21 こじ開ける記憶
日曜日、蓮介は久しぶりに部活に顔を出して練習に参加していた。
芽生とネットを挟んで向き合い、シングルスの試合を始める。芽生は蓮介が高く上げたシャトルの下に入り、利き手と反対側に押し込んだ。
蓮介もそれに素早く反応して、ストレートに返す。しばらく互いに前後に動かしあった後、芽生が攻撃を仕掛けた。
蓮介が上げた僅かに甘い球を捉えた芽生は、ラケットを鋭く振り下ろした。
パン!と小気味いい音が響いた次の瞬間には、蓮介のコートの床にシャトルが迫っていた。
「……!」
しかし蓮介も負けてはいない。蓮介は素早く足を踏み込んでシャトルに向かってラケットを伸ばした。シャトルがネットを越えて高く上がる。その間に体勢を立て直し、蓮介は芽生の出方を窺った。
(もう1回……!)
芽生は攻撃の手を緩めず、再びラケットをシャトルに振り下ろしたが、しかし……先程のようないい音は聞こえず、シャトルはネットに遮られて床に落ちた。
(ミスった……がっつき過ぎたかな)
芽生は唇を噛みしめながらラケットでシャトルを拾おうとして、目を丸くする。
「ガット切れてる……」
ラケットのシャトルを受け止める糸の部分の真ん中が、綺麗に縦に切れていたのだ。
(どうしよう、換えのラケット持ってないんだよな……)
芽生が困っていると、蓮介がネット越しに話し掛けてきた。
「芽生ちゃん、どうかした?」
「ガットが切れちゃったんです。換えを持ってないからどうしようかと思って……」
「なら、俺2本持ってるから貸すよ」
「すみません、ありがとうございます」
蓮介は予備のラケットを芽生に手渡して、彼女に微笑む。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
蓮介の柔らかい笑顔に赤面しながらも、芽生は彼のラケットを持ってコートに戻った。
(うう……蓮介先輩の笑顔、やっぱり眩しすぎる)
「ポイント、10・8」
得点係をしている志帆の声が聞こえて、芽生は我に返った。今は試合に集中しなければ。
蓮介のサーブが上がる。先程のように高く上がったシャトルは、照明の光に当てられて見えにくい。しかし、芽生は先程の感覚を頼りにしっかりと奥に打ち返した。
蓮介もそれに追いつき、シャトルを鋭く奥に押し込んでくる。それに負けじと芽生がシャトルを返したその時、ラケットから僅かに変な音がした。
(あれ?)
違和感を感じつつも、芽生は飛んでくるシャトルを打ち返す。しかし、思うように奥まで飛ばず、蓮介にコートに叩きつけられてしまった。
「ポイント、11・8」
芽生はそれを聞きながらラケットを確認する。すると、案の定ガットが縦に切れていた。
「うわ……まじか」
芽生の驚いた様子を見て、蓮介が芽生の方に声を掛ける。
「芽生ちゃん、もしかして……」
「すみません……借りて早々、切っちゃったみたいで……」
芽生の申し訳なさそうな顔を見て、蓮介は苦笑いする。
その時、2人の様子を見ていた志帆がここぞとばかりに蓮介に声を掛けた。
「練習の後で、お店で張り替えて貰ったらどうですか? 芽生ちゃんと一緒に!」
志帆はそう言うと、ちらりと芽生を見てウインクする。芽生は彼女の意図に気が付き、顔を赤くしながら頷いた。
(な、仲良くなるチャンスかも……!)
芽生は勇気を出して蓮介に頭を下げた。
「蓮介先輩、ぜひ一緒に来て下さい!」
芽生の勢いのあるお辞儀に驚いていた蓮介だったが、断る理由もないだろうと笑顔で頷いた。
「いいよ、行こっか」
蓮介の返事に、芽生は目を輝かせる。
「はい!」
その後、練習が終わって後片付けも済ませ、2人は一緒に大学を出て駅にあるスポーツショップへと向かった。
* * *
初風駅は駅ビルのある大きな駅だ。普段は通勤通学に利用する人々で混雑しているが、今日は駅ビル内のカフェや雑貨店目当ての人々で賑わっている。
その人混みを見て、芽生は思わず玄関前で立ち止まった。
(人、多い……普段は平日の夕方に来てたから忘れてたけど)
道行く大勢の人を見ているうちに、足に浮遊感を覚える。まるで、自分が空気にでもなってしまったような……人として存在していないような感覚に陥った。
(……なんか、昔のこと、思い出しちゃう)
芽生の目の前に、小学校の教室がフラッシュバックした。
友達とお喋りする同級生達。漫画やゲームの話題ではしゃいでいる男子達、週末に遊ぶ約束をしている女子達。
その賑わいの中に芽生はいなかった。
空気だったのだ。誰も芽生に話し掛けることなく、芽生も誰にも話し掛けずにぽつんと座っていた。
いじめられていた訳ではない。ただ、いじめられる程の関心も持たれなかった。
その時はひたすらに寂しくて、「仲間に入れて」と頼めない自分が情けなかったのだった。
(嫌なこと、思い出しちゃったな)
「芽生ちゃん、大丈夫?」
蓮介に声を掛けられ、芽生はハッとした。
「あっ……すみません。ちょっと人混みにビックリしちゃって」
慌てて表情を取り繕う芽生だったが、蓮介の目には少し無理をしているように映った。
(ちょっと辛そうだな……)
芽生には笑っていて欲しい。芽生の笑顔を守りたい。それが蓮介の気持ちだ。だから、迷いなんてなかった。
「芽生ちゃん、ちょっとごめんね」
蓮介はそう言うと、芽生の額に手を当てる。突然顔に触れられ、芽生は顔を真っ赤にした。
「あっ、あの!?」
「落ち着いて。リラックス」
蓮介に静かな声で告げられるが、芽生の動悸は収まらない。心の中で、「そんなの無理です!」と叫んだ。
そんな芽生の気持ちを読むことはせず、蓮介は真剣な眼差しで魔法をかけるのに集中する。
しばらくして、蓮介の右手がふわりと黄色い光に包まれた。芽生がそれを視界に捉えた途端、胸の動悸が収まる。
「芽生ちゃん、周り見てみて」
蓮介に促されて辺りを見渡す。すると、先程と同様に大勢の人が行き交っていた。
しかし、さっき感じたような不安感は覚えない。
「まだ怖い?」
「いえ……大丈夫です。あの、今のも魔法ですか?」
芽生は首を横に振ると、蓮介に向かって尋ねた。すると、蓮介は微笑みながら頷く。
「そうだよ。ちょっと辛そうだったから、つい助けたくなって」
蓮介の優しい笑顔と気遣い。それが自分に向けられていることが嬉しくて、芽生の胸がドキリと音を立てる。
――蓮介先輩は優しい。出会ったときからずっと、自分を気遣ってくれる。自分のために魔法を使ってくれる。それは何故なのか。後輩だから? それとも……。
そこまで考えて、芽生はふと彼に初めて魔法を見せてもらったときのことを思い出した。
──他の人には内緒ね。
そうだ、確かに蓮介先輩はそう言っていた。
ということは、蓮介先輩は魔法を自分にだけ見せてくれたのだろうか。自分は特別なのだろうか――。
そう思ったら、聞かずにはいられなかった。
「蓮介先輩は、どうして私に優しくしてくれるんですか……?」
芽生は赤い顔で蓮介を真っ直ぐ見つめて、尋ねる。
「魔法をかけてくれるのも、笑いかけてくれるのも、前に抱き締めてくれたのも……きっと理由があるんですよね。……私、自惚れていいんでしょうか」
芽生に問われて、蓮介は目を見開く。驚いた様子の蓮介の桃色の両目を、芽生は真っ直ぐに射貫いた。
「お、教えてくれませんか。蓮介先輩の気持ち」
芽生のアーモンドアイに上目遣いで見つめられ……蓮介は思わず口元を手で隠した。母譲りの色白な頬がほんのり染まる。
芽生にそこまで言われて、彼女の気持ちが読むまでも無く分かった。分かってしまった。
この子は、自分を好いていてくれている……。
そして自分も、芽生のことが大事で……芽生には笑っていて欲しいし、その笑顔を守りたいと思っている。弱い面も、強い面も、ずっと傍で見守っていたい。この気持ちに名前を付けるなら、答えは一つしかないだろう。
「……好き、だからかな」
蓮介は小さな声でそう言うと、ふにゃりと笑った。
「芽生ちゃんの笑顔、俺が守りたいんだ」
その言葉を聞き、芽生は顔を真っ赤にする。
「そ、そうなんですね……あ、えと……その……」
芽生はしばらくしどろもどろになった後に、両頬をパシッと叩いて蓮介を見つめた。
「私もです……! 私も、中学の時から蓮介先輩に憧れてて……でも、大学で知り合って、今ではもっと──」
──好きなんです。芽生がそう口にしようとした瞬間、蓮介の周りの時間が止まった。
喋ってる途中で動かなくなった芽生と、歩いているまま固まった周囲の人々を見回して、蓮介は目を丸くする。
「え……?」
「何が起きたか、分からないか?」
いつか聞いた渋く低い声が、蓮介の背後から聞こえた。振り向くと、そこには黒いローブに身を包んだ背の高い男性がおり、鋭い目つきで蓮介を見つめていた。
「あなたは、あの時の……」
「ああ。そうだ」
「芽生ちゃんやみんなに何をしたんですか? 」
「世界の時間を止めているだけだ。別に危害は加えていない。安心しなさい」
「安心って……どうして、時間を……」
「君に話しがあるからだ。言ったはずだぞ。今度は別の形で交渉に来ると」
男はそう言うと、ローブのフードを脱いで蓮介に顔を見せる。
冷たいアイスブルーの瞳。鋭く険しい顔。年は50代だろうか。いや、もう少し上か。いずれにせよ、以前母が言っていた「グリフィン・ルイス」の特徴に当てはまる。
「あなたは、やっぱり魔導士協会会長の……」
「ああ。グリフィン・ルイスだ。久しぶりだな、佐藤蓮介君」
「久しぶり? 俺達、会ったことなんてありませんよね。いや、この前は確かに会ったけど、俺の名前まで知っているのはおかしいはずです」
蓮介が身構えるのを見て、グリフィンは「フン」と鼻で笑う。
「それは君が忘れているだけだからだよ」
グリフィンはそう言うと、蓮介に近づいてその顔を大きな手で覆った。
「思い出せ」
グリフィンの声と共に、蓮介は目を見開く。
ドクッドクッ……。
心臓が嫌な音を立てる。耳に鳴り響いたのは弾けるような銃声。雑踏から上がる悲鳴と共に隣を見ると、今より少し若いグリフィンがふらりと膝をついていた。
「先生……?」
震える声が耳に入る。グリフィンの足元には赤が広がっており、その向こうに女性が倒れているのが目に入った。
彼女は誰だ?
一瞬、そう自分に問いかける。しかし、その問いを心の底の自分が叫びながら否定した。
知っているはずだ。俺は彼女を知っているんだ!
──ばあちゃんみたいな立派な魔導師になりたいんだ。
いつかの自分の言葉が蘇る。
──蓮介が立派な魔導師になった姿を見るのが楽しみね。
そう言って微笑むアリスの顔が蘇る。
「あ……」
アリスは自分の目標だった。あの日、あの11歳の蓮介にとって、人生の希望だった。将来の全てだった。
そんな、大好きなばあちゃんが……こんな、酷い死に方をしたのか? 何も知らなかった。何も知らずに、夢も、愛情も全部忘れて、俺は……!!
「ああああ!!」
蓮介はその場に崩れ落ち、頭を抑えながら蹲った。
「ばあちゃん……! なんで……なんで!?」
混乱する蓮介の頭を、グリフィンがポンと撫でる。
「君のおばあさんは殺されたんだよ」
「え……?」
「LODAM……かつて魔導士狩りを指揮していた組織の1人に、殺されたんだ」
呆然と涙を流す蓮介に向かって、グリフィンは淡々と語り続ける。
「おばあさんは、君の心を守るために忘却魔法をかけたんだ。でも、どうだ? おばあさんが殺されたのに、何も知らずに幸せに生きていく……そんな人生でいいと思うか? それで彼女は浮かばれるのか?」
「あ……」
「もし、君がおばあさんのためを思うなら……私の復讐に協力してくれないか?」
蓮介は目を見開く。その瞳を真っ直ぐに見つめながら、グリフィンは冷たい声で告げた。
「私は、そのために日本に来たんだ。……私と一緒にイギリスに来て……LODAMを消すのを手伝ってくれないか?」
「そうしたら、ばあちゃんは喜ぶんですか……?」
蓮介は震える声で尋ねる。グリフィンはそれに対して静かに、しかししっかりと頷いた。それを見た蓮介の瞳から、光が消える。
「……なら、ばあちゃんの仇が、討てるなら……俺はやります」
蓮介はふらふらと立ち上がると、グリフィンに頷いた。心に雪が吹雪くような冷たさを感じる。
蓮介は固まっている芽生に振り返り、彼女の額に再度手を当てた。
「ごめんね、芽生ちゃん」
蓮介の手が紫色に光り、やがて消える。それを見たグリフィンは静かに目を閉じて、蓮介に背を向けた。
「詳しい話は明日しよう。私は、普段は緑通りの「リーブ」というアパートにいる。来れそうか」
「大丈夫です」
「分かった。待っている」
グリフィンは短く答えて姿を消した。周囲の時間が動き出す。芽生の時間も再び動き出した。
──好きなんです。先程言いかけた言葉を伝えようとしていた芽生だったが……不思議そうな顔で口を閉ざす。
「……私、何言おうとしてたんだっけ」
「芽生ちゃん、大丈夫?」
何でもないフリを装って尋ねる蓮介に、芽生は慌てて頷いた。
「あっ、すみません。なんか、ぼーっとしちゃってて……あの、私さっき何か言いかけてました?」
「うん、ラケットのガット、何使ってるかって話してたよ」
蓮介が微笑みながら答えるのを見て、芽生は首を傾げた。
(そうだったっけ……でも、蓮介先輩が言うならそうなんだろうな)
芽生は1人で納得し、蓮介に「早くお店に行きましょうか」と声を掛ける。その声色は、2人が初めて会った時と同じだ。
蓮介の笑顔を見ても、芽生は特に何も感じない。胸もドキドキしないし、喜ぶことも照れることもなかった。
(私……なんで蓮介先輩とここに来たんだっけ。ガットぐらい、1人で換えに行けたのに)
芽生は首を傾げた。それを見た蓮介はにこりと笑って尋ねる。
「さっきからどうしたの? 何か気になることでもある?」
「いや……わざわざ蓮介先輩と一緒にガットを換えに来てるのが不思議で。お互い1人でお店に行っても良かったような気がするんですけど……」
「ほら、たまたま同じタイミングに切れちゃったからさ。それで一緒に来たんだよ。それだけ」
「ああ……そうでしたね。私が借りたラケットのガット切っちゃったんでした……申し訳ないです」
「ううん、いいよ」
蓮介は笑顔でそれに答えて、心の中で呟く。
(これでいいんだ。俺のことを好きでいると、芽生ちゃんはきっと苦しい思いをする。だから……忘れてもらうしかなかったんだ)
そう自分に言い聞かせて、どうにか納得しようとする。しかし、どういう訳か胸が鋭く痛んだ。
(……悲しんじゃダメだ。これから、復讐に手を染めようとしている人間が、好かれちゃダメなんだから。ばあちゃんの仇をとるんだろ、俺)
胸に空いた穴を復讐心で埋めながら、蓮介は光りのない瞳で俯いていた。




