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時代遅れと笑われた古参ヒーラー、二十年前の撤退支援で全滅確定の戦場を支配する  作者: 青柳 玲夜(れーやん)


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第四話 保険じゃなかった

 速水が目を覚ましたと聞いて、俺は救護区画へ足を運んだ。


 別に見舞いが得意なわけじゃない。むしろ苦手だ。何を言えばいいのか、いつも分からない。


 病室のベッドで速水は半身を起こしていた。右腕は肩から先まで固定具と包帯で固められている。顔色は悪い。だが目は開いていた。


「あ。レイさん」


 俺を見て速水はへにゃっと笑った。


 俺は椅子に座らなかった。立ったまま、その腕を見ていた。


 命は残った。だがこの腕は簡単には戻らない。魔力回路の損傷が深ければ、前衛としてもう一度ダンジョンの最前線に立てるかどうかも分からない。


 命だけは残した。


 だが、元に戻せたわけじゃない。


「悪かったな。間に合わなかった」


「いやいや」


 速水は笑ったまま首を振った。


「むしろ生きてるのが奇跡らしいっすよ。先生が言ってました」


 それから速水は固定された腕に目を落とした。


「……俺、あの時、『撤退支援なんて、保険でしょ』って笑ってたんすよね。レイさんに」


 覚えていた。


 青羽坑道に潜る直前のことだ。


「保険じゃ、なかったっすね」


 速水は天井を見上げて言った。


「あのダンジョンで保険のはずの撤退支援が、たぶん一番人を生かしてた。俺、倒れたまま後ろから見てたんすよ。レイさんが誰も回復しないのに、人が死ななくなっていくの」


 俺は何も言わなかった。


「『まだ立ってる奴を死なせるな』」


 速水はその台詞をなぞった。


「あれ、頭から離れなくて」


「忘れろ。あれは覚えて楽になるものじゃない」


 速水が笑った。痛そうに肩を揺らして。


「そういう言い方すると、逆に気になるじゃないっすか」


 それから少しだけ声を落とした。


「俺、もう前に立てないかもしれないんすよね」


「今は治療に専念しろ」


「分かってます。でも……前に立てなくなっても、後ろからなら何かできますかね」


 俺はすぐには答えなかった。


 こいつの目の奥に、あのダンジョンで見た光がまだ残っているのに気づいてしまったからだ。気づかないふりをしたかった。


「今は考えるな」


「それ、考えろって意味に聞こえますよ」


 速水は弱く笑った。


 まったく、若いやつは面倒だ。


    *


 翌朝、ギルド本部のブリーフィングルーム。


 長机を囲んでいるのは少人数だった。再調査は大部隊では入らない。初期型のダンジョンに人を詰め込むのはそれ自体が危険だ。それを上がようやく理解したらしい。


 壁のモニターには『青羽坑道』の構造マップが映っていた。


 盾役で現場副隊長の九条サキ。黒い防護ジャケットを隙なく着込み、背中には折り畳み式の大盾を背負っている。俺に肩入れする気も疑ってかかる気もなさそうだった。ただ命令と数字を見ている目だった。


 技術解析官の天城ナツメ。細い銀縁の眼鏡をかけ、端末を三台机に並べている。こちらを見るより先にログを見るタイプの人間だ。


 そして黒瀬ユウマ。


 最新装備に身を固めた若いアタッカーだった。『アヴァロン』のエリート。無駄のない軽装甲と、腰に下げた高周波ブレード。腕が立つのは立ち姿だけで分かった。だがその目が俺を見る時だけ、明らかに冷たかった。


 九条が負傷者の状況を簡単に読み上げ、その中に速水の名前があった。


 その時、黒瀬の視線がほんの一瞬だけ揺れた。


 ああ、そういうことか。


 速水の知り合いか何かだろう。


 水瀬ミオも隅に座っていた。隊員というより同行希望という立場だ。緊張した顔で机の下で手を握っている。


 通信席のモニターの中では、牧野がコーヒー片手ににやにやしていた。


「揃ったな。じゃ、始めるか」


 最初に口火を切ったのは九条だった。


「梶原顧問の命令は明確です。青羽坑道内では蓮見さんの撤退支援指揮を優先する。端末の優先表示より、蓮見さんの判断を上に置く」


 その瞬間、黒瀬が口を開いた。


「……それ、本気で言ってます?」


 静かだが棘のある声だった。


「第一次攻略で第三支援線が助かったのは認めます。数字も見ました。それでも正式な再調査で端末を切るのは危険だ。支援端末は危険度を数値化している。誰を守るべきか、どこが危ないか、全部データで出る」


 黒瀬は俺をまっすぐ見た。


「それを切って個人の経験と勘だけに命を預けろって? 納得できません」


 声が少しだけ低くなる。


「速水は俺が面倒を見ていた後輩です。あいつが生きてるのは、あなたの支援のおかげなんでしょう。でもあいつの腕は戻るか分からない。だからこそ次は確実な方法で入るべきだ」


 悪意ではなかった。


 こいつは本気でそう信じている。そして本気で仲間を死なせたくないと思っている。だから最新理論にすがっている。


 俺は媚びなかった。


「納得できないなら帰れ」


 黒瀬の眉が上がる。


「俺はお前を説得するために呼ばれたんじゃない。俺の指示に従えない奴は青羽坑道では死ぬ」


「それは――」


「お前が優秀なのは分かった」


 俺は遮った。


「立ち姿で分かる。腕は確かだ。だから、死なせたくない」


 黒瀬は言葉を失った。


 俺が彼を黙らせたいわけではないことは、たぶん伝わったのだろう。何か言い返そうとして、けれど最後には口をつぐんだ。


 黙っていた天城が端末から顔を上げた。


「私は端末を切る判断には反対です。今でも」


「だろうな」


「ですので次の再調査では、蓮見さんの判断をすべて記録します。何を見てどこに支援を置いたのか。端末が負けた理由を、私は確認したい」


「好きにしろ。記録して困ることは何もない」


 ただ、記録して分かるものかどうかは知らない。


 二十年前、死体の山の中で体に焼きついた逃げ方だ。理屈だけで説明できるなら、とっくに誰かがマニュアルにしている。


 そこでミオが立ち上がった。


「あたしは……レイさんの指示に従います」


 声は少し震えていた。


「理由は、あのダンジョンで生き残ったからです。それだけです」


 言い切って、ミオは座った。座ってから自分が何を言ったのか急に怖くなったみたいに肩をすぼめる。


 まだ未熟だ。


 だが、あのダンジョンで何かを見た目をしていた。


 九条が小さく息を吐いた。


「黒瀬。納得は後でいい。現場では従え。それが命令だ」


 黒瀬は不服そうに、だがうなずいた。


 九条は次に俺を見た。


「蓮見さん。こちらからも確認させてください」


「言ってくれ」


「聖域をどこに敷くのか、こちらにも共有してください。どこを退路にして、どこまで踏み込めるのか。それが分からなければ盾は立てられません」


 まともな要求だった。


「分かった。それはこっちから伝える」


 空気が張りつめていた。それをほぐすみたいに、通信席の牧野が間延びした声で言った。


「いやー、しかし。レイが若手に囲まれて指揮とはな。感慨深いわ。……そういや、お前ら知ってるか? この葬式みたいな顔した男が、そもそもなんで支援職になったか」


「牧野さん。黙ってください」


「昔、女を探しにダンジョンに潜ったんだよ。こいつ」


「えっ」


 ミオが素っ頓狂な声を上げた。黒瀬まで一瞬こっちを見る。


「牧野さん」


 俺は低く言った。


「黙れって、言いましたよね」


「はいはい」


 牧野は悪びれず、コーヒーをすすった。


 まったく、余計なことを。だが、おかげで室内のひりついた空気は少しだけ緩んだ。それがこいつの狙いなのも分かっていた。


 俺は立ち上がった。


 全員の顔を見回す。黒瀬。九条。天城。ミオ。


「一つだけ言っておく」


 声を低くした。


「青羽坑道内では端末より俺の指示を優先しろ」


 室内が静かになる。


「俺は、お前らを勝たせるためにいるんじゃない。生きて帰すためにいる。火力で押せるダンジョンなら、俺はいらない。だが、あそこは違う」


 黒瀬が唇を引き結ぶ。


「それが飲めないなら今ここで抜けろ。現場で迷われるより、ずっとましだ」


 誰も帰らなかった。


 黒瀬でさえ立たなかった。不服そうに、だが椅子に座ったまま俺を睨んでいた。それで十分だった。


「決まりですね」


 九条が立ち上がった。


「再調査隊、編成確定。明朝六時、青羽坑道へ再突入します。各自、準備を」


 メンバーが散っていく。天城は記録装置の設定を始めた。ミオは緊張した顔で、それでも何かを決めた顔で装備の確認をしている。黒瀬は最後まで不服そうな顔のまま部屋を出ていった。


 通信席の牧野が手を振る。


「明日は、俺が上で聞いてるからな。死ぬなよ、全員。特にレイ。お前が死んだら、葬式、地味になりそうだから」


「縁起でもないことを言わないでください」


 俺は一人、モニターの前に残った。


 『青羽坑道』の構造マップ。第一次攻略で判明したダンジョンの形。主坑道の沈み方。枝道の分かれ方。退路のねじれる位置。最深部の広間の、いびつな輪郭。


 それを見ているうちに背筋が冷えていった。


 白鯨坑道に似ている。


 最初はそう思った。


 だが、違う。


 青羽坑道は白鯨坑道に似ているんじゃない。


 入り口だけすげ替えて、同じ傷口がまた開いている。


 二十年前に閉じたはずの、あのダンジョンが。地面の下で口を変えて、まだそこにいる。


 俺は古い杖の握りを確かめた。


 明日、また、あそこへ入る。

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