40 幸せと苦しみと
帰り道となる河川敷沿いの住宅街を、テツは自転車で走っていた。
脳裏に、先ほどのふわりの笑顔が焼き付いて離れない。
いや、正確には、あの日の魔法使いの少女の笑顔がふわりと重なって網膜に焦げ付いていた。
(あの子が、本当にふわりさんだとしたら……僕は、2度も彼女に救われてたのか。いや、2度なんかんじゃない。小さい頃は、心が苦しくなるたびに何度も彼女との思い出に救われてた。今だって、僕はふわりさんに沢山の幸せを貰ってる)
幸せな気持ちが込み上げてくる。嬉しかったのだ。大切な思い出の少女と再会できたということも、その彼女が大好きなふわりだったことも。
彼女に対する好意が膨らんで、心を温かいもので満たしていく。
彼女がおまじないをしてくれたから、こうして再会できて、付き合うことまでできている。なら、今回の父さんとのことも、きっと大丈夫だ。そんな自信と安堵感が胸を占めた。
やがて、自宅のマンションに到着する。テツは自転車を駐輪場に停めて、エレベーターに乗って自宅に向かった。玄関を開けて、中に入る。
「ただいま」
そう声を掛けると、部屋の奥から小さな男の声で「おかえり」と返ってきた。
……珍しい。父が家にいるようだった。
でも、丁度いい。今日のうちに、グリフィンのことを止める手伝いを頼むことができれば、ふわり達にもいい報告ができる。
テツは覚悟を決めて、リビングに入った。
そして、ソファに座って本を読んでいる父・琉貴に、「父さん」と声を掛ける。
「今、少しいいかな?」
「……なんだい」
琉貴が彫りの深い顔をゆっくりと上げ、少しクマがある目を細めてテツに微笑む。息子との会話を純粋に喜んでいるのが表情に滲み出ていた。無理もない。初風市に来てから、2人は殆ど口をきいていなかったのだから。
「テツから話しかけて貰えるなんて、いつぶりだろうな」
「……そうだね」
「ほら、立ちっぱなしでも疲れるだろう。座りなさい」
琉気に促されて、テツは彼の隣に腰を下ろす。
「それで、どうしたんだい?」
「お願いがあるんだ。もしかしたら、父さんは嫌な気持ちになるかもしれない。だけど、父さんにしか頼めないんだ」
テツの口ぶりに、琉貴の表情に緊張が走る。その様子を見たテツは、一呼吸おいて、口を開いた。
「魔導士協会会長のグリフィンさんっていう人が、LODAMに復讐するのを止めたいんだ。それを父さんにも手伝って欲しい」
琉貴の目が見開かれる。彼は震える息を必死に整えながら「どこで、そのことを知ったんだ」と尋ねた。
「……恋人が、教えてくれた。魔導士の、恋人が」
「魔導士の恋人だって……?」
「うん。その子のお兄さんが、グリフィンさんに利用されかけて……復讐に、協力させられそうになったんだって。彼女も、そのことですごく悩んでたんだけど……復讐を止めたいって言ってたんだ。他の友達もそう。……その子とは別の魔導士協会の友達から聞いたよ。父さんはLODAMなんでしょ? だから、グリフィンさんを止めるのも手伝ってくれるよね?」
「……ああ、本当に、魔導士はいつの時代も不幸を運ぶ」
琉貴の口から、絞り出すような声が洩れた。その恨めしそうな声を聞いて、テツは思わず彼を悲し気に睨みつける。
「父さんは、どうしてそんなに魔導士を嫌うの? 僕は……魔法は素敵なものだって、思うよ。優しくて、温かいものなんだって——」
「なんでそんな、いい加減なことを言うんだ」
「何がいい加減なのか、理由を聞かないと分からないよ。ねえ、父さん。どうして?」
テツが語気を強めると琉貴は観念したようにため息を吐いた。
「僕の祖父……テツの曽祖父は、ドイツ出身でね。戦争で命を落としたんだ。そのとき、彼を殺したのはイギリス軍の魔導士だったんだよ。そのせいで、僕の父さんは魔導士に強い憎しみを抱いていてね。お陰で、僕を愛する余裕も無かった。そんな父さんが、嫌いだったよ。それにね、父さんは……アクセル・ノイマンは、その憎しみに駆られて、当時の魔導士協会会長を殺してしまった」
——魔導士協会会長を殺した。
「グリフィンさんっていうおばあちゃんのお弟子さんと一緒に、LODAMに復讐しようとしてるんだ」というふわりの言葉を思い出す。
現在、グリフィンは魔導士協会会長だ。なら、ふわりの祖母も魔導士協会の関係者である可能性が高い。
嫌な予感が、どくんと脈打った。
「当時の魔導士協会会長は、魔導士狩りを止めた人だ。彼女の行動のせいで、アクセルは憎しみのはけ口を失ってしまったんだよ。だから、彼女を殺したんだ。……めちゃくちゃにされた。魔導士に、人生を壊されたんだ」
「その人の……魔導士協会会長の名前は?」
震える声で尋ねるテツに、琉貴は憎しみで顔を歪めながら答える。
「アリス・スチュワートだ」
——ああ、どうして。 テツは言葉を失う。
(僕のおじいちゃんが、ふわりさんのおばあさんを殺した犯人……)
信じたくない。こんなの、信じたくない……。
琉貴は、ショックを受けた顔で固まるテツをじっと見つめて……小さく口を開く。
「テツの頼み、僕も協力するよ。但し、2つ条件がある」
「条件……?」
「ああ。1つ目に、グリフィンを捕える日付は6月9日にして欲しい。その日しか都合がつかない。2つ目に、さっき話に出た魔導士の子たちを連れてきてくれないか? 僕1人では、きっとグリフィンに太刀打ちできないだろうから……協力して欲しい」
「……分かった。でも、2人を傷つけないって、約束して」
「ああ。もちろんだ」
琉貴は小さく頷く。伏せられた漆黒の瞳は涙で濡れていた。
「……ごめん。部屋に戻るよ」
琉貴はそう言って、自室に戻って行ってしまった。その後ろ姿を追うこともなく、テツは痛む胸を押さえて俯く。
「……ふわりさん。ごめんね」
謝ると同時に、涙が出てきて止まらなかった。
大好きな彼女を苦しめるきっかけを作ったのが、他ならぬ自分の祖父だったこと。彼さえいなければ、ふわりは今も祖母と幸せに暮らせていたのではないかということ。でも……その祖父が繋いでくれた命を否定して、彼女と一緒にいる今を手放すのが怖いということ。様々な思いが頭を過って締め付けた。
——僕は……ふわりさんの傍にいちゃいけないんじゃないか?
一度浮かんだが最後、その考えが頭から離れてくれない。
「僕は……どうしたらいい?」
テツのか細い声が、誰もいなくなったリビングに小さく零れ落ちた。




