8 転校生
部活見学期間も終わり、もうすぐ5月と言う頃。ふわりも部活に馴染みつつあり、テツとの会話の機会も増えた。この日の朝も、ふわりはテツが学校に来たのに気が付くと、彼に歩み寄って明るい笑顔を見せた。
「テツ君、おはよう」
「あ、佐藤さん、おはよう」
「今日、美術部あるよね。一緒に行かない?」
「うん。一緒に行こう」
テツに優しい笑顔を見せられ、ふわりは頬を染めながら頷く。
その様子を、美世は前の席から見守っていた。
(順調に仲良くなれてるって感じね。……このまま、ふわりが辛い目に遭わずにくっついてくれればいいんだけど)
「なあ、安住」
不意に、桂が美世の席まで来て声を掛けてきた。
「何?」
美世が尋ねると、桂はふわりの方を見ながら口を開いた。
「テツって、佐藤の気持ちに気づいてるのか?」
「ああ……どうだろうね。でも、ふわりが嬉しそうだから、私はそれでいい」
美世はそう言うと、桂の方を真っ直ぐに見つめる。
「それで、あんたは何でそんなこと聞くの?」
美世に鋭く見つめられ、桂は口ごもった。その様子を見て、美世は更に語気を強める。
「私に言えない理由?」
「……別に後ろめたい理由じゃない」
桂はそう言うと、美世にはっきりした声で尋ねた。
「好きな人に好きな人がいたら、安住はどうする?」
桂の言葉に、美世は目を丸くする。
「……あんた、まさか」
「答えてよ」
桂の真剣な顔を見て、美世は口を閉ざして考え込んだ。
好きな人、と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、部活見学の時の冬紀との会話だ。しかし、桂の状況とは異なり、冬紀は明らかに自分と一緒にいてくれようとしている。それが恋から来る感情なのかは分からないが、冬紀が自分を大事に思ってくれているのは事実だ。そんなこと、誰に言われなくても美世は分かっていた。だが……。
(冬紀と一緒にいるなんて、きっとパパとママが許さない。でも、私は冬紀の気持ちに気づいてて……)
「安住?」
桂に声を掛けられて、美世は我に返った。
「ああ、ごめん。私は……好きな人の気持ちを、優先すると思う。好きな人の好きな人とか、周りの人とか、空気とか……とてもじゃないけど、逆らえない」
言葉尻がしぼむ。自分の無力感を再確認して、美世は唇をかんだ。
その様子を見て、桂は小さくため息を吐く。
「そうだよな。俺もそうかも。……佐藤が笑えてるなら、テツの方がいいよな。ごめん、変なこと聞いたわ」
そう呟き、桂は悲しそうな顔で自分の席に戻っていく。それを見送って、美世は俯いた。
(桂も、ふわりも、好きな人のことで必死にもがいてる。でも、私は……全部諦めて、冬紀から逃げてる)
ちょうどチャイムが鳴り、生徒達が続々と席に着き始めた。椅子や机の動く雑多な音を聞きながら、美世は心の中で呟く。
(私、ずるいな)
教室のドアが開き、泉が入ってきた。
「みんな、おはよう。今日は転校生を紹介する」
「転校生」というワードに、生徒達はざわめく。ふわりも、教室の入り口を注視した。
「オルラ、入っていいぞ」
泉の声と共に、教室に女子生徒が入ってきた。スラリとした足。背中まで伸びた銀杏色の髪は低い位置でツインテールにされており、歩くたびに揺れる。背は低めで、体格も華奢。まるで人形のような見た目の少女に、生徒達は釘付けにされた。
少女は教卓の脇に来ると、透き通った緑色の瞳で生徒達を真っ直ぐに見つめて口を開く。
「オルラ・モーガンです。イギリスから、家族の仕事の都合で転校してきました。よろしくお願いします」
オルラが自己紹介を終えると、教室中が拍手に包まれた。ふわりも拍手をしながら、オルラの方を見つめる。
(イギリスか……たしか、おばあちゃんが住んでた場所だよね。おばあちゃんのことは全然覚えてないけど、お母さんがそう言ってたはず)
「席は……佐藤の後ろが空いてるな。オルラ、真ん中の列の一番後ろに座ってくれ」
「分かりました」
オルラはスタスタと席へ向かう。途中、ふわりの方をちらりと見て、ナデシコの髪飾りを確認して目を細めた。
「佐藤さん、よろしくお願いしますね」
席に着いたオルラは後ろからふわりに声を掛けた。ふわりはそれに振り返って、笑顔で頷く。
「オルラちゃん、よろしくね」
「さて、ではホームルームを始めるぞ」
泉の声で、生徒達の注目が彼女に移った。そんな中、オルラはふわりの後ろ姿を見て、口の端を上げた。
(接触は成功ですね。後は、どうやって彼女をイギリスに呼び戻すかだけです)
* * *
オルラは授業中、ずっとふわりのことを観察していた。1限は教室で英語の授業だった。
席順で英語のワークを和訳していく中で、ふわりの順番が巡ってきた。
「佐藤、次の文を訳してくれ」
「は、はい!」
ふわりは大きな声で返事をし、英語を滞りなく訳していく。たどたどしい返事からは想像もつかないスムーズな和訳を聞き、オルラは後ろで感心していた。
(なるほど、さすがに名門私立に入るだけのことはありますね)
ふわりの番が終わり、1人挟んで、次はテツの順番だった。ふわりと同様、テツもスラスラと英文を和訳していく。ふわりは、彼の真剣な横顔をじっと見つめていた。
ふわりの心もち赤い頬を見て、オルラは彼女の想いを察する。
(……なるほど。佐藤さんは彼が好きなのね。そうなると、彼は佐藤さんをイギリスに連れ戻すには邪魔な存在ですね)
オルラはシャープペンシルをくるりと回しながら、ふわりの後ろ姿を見つめた。
(佐藤さんには、彼のことを諦めてもらわなくては)
* * *
次の体育の時間、ふわりのクラスはバレーボールをすることになっていた。ふわりは美世とペアを組んでレシーブ練習をしている。しかし、ふわりはアンダーレシーブばかりで、手を上に上げようとしない。
「ふわり、せっかく高めに返してるんだから上で取るのも練習してみなよ」
「うう……私オーバー苦手なんだよ……」
「やらなきゃ上手くならないよ」
美世に窘められ、ふわりは情けない声を出しながら手を上に構えた。
ボールが飛んでくる。ふわりはそれを捉えて手をボールに押し当てようとしたが……。
「へぶっ」
失敗して、見事に顔面キャッチしてしまった。
「ちょっと、大丈夫?」
「えへへ……大丈夫」
その様子を、オルラはボールを拾いながら見ていた。
(運動は苦手なのかしら)
オルラがボールを持ってペアの生徒の元へ戻ろうとすると、足元にコロコロと別のボールが転がってきた。
オルラはそれを拾い、ボールの転がってきた方を見る。すると、テツが駆け寄ってくるところだった。
「ごめん、こっちにボール来なかった?」
(彼、佐藤さんが好きな方ね。……これはチャンスだわ)
オルラは自分に「相手を魅了する魔法」をかけて、テツに柔らかく笑いかけた。
「これかしら」
(あなたには、佐藤さんではなく、私を好きになってもらいますよ。彼女を失恋させれば、きっと任務も上手くいくはずです)
しかし、テツはオルラの思惑通りの反応は見せなかった。
「そうそう、それ! 拾ってくれてありがとう」
テツはボールを受け取って、普段通りの笑顔を見せた。その下心のない笑顔に、オルラは固まる。
(……嘘。私の魔法が効いていないんですか? い、いえ、もしかしたら感情が顔に出ない方なのかも……)
オルラは咄嗟に、テツの心の中を魔法で覗き込んだ。
『この子、転校生だよね。名前はオルラさんだっけ? ボール拾ってくれるなんて、親切な人だな』
(ほ、ほんとに効いてない……!)
オルラが目を見開いているのを見て、テツは首を傾げた。
「どうかした?」
「あっ……いえ! 何でもないです!」
「そっか。ならいいんだ」
テツは再度にこりと微笑むと、ペアが待つ場所に戻ろうとした。……しかし。
「危なーい!」
オルラの方へめがけて、ボールが勢いよく飛んできたのだ。
「え……!?」
オルラは思わず目を瞑った。
「オルラさん!」
傍にいたテツは、咄嗟に腕を伸ばしてオルラにぶつかるはずだったボールを遮った。
オルラが恐る恐る目を開けると、自分を庇うように立っているテツと目が合った。
テツの足元からコロコロと転がっていくボールを見て、オルラは何が起きたのかを察する。
(この方、私を守ってくれたのね……)
「オルラさん、大丈夫?」
テツに心配そうに尋ねられ、オルラは慌てて頷いた。
「ええ。平気です。……ありがとう」
礼を言うオルラに、テツは優しい笑顔を返した。その笑顔を見た途端、オルラの心臓が不覚にもドキリと音を立てる。
(こんな風に、優しく笑う方なのね……。佐藤さんが心惹かれるのも、分かる気がします)
しばらくして、オルラに飛ばしてしまったボールを回収しに、ふわりがパタパタと駆け寄って来た。
「オルラちゃん、テツ君、ごめんね! 怪我してない?」
「僕は平気だよ。オルラさんも大丈夫みたい」
「ほんと? ……よかったあ」
ふわりは胸を撫でおろすと、オルラの方を見て両手を合わせた。
「オルラちゃん、びっくりさせてごめんね」
その申し訳なさそうな顔を見て、オルラは笑顔を作って口を開く。
「大丈夫ですよ。彼が守ってくれましたから」
「え……?」
「テツ君って、優しい方なのね」
オルラはそう言うと、テツに柔らかい微笑みを残し、自分のペアの元へ歩き始めた。
……去り際、ふわりの耳元で、オルラが小さく囁く。
「放課後、教室に残って下さい。お話があります」
「あ……」
ふわりは呆然とオルラの背中を目で追っていたが、すぐに我に返った。
「テツ君がオルラちゃんを守ってくれたんだよね? 怪我とかしてない?」
ふわりに尋ねられ、テツはしっかりと頷く。
「うん。腕にボールが当たったくらいだよ。だから心配しないで」
そう言って微笑むテツを見て、ふわりは「そっか」と相槌を打ったが、心なしか上の空だった。
ふわりの脳裏に、先ほどオルラがテツに向けた美しい笑顔が浮かぶ。
(……オルラちゃんも、テツ君が好きなのかな)
もやもやとした気持ちが生まれ、ふわりは表情を曇らせる。
「佐藤さん?」
「あっ、ごめん! なんでもない。みよちんが待ってるし、私戻るね!」
ふわりは慌てて笑顔を作ると、ぱたぱたと美世の元へ走りだした。
(オルラちゃんは可愛いし、綺麗だし、私なんかじゃ勝ち目なんてない。でも……テツ君の隣を盗られちゃうのは、いやだな)
* * *
帰りのホームルームが終わり、放課後になった。テツは鞄を持ってふわりの元へ向かうと、笑顔で尋ねる。
「佐藤さん、部活一緒に行こ」
「あ、ごめんテツ君。ちょっと用事があるから、先に行っててくれるかな」
ふわりの言葉に、テツは首を傾げた。
「用事?」
「うん、オルラちゃんと話があって……」
「そっか。じゃあ、先に行ってるね」
テツは笑顔で頷くと、スタスタと教室を出て行った。
他の生徒達も、ぞくぞくと教室から出ていく。やがて、教室の中にはふわりとオルラだけになった。
「佐藤さん」
オルラはふわりの席の前に来て、にこりと微笑む。その笑顔から体育の時間のことを思い出してしまい、ふわりは表情を強張らせた。
「あの……話って?」
ふわりが尋ねると、オルラは笑顔のまま口を開く。
「テツ君のことは諦めて下さい」
オルラの言葉に、ふわりは目を丸くした。
「え……どうして?」
「それは、あなたにはイギリスに戻って頂きたいからです」
「イギリスに……? でも私、生まれも育ちも日本だよ?」
「そうだったとしても、あなたの身体にはイギリスの魔導士の血が通っているでしょう。魔導士協会の会長が、魔導士であるあなたとその家族をお呼びなのです」
「魔導士協会……?」
魔道士のこと、魔導士協会のこと、どちらもふわりにはよく分からず、戸惑った表情を浮かべることしかできなかった。
しかし、どんな事情があってもそう簡単にテツのことは諦めたくない。だって、ふわりにとって、こんなに強く好きだと思える人は初めてなのだから。
とにかく断らないと――ふわりは目を伏せながら首を横に振る。
「……ご、ごめんなさい。よく分からないけど、私はイギリスには行けない。テツ君のこと、簡単に諦めたくないの」
ふわりはそう言うと、緊張を何とか堪えながら、オルラのことを真っ直ぐに見つめた。
「オルラちゃんが何と言おうと……私は、テツ君と一緒にいたい。たとえ、オルラちゃんが、テツ君のことが好きでも」
ふわりの言葉に、オルラは一瞬、目を丸くしたが……すぐに口元を押さえて笑い出した。
「うふふ! 私が、テツ君のことが好き? そんなことあり得ませんよ」
オルラは可愛らしく笑った後、ふわりに光の無い瞳を向けた。
「テツ君が私を好きになる可能性はあってもね」
「え……?」
「佐藤さん、私もあなたと同じ魔法使いよ。人の心を動かすのは得意なんです」
「じゃあ……テツ君の心を操って、自分を好きにさせるってこと……?」
「その通りです」
オルラの冷たい笑顔を見て、ふわりは思わず立ち上がった。
「そんなのダメだよ! 普通の人の心を操るために魔法を使うなんて……!」
「なら、魔法使い相手ならいいのかしら」
オルラはクスリと笑い、ふわりの胸に右手を当てた。
「私は栄誉ある魔導士協会役員、オルラ・モーガン。あなたの想い程度、簡単に消して上げられます。テツ君のことを忘れて、イギリスに戻ることを承認してもらいますよ」
オルラの手が緑色に光る。それを見て、ふわりは咄嗟に声を出した。
「やめてっ!」
その時。
「佐藤さん、大丈夫!?」
教室のドアが開き、テツが中へ入って来たのだ。その姿を確認して、オルラは手を離す。
「テツ君……!」
ふわりの怯えた顔を見て、テツの表情が普段の彼からは想像できないくらい険しくなる。
「オルラさん、佐藤さんに何したの?」
静かな声で尋ねられ、オルラは表情から笑顔を消した。
(……ここでもめ事を起こしても、何もプラスにはならないわ)
オルラは小さく息を吐き、柔らかい笑顔を作った。
「何もしてないわ。ね、佐藤さん」
「え……」
戸惑うふわりに対し、オルラは小さな声で囁く。
「……テツ君を巻き込みたくないでしょう?」
「っ……、う、うん! テツ君、心配かけてごめんね……」
ふわりは必死に笑顔を作って、なんとかそう答えた。その笑顔を見て、テツの緊張も緩む。
「……そっか。なら、いいんだ」
テツはそう言うと、ふわりの方に歩み寄り、優しく微笑む。
「なかなか来ないから、様子見に来たんだ。お話、まだかかりそうかな?」
テツに尋ねられ、ふわりはオルラの方をチラリと見た。すると、オルラは笑顔で首を横に振る。
「今日はもういいです。続きはまた今度にしましょう」
「う、うん……」
ふわりはぎこちなく頷いて、テツに声を掛ける。
「テツ君、待たせてごめんね。行こっか」
「うん」
ふわりはテツと共に、教室を出ていく。その後ろ姿を見て、オルラは溜息を吐いた。
(まさか、テツ君まで佐藤さんが好きとは……)
先ほどのテツの険しい顔を思い返して、なぜかオルラの胸に痛みが走る。
これは恋の痛みじゃない。強い羨望と、劣等感と、罪悪感だとオルラは理解していた。
(……私、何をショックに思っているのかしら。彼は私にとって、ただの障害。彼と佐藤さんの恋を妨害して、私はイギリスに佐藤さんを連れ帰るのです。絶対に諦めません。だって……)
オルラは自身の横髪にサラリと触れ、呟いた。
「それが、会長が私に下さった使命なのですから」




