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君の魔法が僕の世界を変えていく。  作者: 月島
第二章 復讐の闇を乗り越えて
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29 魔法の力

 蓮介が公園にいた頃、ふわりは1年B組の教室でホームルームを受けていた。泉の話が終わり、それぞれが1限の数学の準備をし始める。数学は習熟度別のクラスであるため、ふわりは隣のA組の教室に移動だ。ふわりと同じく移動教室であるテツが、彼女の方にやってくる。


「佐藤さん、一緒に行こ」


 テツはいつものように優しい笑顔で声を掛けてくれた。ふわりが大好きな笑顔だ。しかし、今のふわりはそれを見て喜ぶことができなかった。やはり祖母の死のことが心に重くのしかかっており、憂鬱な気持ちがぬぐい切れなかったのだ。


「あ……うん」


 曖昧に頷き、ふわりは席を立つ。その様子を見て、テツは首を傾げた。何かあったのだろうか。昨日、自分の家で会った時は特にそんな様子は見られなかったが。


「大丈夫?」

「あ、うん! 大丈夫……」


 ふわりは慌てて頷き、カバンから数学1Aの教科書を取り出す。まだ新しい教科書には、ところどころ付箋が貼られていた。ふわりが予習して分からなかった箇所だ。

 ふわりは数学があまり得意ではない。クラス分けでは上位のクラスに組み込まれたが、ふわり自身の感触だと自分は上位クラスの下の方だ。だから、ついていくためには授業をしっかり聞かなくてはいけない。

 しかし、今日の状態だととてもじゃないが集中なんてできそうになかった。


(……辛い)


 喉まで弱音が出かかる。しかしそれを飲み込んで、ふわりはテツに「行こう」と笑いかけた。

 その時、後ろの席から「佐藤さん」と呼び止められた。振り向くと、オルラが見覚えのあるオレンジ色のカードケースを持ってこちらを見ていたのだ。


「オルラちゃん、それ……」

「これ、佐藤さんのお兄さんの物ですよね?」


 ふわりはオルラからカードケースを受け取り、首を傾げる。


「うん。なんでオルラちゃんが持ってるの?」

「実は、お兄さんが私とグリフィン会長の家に来たみたいで……その時、落としていったんです」


 その言葉を聞き、ふわりは目を丸くした。蓮介が、グリフィンの家に行っていた。そして、グリフィンはふわりの祖母のアリスの弟子で、彼女を愛していた。更に、ゆうべの新聞記事と、蓮介の言葉。


 ——俺と、グリフィンさんとで……全部終わりにするから。


 蓮介は、本当に復讐をするつもりなのだ。グリフィンと共に。

 たしかに、祖母の殺害は許せない。しかし、実の兄が魔法で他人を傷つけようとしているのも、受け入れたくなかった。魔法はそんな風に使うものではない。……ないはずなのだ。だが、LODAMに対して何もせずに泣き寝入りすることを、祖母は望むだろうか。


(もう、何が正しくて何が間違ってるのか分からないや)


 ふわりの目が虚ろになる。その表情を見て、オルラは迷いながらも口を開いた。


「佐藤さん、私は……お兄さんがグリフィン会長と一緒にLODAMへ復讐するつもりなのだと考えています。そして、それを止めるべきだとも思っています。どんな理由があろうと、復讐なんてしてはいけない。魔法で他人の命を奪ってはいけない……」

「分かんないよ」

「え……?」

「復讐が間違ってることなのか。それとも、何もせずに受け入れることが間違ってることなのか……私には、分かんない」

「そんな……復讐が正しいことだって言うんですか? そんなはずないでしょう? 佐藤さん、あなたのような優しい人なら分かるはずです。魔法は他人を傷つけるためのものではない。そうでしょう」

「そう信じたい。信じたいけど……分からないよ……」


 ふわりの瞳から、涙が零れ落ちた。


「おばあちゃんは、魔法が使えるせいで殺された。れんにいは、魔法で他人を傷つけようとしてる。魔法は……本当に、他人を傷つけるためのものじゃないの……? もしそうなら、どうして魔導士は戦争で人を殺したの? どうして魔導士は怖がられたの?」


 とめどなく流れる涙を必死に拭いながら、ふわりは絞り出すように言った。


「私、もう何も信じられない……」


 その時、予鈴が鳴った。その音を聞き、テツとオルラはハッとする。話はついていないが、今は話している時間が無い。授業に行かなくては。


「佐藤さん、授業出られそう?」

「……うん」

「分かった。じゃあ、行こう。オルラさん、よく分からないけど、話の続きは後で……」

「ええ……そうですね。ごめんなさい」


 オルラは小さく頭を下げ、教科書を持ってC組に移動する。それを見送って、テツはふわりを促して教室を出た。


(佐藤さんが抱えてるもの……僕にはよく分からない。分からないけど……佐藤さんのこと、何とかできないかな)


 ふわりの必死に涙を堪えている表情を見ながら、テツは心配そうに眉を顰めた。

 2人はA組の教室に入り、真ん中2列の前から3番目の席に並んで座る。テツの後の席はC組トップの冬紀だった。

 冬紀はテツとふわりに「おはよ」と声を掛ける。テツはそれに笑顔で挨拶を返すが、ふわりは会釈するだけだった。今、挨拶しようと声なんて出したら、それと一緒に涙も出てしまいそうだったから。


 しかし冬紀は、ふわりの元気のない様子がになりつつも昨晩のメッセージのことを確認したくて、つい尋ねてしまった。


「ふわりん、昨日の夜送ったメッセージ見てくれた?」

「え……?」

「ほら、オレの姉ちゃんが魔法をかけられたかもってやつ」


 冬紀の深刻そうな顔を見て、ふわりは慌てて謝る。


「ごめん、色々あって見てなかった。お姉さんに何かあったの?」


 冬紀が心配で、自分に余裕が無いのに思わず尋ねてしまった。ふわりは少し後悔したが、冬紀の言葉を聞いて更に追い詰められることになる。


「姉ちゃん、魔法にかかったみたいに恋心だけ忘れちゃったんだ」


 恋心だけ、忘れた。


 ふわりの脳裏に、「忘却魔法」の四文字が浮かぶ。


「蓮介さんって人のこと、すごく好きで……初恋だったと思うんだけど」


 それを聞いて、ふわりは目を見開いた。


 先ほどのオルラの言葉と、今の冬紀の言葉を聞いて、予想できる現状は1つしかない。


 ——蓮介が、グリフィンと共にLODAMへ復讐しようとしており、冬紀の姉を巻き込まないように彼女の恋心を忘れさせた。


「そう、なんだ」


 声が震える。


「れんにいが……好きだったんだね」

「れんにい?」

「私の、お兄ちゃんが……」


 私のお兄ちゃんが、八坂ちゃんのお姉さんに忘却魔法をかけた。

 私のお兄ちゃんが、おばあちゃんの仇を討つために魔法で人を殺そうとしている。

 受け入れたくないことばかり、立て続けにのしかかってくるのはどうしてだろう。祖母の殺害も、兄の復讐心も、魔法への不信感も……どうやって処理したらいいのだろう。


「私……」


 兄の気持ちは間違ってない。なら兄の行動も間違ってないのか? もしそうなら、魔法は人を傷つけて然るべきものなのか?


「どうしたら、いいのかな……」


 必死に堪えていた涙が、堰を切って溢れだす。

 冬紀がそれに戸惑っていると、チャイムが鳴って泉が教室に入ってきた。授業が始まる。しかし、ふわりはもうそれどころじゃなかった。祖母のこと、兄のこと、魔法のこと……受け入れがたいものが荒波のように押し寄せて、ふわりを飲み込んでいた。

 涙も止まってくれない。静かになった教室に、ふわりのすすり泣く声が響く。他の学生が何事かとふわりを見ている中、泉もまた、ふわりのことを見て驚いていた。

 そしてテツは、ふわりが周囲の嫌な注目を集めようとしていることに、すぐ気が付いた。


(僕が助けないと……)


 テツはガタっと音を立てて立ち上がると、泣きじゃくるふわりの手を握った。


「すみません。佐藤さん、体調が悪いみたいなので、保健室に連れて行きます」


 テツの言葉に、ふわりは目を丸くする。テツは状況が飲み込めずに戸惑うふわりに微笑み、「行こう」と彼女を促した。


「あ……」


 ふわりはテツに手を引かれるままに、教室を後にして保健室へと向かった。


* * *


 2人は保健室に入ったが、養護教諭の姿は無かった。 別の教室で生徒の対応でもしているのだろうか。それとも、たまたまトイレに行っているだけか。いずれにせよ、テツにとっては好都合だった。だって、ふわりの話を聞くことができるのだから。


「佐藤さん、勝手に連れ出してごめんね。……佐藤さんのこと、心配で」

「……ううん。こっちこそごめん。高校生にもなって、学校で泣くなんて」


 ふわりの目元は赤く腫れており、その桃色の瞳は潤んだままだった。今にも泣きだしてしまいそうだ。


 テツはそれを見て、心配そうに顔を歪めたが……すぐに微笑みを作って、彼女の手を握る力を強くした。


「大丈夫だよ。誰にだって泣きたくなることはあると思う」

「そう、かな……」

「うん。僕もそうだもん」

「テツ君でも、そうなの?」


 穏やかなテツが学校で泣いている姿が想像できなくて、ふわりは彼を疑った。自分を励ますための嘘なんじゃないか……そう思ったのだ。もしそうなら、申し訳ないとも思った。

 しかし、テツは照れくさそうに頬をかいて頷く。


「うん。林間学校でね、桂君と話してる時に泣いちゃったんだ」


 桂と話している時……というと、登山が終わってすぐの時だったはずだ。あの時は桂がテツと話をしようと彼を連れて行ったのだった。しかし、桂と会話をしていて泣くことがあるのだろうか。桂とテツは仲が良い友達だったはずだ……と、ふわりは首を傾げる。

 不思議そうな顔をするふわりを見て、彼女が考えていることを察したテツは照れ笑いしながら続けた。


「あの時はね、オルラさんに「嘘の笑顔」を指摘されたことを話してたんだ。たしかに僕は作り笑いが多かったから、オルラさんの言ってることは間違いじゃなかった。でも……佐藤さんに向けてた笑顔や、言葉……佐藤さんを大切に思ってた自分の気持ちを「嘘じゃない」って伝えられなかったことが悔しくて、涙が止まらなかったんだ。でもね、桂君が、その気持ちを聞いてくれて……受け入れてくれたんだよ。だからね……」


 テツはふわりに微笑み、優しく告げる。


「僕も、佐藤さんの気持ちを受け入れられたらって思ってるよ。悲しいことも、辛いことも……君の全部を受け入れたい」

「テツ君……」


 ふわりの瞳から、再度涙が零れ落ちる。しかし、先ほどとは違う、嬉しくて流れる涙が。


「すごく重たい話だけど、聞いてくれる? 」

「うん。もちろん」

「あのね、11年前に、アリス・スチュワート……魔導士だった私のおばあちゃんが、魔導士狩りをしていた組織の人……LODAMの人に殺されちゃったの。私、そのことを忘れて今日まで生きてたんだ。それがすごく悲しくて、受け入れたくなくて、許せなくて……でもね、お兄ちゃんがLODAMに復讐しようとしてるのも、正しいって認めたくなかったんだ。LODAMの人も、れんにいも、間違ってなくて、間違ってる。何が正しいか分からなくて辛いの……」


 ふわりは涙を拭いながら、震える声で続けた。


「おばあちゃんは、魔導士だから……魔法が使える人間だから殺された。魔導士は、魔法が使えて怖いから迫害された。れんにいは、おばあちゃんを殺した人が許せないから魔法で他人を傷つけようとしてる……ねえ、テツ君。魔法って、誰かを傷つけるものなのかな? 人を不幸にするものなのかな……?」


 言葉尻がしぼむ。消え入りそうな声で尋ねたふわりの質問に対して、テツは迷わず首を横に振るのだった。


「魔法は、人を笑顔にするものだよ」


 テツはふわりの涙を手で拭いながら、優しく、この学校の誰よりも優しく微笑んで、答えた。


「それを教えてくれたのは、佐藤さんだよ」


 テツはそう言って、ふわりの体に腕を回す。


「大丈夫」


 ふわりの耳元で穏やかな声が聞こえる。


「魔法は、素敵なものだよ」


 その言葉を聞いた途端、ふわりの涙が止まった。ふわりは目を閉じて、彼を抱きしめ返す。


「……うん」


 ふわりの心から、迷いが消えていった。


 魔法は人を笑顔にするものだ。テツが信じてくれたように。そして、テツが教えてくれたように……。

 ふわりのナデシコの髪飾りが、淡く輝く。魔法道具でも何でもないただの髪飾りのはずだったそれから、懐かしい空気を感じた。


(おばあちゃんの、魔法だ)


 ふわりはそう直感する。偉大な魔法使いだったアリスの魔力が、ノアに髪飾りを託した時に僅かにくっついたのだろう。


 ——ふわり。


 優しくて、しっとりとした声が聞こえる。


 ——大丈夫。あなたなら、どんな過去も乗り越えられるわ。


 その声が聞こえた瞬間、ふわりの目の前にロンドンの街が広がった。

 目の前で倒れた祖母。そして、それに泣きながら駆け寄る幼い日の自分。あの時は、大好きな祖母が死んでしまうことが悲しくて怖くてたまらなかった。今だって悲しい気持ちはぬぐえない。

 しかし、あの日。自分が最後に見た祖母の顔を思い出して……ふわりの心に小さな灯がともった。


(おばあちゃん、笑ってたね)


 血を流して、顔がどんどん白くなって、死に向かっていく最中でも、祖母は穏やかに笑っていたのだ。LODAMを恨むことも、自分の死に抵抗することもしていなかった。自分の運命を受け入れて、最後の最後まで、大切な家族の幸せを願って微笑んでいたのだ……。


(おばあちゃんは、復讐なんて望んでない)


 ふわりはそう確信した。


(魔法は、人を傷つけるためのものじゃない。誰かを笑顔にするためのものなんだよね、おばあちゃん)


 祖母がふわりと蓮介の幸せを願って記憶を封じ込めたように、魔法は誰かの幸せを願って使うものなのだ。それに気づいた途端、ふわりの耳元で懐かしい声が聞こえた。


 ——ふわりなら、立派な魔導士になれるわ。


「……うん」


 ふわりは小さく返事をして、テツを抱きしめる腕を解いた。


「テツ君」


 ふわりは彼を見つめて、いつものように優しく笑った。


「ありがとう」


 その笑顔を見て、テツも安心して微笑み返した。


「うん」


 もう大丈夫。私なら、もう大丈夫。ふわりは心の中で繰り返し、テツの手を握った。


「教室、戻ろう?」


 そう言ったその時、ドアが開いて養護教諭の女性が入ってきた。明るい茶色に染められた髪は低い位置で団子のようにまとめられており、眠たげな重い瞼からは教諭らしからぬ気だるさを感じる。


「おや、体調不良の子?」

「あ! 吉池先生……」


 なんと事情を説明すれば良いか、ふわりとテツは慌てて頭を悩ませた。しかし、吉池はふわりの泣き腫らした目元と繋がれた2人の手を見て、「何か辛いことがあったふわりをテツが落ち着かせていたのだろう」と察して微笑んだ。


「先生には私から説明しておくから、この時間が終わるまでここにいていいよ」


「い、いいんですか?」

「うん。その代わり、簡単に事情を説明してくれるかな? 言いにくい部分は言わなくてもいいから。それと、クラスも教えて」

「はい」


 テツは頷き、ふわりの手を離そうとする。しかし、ふわりは彼の手をしっかりと握りなおした。

 驚くテツの目を見て、ふわりは微笑む。すると、テツの頭に彼女の声が響いた。


 ——もう少しだけ、繋がせて。


 彼女の笑顔と、甘えた言葉と行動を受けて、テツの頬が赤くなる。


(可愛い……あと、やっぱり嬉しい……)


 テツが頬を緩める隣で、ふわりは吉池に事情を説明し始めた。

 あんなに受け入れがたかった問題のことも、もう怯えることなく話すことができていた。それはきっと、テツが傍にいてくれたからだとふわりは思う。テツが魔法は人を笑顔にするものだと信じてくれたから、祖母の最期も思い出せて、受け入れられたのだと、ふわりは確信していた。


(ありがとう、テツ君)


 ふわりは心の中でもう一度テツに笑顔を向けた。

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