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6-6 少子化は「設計」の結果である
ここまで本書は、一つの前提を崩すために進んできた。
少子化は人々の価値観の変化なのか。
結婚観が変わったからなのか。
若者が子どもを望まなくなったからなのか。
こうした説明は広く共有されている。しかし本書では、それらを原因として扱わなかった。なぜなら、行動は環境に依存するからである。
人は合理的に判断する。
将来が予測できなければ長期契約を避ける。収入が不安定であれば住宅ローンを躊躇する。生活基盤が揺らいでいれば、結婚や出産という不可逆的な選択を慎重にする。
これは性格の問題ではない。
合理性の問題である。
第4章と第5章で確認してきたように、派遣という制度は長期的な生活設計の前提を弱くする。公共目的を持たず、成長や財源の安定にも寄与せず、人生設計そのものを難しくする構造を持つ。
そして第6章では、制度変更の主体を切り分けた。
市場は制度を修正しない。企業は制度を前提として行動する。行政は制度を運用する装置である。制度を変更できるのは立法だけであり、立法を動かす経路は選挙に限られる。
ここまで来ると、少子化の位置づけは変わる。
少子化は、偶然の結果ではない。
設計の結果である。
誰かが明確に少子化を望んだという意味ではない。制度が合理性の方向を変え、その合理性に従って人々が行動した結果として出生数が減少した、という意味である。
つまり、少子化は社会の選択の総和である。
個人が間違ったのではない。
制度が別の方向へ誘導したのである。
ここで本書は処方箋を提示しない。
どの政策が正しいか、どの政党を支持すべきか、そうした答えを示すことは目的ではない。本書が行ったのは、構造の整理である。
原因を特定し、主体を切り分け、経路を固定した。
それだけである。
しかし、それだけで十分でもある。
問題が感情ではなく構造であるなら、議論は感情ではなく構造から始めなければならない。少子化を「気持ち」の問題として扱い続ける限り、議論は個人批判へと流れ、制度そのものは見えなくなる。
本書の結論は単純だ。
少子化は設計の結果である。
そして設計は、変更可能である。
その事実だけを確認して、本書を閉じる。
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本書は、第6章で終わる予定でした。
ここまで読み進めてくださった方なら分かると思いますが、構造としての整理はここで一度、きれいに閉じています。原因を整理し、主体を切り分け、制度変更の経路まで固定した時点で、本来であれば一区切りにしてもよかった。
実際、私自身も「ここで終わりでいいかな」と思っていました。
ところが、書きながら考察を続けているうちに、どうしても残ってしまう問いがありました。
派遣制度はなぜ生まれ、なぜここまで拡張し、そしてなぜ今も残り続けているのか。
本書では、派遣制度を少子社会を加速させた構造の一つとして扱ってきました。しかし、それだけでは説明として少し足りない気がしてきたのです。
制度は突然生まれるものではありません。誰かの悪意で一夜にして作られるものでもない。合理的な判断の積み重ねの中で形を取り、その後、別の制度や環境と交差しながら姿を変えていく。
つまり、「なぜ」という問いにもう少しだけ踏み込みたくなりました。
そうしているうちに、第7章ができてしまいました(笑)。
本書はもともと第6章までの構成でしたが、もう少しだけ続きます。
ここまでの議論が「現在の構造」を整理したものだとすれば、第7章では、派遣制度というものをもう少し俯瞰して見ていきます。悪意ではなく合理から生まれた制度が、どのようにして社会の転換点になったのか。その過程を追うことで、ここまでの議論がより立体的に見えてくるはずです。
もう少しだけ、お付き合いください。
……そして、もし書いている途中でまた新しい疑問が生まれたら、もしかすると第8章も作ってしまうかもしれません。
そのときは、笑って続きを読んでいただければと思います。




