第一章 白紙の地図、東京駅3番ホーム
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┌─ 【手記・DAY 1】
│ 初めて人を斬らずに済んだ。
│ 撃たれた。痛かった。すぐ治った。
│ 白い部屋に閉じ込められている。
│ でも、ガルドを見つけた気がする。
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最初に僕に話しかけてきたのは、駅員と名乗る制服姿の若い男だった。
「お客様、コスプレでしょうか。剣のようなものは、お持ち込みいただけないんですが──」
コスプレ、という言葉の意味が分からなかった。
だが、相手の口調が攻撃的ではないことは分かる。僕は丁寧に頭を下げた。これは元の世界でも変わらない、僕なりの礼儀だ。誰だって、頭を下げられて悪い気はしない。
「すまない。土地に不案内なものでな。少し、道を尋ねたい」
駅員はぽかんと口を開けたあと、なぜか少し笑った。
「お役者さんですか? いい役作りですね。あ、剣はカバンに入れてもらえますか」
カバンとは何だろう、と思った。だがそれを聞き返す前に、僕は素直に剣を腰から外そうとして──
そのとき、悲鳴が上がった。
駅構内の、明かりの強い店。あとで「コンビニ」と呼ぶことを知る、あの店だ。
そこから男が二人、転がるように飛び出してきた。
一人は黒い覆面をかぶり、手には見たことのない形の短い筒を握っていた。もう一人は両手で札束のようなものを抱えている。盗み、だと一目で分かった。元の世界でも、盗賊の動きはあれと似ている。違うのは、彼らが背負っているものの軽さだ。これは、命を懸けた強奪じゃない。もっと、軽い。日常の延長で、誰かのものを奪っている。
僕の中で、何かが反応した。
「どけっ! 撃つぞ!」
男が叫び、筒の先を、僕に向けた。
乾いた破裂音が響いた。
僕の右肩を、何かが掠めた。痛みより先に、違和感が来る。
──速い。
矢よりも、魔法弾よりも、ずっと速い。だが、見えないわけじゃない。
僕は反射的に剣を抜いていた。
細身の片刃が、駅の照明を一度だけ反射する。
二発目。三発目。四発目。
すべて、剣の腹で叩き落とした。
火花が散る。乗客の悲鳴が遠くで聞こえる。覆面の男は、自分の銃と、地面に転がる弾丸を交互に見て、それから、初めて僕の顔を見た。
「な──」
僕は、男との距離を一歩で詰めた。
斬らない、と決めた。
この男はまだ、誰も殺していない。だったら、僕も殺さない。それが、僕の中で決めている、勇者としての一線だった。
剣の峰で、男の手首を打つ。銃が地面に落ちる。
もう一人の男は札束を抱えたまま、尻もちをついて震えていた。
「すまないが」僕は、できるだけ静かな声で言った。「人に向けて武器を抜くものではないよ」
駅構内が、しん、と静まり返った。
数秒後、ようやく我に返った乗客の誰かが、震える指で携帯電話を構え、こちらに向けた。
あれが何なのか、僕はまだ知らない。
僕の顔が、世界に向けて配信されていることを、僕はまだ知らない。
そのあとのことは、うまく説明できる気がしない。
青い服を着た、武装した男たちが大勢やってきた。彼らは僕と犯人の両方に「動くな」と叫び、両方に銃口を向けた。
──両方に。
そこで、僕は初めて、嫌な予感がした。
助けた側と、奪った側を、彼らは区別しない。少なくとも、今この瞬間は、区別する余裕がない。
僕は剣を鞘に納め、両手をゆっくりと上げた。仲間を探すために、騒ぎを大きくするのは得策ではない。今は従う。話は、あとでもできる。
だが、青服の一人が叫んだ。
「剣を捨てろ! 今すぐ!」
「これは、僕の相棒だ」
「捨てろ!」
僕は、内心で溜息をついた。
仕方なく、剣を腰から外し、ゆっくりと地面に置こうとして──そのとき、興奮した別の青服の指が、引き金にかかったのが、視界の端で見えた。
──ああ。
乾いた音が、二発。
僕の胸に、二つの穴が開いた。
「あ」
撃った青服が、自分の銃を見つめて、小さく呟いた。
僕は膝をついた。
痛い。
ちゃんと、痛い。
でも、それだけだ。僕にとって、胸を撃たれることは、転んで膝を擦りむくのと、本質的には変わらない。
不死。
それが、僕に与えられた、ただひとつの、最も呪わしい祝福だった。
傷口が、皮膚の下で、ぐじゅり、と音を立てて閉じていく。穴を埋めるように、肉が盛り上がってくる感触。何度経験しても、これだけは慣れない。
青服たちが、悲鳴を上げた。
僕を撃った男も、悲鳴を上げていた。
──ああ、そうか。
僕は、ようやく理解した。
この世界の人間にとって、僕の体は、見てはいけないものなのだ。
僕はゆっくりと立ち上がり、自分を撃った男の顔を見た。
男は、まだ二十代の前半に見えた。
怯えていた。
僕は、何も言わなかった。ただ、剣を地面に置き、両手を上げ直しただけだった。
彼の指が、もう一度引き金にかからないことだけを、祈りながら。
連れて行かれたのは、白い壁の、窓のない部屋だった。
手首には、見たことのない金属の輪が嵌められている。鋼のように見えるが、僕の力ならば造作もなく引きちぎれる。だが、引きちぎらなかった。今ここで暴れる意味がない。
壁の高いところに、四角い光る板が嵌め込まれていた。そこに、見たことのない文字と、見たことのある映像が映っている。
──僕自身の姿が、映っていた。
駅構内で剣を振るう、僕。撃たれて、立ち上がる、僕。
複数の角度から、繰り返し、繰り返し。
そして、その映像の隅に、別の文字が、流れるように現れては消えていく。
──速報 新宿で身長三メートル超の人物 暴れる──
僕は、その文字を、三度読み返した。
身長三メートル超。
新宿、というのがどこかは分からない。だが──。
身長三メートル超の人間なんて、世界に、僕の知る限り、ひとりしかいない。
僕の口元が、久しぶりに、ほんの少しだけ緩んだ。
「──ガルド」
巨人ガルド。
パーティーのタンク役。四メートルの盾を背負う、酒好きの大男。仲間想いで、戦闘になると豹変する、僕の親友。
生きている。
生きていて、たぶん、暴れている。
……いや、これは、暴れているんじゃない。
僕と同じだ。彼もきっと、誰かを助けようとして、誰かに銃を向けられているんだ。
白紙だった僕の地図の上に、二つ目の赤い点が、灯る気配がした。
僕は、手首の金属の輪を、もう一度だけ見下ろした。
──悪いけど。
仲間が、待っているから。
◆ ◆ ◆
── 第一章 了 ──
次章「巨人、新宿に立つ」へ続く
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