27 迷い
日本に向かう飛行機の中、エディはセラの隣で古びた日記帳を読んでいた。丁寧な文字で書かれた日記は、マメに書いていたわけではないようで日付が飛び飛びだったが、エディが引きこもりになった20年前から、書き手が亡くなる11年前まで続いている。赤い表紙に紙が分厚く挟まっており、何度も読み返された結果どのページにも皺があった。そして、表紙の裏にテープで貼り付けられた小さな鍵と「私にもしものことがあったら、家族全員で箱を開けなさい」という走り書き。これはきっと、彼女が晩年に書いたものだろうとエディは思う。
「……母さん」
エディは20年前の日記から順当に読み進めながら、自身の過去を振り返り始めた。
* * *
20年前、エディが13歳の春。彼は魔導士であることからいじめられ、学校に通えなくなっていた。当時イギリス国外に出張中だった父はそのことを知らず、姉のノアも結婚して日本に行ってしまったため、エディの心の支えは母のアリスだけだった。
アリスは、エディが学校に行けなくなったことを咎めたりはせず、家で勉強と魔法を教えてくれた。
ある初夏の日。アリスがエディを薔薇園に連れて行ってくれた時のことだ。エディが見ていた薔薇に、仲間の中で1つだけ枯れてしまっていた赤い薔薇があった。その薔薇を見て、アリスはすぐに魔法を掛けた。
「元気を出して」
すると、その薔薇は元気を取り戻し、再び美しく咲き誇ったのだった。その薔薇を見て、アリスは優しく微笑んでいた。
「母さん」
「ん?」
「今の魔法、俺にもできるかな?」
エディが尋ねると、アリスは穏やかな顔で頷いてくれた。
「できるわ。だって、あなたは私の子なんですもの」
エディがアリスの微笑みに顔を赤くしていると、彼女は柔らかな声で告げた。
「エドウィン、よく聞きなさい。魔法は、誰かを笑顔にするものなの。決して、人を傷つけるためのものじゃない。優しさと愛を持って魔法を使えば、きっとあなたも立派な魔導士になれるわ」
アリスの言葉に、エディはしっかりと頷く。
「分かった。俺、立派な魔導士になる。母さんみたいな、立派な魔導士に」
その言葉を聞いて、アリスは目を伏せながら微笑んだ。バラの香りと共に、彼女の美しい笑顔が目に焼き付く。彼女の笑顔がエディは大好きだった。落ちこぼれで、学校に通えない情けない自分を全て許してもらえているようで安心するのだ。
自分が立派な魔導士になったら、きっと母も笑ってくれる。もっと、この笑顔が見られるはずだ。
立派な魔導士になろう。母さんの笑顔をみるために。エディはそう決意したのだった。
時は流れ、エディは18歳になった。もうアリスより背が高いし、彼女より力がある。だから家の中の力仕事はエディの役割だった。たとえば、固いジャムの瓶の蓋をあけることだとか。
エディがトーストを焼き、ストロベリージャムを塗っていると、玄関から封筒を持ったアリスが嬉しそうな顔で歩いてきた。
「エドウィン、ノアから手紙が来たわ」
「姉さんから?」
「ええ。読んでみましょう」
アリスは椅子に座ると、封筒を開けた。中から出てきたのは、一通の手紙と3枚の写真だった。
——親愛なる母さんへ。
久しぶり。元気にしてた? 私は元気。日本の家族達もみんな健康です。実はね、蓮介が小学校……エレメンタリースクールに入学したの。日本ではランドセルっていう鞄を背負って学校に通うんだけど、蓮介ったら、「ばあちゃんの髪みたいな黄色が良い」って聞かなくて。黄色いランドセルなんて置いてなかったから、お店の中で私と大喧嘩よ。でも、最後は玄也さんが場を収めてくれたわ。結局、好きなヒーローのキャラクターの色と同じ黒のランドセルにしてたわよ。蓮介に何で黄色が良かったのか聞いたら、「ばあちゃんみたいなすごい魔法使いになりたいから」ですって。蓮介は母さんに憧れてるみたいよ。ランドセルのことは少し困っちゃったけど、母さんの娘として私も誇らしいわ。
ふわりも今年で1歳になるの。すくすく育ってくれててね、今ではハイハイなんてお手の物って感じ。蓮介が「おいで」って言うとすごい速さで向かっていくのよ。お兄ちゃんが大好きみたい。私も玄也さんも、仲の良い子ども達を見て幸せいっぱいよ。ふわりと蓮介の写真、一緒に送ったからぜひ見てね。
だんだん暖かくなってきたから、気温の変化で体調を崩さないようにね。エドウィンにもよく言って聞かせて。あの子、夜更かししてばかりでよく風邪を引いてたから。
今度の春はイギリスに行くわ。それまでどうか元気でね。
あなたの娘・ノアより。
手紙を読んだ後、アリスは同封されていた写真を手に取った。1枚目は黒いランドセルを誇らしげに背負った蓮介の写真。2枚目は蓮介に抱きついたまま眠っているふわりの写真。3枚目は、ノア達夫婦が営んでいるカフェの前で撮られた家族写真だった。みんないい笑顔をしており、それを見たアリスの顔が綻ぶ。
「ふふ、ノア達が幸せそうでよかった」
その笑い声を聞き、エディは彼女に尋ねる。
「母さんは?」
「え?」
「母さんは幸せなの?」
エディに問われたアリスは、目を伏せながら微笑むのだった。
「幸せよ。あなたがいるもの」
その言葉を聞き、エディの心にある意思が芽生えた。
——俺は母さんの傍にいよう。姉さんや父さんみたいに、遠くに行かないで……母さんの傍で、立派な魔導士になろう。母さんが幸せでいられるように。母さんが寂しくないように。
そう心に決めた、18歳の初夏だった。
その後の4年間。エディはアリスの傍で魔法の修行をしながら、「魔導士協会」の一員になるべく勉強に励んでいた。そして11年前の3月27日。エディ23歳の誕生日に、彼は正式に魔導士協会の一員になるはずだった。この日は日本からノア達親子がやってくる日で、アリスの一番弟子のグリフィンも家に来ることが決まっていた。彼らの前で、自分が引きこもりを脱して魔導士協会として働くことを意思表明するはずだったのだ。
グリフィンに会いに行き、彼と一緒にノア達を迎えに行くのだというアリスを見送り、エディは昼食の支度をしていた。6人分の食事を作るなんて初めてだったが、みんなの喜んでくれる顔を想像したら何も苦じゃなかった。
子供達はこのストロベリーパイを見て喜んでくれるだろうか。こっちの魚料理はノアが好きだったものだ。アリスとグリフィンが好きなダージリンもいつでも出せる。早く帰ってこないだろうか。
その時、携帯電話が鳴った。エディは母さんからだろうかと思い上ずった声で電話を取った。
「もしもし?」
しかし、返ってきたのは姉の泣き声だった。
「エドウィン……母さんが……」
——母さんが、撃たれた。
その言葉を聞いた瞬間、エディの手から携帯電話が床に落ちた。
アリスの葬儀は、国を挙げて執り行われた。多くの魔導士が彼女の死を悼み、棺に花を手向けた。しかし一方で、魔導士ではない普通の人間たちは、彼女のために祈るなんてことはしなかった。酷いことに、彼女の墓に野次を書き込む人間もいた。
エディは毎日それを綺麗に拭き取り、彼女の墓に祈りを捧げていた。
「母さん」
墓に呼びかけると、虚ろになった心がズキズキと痛んだ。
「母さんは間違ってなかったよ。酷い事をする人間もいるけど、母さんは沢山の命を救ったヒーローなんだよ。俺はそう信じてる」
涙が頬を伝う。
「母さん、言ってたよね。魔法は誰かを笑顔にするものだって。俺もそう信じてる。だから……どんなに世界が理不尽でも、俺は魔法で世界を傷つけたりしない。他のどんな魔導士にも、そんなことさせない。だから、安心して眠って」
エディはそう言うと、涙を拭って霊園から出ていこうとした。霊園の出口に差し掛かると、黒いローブに身を包んだ高身長の男とすれ違う。
グリフィンだ。
彼の顔を見た瞬間、エディの脳内に彼の心の声が響き渡った。
——先生、僕が先生の仇を討つよ。先生を殺したこの世界、僕がひっくり返してやるから。
心理魔法が抑えきれず、聞こえてしまった声だった。しかし、エディはそれに驚くこともせず、静かに前へと歩いて行く。
(彼を止める。母さんの信念は汚させない。絶対に)
エディはそう心に決め、魔導士であるグリフィンを監視するためにLODAMへと就職したのだった。
* * *
飛行機が空港に着いた。エントランスで初風市行のバスを確認するセラに、エディは尋ねる。
「セラ長官、初風市に着いたら家族に会いたいのですが大丈夫ですか」
「家族というと?」
「魔導士の姉です。今回の件も、何か知っているかもしれません」
「なるほど。そういうことなら構わないわ」
「ありがとうございます」
エディはセラに頭を下げ、スマートフォンを取り出した。もう何年も連絡をとっていなかった姉のメールアドレスに「日本に来た。会いに行くよ」とだけ書いたメールを送り、バスターミナルへ向かうセラの後をついて行った。
* * *
朝、身支度を整えたふわりが1階に降りてくると、両親がキッチンのテーブルに座っていた。
「お父さん、お母さん、おはよう」
ふわりが声を掛けると、母が少し疲れた笑顔で「おはよう」と返す。父はというと、元気のない母を気遣ってか、わざと明るい声で「今日の朝ごはんはオムレツだぞ」と言っていた。
ふわりは自分の席につき、「いただきます」と朝食に手をつける。ご飯に、わかめの味噌汁に、ふわふわのオムレツ。しかし、昨日のことが気になってよく味わえなかった。
祖母が殺されたこと。そしてその時、自分は既に5歳だったこと。まだ幼かったが、祖母が殺されるなんてショッキングな出来事があったら簡単に忘れない気もする。たしか昨日、母は「おばあちゃんは蓮介とふわりの心を守るために記憶を封じ込めたのだ」と言っていた。もしかしたら、そのせいで自分は祖母のことを忘れてしまっているのかもしれない。
このまま、祖母を忘れたまま生活するのは悲しい。だが、祖母の記憶を思い出して……彼女の死に際を思い出してしまったら、自分はそれを受け入れられるだろうか。魔導士であることを理由に殺された祖母の記憶を思い出した後でも、「魔法は人を笑顔にするものだ」と信じられるだろうか。
(……怖い。全部、知るのが)
ふわりは箸を止め、俯く。食卓に沈黙が訪れ、父が慌てて母に尋ねた。
「そ、そういえば! 蓮介、まだ降りてこないな……」
「ああ……そうね。今日は授業も無かったはずだし、寝かせておいてあげましょう」
ぎこちない笑顔で母が答える。気まずさが払拭されない食卓が耐えられず、ふわりは立ち上がった。
「ごめん、今日はもう食べられない……学校行ってくるね」
「あ、ああ……」
ふわりは「行ってきます」と小さな声を出すと、静かに玄関を出て行ってしまった。父はそれを心配そうに見送る。ちらりと妻を見ると、彼女もまた悲しそうに俯いていた。
「……ノア」
玄也はノアに静かに声を掛ける。
「君の気持ちは痛いほど分かるよ。アリスさんの意思を尊重したい気持ちも、子供達を守りたい気持ちも分かる。……だけどな、1人で抱えて苦しむぐらいなら、アリスさんのことも腹を割って話してもいいんじゃないか? 蓮介もふわりも、中途半端にアリスさんの死を知っただけで、ノアの気持ちやアリスさんの気持ちを知らないままじゃ復讐に走るのも仕方ないだろう」
「……今の状態で私と母さんの気持ちを話したとしても、きっと火に油を注ぐだけだわ。特に蓮介には分かってもらえない」
そう言って目を伏せるノアを見て、玄也は首を横に振る。
「そんなことないさ。……蓮介もふわりも、人の言葉に耳を傾けられないほど子どもじゃないよ。昨日は冷静さを欠いてしまっていたが、改めて話し合えば、きっと分かってくれる」
「そうかしら……」
「ああ。いつまでも聞き分けの無い子どもじゃないんだ。……ノア、子どもは成長するものなんだろう?」
玄也の言葉を聞いたノアは小さく口を開く。
「子ども達を……信じていいのかしら」
「いいに決まってるだろう。それが親の仕事だ」
「……そうかもね」
弱々しく、だが確かに笑ったノアを見て、玄也も安心して笑みを覗かせた。
「私のやるべきことは、子ども達に気持ちを伝えて間違いを犯させないことね。……ありがとう、玄也さん」
「いいんだよ。蓮介が起きてくる前に、気持ちをまとめておかないとな」
「ええ」
2人が話していたその声を、階段から降りてきた蓮介は聞いていた。
(……父さんと母さんは、俺のことを信じてくれてるんだ。俺なら、分かってくれるって)
2人のいるキッチンの手前で、蓮介は立ち止まり俯く。
(俺がしようとしてることは、父さんと母さんを裏切るようなことなのかな。……間違ってることなのかな)
蓮介の胸がズキズキと痛む。
祖母の無念を晴らす。その気持ちは間違っていない。間違っていないはずなのだ。だが、そうすることで両親やふわりは悲しむのだろうか。この復讐は、自分を大事にしてくれた家族を悲しませてまでするべきことなのだろうか……。
答えが出せず、蓮介はキッチンに向かわずに家を出ていこうとする。フローリングの床を歩く足音が室内に響いた。
「蓮介?」
足音に気が付いた母がこちらにやってくる。
「おはよう。出かけるの?」
気遣いのこもった優しい表情を見るのが辛くて、蓮介は彼女から目を逸らした。
「う、うん……ちょっと散歩」
「そう。朝ごはんは?」
「今日はいいや」
そう言って出ていこうとする蓮介の腕を、母が掴む。
「ちょっと待ちなさい」
「え……?」
「持っていって欲しいものがあるの」
母は蓮介にそう伝え、彼をキッチンに引っ張っていく。
「お父さん。あれ、蓮介にあげてもいいかしら」
「あれ? ああ、いいんじゃないか」
笑顔で頷く父を見て、蓮介は首を傾げた。
(あれってなんだ……?)
不思議そうな顔をしている蓮介にクスリと笑い、母は冷蔵庫から小さなタッパーを取り出し、彼に持たせた。
「これ、朝ごはんに食べて」
「え?」
「蓮介、開けて見ろ」
父に促されて、蓮介はタッパーを開けた。すると、中には長方形に切られた小さなサンドイッチが6個、きちっと詰められて入っていた。具材はハムチーズレタスとツナと卵、そしてイチゴジャム、ブルーベリージャム、ベーコンレタストマトだ。
「これ、どうしたの?」
「テイクアウトの料理を増やしてみようと思って試作してたの。私とお父さんでね。散歩するんだったら、公園かどこかで食べてきなさい」
母は微笑んだ。それを見て、蓮介は目を伏せながら小さく「ありがとう」と呟く。
(昨日、あんなに喧嘩したのに……母さんも父さんも、俺のことを考えてくれてる)
そのことを確認したら、自分のしようとしていることが尚のこと間違っているように思えた。しかし、祖母の復讐を果たしたら、祖母はきっと浮かばれる……そう信じて疑わなかったから、蓮介はまだ復讐を止める気になれなかった。
難しい表情をしている蓮介の肩を、母はポンポンと叩く。
「蓮介。とりあえず歩いて気分転換してきなさい。難しい話は帰ってきてから話し合いましょう。その時は、あなたの気持ちを全部受け止めるから、私の気持ちも聞いてくれる?」
母は優しくそう尋ねた。蓮介が目線を上げると、母の優しい眼差しがこちらを見つめているのに気が付いた。こんなに愛情のこもった眼差しに反抗しようだなんて思えなかった。
「……うん」
蓮介は小さく頷き、「いってきます」と言うと玄関を出ていった。
その後ろ姿を見つめていた時、テーブルに置いていた母のスマホが振動した。確認すると、一通の新規メールが届いていたのだ。
メールを開き、宛先を確認した母は絶句する。
——エドウィン・スチュワート
日本に来た。会いに行くよ。
「エドウィン……」
驚いた様子のノアを見て、玄也は首を傾げる。
「おい、どうかしたのか?」
その時、店のドアが開いた。
「……姉さん」
声のした方を見ると、ノアと同じカスタードのような色の金髪で、桃色の瞳をした青いスーツ姿の男性が立っていた。
「久しぶり」
男性……エディは、ノアに向かって柔らかく微笑んだのだった。




