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スノースキン  作者: 管澤捻
二人の母親
26/27

二人の母親(8)

 マリナはホールから正面フロアに転がり出ると、ホール出入口に向き直り、バックステップを繰り返した。マリナがフロアに出てから約十秒後、ホールとフロアを分ける壁をぶち抜いて、全長七、八メートルはある巨大なビックフットがフロアに姿を現した。ビックフットは歯のない口を開くと、少女のように澄んだ声でマリナに語り掛けてくる。

「逃げたりしてどうしたの? お母さんを殺したいんじゃなかったのかしら?」

「そんな心配しなくても、ぼくは殺る気まんまんだよ」

「そう。それは良かったわ」

 巨大なビックフット──母上が拳を振り上げ、マリナに向かって突き出した。マリナはそれを横っ飛びに躱す。

(フレー! フレー! マ、リ、ナ! 頑張れ頑張れ! マ、リ、ナ!)

(煩い! 喧しい! 黙ってくれ!)

 母上が繰り出す拳を、ぴょんぴょんと跳ね回り、マリナは紙一重で躱していく。心の中で呑気にボンボンを振り回すリディを一喝し、マリナは神経を最大限に研ぎ澄ます。母上が組んだ両拳を、マリナに打ち付ける。マリナはギリギリまでその拳を引き付け、すんでのところで右に避けて躱す。床に母上の拳がめり込み、フロア全体が振動する。

(マリナ、ナイス!)

(だから黙って──うわっ!)

 床に打ち付けられた拳が、そのままマリナに向かって横に薙ぎ払われた。マリナは最小限の跳躍で拳を飛び越えると、すぐに背後にステップを踏み、母上から距離を取る。冷や汗をかきながら、心で呻く。

(あ……危なかった)

(もうマリナ! 油断大敵だよ!)

(誰のせいだ!)

 勝手なことを言うリディに、マリナは激しくツッコミを入れた。あくまでイメージではあるが、その呑気な友人の頭をはたいておく。するとリディが(いてっ)と呟いた。

(あれ? なんか今、頭を叩かれたような気がしたけど?)

(……気のせいだろ)

(うーん、そうだよね。あ、そんなことよりマリナ。今のうちに準備しないと)

(分かっているよ)

 マリナはポケットに手を突っ込むと、すぐに目的のものを取り出す。そして、手早く刀に細工を始めた。母上はマリナをじっと見つめるだけで、距離をとった彼女を、追い掛けてくるようなことはなかった。多少そのことに疑問を抱きつつも、マリナはこの隙に、リディが考えた作戦の下準備を進める。

 母上が右拳を振り上げた。マリナはその不可解な行動に、眉をひそめる。母上との距離は十分に取ってある。この距離なら、いくら巨大とはいえ母上の拳が届くことはない。マリナはそう思っていた。母上が右拳をマリナに向かって突き出す。そして──

 母上の右腕が猛烈な速さで伸びた。

「げっ!?」

 自身よりも大きい母上の右拳が、急速に接近する。マリナは反射的に上空へと跳んだ。そしてその直後に、己の失策を悟る。咄嗟のことで、力の加減を忘れてしまった。不用意に高く跳んだマリナの身体は、あまりにも無防備であった。右腕同様、高速に伸ばされた母上の左腕が、マリナを掴み上げた。

「ようやく、捕まえたわよ」

 蛇のように長い舌を動かして、母上が勝ち誇ったように言った。

「……母上らしからぬ、姑息な手を使うじゃないか。今まで手を伸ばして戦わなかったのは、この油断を誘うためか?」

「いいえ。必要ないと思っていたからよ。あたしね、あまり自分の身体を変形させるのは好きじゃないの」

「鏡持ってきてやろうか?」

 皮肉を込めて母上にそう言ってやるも、マリナは内心焦っていた。母上の握る力は強く、マリナがいくら足掻いたところで、その拳の拘束から逃れられそうになかった。

 伸ばした左腕を元の長さに縮め、母上がガパッと口を開ける。

「さて、このまま丸呑みして上げようかしら。それとも拳の中で串刺しになりたい? 頑張ったご褒美に、好きな食べられ方を選ばせてあげるわよ」

「……忠告してやるけど、そういうの負けフラグだから、言わないほうがいいぞ」

「あらそう? じゃあさっさと丸呑みしちゃいましょうか」

(マリナの馬鹿! なんで煽ってんの!)

 リディの憤慨した声が、頭に響いた。マリナも馬鹿な真似をしたものだと反省するが、あのような陰湿ないびられ方をされては、つい反抗したくなる。それが、乙女の(さが)というものだろう。と──

(マリナ! 今連絡があった! 向こうの準備はできたって!)

 リディの焦った──この状況では無理もないが──声が聞こえた。リディの考えた作戦の下準備が全て完了した。あとは実行に移すだけだ。しかし──

(この状況でどうすればいいんだ?)

(兎に角、どうにかしてマリナ!)

(兎に角って……)

(何でもいいからどうにかして!)

 勝手な言い分を押し通すリディ。マリナは仕方なく、()()()()()()()()()ことにした。

「ぐがあああああああああ!」

 全身に力を込め、母上の拳の拘束から逃れようとする。火事場の馬鹿力でも糞力でもなんでもいいので、細胞一つ一つから力を掻き集めて、最後の力を振り絞る。痛めた腕や内臓に激痛が走るが、マリナはそれを気迫で無視する。そして身体を芋虫のようにブンブンと左右に振りながら、その蠕動運動で少しずつ身体を上昇させていく。

「うぐぉおおあああああああ!」

 マリナの、あまりの形相とトリッキーな動きに、母上が一つしかない黄金の瞳を、パチクリと瞬かせる。その間にも、マリナはグニグニと全力で身体を振りながら、拳から少しずつ這い出していき、ついにはスッポリと抜け出すことに成功した。

 マリナは母上の左拳の上に立つと、素早く駆け出し、腕を伝って母上の頭部に接近する。そしてマリナは腰だめに刀を構え、母上の黄金の眼球に、刀を突き立てた。だが──

 母上は全く堪えることなく、虫でも払うように、マリナを手の甲で叩き落す。マリナは刀を手放すと、フロアのガラスを突き破り、建物の外まで吹き飛ばされた。地面に全身を打ち付け、ぐったりと横たわる。元々重症だった身体に無理を強いて、さらに母上の一撃をもろに受けた。もはやマリナには、起き上がる体力さえろくに残っていなかった。

「本当にしぶとい子ね。でも、今のが最後の力だったみたいね」

 眼球に刀を差したまま、母上が言った。そしてトドメを刺すために、母上がマリナに一歩近づく。マリナは、その光景を霞む視界の中でぼんやりと見つめる。そして、身動きできないまま、口だけを動かした。

「……こういうのを、偶然の一言で片付けることもできるが、ぼくは違うと思う」

「ん?」

 母上の動きが止まった。そのことに安堵し、マリナは慎重に言葉を紡ぐ。

「本当は……やり方なんて幾らでもあるんだ。それに誰もが気付かないだけで。可能性という無限に散りばめられた点を上手く結ぶことができれば、望む結果は誰でも得られる。だが誰もが、その点を忘れている、もしくは、関係のないものと考慮しない。だから、点は点のまま、可能性は可能性のまま、結果に帰結することがない」

 リディには見えていたのだろう。マリナが関係ないと排除していた可能性という点が。

 例えば──マリナが村の子供からもらったお守りのヘアゴムを。

 例えば──氷の床でマリナから手渡された小型の時限爆弾を。

 例えば──母上から聞いた灼熱の刀の仕組みを。

 例えば──モースの住人が利用していた完全防熱壁の設備の存在を。

 それらを、リディは運命を打破する武器として利用した。

 それらを、リディは結び付け一本の()()とした。

「何の話?」

 母上の問いに、マリナは不敵に笑った。

()()の起こし方さ」

 母上の眼球に突き刺さった灼熱の刀。その柄の先に──

 ヘアゴムで結ばれた小型時限爆弾がぶら下がっていた。

(今だよ! 『左脚』さん!)


 リディの合図が聞こえた。『左脚』はホール地下の空調設備を操作し、建物全体を覆う完全防熱壁を展開した。


 マリナと母上の間に、透明な障壁がそそり立つ。その瞬間──

 灼熱の刀にぶら下がった小型時限爆弾が爆発した。大した威力ではない。だがその爆発は、灼熱の刀の柄を粉々に砕いた。柄に内蔵された完全防熱壁の機構が破壊され、白銀の刀身に閉じ込められていた、膨大な熱量が解放される。結果──

 正面フロアが、一瞬にして白い光に満たされた。目を焼く膨大な光と熱量。だが、その熱はマリナのところまで一切届かない。灼熱の刀を破壊する直前で展開した完全防熱壁が、灼熱の刀に閉じ込められていた熱量を、コンサートホールの建物内部に完全に閉じ込めていたのだ。

 建物全体を溶解するほどの熱量を持った白銀の炎が、完全防熱壁の内部を舐め回すように荒れ狂う。それはあらゆる存在をも飲み込み、消し炭さえ残さず、無へと還していくことだろう。もちろん──

 母上とてその例外ではない。

 マリナは、白銀に炎に呑まれたコンサートホールを見つめながら、疲労感に満ちた声で呟く。

「終わったな……」

(うん……)

 リディが心の中で、優しく微笑んだ。

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