10 蓮介先輩は魔法使い
バドミントン部の練習が終わり、部員達と協力して片づけをしていた蓮介は、部室へネットを仕舞いに行こうとして体育館のドアを開けた。すると、ドアの脇にメガネを掛けたロングヘアの女子が俯き加減で立っていたのだ。
まさか人がいるとは思わず、蓮介は驚いて声を出した。
「うわっ!?」
「あ……す、すすす、すみません……!」
女子学生は怯えた顔で体を縮こめる。その不審な様子を見て、蓮介は戸惑った。
「えっと、君は……」
蓮介は改めて彼女の格好を観察する。
その女子はバドミントンのウィンドブレーカーを羽織っており、背中にはラケットケースが背負われていた。シューズもバドミントンのものだ。そして、横髪に入った赤メッシュ。それを見て、蓮介は目を丸くした。
「もしかして……芽生ちゃん?」
「あ、ああ……はい。そう、です」
芽生は目を泳がせながら、小さな声で答える。
その初対面の時とは全く違う自信なさげな様子に、蓮介は首を傾げる。
「どうしたの? そんなにビクビクして……」
「じ、実は……」
芽生は震える声を漏らすと、涙目で蓮介を見つめた。
「かんざしを、失くしてしまって……」
その潤んだ瞳を見て、蓮介の心臓が跳ねる。
(か、可愛い……って、いやいや、そんなこと考えるな俺)
蓮介は動揺を誤魔化そうと咳ばらいをし、芽生に笑顔を見せる。
「それなら俺が持ってるよ」
蓮介の言葉を聞いて、芽生は目を輝かせた。
「ほ、ほんとですか……!」
「うん。片づけ終わったら持ってくるから、ちょっと待ってて」
「はい……」
蓮介は足早に部室に向かい、ネットを片づけて自分のバッグを取りに行った。
……しばらくして、芽生の元に蓮介が戻ってくる。
「芽生ちゃん、これ?」
蓮介は赤い牡丹の飾りがついたかんざしを芽生に差し出す。すると、芽生は震える手でそれを受け取り、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございますっ……! 見つからなかったら、どうしようかと思ってて……」
芽生の声は潤んでいた。その今にも泣きだしそうな彼女を見て、蓮介は穏やかな声を掛ける。
「ちょっと一息ついて落ち着こう。飲み物奢るよ」
「え……? いや、申し訳ない、です……」
「いいから。ほら、こっちおいで」
蓮介は芽生を体育館脇の自販機に連れていくと、優しく尋ねた。
「芽生ちゃん、何飲む?」
「あ……えっと……レモンティーで」
「分かった」
蓮介は小銭を投入し、レモンティーのボタンを押す。ガコンと音を立てて落ちてきた小さなペットボトルのそれを取り出して、芽生に持たせた。
「あ……ありがとう、ございます」
「ううん。いいよ。俺も何か飲もうかな……」
蓮介が自分の分のミルクティーのボタンを押したその時、警備員の男性が2人を見て声を掛けた。
「2人とも、もう帰りなさい。君達が最後だぞ」
「ああ、すみません」
蓮介はミルクティーのペットボトルを手に取り、芽生を促して玄関へと急いだ。
* * *
2人は大学を出た先の噴水公園にやってくると、そのベンチに腰掛けた。
「飲み物、ありがとうございます」
芽生はそう言って俯く。まだペットボトルの蓋は開いていなかった。
きっと自分に遠慮しているのだろう、と蓮介は思い、彼女を気遣って穏やかな声を掛ける。
「別にいいよ。これでも働いてるから」
「バイトされてるんですか?」
「うん。バイトっていうか、実家のカフェを手伝ってる感じだけどね。ちゃんとお給料は貰ってるよ」
「そうなんですか……」
芽生は俯いたままペットボトルの蓋をなぞる。
「……私もバイトしてるんです。緑通りの写真館で、お客様のメイクと着付けを担当してます」
「へえ、すごいね。芽生ちゃん、メイクと着付けができるんだ」
「はい。弟と母がそういうの好きで、私も一緒になって勉強してたので」
芽生はそう答えるとぽつりと呟く。
「メイクも、ファッションも、本当に不思議。本当の私は弱いまま変わらないのに、着飾るだけで勇気が出てくる」
芽生はそこまで言うと、蓮介を見て苦笑いした。
「私、本当は臆病なんです。人見知りで、周りにどう思われるか怖くて……だから、大事な時はいつも派手な格好に着飾って、自分を強く見せてました」
「そうだったんだ。それで、部活見学の時も強そうな見た目だったんだね」
「はい。このかんざしも、自分を強く保つためのお守りみたいなもので……だから、失くしたって気づいたときにはパニックになっちゃったんです。本当に、不安で……だから、蓮介先輩が拾ってくれて助かりました」
芽生はそう言うと、蓮介に向かって弱々しく微笑んだ。
「本当に、ありがとうございます……」
街灯の光に照らされて、まだ潤んでいる芽生の瞳が光る。それだけではない。初めて出会った時とは異なる控えめな態度が、蓮介の心臓を鷲掴みにした。
――可愛い。そう思わざるを得なかった。
「かわ……」
「え?」
「っ……! い、いや、何でもない!」
蓮介は口から出掛けた言葉を飲み込み、慌てて手をブンブンと振る。顔が熱い。しかし、こんな邪な気持ちを芽生に悟られたくなかった。
(ギャップ萌え怖い……)
蓮介は苦笑いしつつ、誤魔化しがてらに話を変えた。
「格好が違うと、印象全然違うよね。始め、芽生ちゃんだって気づかなくてびっくりしたよ」
「ああ……そう、ですよね」
芽生は目を伏せて呟くように言う。
「本当は……どんな格好の時も、強い私でいたいんですけど、なかなか勇気が出なくて」
「芽生ちゃん……」
「す、すみません。蓮介先輩に言っても、私が変わらなきゃ何も変わらないですよね」
取り繕った笑顔を見せる芽生を見て、蓮介は少し迷ったが、彼女の小さな手を掴んだ。
「わっ!? れ、蓮介先輩!?」
素っ頓狂な声を出す芽生に向かって、蓮介は優しく微笑む。
「変われるかどうかは芽生ちゃん次第だけど、その手伝いは俺にもできるよ」
蓮介はそう言うと、芽生の手の平に指で円を描いて呟いた。
「芽生ちゃんが、なりたい自分になれますように」
その言葉を聞いた途端、芽生の手の平が黄色い光に包まれた。
「うわっ!?」
「大丈夫、すぐ消えるよ。ただのおまじないだから」
蓮介が言った通り、やがて光は消え、辺りは街灯の明かりだけになる。芽生はまだ呆然としたまま、蓮介に尋ねた。
「蓮介先輩、今のは……?」
「俺の魔法。勇気が出るおまじないだよ」
「魔法……マジック、みたいな?」
「ううん。世界史の授業に出てきたような、魔導士の本物の魔法だよ」
目を丸くしたまま固まる芽生の様子を見て、蓮介は優しく微笑みながら指を自分の口元に当てる。
「他の人には内緒ね」
「あ、ああ……はい」
芽生はそれに頷いたが、次の瞬間、まだ手を掴まれていることに気が付き、顔を真っ赤にした。
「蓮介先輩、手……!」
芽生に言われて蓮介もそれに気が付き、慌てて手を離した。
「あっ、ごめんね!」
2人の間に気まずい沈黙が流れる。
(な、何を話したらいいんだろう……)
2人は心の中で頭を抱えた。
「っ……芽生ちゃん、とりあえず家まで送るよ! もう遅いから」
蓮介は恥ずかしさを誤魔化して立ち上がると、芽生に声を掛けた。
「あ、はい!」
芽生も勢いよく立ち上がり、それに頷く。
「芽生ちゃんの家って、どっち?」
「青ヶ咲通りの方です。ここを真っ直ぐ行ったところの……」
「分かった。じゃあ、行こう」
蓮介は芽生と並んで公園を出ようとしたが、次の瞬間。
紫色に光る矢が、芽生に目掛けて飛んできたのだ。
「えっ!?」
芽生の声で蓮介も気づき、すぐに彼女を庇うように抱いて地面に転がり込んだ。
矢は2人のすぐ横に突き刺さる。蓮介はそれを見て目を見開いた。
(これ……魔法だ)
「せ、先輩、今のは……」
「……芽生ちゃん、危ないから俺の後ろに隠れてて」
蓮介はそう言うと、怯える芽生を背中に守りながら辺りを見渡した。しかし、術者の姿はない。
「俺達に攻撃する意図はありません……出てきてくれませんか?」
蓮介がそう言うと、蓮介の前に黒いローブの男が現れた。ローブに隠れて顔は見えないが、背の高さは180㎝超えの高身長である蓮介よりも大きい。
「……アリス・スチュワートを知っているか?」
男は、低めの渋い声で尋ねてきた。蓮介はその質問に戸惑いの表情を浮かべる。
「はい。アリス・スチュワートは、俺の祖母です。俺が小さい頃に亡くなってしまったようで、記憶はほとんどありませんが……それが何か?」
「私はアリスの意思を継ぐ魔導士協会の人間だ。魔導士の未来のために、その恋人を捨ててイギリスに戻ってくれないか?」
蓮介は驚きのあまり言葉に詰まったが、すぐに言い返した。
「あなたは誤解しています。彼女は俺の恋人ではありません。だから、彼女のことを巻き込まないでください」
「ほう。それでは、君がこの国に縛り付けられる理由もないということだな」
「……それは」
「理由がないなら、イギリスに来てくれ」
蓮介は男の有無を言わせぬ物言いに怯んで口を閉ざした。
(イギリスにって……そんな簡単に、行けるわけないだろ。家族のことも、大学のことも、部活の後輩達のこともあるのに。でもこの人、聞く耳を持ってくれそうにないし、俺の魔法じゃきっと歯が立たない。それに……芽生ちゃんをこれ以上危険な目には遭わせられない)
蓮介は男の方を睨んだまま、唇を噛む。
(どうしたらいいんだ……?)
蓮介は何もできず、その場に固まっていた。しかしその時、蓮介の陰に隠れていた芽生がゆっくりと彼の前に出てきたのだ。
「芽生ちゃん……! 危ないから、下がって!」
焦る蓮介の言葉を無視し、芽生は体の震えを必死に抑えながら男を睨んだ。
男の鋭いアイスブルーの目が、ローブの陰から覗く。その鋭い眼光にびくりとしながらも、芽生は必死に声を出した。
「勝手なこと、言わないで下さい……!」
芽生の大きな声に、蓮介は目を丸くする。男も黙って芽生の方を見ていた。
「蓮介先輩、困ってるじゃないですか! こっちでの生活もあるのに、急にイギリスに帰れだなんて……横暴ですよ! 魔導士協会っていう組織の人は、相手の迷惑を考えずに自分達の都合だけで動くんですか? すごく自分勝手じゃないですか!」
芽生が怒鳴る様子を見て、男は目を丸くする。彼の脳裏に、カスタード色の長い髪を靡かせた愛しい師の後ろ姿が浮かんだ。
——何の罪もない魔導士の命を、自分達の都合で刈り取るだなんて、あなた達は横暴です。私達にも、幸せに生きる権利があるはず。そうでしょう?
男は口を真一文字に結び、2人に背を向けた。
「……今日の所は引き下がろう。だが、いずれ……君にはイギリスに戻ってもらう。今度は形を変えて、交渉に来よう」
男はそれだけ言うと紫色の光と共に姿を消した。
男の姿が見えなくなり、芽生はその場にへたり込む。
「芽生ちゃん!」
蓮介は慌てて芽生に駆け寄ると、彼女の肩を支える。
「大丈夫?」
「は、はい……でも、怖かったです……」
芽生は涙声でそういうと、蓮介に笑顔を作る。
「……だけど、蓮介先輩のおまじないのお陰で、勇気が出ました。ありがとうございます」
「……!」
彼女のふにゃりとした笑顔が、蓮介の脳裏に焼き付く。
——この子を、守りたい。
そんな思いが、心の底から沸き上がった。
「……芽生ちゃん」
蓮介は思わず、彼女の身体を自分の両腕で包んだ。
「へっ!?」
赤くなる芽生に構わず、蓮介は真剣な声色で告げる。
「芽生ちゃんが、無事でよかった」
「れ、れ、蓮介先輩!?」
蓮介は赤い顔で目を回す芽生から離れると、彼女の方を見て優しく微笑む。
「さっきはありがとう。改めて、家まで送るよ」
「は、はい……」
芽生は思考回路がショートしそうになるのを必死に堪えながら頷いた。
「青ヶ咲通りだよね。すっかり遅くなっちゃったし、行こう」
芽生は蓮介に促されてフラリと立ち上がると、彼と並んで公園を後にした。
* * *
芽生は蓮介と共に自宅の玄関前に来ると、彼に向かって頭を下げた。
「送って下さってありがとうございました」
「大丈夫だよ。今日は怖い思いさせてごめんね」
「い、いえ……蓮介先輩が守って下さったので、大丈夫です」
そう言って微笑む芽生を見て、蓮介も目を細める。
「もしよかったら、また部活においで。今日はできなかったけど、今度会う時は一緒にバドミントンしよう」
蓮介の誘いに、芽生は目を輝かせて頷いた。
「はい!」
その笑顔を見て、蓮介は「じゃあ、おやすみ」と声を掛け、帰路につく。立ち去っていく蓮介の後姿を見送って、芽生はしゃがみ込んだ。
「はあああ……なんか今日、色々あり過ぎなかった……?」
蓮介がかんざしを持っていてくれたこと。魔法の攻撃から自分を守ってくれたこと。そして……。
——芽生ちゃんが、無事でよかった。
優しく、抱きしめられたこと。
(い、今思い出しても恥ずかしすぎる……蓮介先輩、距離感おかしい……)
芽生は自分の体を両腕で包み込み、深いため息をついた。言うまでもなく顔は真っ赤だ。
(次の部活、どんな顔で会えばいいんだろう)
芽生が玄関でしゃがみ込んでいると、ドアが開いて、中からTシャツに水色のカーディガンを羽織った冬紀が出てきた。
「うわっ。姉ちゃん、何してるの?」
「ふ、冬紀……」
姉の真っ赤な顔と、その妙な体勢を見て、冬紀は芽生に何があったか悟る。
「恋愛相談なら、中で聞いたげるよ」
「ありがとう! 大好き!」
冬紀は破顔する芽生を見てやれやれと溜息をつき、芽生と共に家の中へ入っていった。
「全く、何回メッセージ送っても既読付かないんだもん。心配したよ」
「ご、ごめんね。色々あったんだ」
2人の話し声が、家の中に吸い込まれていった。
* * *
家に帰るまでの道中で、蓮介は一人、考える。
(魔導士協会が、わざわざ日本まで出向いて俺をイギリスに連れて行こうとする理由って何だ? 一般人である芽生ちゃんにまで攻撃するなんてよっぽどだ。彼らは何をしようとしてるんだ?)
蓮介は立ち止まり、バッグを背負いなおす。ファスナーについたシャトルのストラップがゆらりと揺れた。
(彼、また来るって言ってたな。もしそうなら、部員のみんなや芽生ちゃんにも、危険が及ぶこともあるかもしれない……)
蓮介は小さくため息を吐き、歩き出す。
(何か対策を練るまでは、部活から距離を置いた方がいいかもしれないな……)




