6-0 制度を変える主体は誰か。
制度を変える主体は誰か。
第6章は、この問いだけを扱うために存在している。ここまで本書では、少子化を「現象」としてではなく、「構造の結果」として整理してきた。原因を個人の価値観や感情に求めるのではなく、合理的判断の積み重ねとして理解し、その合理性を方向づけている制度に焦点を当ててきた。その前提に立つならば、最終章で扱うべきは感情的な希望ではない。制度を現実に変える主体とは誰なのか、その一点である。
まず切断しなければならないのは、「市場が解決する」という期待である。多くの議論は、競争が生まれれば改善が起こる、企業努力が環境を変える、といった市場万能論に寄りかかりがちだ。しかし本書で扱ってきた問題は、市場の中で自然に修正される種類のものではない。派遣制度は市場の自然発生的な結果ではなく、法律によって成立し維持されている制度装置である。市場はその内部で最適化を行うが、前提条件を自ら疑う機能は持たない。与えられたルールの中で効率を追求するだけであり、ルールそのものを変更する主体ではないのである。
ここで誤解してはならないのは、市場が無意味だという話ではないという点だ。市場は強力な調整機能を持つ。しかしそれは制度の枠内に限られる。例えば、雇用の不安定性が制度によって合法的に可能になっている場合、市場はその不安定性を最大限利用する方向へ働く。つまり、市場は制度の結果を強化することはあっても、制度そのものを修正する方向には動かない。この構造を理解しないまま、「そのうち市場が解決する」と期待することは、問題を先送りすることに等しい。
次に企業の役割である。企業は利益を最大化する主体であり、制度の範囲内で合理的に行動する。ここで重要なのは、企業を善悪で評価することではない。企業が雇用責任を軽減できる制度を利用するのは、倫理の問題ではなく合理性の問題である。もし制度が存在するなら、それを活用するのは当然の帰結だろう。企業に制度変更を期待する議論は、一見すると理想的だが、論理的には成立しない。企業は制度のユーザーであり、制度の設計者ではないからだ。
さらに行政についても整理が必要だ。行政は既存制度を運用する装置である。しばしば「行政が動けば変わる」という期待が語られるが、行政は法律の枠組みの中で行動する組織であり、制度の大枠を自ら変更する権限を持たない。できるのは運用の微調整や解釈の範囲内での対応に限られる。前例と法令を重視する行政の性質を考えれば、これは当然の帰結である。行政に制度変更を期待するのは、役割の誤認と言わざるを得ない。
では制度を変えられる主体は誰なのか。結論は単純でありながら、多くの場合避けて通られる。制度を変更できるのは立法だけである。派遣制度も消費税も、存在の根拠は法律にある。法律によって成立した制度は、法律によってのみ変更される。専門家会議の提言も、有識者の議論も、世論調査も、それ自体では制度を変えない。制度変更の決定権は立法権に集中している。
そして立法権を動かす手段もまた限定されている。民主主義において立法権は選挙によって構成される。理想的かどうかとは別に、現実の政治制度の中で制度変更を強制できる唯一の入口は選挙である。これは理想論ではなく、手続きの問題だ。政治が不完全であろうと、制度を変える経路は他に存在しない。
この整理は、希望を語るためではなく、責任の所在を明確にするためのものである。市場ではない。企業でもない。行政でもない。制度を変える主体は立法であり、立法を構成するのは選挙を通じて選ばれた存在である。つまり最終的には、この社会に属する人間の選択へと収束する。
本書は処方箋を提示しない。それは特定の政策や政党を推奨するための書ではないからだ。しかし逃げ道も提示しない。少子化が制度の結果であるなら、制度を変える以外に結果を変える方法はない。そして制度変更の経路はすでに明確である。
問題は見えた。原因は特定された。変更主体もまた明確になった。残るのは、選ぶという行為だけである。




