2.それでも努力は評価されたい
前稿で「創作物が他者にとって価値を持ち、何かが返されたときにそれを対価と呼ぶ」と定義した。
では対価が返ってこなかった創作や努力には価値がないのか、という疑問が新たに生まれる。
そこで少しだけ調べ物をしてみようかと思い至った。
現在、このWebの海には一体いくつの作品が漂流しているのだろうかと。
しかし実際のところ、国内のWeb小説が全部で何作品存在するのか、正確な数字はわからなかった。
複数サイトへの重複投稿もあれば、削除された作品もある。
当然今この瞬間にも、新たな作品が放流あるいは削除されていることだろう。
ただ、2026年10月時点で、カクヨムだけでも『約75万作』が公開されており、小説家になろうでは全年齢作品だけで『約134万作』、主要サイトだけを見ても、私たち読者の前には百万単位の作品が並んでいるのが見て取れる。
つまり、あなたがアプリやブラウザなどからサイトを覗けば、そんな数えることもできないほどの作品の群れに襲われる。
それは消費者であるあなたにとってはこの上なく幸せなことかもしれない。
食べられるケーキは無数にあり、どれを好んで食べてもいいし、どれを好んで食べなくてもいい。
現に、あなたが今このエッセイの1ページを見ているということは、そのような数多くの作品の群の中から、何かを感じて足を止めてくださったのだろう、と私は思う。
あるいは、作者である私自身との付き合いからかもしれないし、もっと別の何かを求めてか、あるいは単なる気まぐれからかもしれない。
しかし、いかなる理由であれ、あなたは今本作を読んでいる。
私が2025年の12月20日にカクヨムにて公開した「路地裏の亡霊たち」は、覚えている限りでも約5ヶ月間は、PVもリアクションも一切つかなかった。
高頻度ではなかったかもしれないが、定期的な更新自体も欠かしていない。
今でこそ1400を超えるPVも、500を超える応援も、10を超えるブクマもある。
星も20を超えている。
しかしそれでもなお、あの5ヶ月間の記憶は非常に暗かったことを忘れられない。
「努力したから評価されるべき」と考えることと、「努力したから評価されたい」と思うことは、必ずしも同一ではないとは知っている。
評価基準が定量的でないからこその夢があり、苦痛があるというだけのこと。
会社勤めでないならば(いや時折会社勤めであったとしても)、そういうことはどこにでもあるものだ。
しかし、努力が評価を保証しないことを理解できても、努力して得た結果に対して不満を抱かないというわけではない。
私はこのままならなさを、極めて人間的であると考える。
それでも今、あなたがこの作品を読んでいることもまた事実であり、「路地裏の亡霊たち」がはじめは全く対価を得られなかったこともまた事実であるのだ。
そのどうにもならない事実との向き合い方を、私は今でも考えている。
【参考資料】
・カクヨム「数値で見る10年の歩み」https://kakuyomu.jp/info/category/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B?page=23
・カクヨム作品検索(現在の公開件数)
https://kakuyomu.jp
・小説家になろう「小説家になろうについて」
https://syosetu.com/site/about




