26 朝
同じ日の晩、オルラは桂の部屋に案内されていた。ラーメン屋の2階にある、祖父母と桂の3人が暮らせるだけの小さな居住スペース。当然ながらオルラのために貸せるだけの部屋は無く、祖父母と相談した結果、オルラは桂の部屋にいてもらうことになったのだ。
なぜそうなったかというと、祖父母が、桂がオルラと付き合っていると信じて疑わず、「じじばばといるより隆弘と一緒の方がいいだろう」と譲らなかったのだ。もちろん桂は反論したが、オルラが「桂君と一緒でいいです」と答えたことが決定打となった。本人がそう言っている以上反論もできず、桂は観念して自室に布団を2枚敷いている。もちろん、2枚は極力離して敷いた。
(ほんと、じいちゃんもばあちゃんも話聞かないし……オルラも警戒心無さすぎるだろ。一応、俺男子だぞ?)
桂は布団を敷き終え、深いため息をついた。これからしばらくの間、クラスメイトの女子と同じ部屋で寝なければならない。ちゃんと眠れるだろうか。
ドアが開き、風呂場から出てきて髪を下ろしたオルラが部屋に入ってきた。普段は見ない彼女の髪型を見て、桂は顔を赤くする。服は祖母が昔着ていたスウェットのため特段可愛くはなかったが、オルラが着ると人形のように映えるのはどうしてだろう。
と、そこまで考えて、自分がオルラに対して邪な思いを抱いていることに気が付き、桂は頭を抱えた。
(俺は佐藤が好きなんだよ! オルラはただのクラスメイト! 変な目で見るな!)
「あら、頭なんて抱えてどうしたの?」
不思議そうに尋ねるオルラに咳払いし、桂は「何でもない」と短く答える。
「荷物、部屋の隅に置いといたから。鞄と、飯食った時に持ってたカードケース」
「ああ……ありがとう」
オルラは荷物の場所に歩み寄り、鞄の上に置かれたカードケースを手に取る。開くと、夕方確認した通り、蓮介の学生証が挟まっていた。
「……これ、返さないといけませんね」
「オルラのじゃないのか?」
「ええ。佐藤さんのお兄さんの物です。私と同居人の家に来た時に落としていったみたいなの」
「佐藤のお兄さんがオルラの家に来てたのか?」
首を傾げる桂を見て、オルラの中に迷いが生じる。なんと説明するべきか。魔導士とLODAMの問題に桂を巻き込んでいいのか……しかし、家においてもらっている以上、家出の原因は話しておくべきだろう。
「桂君、少し私の話をしてもいいですか?」
「え? ああ、うん」
「実は……私も佐藤さんと同じ魔導士なんです。私は、魔導士の秩序と平和を守るための組織、魔導士協会の役員として、さっき言った同居人……グリフィン会長の命によって、魔導士の国を作るために日本に来たの。日本の魔導士を集めて、国を作れるだけの人数を集めるためにね。私はその使命を正しいものだと信じて疑わなかったわ。でも……違ったの」
オルラは悲し気に目を伏せながら続ける。
「魔導士の国を作るという使命は、嘘だった。その使命は、グリフィン会長が愛した師匠であり、佐藤さんのおばあさんであるアリス・スチュワートを殺したLODAMへの復讐のカモフラージュだったの。グリフィン会長は、力ある魔導士だったアリスさんの家族に復讐の協力をさせるために、初風市に来たのよ。私は、その考えに共感できなくて……魔導士の国を信じてついてくる多くの人達を裏切ろうとしているグリフィン会長が許せなかったから、家を飛び出してきてしまったの。グリフィン会長を愛していたのに、今は彼にどんな気持ちを向けたらいいのか、自分にも分からないわ」
苦笑いするオルラを見て、桂は頭をかく。
「そういうことだったのか。……色々、言いたいこととか気になることはあるけど……オルラ」
桂はオルラに真剣な眼差しを向ける。
「さっき、オルラを助けられて良かった」
桂に真っ直ぐに見つめられ、オルラは彼から目が離せなくなる。
自分が抱えているものは重たく、魔導士ではない桂に話したところで解決もしないうえに桂を困らせてしまうだけだろう。だが、桂は嫌な顔一つせず、自分を助けられて良かったと言っている。嘘偽りない優しさを自分に向けている。なんて綺麗で、なんて暖かい人なのだろうか。
(桂君は本当に優しいわね……私が受け取るのがもったいないぐらい、暖かい優しさばかりくれる人だわ)
「ありがとう。そう言ってくれて……」
オルラが微笑むと、桂は照れくさそうに目を逸らした。人形のような可愛らしい笑顔が向けられて、やはり心臓がうるさい。
しかし、下心なく彼女のことは助けてやりたかった。だって、オルラは自分の恋に対する姿勢を認めてくれた人で、林間学校を一緒に過ごした大事なクラスメイトなのだから。
「……とりあえず、その学生証は佐藤のお兄さんに返した方がいいんだよな。明日、佐藤に渡せば返してくれるんじゃないか?」
「そうね。……でも、自分のアパートで拾ったこと、佐藤さんにどう説明したらいいのかしら。グリフィン会長と会っていたということは、お兄さんが復讐に加担しようとしていると言っているようなものなのに」
表情を曇らせるオルラを見て、桂は顎に手を当てて考え込む。
「……でも、正直に言った方がいいんじゃないかな。だって、お兄さんに何かあったとき、何も知らなかったら佐藤達もどうすることもできないだろ。オルラも魔導士だけど、1人でできることには限界があるし、仲間は多い方がいいと思う」
桂の言葉を聞き、オルラは悩んだ末に頷いた。
実の兄が復讐に手を染めようとしていると知ったら、ふわりはショックを受けるだろう。しかし、何も知らずに兄に何かあったら、それ以上に後悔するはずだ。オルラも、グリフィンの真意を知らずに傍にいて、彼が間違いを犯そうとしているのを知ったとき、深く傷ついた。だが、まだ復讐はなされていない。ふわりも自分も、今動けばまだ間に合うのだ。
「そうですね。……明日、佐藤さんに話しましょう」
オルラの気持ちが固まったのを確認し、「じゃあ」と桂が声を掛ける。
「そろそろ寝るか」
「ええ。おやすみなさい」
オルラにニコリと微笑まれ、桂の心臓が跳ねる。この気持ちを必死に誤魔化そうとして、桂は慌ててまくしたてた。
「言っとくけど、お互いの布団には入らないこと! この布団の間からこっちには来ないこと! お互いの領地は侵略しないこと! いいな?」
「領地の侵略? ふふ、大げさね」
「まあ分かりました。約束ね」と微笑んで、オルラは布団の中に入って目を閉じる。それを見て顔を手で覆いながらも、桂は頭まで布団を被った。始めは顔の熱さと心臓のうるささで眠れなかったものの、部活の疲れもあったのか、いつのまにか桂はまどろむ意識の中にのまれていった。
隣に横になったオルラもまた、桂が傍にいることに安心して、早々に眠りについたのだった。
* * *
目を開けると、オルラはグリフィンと暮らしたアパートの玄関に立っていた。部屋の中を振り返ると、無表情のグリフィンがこちらを見ていた。
「オルラ、君には失望したよ」
グリフィンは抑揚のない声で告げる。
「君を拾ってやったのは僕なのに、僕の言うことが聞けないんだろう」
グリフィンはそこまで言うと、背中を向けて冷たく言い放った。
「出て行ってくれ。もう僕の前に現れるな」
グリフィンの言葉がオルラの胸に突き刺さる。オルラは眩暈に襲われ、立っていられずその場にへたりこんだ。
ずっと、この時が来るのを恐れていた。自分を拾ってくれたグリフィンを愛してから、彼に捨てられまいと必死だった。彼の言う通りにして、彼のために働けば、いつか愛が返ってくるんじゃないかと……そのわずかな可能性にすがりながら生きてきた。
しかし、その可能性を潰してしまったのは自分自身だ。グリフィンに歯向かったのは、自分自身なのだ。
浅く吐いた息と共に涙が零れ落ちる。悲しかった。グリフィンに注いできた愛情を全て無駄にしてしまったことも、グリフィンから愛情を向けられなかったことも。
「うう……」
はらはらと涙を流していると、不意に後ろから肩を叩かれた。
「え……?」
振り返ると、玄関が開いており、誰かが自分の前に膝をついていたのだ。外からの日差しが眩しすぎて顔は見えないが、自分よりも大きな体をしている。男性だろうか。
「オルラ」
聞き覚えのある声だ。優しくて、でも少しぶっきらぼうな声。
「オルラ、こっち来い」
声に言われるがままに、オルラは彼に近寄る。一歩彼の方に寄ったら、その大きな腕で抱き寄せられた。
「オルラ」
声がオルラの耳を心地よく撫でる。
「俺がいるよ」
声の主の腕の力が強くなる。
「俺がオルラを大事にする。約束するよ」
真剣な声だった。その声を聞いて、思い出した。彼は、驚くくらい真っ直ぐで、自分が困っていたらすぐに助けてくれて、暖かい愛情を注いでくれる人だ。自分と同じ悩みを抱えていて、誰よりも自分を理解してくれるであろう人だ。
「桂君」
オルラは桂を抱きしめ返す。
「桂君……」
抱きしめられた場所から、心地よい熱が広がる。暖かい。心も、身体も……。
その温もりに抱かれながら、オルラは意識を手放した。
* * *
目を開けると、目の前に桂の寝顔があった。まだ部屋の中は薄暗い。枕元に置かれた目覚まし時計は午前4時だった。
(また早くに目が覚めてしまったわ)
オルラは起きてしまおうか考えたが、桂の祖父母もまだ眠っているだろう。起きたら迷惑を掛けてしまうかもしれないし、まだ布団の中にいようと思い直して、掛布団の中に潜りなおした。
もう一度寝られないだろうかと目を閉じたが、瞼の裏にグリフィンの無感情な眼差しがフラッシュバックして慌てて目を開けた。心臓がバクバクと音を立てている。息が上手くできなくて苦しい。
(……怖い)
オルラは目に涙を浮かべて縮こまった。桂に助けを求めたいが、彼は目の前で気持ちよさそうに眠っている。部活で疲れているのだ、起こすわけにはいかない。そこまで考えて、ふと桂の手が掛け布団から出ているのに気が付いた。
(……桂君)
オルラは心の中で呼びかける。
(約束、守れなくてごめんなさい)
オルラは謝って、桂の手をそっと握った。
彼の温もりが伝わってくる。それと同時に、先ほどの夢の中の桂を思い出した。
——俺がいるよ。
あの彼は、きっと自分にとって都合のいい夢だ。だって彼は、ふわりのことが好きなのだから。
だが……現実でも、桂は確かにオルラの目の前にいてくれる。オルラを助けてくれる。オルラに優しさを注いでくれる。真っ直ぐで、正直者で、暖かく優しい桂の傍にいると、オルラは不思議と安心できた。これからも、傍にいさせてほしい。そんなことすら思った。
——そっか。私は、桂君のことが……。
桂を知りたいと思うのも、桂の優しさが自分にはもったいないと感じてしまうぐらい嬉しいのも、桂の傍にいるのが他の誰といるより安心できるのも……桂のことが、好きだからなんじゃないか。
(私は、桂君が好き……)
そう思うと安心できる。胸が暖かくなり、恐怖が薄れていく。あんなに怖かった眠気が、心地よく感じられた。
(桂君、ありがとう)
オルラは小さく呟いて、そっと目を閉じた。
* * *
朝6時のアラームが鳴って、桂は目を覚ました。目覚まし時計を止めるために手を伸ばそうとして、右手がオルラに握られていることに気がつく。
「うわっ!?」
慌てて飛び起き、オルラの方を見た。すると、彼女はアラームの音にも気付かずにスヤスヤと眠っている。きっと自分が慌てているなんて思ってもいないだろう。
(俺の気も知らないで……)
桂は溜息をついて左手で頭を抱えた。
(でも……不眠だって言ってたけどちゃんと寝られたんだな)
彼女の気持ち良さそうな寝顔が目に入る。自分の手を握ったことで、少しでも安心して眠ることができたのなら……それはそれで嬉しかった。
オルラが穏やかな顔をしていると安心する。オルラが嬉しそうにしていると、自分も嬉しくなる……。自分の家にいるときだけでも、彼女が幸せに笑っていられる毎日にしてやりたい。そう思うということは、自分にとってオルラはクラスメイト以上に大事な存在なのだろう。
ただ、昨日の話を聞く限り、オルラはおそらく「グリフィン会長」が好きなのだ。オルラは、あんなに悩んで家出をしてしまうぐらい大きな気持ちをグリフィン会長に向けている。きっと自分では彼には勝てない。でも……ふわりへの恋心にそうしたように、想いを伝えずに逃げるなんてことしたくなかった。
──今度は伝えるんだ。俺はオルラが大事なんだって。
桂は左手でアラームを止め、布団越しに彼女を揺さぶる。
「オルラ、起きろ」
「んん……朝……?」
オルラは重たい瞼を開けて、桂を視界に映す。まだぼんやりとした視界に、桂の優しい笑顔が見えた。
「おはよう、オルラ」
……ああ、誰かから「おはよう」と言われたのはいつぶりだろう。孤児院でも、グリフィンとの生活でも言われなかった。
大切な人に、優しくおはようと言ってもらえたことが……一緒に朝を迎えられたことが嬉しくて堪らない。
「おはよう、桂君」
オルラはふにゃりと笑って、桂の手をきゅっと握った。




