が手加減を知らないことを、僕は知っている。
└────────────
1
「北海道」という地名を、僕は道中で覚えた。
この国は、いくつかの大きな島でできているらしい。北海道は、その北の端。寒く、森の多い土地だという。
僕とガルドは、二人で大きなトラックの荷台に潜んでいた。運転手の男には申し訳ないことをした。彼はサービスエリアという場所で食事をしている隙に、ガルドの巨体を運ぶ手段を奪われたわけだ。あとで、必ず、何らかの形で詫びる。
ガルドは、走るトラックの荷台で、満面の笑みを浮かべていた。
「兄弟。馬車より、速いな、これ」
「ああ」
「揺れねえな」
「うん」
「いいな、現代日本」
僕は、苦笑するしかなかった。
──彼の単純さが、今は、救いだ。
地図の上の三つ目の赤い点は、相変わらず点滅していた。怒っているヴェイルというのは、見たことがある人間にしか分からない種類の、純粋な災害だ。
2
ニュースは、ガルドの提案で、トラックの中の小さな箱から得た。
ガルドは「これ、賢者みたいなことを言うやつだな」と感心していた。賢者を引き合いに出されると、僕も少し笑える。
北海道の山間部で、密猟者を狩る「謎のエルフ女」の話題が、繰り返し流れていた。
──エルフ女。
この世界の人間は、彼女を即座に「エルフ」と認識していた。物語の中の存在として、エルフという概念だけは、彼らも知っているらしい。だからこそ、話がややこしくなっていた。
「あれは、コスプレではない」
「あれは、本物だ」
「いや、特殊メイクの可能性がある」
画面の中で、見たこともない格好をした男たちが、何時間も議論していた。
そして、繰り返し流される、ヴェイルの後ろ姿。
──撮影者は、彼女を撮ろうとして、彼女に追われていた。
画面が激しく揺れ、悲鳴、舌打ちのような小さな音、そして「Don't shoot animals for fun」という、たどたどしい英語の声。
ヴェイルが、英語を話している。
──正確に言うと、彼女が話しているのは、この世界の言葉だ。元の世界では存在しない、英語という、もうひとつの言語だ。
だが、彼女はそれを使っていた。
僕と同じだ。
僕たちは、なぜか、この世界の言葉を、最初から知っている。
誰かが、あるいは、何かが、それを僕たちに与えた。
──そう、考えるしかなかった。
3
ヴェイルが捕まったのは、僕たちが北海道に着く、その朝のことだった。
ニュースの中の男たちは、勝ち誇ったように、彼女の連行映像を流していた。
両手両足を縛られ、見たことのない透明な囲いの中に押し込められた、千歳超のエルフ。
彼女は、暴れていなかった。
ただ、囲いの内側から、青服の男たちを、一人ずつ、じっと睨んでいた。
──ああ。
僕は、知っている。
あの目は、ヴェイルが「相手の名前を覚えている」目だ。
彼女は、自分を捕らえた人間を、一人残らず、覚える。そして、いつか、必ず、報いる。それがエルフの流儀だ。
「兄弟」
ガルドが、ぼそりと言った。
「これ、急がねえと、青服が全員、死ぬぞ」
「ああ」
「ヴェイルは、容赦ねえからな」
「ああ」
僕は、すぐに行動を開始した。
4
「警察署」と呼ばれる建物の前に着いたとき、外はすでに、報道陣でごった返していた。
「マスコミ」というやつだ、とガルドがしたり顔で説明した。彼はトラックの中で見たニュースで、もうこの世界の単語をかなり覚えていた。順応の早さで言えば、ガルドは僕たちの中でも特に上位だ。彼は単純で、単純な人間は、強い。
僕は、人混みを避けて、建物の裏に回った。
「ガルド、お前は外で待っていてくれ」
「俺も行きてえ」
「お前が建物の中に入ったら、建物が壊れる」
「……たしかに」
「もし、僕が出てこなかったら、そのときは好きにしてくれ」
「好きにしていいのか」
ガルドの目が、子供のように輝いた。
僕は、慌てて補足した。
「人は、殺すな」
「了解だ、兄弟」
彼は、両手を後ろに組んで、にやにやと笑っていた。心の底から信用していいのか不安になる笑い方だった。
──だが、信用するしかない。
僕は、建物の壁を、一気に駆け上った。
5
ヴェイルは、地下の留置場にいた。
廊下を歩く僕の姿を、防犯カメラ──というものがあるらしい──が捉えていただろうが、そんなことは気にしなかった。剣の柄に手を置き、僕は、まっすぐに彼女のもとへ向かった。
彼女は、檻の中で、片膝を立てて座っていた。
一千歳超のエルフ。見た目は三十前後の、信じられないほど整った顔立ちの女。長い銀の髪を、無造作に肩の前に流していた。
僕を見て、彼女は、まず舌打ちをした。
「遅い」
「すまない」
「私が、こんな格好で、こんな場所にいる時間が、どれほど屈辱的だったか、お前に分かるか」
「分からない。すまない」
「いつもそうだ。私が分からないと言うものを、お前はいつも、分からないままで謝る」
ヴェイルの口調は、いつもの命令口調だった。
だが、ほんの少しだけ、安堵が混じっているのが、僕には分かった。長い付き合いだ。
「ヴェイル」
「なんだ」
「人を、殺してはいないな?」
「殺してない。お前が来るまでは、と思って我慢していた」
「ありがとう」
「ただし、ここを出たら、私を撮影した男だけは殺す」
「ヴェイル」
「冗談だ。耳を、切り落とすだけにする」
「ヴェイル」
「鼻にしよう」
「ヴェイル」
彼女は、ふん、と鼻を鳴らした。
「冗談だ、レイン。お前が来た以上、ここの人間に、私はもう、用はない」
僕は、彼女の言葉を、信じることにした。
──彼女が、本気で誰も殺さないと決めたら、絶対に殺さない。それは、エルフの矜持だ。
僕は、檻の鍵を、剣で軽く叩いた。
精密に、最小限の力で。
錠が、音を立てて落ちた。
ヴェイルは、ゆっくりと、檻から、出てきた。
そして、廊下を歩き始めた瞬間、彼女の足が、一度だけ、止まった。
壁に貼られた、何かの注意書きの紙が、空調の風で、ぱさり、と、鳴っていた。
ただ、それだけだった。
だが、ヴェイルは、その紙を、しばらく、見ていた。
「ヴェイル?」
「……人間の作った建物は、紙の音がする」
「ああ」
「森は、しない」
彼女は、それだけ言って、また、歩き出した。
僕は、彼女の背中を、見ながら、歩いた。
──ヴェイルが、人間の作る建物を、好まない理由を、僕は、千年、ちゃんと、聞いたことがない。
ただ、知っていることが、ひとつだけ、ある。
彼女が、二度と口にしない、ある森の名前があるということ。
その森は、今は、もう、ない。
人間が、燃やしたからだ。
6
外に出ると、ガルドがマスコミに取り囲まれていた。
彼は、地面に座り込み、子供たちに頭を撫でられていた。
「兄弟、見ろ。俺、人気者だ」
「……お前、何やってるんだ」
「人を、殺してない」
ガルドは、誇らしげに胸を張った。
ヴェイルが、僕の隣で、ふっと笑った。
「変わらないな、あの男は」
「ああ」
「レイン」
「ん」
「他のやつらは」
僕は、地図を取り出した。
三つの赤い点が灯っていた。そして──。
海の上の、ずっと、ずっと遠くに、四つ目の点が、ちらりと現れた。
点ではなかった。
赤い、染みのような、もやだった。
──魔法使い。
ヴェイルが、僕の地図を覗き込み、眉をひそめた。
「これは、嫌な予感がするな」
そのとき、ガルドを取り囲んでいたマスコミの一人が、自分の小さな板を見て、声を上げた。
「速報です! 太平洋上で、米軍の空母が、何か正体不明の存在と接触──」
僕とヴェイルは、無言で、視線を交わした。
ヴェイルが、いつもの調子で言った。
「ノアだ、間違いない」
「ああ」
「あの、性別も種族も分からない、悪趣味な魔法使いだ」
◆ ◆ ◆
── 第三章 了 ──
次章「海上の影」へ続く
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ヴェイルの面倒くささと頼もしさが伝わっていたら嬉しいです。
次回もお楽しみに。




