1.創作は技能と労働である
やはり、創作は技能と労働である、と私は思う。
どうしてかまではこの段階ではわからなかった。
お昼ご飯を食べた後、消化するのにエネルギィを使っているうちにうつらうつらとしてしまい、なんとなくそうだと納得したからだ。
本業はIT系でプログラマ。
2024年から2年間小説を公開し、2020年から6年間イラストを描き、ネット上へとあげている。
どれもこれも創作的だと認識している。
よく誤解されるようにも思うが、プログラマはコードを書くのが仕事ではない。
他人が欲しいと思ったものを、実現させるためにコードを書くのであって、提供するものはコードではない。
コードを書くのは経験と学習で上達するので技能である。
しかし、他人が価値を見出す部分はコードではなく、作り上げられた完成品の方である。
こういうことなので、プログラマの中には、コードを書かなくて済むならそれでいいとすら思うものもいる。
あくまでも必要なのは、完成品だ。
完成品が何であるかは、一旦脇に置いておく。
相手が欲しいのは完成品だ。
重要なのは、コードそのものは目的ではなく、求められる品質を満たして要望を実現するための手段であるということだ。
ITにおける完成品、特にソフトウェアに求められるのは、後から修正や機能追加をしやすい保守性、外部の脅威に対するセキュリティ、必要な機能を備えていること、そして安定して動作する信頼性などである。
そして最も重要なのは、「利用者の要求や目的を満たすこと」。
要するにそれが価値となる。
コードを書くには技能が必要であり、その技能を使って完成品を生み出すことは労働である。
あるいは作業と言い換えてもいい。
そしてコードそのものはツールでしかないものだ。
そして、労働は仕事ではない。
仕事には価値と対価が必要だからだ。
そこまで考えて、ほんの少しだけ寝返りをうつ。
ぼんやりしていると時折浮かんでくる思考の切れ端を、丁寧に繋ぎ止めておかねばなるまい、とこのエッセイを書いている。
プログラマはコードを書くことが仕事ではないし、小説家は小説を書くことが仕事ではない。
そしてまた、絵描きも絵を描くことが仕事ではない。
いずれも生み出した先に価値があるのであって、技能はそのためのツールでしかなく、生み出すことそれ自体は単なる労働であると定義する。
そして労働は仕事ではない。
なぜなら、労働のみでは他者にとっての価値と対価が発生していないからである。
技能自体は磨けば上がる。
アイデアを出し、ラフを描き、推敲し、完成させる。
その過程でわからないことは調査をし、新しい技能を手にいれ、そしてつまづき、また一つ上手くなる。
完成した時点で、創作者にとってはすでに、莫大な価値を持ちうるものになるだろう。
しかし、それ自体が他者にとっても価値あるものだとは限らない。
あるいはとんでもないガラクタを一つ、作り上げただけかもしれない。
そういう考えも、私にはある。
ここまでで満足できればそれでいい。
しかし、労働によって作ったものを、他人にとっての価値へ変えたいと思い始め、その価値に対して相手から何かが返されたならば、それが対価になるだろう。
対価とは、創作物を通じて、相手がこちらに受け渡したもの全てである。
次も読もう、応援を押そう、作品や作者をフォローしよう、コメントを書いたり、星を押したり、レビューを書いたり、あるいは金銭を渡したいと思うこともあるかもしれない。
それを実際に行動に移したならば、それが創作者にとっての対価となる。
対価がもらえれば仕事になる。
仕事とはそういうものだと定義する。
しかしそうなると今度は、対価の発生しないものには価値がないのかと自問自答するはめになる。
そうして思考はループしていく。
思考のネストに捕らわれながら。




