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時代遅れと笑われた古参ヒーラー、二十年前の撤退支援で全滅確定の戦場を支配する  作者: 青柳 玲夜(れーやん)


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第五話 赤表示は餌

 翌朝の青羽坑道は、ひどく静かだった。


 俺たちは五人で青羽坑道に入った。少人数で潜る。それが初期型ダンジョンのセオリーだ。


 俺は先頭を歩かなかった。隊列の中ほどに位置を取り、前衛二人の背中と退路の幅を見ていた。前を固めるのは盾役の九条。その横で黒瀬が前衛として警戒している。腕は確かだ。ただ、その背中はまだ俺に納得していない。ミオは俺の少し後ろで、俺の立ち位置と足元の床を交互に見ている。天城は端末と記録装置を確認しながら、最後尾近くを進んでいた。


 耳元の通信が軽く鳴った。本部の牧野だ。


『全員、帰ってこいよ。特にレイ。お前がまた変な顔で帰ってくると、こっちの胃が痛い』


「善処します」


 軽口の奥に緊張があるのはわかっていた。牧野も、この坑道が普通じゃないことを知っている。


 しばらく何も起きなかった。


 坑道は静かだった。端末は正常に動いている。危険度の表示も穏やかで、魔物の反応もぽつぽつとしか出ない。湧いてきた小型の個体は、九条の盾と黒瀬の一撃で難なく片付いた。


 黒瀬の警戒がわずかに緩むのが背中越しに伝わってきた。口には出さない。優秀な男だから油断しきってはいない。だが内心では思っているはずだ。今回は端末が機能している。前回はたまたま悪い条件が重なっただけだ、と。


 俺は逆だった。この静けさが嫌いだった。


 冷気が浅い。前回、肺の底まで沈んできたあの古い冷たさが、今日は表面をなぞるだけだ。壁の鉱石の光も前回より弱い。足音の返り方がどこか遠い。そして端末の表示が、正常すぎる。


 何も起きていない、という顔をしすぎている。


 初期型の坑道は、こんなに行儀よくない。何かがこっちの様子をうかがっている気がした。だが、まだ何も言わなかった。確証はない。隊を不安にさせるだけだ。


 異変が出たのは、三層目に入ってすぐだった。


 天城の端末が短い警告音を上げた。続けて、黒瀬のも九条のも鳴る。


「赤、出ました。最優先救護対象、前方四十メートル」


 天城が言った。


 横道の奥、崩れた岩の陰に装備の残骸が転がっていた。前回の事故でここまで逃げて、力尽きた誰かのもの。その装備の真ん中で、かすかな光点が点滅していた。生命反応のような、何か。


 端末の表示が畳みかけてくる。最優先救護対象。救援推奨。危険度、赤。即時支援推奨。


「生きてるかもしれない。前回はぐれた誰かだ。行きます」


 黒瀬の声が硬くなった。


「行くな」


 黒瀬が振り返る。その目には、怒りより先に迷いがあった。


「見捨てるんですか。赤が出てるんです」


「それは餌だ」


 それ以上は言わなかった。


 黒瀬は突っ走らなかった。命令は頭で分かっている。だが倒れた装備と点滅する光点を見て、体が半歩だけ前に出た。助けたいという気持ちが足を動かしたんだろう。たぶん、速水のことが頭にあった。守れなかった後輩のことが。


 その半歩で坑道が目を覚ました。


 端末が示していた誘導ラインが途切れる。壁面の青い羽根状の鉱石が一斉に光る。倒れた装備の光点が、すっと位置をずらした。生きているものなどそこにはいない。最初から餌だ。


 端末が一瞬、ざっと潰れたノイズを吐いた。黒瀬と隊列の間に薄い歪みが滲み出す。同時に、俺たちの背後、来た道の壁から魔物の気配が湧いた。


 黒瀬を前に誘い出し、退路を後ろから塞ぐ。


 そういう罠だ。


 俺は慌てなかった。湧き方も光り方も、半歩前から嫌な予感として読んでいた。


 勘じゃない。


 二十年前、嫌というほど見た手口だ。


 黒瀬に聖壁は張らない。強化なんて必要ない。俺が守るのは黒瀬じゃなく、黒瀬が戻ってくる道だ。


「前へ出るな! 黒瀬の戻る線を空けろ!」


 退路の上に聖域を敷く。黒瀬の背後、隊列から遠い側に聖壁を一枚立てて、歪みに飲ませない。九条の盾が踏むべき位置を床に光で示す。それからミオに言った。


「黒瀬を見るな。帰ってくる道を見ろ」


 ミオは最初、黒瀬本人に手を伸ばしかけていた。回復を飛ばそうとした。倒れる前の反射だ。だが、俺の声で踏みとどまった。


 彼女の聖属性が向きを変える。黒瀬の足元ではなく、黒瀬が退いてくるその先へ。小さな聖壁を置き、九条の盾の後ろに薄い聖域を重ねる。黒瀬と隊列の間に滲んだ歪みを、ほんの一瞬だけ塞いだ。回復じゃない。戻る線を先に作る支援だ。


 ミオの聖壁は薄かった。すぐにひびが入った。完璧には程遠い。それでも、黒瀬が退くための一瞬を作った。


 黒瀬はその一瞬を逃さなかった。歪みが閉じている隙に身を翻し、九条の盾の内側へ飛び込む。


 戻ってきた黒瀬が、ミオを見た。


「今の……お前が?」


「レイさんの指示です」


 ミオは震えていた。膝が笑っている。それでも倒れず、立ったまま聖壁を保ち続けていた。


 黒瀬は何か言いかけて、結局何も言わなかった。礼を言うには悔しく、否定するには助けられすぎていた。


 来た道の壁から湧いた魔物が、退路を塞ごうと突っ込んでくる。


 九条は床の光を迷わず踏んだ。俺が示した聖域の境目だ。そこに盾を据える。


「ここですね」


「ああ。そこから一歩も出るな」


 九条に説明は要らなかった。


 盾の底が聖域の縁を噛む。突進してきた魔物の肩が盾にぶつかり、衝撃だけが横へ流れた。九条の足は一歩も下がらない。


 聖域に乗った盾は、初期型の坑道でもちゃんと意味を持つ。


 最後尾で天城が端末の画面を食い入るように見ていた。画面の中で、赤表示はまだ点滅し続けている。最優先救護対象。即時支援推奨。端末は一貫して、あの装備の場所を指していた。


「端末は……間違ってない。あの場所は本当に危険だ。救護対象に見える反応も出てる。なのに、この表示を追ったら全員死ぬ」


 天城が低く言った。


「正しい情報なのに、使えば死ぬ。……悔しいですね」


 端末が正しくて、それでも負ける。その光景を、現代システム側の人間が初めて自分の目で見ていた。


 歪みが薄れ、背後に湧いた魔物の気配も散り始めた。危機はいったん抜けた。俺は隊列を立て直させた。


 黒瀬はしばらく肩で息をしていた。それから、誰にともなく呟いた。


「……今の、端末は間違ってなかった」


「間違ってない。だから厄介なんだ」


 黒瀬が俺を見た。


「赤の場所は本当に危険だった。生きてるかもしれない反応も出てた。だったら助けに行くのが正しいはずだ」


 俺はうなずいた。


「正しい。だから助けに行った奴から隊列の外に出される」


 黒瀬の顔が歪む。


「赤表示は助ける場所を教えてるんじゃない。人を誘い出す場所を教えてるんだ。初期型の坑道は、お前らの善意を餌に使う」


 黒瀬は何も言い返さなかった。崇拝するような目でも、納得しきった目でもない。ただ、反論する言葉を失った目だった。それで十分だった。


 隊列が落ち着いてから、ミオがまだ少し震える声で聞いてきた。


「レイさん。……どうして、わかったんですか。赤が餌だって」


 黒瀬も、同じことを聞きたそうな顔でこっちを見ていた。


 俺はすぐには答えなかった。


「前にも見たからだ。同じ手口を」


 それ以上は言わなかった。


 坑道の奥から、冷たい風が流れてきた。前回より浅い、けれど確かに覚えのある冷気だ。その匂いが、二十年前を連れてくる。


 ……立派な理由で、ヒーラーになったわけじゃない。


 俺を置いていった女を一人、探すためだった。


 誰も何も聞かなかった。


 あの女を追いかけた、最初のダンジョンの匂いがした。

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