32 好きだからこそ
「テツ君?」
ふわりの声が聞こえて、テツはハッとして目線を上げた。すると、驚いた顔でこちらを見るふわり達が目に入る。
「テツ君のお父さんがLODAMの日本支部長官だったの?」
「ああ……う、うん」
テツは曖昧に頷く。しかし、それを見た冬紀は明るい顔で前に身を乗り出した。
「じゃさ、テツからお父さんに頼めば解決じゃない?」
「そうだね。テツ君が頼んでくれれば……」
「難しいと思う」
テツは深刻な顔で冬紀とふわりの期待を遮った。先ほど強く感じた憂鬱な気持ちを爆発させないよう、テツは絞り出すように呟く。
「父さんは、魔法が嫌いだから」
テツの脳裏に10年前の秋の父の顔が蘇る。あの少女の顔は思い出せないのに、どうして父の顔は思い出せるのだろう。そんな自分が嫌になる。
「魔法が嫌いなの?」
「うん。だから……佐藤さんとオルラさんのこと、受け入れてくれるか分からなくて。もしかしたら、2人が危険な目に遭うんじゃないかって、心配なんだ」
テツはそう言ったきり俯いてしまう。
それを見たふわりも、「そうなんだね」と心配そうに呟くことしかできなかった。テツの表情があまりにも深刻で、自分が思っているよりも彼の父に頼るのは危険なんじゃないかと思ったからだ。しかし、代替案も思いつかない。だからなんと声を掛ければよいか分からなかったのだ。
だが、オルラの様子は違った。彼女は毅然とした態度で首を横に振り、テツを真っ直ぐに見据える。
「でも、今は味方が多い方がいいんです。たとえリスクがあったとしても、他に手が無い以上、木村琉貴に力を借りるべきです。それに、利害は一致しているし、LODAMとはいえ暴行や殺人など法に抵触することはしてはいけない……だから、テツ君が心配しているようなことは起きないはずよ」
オルラの言葉には説得力がある。しかし、テツはまだ頷けなかった。
父は魔導士を監視して、必要に応じて痛めつけているんじゃないか……幼い日に描いた妄想が、現実のように思えて不安が払拭できない。
本当に、大丈夫なのだろうか。
もし、ふわりやオルラに何かあったら、どう責任をとればいいのか。いや、責任云々の前にテツの心が耐えられないだろう。大好きな人と、大事なクラスメイトに何かあったら、きっとテツは壊れてしまう。
何も言えずに黙り込んでしまうテツを見かねて、桂が「なあ」と口を開く。
「オルラの言い分も分かるけど、父さんにお願いするか決めるのはテツだろ。なんか訳があって悩んでるのに、今ここで結論を出させるなんて少し乱暴じゃないか? 考える時間くらいやれよ」
桂の言葉を聞き、オルラは少し俯き加減に頷いた。
「……そうね。テツ君、ごめんなさい」
「う、ううん。こっちこそ、ごめんね」
テツは慌てて頭を下げ、すぐに口を開く。
「ちゃんと考えて、どうするか決めたら連絡するよ。だから、少しだけ待ってくれるかな」
テツの言葉に、その場にいた全員が頷いた。
その時、ちょうど予鈴が鳴る。それぞれが空になった弁当箱を仕舞い、立ち上がった。冬紀は弁当箱の入ったカバンを片手に、美世の方を向く。
「あ、美世。放課後、創業祭の打ち合わせね」
「うん、分かった」
2人の会話を聞き、ふわりは「あっ」と声を出す。そうだ。ずっとテツを誘おうと思っていたのだ。すっかり忘れていた。
「テツ君、創業祭なんだけど……」
「私達も一緒に行かない?」と声を掛けようとして、ふわりは口を噤んだ。テツの表情が、思い詰めていたからだ。
(お父さんのこと、心配なんだよね……。今は遠慮しておこうかな)
ふわりはテツに気を遣い、静かに屋上から歩き出した。俯き加減に歩くテツと、数歩先を歩くふわりのことをオルラが心配そうに見つめている。
テツが思い詰めてしまったのは、LODAMの名前を出した自分のせいかもしれない。もし自分のせいで、テツとふわりの関係が上手くいかなくなってしまったら……そう思うと、どうしようもなく不安だった。
そんな彼女の不安に気づいてか、桂は彼女の肩をぽんと叩くと、「大丈夫」と小さく声を掛けた。
「え……?」
不思議そうにこちらを見上げるオルラに僅かに微笑んで、桂はテツの方に歩いて行く。
「なあ、テツ。放課後少し時間あるか?」
「え? ああ……部活前に少しなら」
「分かった。じゃあ、教室で待っててくれ」
桂はそう言うと、スタスタと屋上を去っていった。
桂は一体どうしたというのだろう。テツは首を傾げつつも、教室に戻っていく。
みんなが去ってしまった屋上で、オルラは1人立ち止った。
「私の傍にいる人は、みんな優しいわね」
小さく呟く。
「佐藤さんも、テツ君も……桂君も」
桂の名前を呟いた途端、胸がほわりと暖かくなる。しかし、すぐに昼食の時の彼の表情を思い出して唇を噛んだ。彼女を見る時の、あの切なげな笑顔が脳裏に焼き付いている。オルラには決して向けてくれないであろう、あの笑顔が。
「あなたは、佐藤さんが好きなのよね」
心の傷跡に塩が塗り込まれる心地がする。
「……好きな人に好かれたいだけなのだけどね」
オルラは瞳に悲しみをたたえながら、小さく笑って屋上を後にした。
* * *
放課後、テツは言われた通りに教室に残っていた。他の学生達が部活動に行く支度をする中、前に座った桂も制服の下に着たバレー部のシャツに着替える。前面に「追い風に乗れ」とプリントされた黒いシャツに着替え終え、桂はテツの方を振り返った。
「ごめん、待たせた」
「ううん。待ってないよ。制服脱いでただけだし……それより、何の用だったの?」
テツが尋ねると、桂は鞄の中からファイルを取り出し、中から細長い紙を2枚取り出した。
「これ、やるよ」
桂に手渡された紙をじっと見ると、初風市の複合商業施設、「初風プレジャーパーク」のカップルチケットだった。
「家のラーメン屋の常連さんから貰ったんだ。でも、俺が持ってても困るから。佐藤と行ってこいよ」
「で、でも、桂君もオルラさんと行きたいんじゃ……」
テツに指摘され、桂は顔を赤くしながら頬を掻いた。
「あいつとは……そんなんじゃないから」
「でも好きなんだよね?」
テツの追求に、桂は喉を詰まらせる。
確かに、オルラのことは大切だ。クラスメイト以上に大事に思っている。彼女が幸せに生きていけるように、できる限りのことをしてやりたい。それは事実だ。
だが一方で、ふわりへの想いにも諦める踏ん切りがついていなかった。
テツとふわりの幸せを願っているのも事実だし、昼休みのふわりの笑顔を見て、彼女にはテツが1番なんだと思い知ってもいた。だから、2人の仲を応援するのが正しい道だと自分に言い聞かせていた。
しかし、告白もせず振られてもいないために、まだ彼女への想いを捨て切れていなかったのだ。
(俺が、好きなのは……お前の好きな人なんだよ。でも、そんなこと言ったって優しいお前は困るだろ)
桂は唇を噛みしめる。
(こんな中途半端な気持ちを抱えたまま、オルラを好きだなんて言えない)
言葉に詰まる桂を見て、テツは迷わずに口を開いた。
「僕達の間に、嘘は無しでしょ。林間学校で言ってたよね?」
確かに、隠し事は無しだと約束した。その上で、友達になるとも約束した。その約束を違えるのは桂だって嫌だった。でも、正直に答えることでテツを困らせる事だって同じくらい嫌だったのだ。
「……ごめん。この質問に答えたら、お前のこと困らせるから」
そう言って目線を逸らす桂のことを、テツは真っ直ぐ見つめる。
「それでも聞きたい。だって桂君は、僕にとって初めて正直に向き合うことができた友達だから」
桂はハッとしてテツの顔を見る。その表情は、入学したばかりの作り笑いとは違う真剣な表情だった。テツは嘘なんてついていない。自分と向き合おうとしてくれている。そのことがすぐに分かった。
そうやって真っ直ぐ気持ちを受け入れようとしてくれる相手に、隠し事をするなんて失礼だ。
「……困らせたらごめん」
桂はそう前置きをして、チラリとふわりの席を見た。彼女はもう部活に行ってしまった後のようだ。それを確認し、桂は覚悟を決めて答えた。
「俺、佐藤が好きだったんだ」
テツの目が見開かれる。
「え……?」
「佐藤のこと、4月からずっと好きだった。入学式の後に見せてくれた笑顔が、すごく眩しくて……中等部の時は知らなかったあいつの表情に、一目惚れしたんだ」
桂の脳裏に、あの時のふわりの笑顔が蘇る。佐藤はあんな風に明るく笑うのかと、驚きと共にときめきを感じたのを今でも鮮明に思い出せた。
中等部の時、桂とふわりは3年間ずっと同じクラスだった。だが、あの時のふわりは美世といる時以外はいつも俯いていて、みんながお喋りしている休み時間も黙々と勉強をしているような生徒だった。
仲間外れにされているのではないかと気になったこともあったが、誰も何も言わないし、美世が一緒にいたので桂もアクションは起こさなかった。
しかし、4月の反応を見る限りだと、魔法使いであることを気にして人間関係を広げるのを遠慮していたのだろう。魔法のことだって必死に隠して生活してきたはずだ。だがあの日は、彼女が人前で迷いなく魔法を使っていた。それは何故か?
「……でも、あいつが笑顔を見せてくれたきっかけはテツがこの学校に来たことだ」
桂はテツに微笑みながら続ける。
「人付き合いを避けて、いつも暗い顔してた佐藤のこと、変えたのはテツなんだよ」
そうだ。テツがふわりと出会って、彼女の魔法を受け入れてくれたから、彼女の世界は変わったんだ。
「初めは、お前が佐藤に好かれてることを認めたくなかった。羨ましかった。でも……林間学校を一緒に過ごして、お前の傍にいる時の佐藤の嬉しそうな顔もたくさん見てきた今なら、迷いなく言える」
桂はテツにニカッと笑うと、はっきりとした声で告げた。
「佐藤と、幸せになれよ」
その言葉を聞いたテツは、一瞬驚いた顔をしていたが……すぐに真剣な顔で頷くのだった。
「うん」
テツが頷いたのを確認し、桂はふっと笑って立ち上がる。カバンを肩に掛けながら、テツの方に声だけ向ける。
「初風プレパ、今日から夜にナイトパレードやるらしいぞ。それから、昼休みに佐藤が何か言いたそうにしてたから、ちゃんと聞いてやれよ」
「そうだったの?」
「そうだよ。父さんのこと悩むのは分かるけどさ、あんま思い詰めんなよ。困ったら周りを見ろ。佐藤達も、俺もいるからさ」
桂はそれだけ言うと、手をひらひらと振りながら部活に行ってしまった。テツはしばらくそれを黙って見送っていたが、すぐにハッとして彼を追って廊下に飛び出した。
「桂君! ありがとう!」
桂はそれに振り返ることなく、「おう」と答えて体育館に歩いて行ってしまった。
その後ろ姿を見つめた後、テツは初風プレジャーパークのチケットを見つめる。それには大きな観覧車とメリーゴーランドの写真が印刷されており、見ているだけで胸が躍った。
もし誘ったら、ふわりも喜んでくれるだろうか。
「……聞いてみようかな」
テツは小さく呟き、帰り支度を済ませて美術室に歩いて行った。
その後ろ姿を見つめている生徒がいた。オルラだ。
(テツ君も、桂君も、前に進んだのですね)
自分の席に座ったまま、オルラは心の中で呟く。
(桂君は、やはり佐藤さんが好きなのね。テツ君の背中を押してあげてはいたけれど、今もきっと……)
分かっていたはずのことが改めて胸を抉った。
「やっぱり、私……桂君の傍にいない方がいいのかもしれないわ」
オルラは小さく零した。
桂のために、桂から離れなくてはならない。
他に好きな人がいるというのに、自分は家に泊めて貰って、食事まで一緒にとってもらって、あろうことか手を繋いで寝てかせてもらっていた。よくよく考えたら迷惑以外の何ものでもないだろう。
もし、これ以上桂から温もりをもらって、それに慣れてしまった後で、彼から拒絶されてしまったら?
そんなことになったら、オルラには絶対に耐えられないだろう。
桂のためだけではない。自分の心を守るためにも、桂から離れなければならない。
捨てられる前に、自分から離れるのだ。
もうグリフィンの時と同じ思いはしたくない。
オルラは鞄を持ち、ふらふらと教室から出ていった。




