38 傍にいる
もう日も沈むか、という頃。テツは自転車を押しながらふわりと並んで海沿いの道を歩いていた。初風プレジャーパークに行く方法はいくつかあるが、初風学園から向かうなら電車を使うのが一番良い。しかしテツは自転車通学であったため、電車に乗ることができず、こうして2人で歩いているというわけだ。
ただ、決して歩いて行けない距離、という訳ではなく、30分も歩けば初風プレジャーパークには問題なく到着する。もちろん少し距離があるため歩き疲れはするのだが、ふわりはテツと一緒にゆっくりと歩いて行けることが嬉しくて、長い距離も苦痛に思わなかった。
空の色が青から黒に移り変わっていく。遠くから聞こえる波の音。海を照らす月明かり。どちらも初風市の宝物だとふわりは思う。
「波の音はこんなに綺麗なんだってこと、こっちに来て初めて知ったんだ」
テツが微笑む。
「今まで、海が近い街には住んだことが無かったから、正直びっくりした」
「そうだったんだ」
「うん。初風市って、綺麗な街だよね。また引っ越すことになるのかもしれないけど、初風市にはまた戻ってきたいよ」
「……そっか」
——また引っ越すことになるのかもしれない。 その言葉が、ふわりの頭をぐるぐると巡る。
テツ君と一緒にいられるのは、あとどれ位の時間なんだろう。そんな不安が胸を刺した。
しかし、テツに心配を掛けるのが嫌で、ふわりはわざと明るい声で言うのだった。
「私、多分ずっと初風市にいるから、遠くに行っちゃっても、また戻ってきてくれると嬉しいな」
寂しくて、胸が切られそうだ。苦しい。
テツも、そんな彼女の気持ちに気が付いたのかもしれない。優しい声色で、すぐに答えてくれた。
「僕、これからも佐藤さんの傍にいるよ。遠くに行っても、君のことを忘れたりしないし、君のいる場所に戻ってくるから」
テツは穏やかに微笑んで、ふわりと目を合わせる。彼女の表情が嬉しそうに和らいだのを見て、心が暖かくなっていくのを感じていた。
今の言葉に嘘はない。全部、自分の正直な気持ちだ。
自分の本音を伝えることができるようになって、本当に嬉しかった。
「ありがとう、テツ君」
ふわりが明るい笑顔を見せてくれる。彼女の笑顔が見られたことも、やはり嬉しくて頬が緩んでしまうのだった。
そうしているうちに、初風プレジャーパークの入り口に辿り着いた。
テツは駐輪場に自転車を停め、鞄からペアチケットを取り出す。それに気づいたふわりは目を丸くした。
「そのチケット、どうしたの?」
「ああ、桂君がくれたんだ」
「そうなんだ。今度お礼しないとね」
「そうだね。おみやげ買って行こうか」
話しながらプレイエリアのゲートに向かい、チケットを機械に読ませて入場する。
ゲートを通り抜けたら、そこに広がっていたのは明るいイルミネーションで彩られた夜の遊園地だった。観覧車も、ジェットコースターも、メリーゴーランドもキラキラと輝いている。まるで夢の世界だ。
「佐藤さん」
テツがふわりに手を差し伸べる。
「一緒に行こう」
ふわりは頬を染めながら、彼の少し大きな手を握った。
「うん……!」
2人は手を繋ぎながら、遊園地の奥に向かって歩き出した。
* * *
キラキラとライトアップされた園内を、ふわりとテツは手を繋ぎながら歩いた。どのアトラクションに乗ろうかと話し合った結果、最初に乗ったのはメリーゴーランドだった。
ふわりはテツと共に2人乗りの馬車に乗り、緩やかに動いていく外の景色を眺める。すると、外からメリーゴーランドを眺める親と思しき男女が、ふわり達の前の白馬に乗っている子どもに手を振っているのが目に入った。それを見て、昨晩の両親を思い出す。
「……お父さんとお母さんが、私を守るために、おばあちゃんの亡くなった理由を隠してたって知ったとき、正直ショックだったんだ」
なんとなく口に出てしまった本音だった。しかし、その唐突な告白にもテツは嫌な顔ひとつせずに、静かに耳を傾ける。
「何で教えてくれなかったの、何で一緒に悲しませてくれなかったのって思ったの」
「そうなんだ」
「うん。後から、おばあちゃんが私の記憶を消したんだって知ってね、2人はおばあちゃんの遺志を尊重して黙ってたんだと思った。だけど、きっと他にも理由がある」
「どんな理由?」
「私を……守りたかったからって理由」
ふわりはそう言うと、膝の上で拳をぎゅっと握りしめて俯いた。
「もし昔の私だったら、おばあちゃんが殺されたって知ったとき、きっと心を閉ざしちゃっただろうなって思うんだ。だから、お父さんとお母さんは私に何も言わなかったんだと思う。私が幼くて、弱かったから」
「そんなことないよ」
テツは優しく微笑んで、ふわりの握りしめられた左手を優しく握った。
「幼いんじゃない。佐藤さんは純粋だった。弱かったんじゃない。佐藤さんは優しかった。……佐藤さんは素敵な人だよ。魔法も、笑顔も、心も……僕は全部好きだよ」
「テツ君……ありがとう」
ふわりはテツに微笑み、左手をひっくり返して彼と指を絡めた。お互いの手の柔らかさが、心地よかった。
この時間が、ずっと続いて欲しかった。
いつまでも、ずっと、こうして手を繋いでいたい。お互いの温度を感じていたい。そう思わずにはいられなかった。
メリーゴーランドが止まる。2人は手を絡めたまま降りて、自然と傍にあった白いベンチに座った。
他のアトラクションに乗るよりも、今は手を繋いでいたい。そう思ったからだ。
もうすっかり夜だ。家に帰るのであろう親子連れや、隣町の高校の学生が賑やかに話ながら歩いて行く。「仲の良い家族や友人と遊んでいる」彼らの姿は、テツが昔からずっと憧れていたものだった。
テツはふわりと繋ぐ手の力を強くし、小さく呟く。
「ずっと、こうやって仲の良い人と出掛けたかった。一緒にいて自然に笑顔になれて、同じ時間を楽しむことができる人に会いたかった。でも、僕には無理だって思ってた。……佐藤さんに会うまでは」
「そうだったんだ」
「うん。……僕ね、昔、魔法使いの女の子に助けて貰ったことがあったんだ。だから、魔法が好きだった。でも、周りはみんなそうじゃなかった。だから、周りに合わせて嘘を吐いて、魔法は人を傷つけるものなんだよねって、言ってたこともあって……そう言う度に自分が嫌いになっていったんだ」
テツは悲しげに目を伏せながら、続ける。自然と、ふわりの手を握る力が強くなった。
「そのうち、その女の子との思い出も、思い出せなくなって……魔法は本当に素敵なものなのか、自信が持てなくなっていったんだ。だけど、あの日、河川敷で猫と話してる君の優しい笑顔を見て確信したよ。やっぱり魔法は素敵なものなんだって」
テツはそこまで言うと、静かに目を閉じて、微笑む。
──佐藤さんのためなら、僕は何だってできる。魔法は素敵なものなんだと、誰に対しても自信を持って言うことができる。たとえ、その相手が父さんだったとしても。
「あの日、佐藤さんに会えてよかった。佐藤さんのお陰で……僕は、父さんにも立ち向かえる」
「お父さんに……じゃあ」
「うん。グリフィンさんのこと、頼んでみるよ。佐藤さんとオルラさんを傷つけないとも約束してもらう」
「そっか……うん。応援してる!」
ふわりはお日様のように明るい笑顔で頷いた。
そのとき、遠くから音楽が聞こえてきた。どうやら、ナイトパレードが始まったようだった。
音楽は徐々に大きくなり、やがてテツとふわりがいるメリーゴーランドの前にもパレードフロートがやって来る。
華やかに飾られた電飾と、その上で手を振る遊園地のマスコットキャラクター達。そして、心躍る音楽。
「わあ……! 綺麗……」
ふわりの表情が自然と綻んだ。それを見て、テツは満足げに微笑む。
佐藤さんを連れてきて、良かった。そう思えた。
フロートの明かりにキラリと照らされたふわりの笑顔が可愛らしくて、愛おしくて、触れたくなってしまったテツは思わず彼女の体にぴたりと寄り添う。それに目を丸くして顔を赤らめているふわりにニコリと微笑んで、テツは彼女の頬に手を添えた。
「ふわりさん」
彼女の名前を呼ぶ。柔らかくて、優しい響きが口と心に、しんと広がった。ああ、名前も好きだな、なんてテツは微笑む。
「好きだよ」
そう小さな声で囁いて、彼女の柔らかい唇にキスをした。
徐々に遠くなっていくパレードの音楽と、眩しい光。2人の間に夜が戻ってくる。
しんとした静けさの中、初めはうるさかった心臓の音が少しずつ落ち着いてくる。
(テツ君)
ふわりは穏やかに目を閉じて、心の中で彼に語り掛ける。
(私も、好きだよ。笑顔も、言葉も、心も……全部好きだよ)
初めて重ねた唇は、暖かくて、柔らかくて。
目の前にお互いがいることが証明されているようで、幸せだった。




