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時代遅れと笑われた古参ヒーラー、二十年前の撤退支援で全滅確定の戦場を支配する  作者: 青柳 玲夜(れーやん)


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第二話 生存率九十二パーセント

 坑道の外は、まだ騒がしかった。


 地上に張られた臨時救護所では、青いシートの天井の下に担架が並び、治療班が走り回っていた。探索者ギルドの職員は端末を握りしめ、生存者の誰かが声を殺して泣いている。砕けた装備が地面に転がっていた。さっきまで最新合金と呼ばれていたものが、ただの鉄くずになって。


 俺はその隅に座っていた。


 誰も俺には話しかけてこない。それでよかった。


 目の前の担架には、速水が寝かされていた。


 息はある。命は残った。だが右腕がひどい。肘から先が魔物の爪に裂かれ、治療班が止血し、治癒術式を重ねても傷の塞がりが遅い。初期型の坑道で受けた傷は、地上に出ても、しばらく尾を引く。俺はそれを知っている。


 問題は腕だけじゃなかった。


 魔力回路が焼け切れていた。アタッカーの命綱だ。これが戻らなければ、こいつはもう前には立てない。


 命だけは残した。


 だが、元に戻せたわけじゃない。


 いつものことだ。


「レイさん」


 声に顔を上げると、若いヒーラーが立っていた。坑道で、俺が聖壁を差し込んだ娘だ。水瀬ミオ。白い支援コートの裾には、坑道の泥と誰かの血がこびりついている。


 彼女は両手で缶を持っていた。あたたかい、ほうじ茶か何かの缶だった。それを俺に差し出してくる手が、まだ少し震えていた。


「これ……あの、よかったら」


 俺は受け取った。手のひらにぬるい熱が伝わる。礼を言うべきなのは、たぶんこっちの方じゃない。


「ありがとう」


 ミオは座らなかった。立ったまま、缶を握る俺の手を見て、それから思い切ったように口を開いた。


「レイさん。さっき、ずっと見てました」


 声が少し掠れている。


「レイさん、倒れた人を起こそうとしてませんでした。普通なら最優先で回復する人を見てたのに、そこへ行かなかった」


「ああ」


「なのに……死ぬ人の数が減っていって。途中から、新しく倒れる人が少なくなって。あたし、回復職なのに、何が起きてるのか全然分かんなくて」


 彼女は自分の手のひらを見下ろした。聖壁が砕けて、それでも生き残った、その手を。


「あれは……何なんですか」


 俺は缶のプルタブを起こした。あたたかい湯気が少しだけ立つ。


「撤退支援だ」


「てったい……」


「昔は、ああしないと誰も帰れなかった。それだけだ」


 それ以上は言わなかった。説明したところで、今のマニュアルには載っていない。


 ミオは何か言いたそうに口を開きかけて、結局、深く頭を下げた。


「……ありがとうございました。あたし、たぶん死んでました」


 その背中が治療班の方へ戻っていく。


 俺は缶を一口だけ飲んだ。あたたかかった。ただ、それだけだった。


 助けた数より、間に合わなかった顔の方が先に浮かぶ。


 退路の手前で力尽きた速水。聖壁が一秒届かなかった背中。坑道の奥で、声の届かなかった何人もの顔。


 支援職ってのは、たぶんそういう仕事だ。何人救っても、最後に頭へ残るのは、救えなかった一人の顔だ。


 だから俺は、救った数を数えられない。


 担架の上で、速水の指がわずかに動いた。


 俺はそれを見ないふりをした。見てしまえば、まだ救えた気になってしまうからだ。


 俺が地上の救護所でそんなことを考えている頃、そこから少し離れたギルドの建物の中では、まったく別の話が始まっていた。


    *


 探索者ギルド、緊急事故検証会議。


 長机の並んだ会議室は、重い空気で満ちていた。『青羽坑道』攻略中の大規模事故。死者二十七名、行方不明十一名、重傷六十四名。原因の特定が急がれていた。


 壁のモニターには、各支援線の被害状況が映し出されている。


 第一支援線、戦闘継続不能。第二支援線、半壊。数字が読み上げられるたび、委員たちの表情は暗くなっていった。


 そして、第三支援線。


「……第三支援線の管理区域。生存率、九十二パーセント」


 報告者がその数字を口にした瞬間、会議室が静まった。


 誰かが聞き返す。


「もう一度、いいですか」


「第三支援線の管理区域。生存率、九十二パーセントです」


 ざわめきが広がった。他が壊滅に近い中で、その区域だけが明らかにおかしい。


 報告者が資料をめくる。


「なお、事故発生時点の第三支援線管理区域における予測生存率は、二十三パーセントでした」


「二十三?」


「はい。自動救命術式の停止、撤退ゲートの閉鎖、支援職への集中攻撃を前提にした予測値です」


「実測は?」


「九十二パーセントです」


 会議室の空気がまた変わった。


 異常値。


 その言葉が、誰の口からも出ないまま共有された。


「第三支援線の管理区域では、回復魔法の使用回数が全部隊平均の三割以下でした」


「三割?」


 現行支援理論の委員が眉をひそめる。


「回復を減らして、それで生存率が上がったと?」


「はい」


「そんな支援理論は、現行マニュアルにはありません」


 報告者は構わず続けた。


「代わりに、防御支援と退避誘導のログが異常値を示しています。個人による防御支援の発動回数、三百七十二回」


 会議室がざわついた。


「三百七十二? 一人で?」


「指揮を執っていた一名の探索者によるものです。回復ではなく、倒れる前に一撃を防ぐ支援。退路そのものを守る支援。現行の支援端末は、こういう動きを推奨していません」


「待ってくれ」


 別の委員が口を挟む。


「うちの端末は、危険度の高い対象から優先表示する。回復すべき相手を自動で示すんだ。なのに」


 報告者がうなずいた。


「その第三支援線は、端末の優先表示を切っていました」


 沈黙。


「優先表示を切った部隊が、一番生き残っていると?」


 誰も答えられなかった。


「もう一点」報告者が付け加えた。「今回の事故では、坑道全域で自動救命術式が起動していません。致命傷を受けた探索者の生命反応を三十秒だけ保たせる仕組みが、最初から最後まで沈黙していました」


 委員の何人かがうなずく。それが今回の死者数を増やした最大の原因だった。


「その状況で、第三支援線だけが九十二パーセント。これは人の手だけで出した数字です」


 会議室が、もう一度静まり返った。


 その隅に、一人の若いヒーラーが呼ばれて座っていた。水瀬ミオ。第三支援線の生存者だ。簡易聴取のため、救護所から呼ばれていた。


 委員の一人が、彼女に尋ねる。


「現場で、何が起きたか。あなたの言葉で、話してくれますか」


 ミオは膝の上で手を握り、それからゆっくりと話し始めた。


「あの人は……倒れた人を回復するなって言いました。まだ立ってる人を、死なせるなって」


 委員たちが顔を見合わせる。


「あたし、最初、意味が分からなくて。回復職なのに、回復するなって言われて。でも、あの人は退路の上に、聖域みたいなものを敷いて。端末が『回復しろ』って示す場所とは、全然違うところに支援を置いていって」


 彼女の声が、少しずつ熱を帯びていく。


「あの人の指示が入ってから、新しく倒れる人が減ったんです。あの人、敵を一体も倒してません。火力なんて出してない。なのに、戦場の形が変わったんです」


 会議室の空気が変わった。


 数字だけだったものに、現場の温度が乗った瞬間だった。現行理論の委員が、口を閉じたままモニターの「九十二パーセント」を見つめていた。


「つまり彼は、倒れた者を見捨てたのか」


 誰かが低く言った。


 ミオの肩が、ぴくりと動く。


「違います」


 思ったより強い声だった。自分でも驚いたように、ミオは一度息を吸う。それでも、顔を上げたまま続けた。


「レイさんが見ていたのは、まだ死んでいない人たちでした。あの人が倒れた人のところへ行っていたら、もっと多くの人が死んでました」


 会議室が静まり返る。


「あたしも、その一人です」


 それ以上、誰も彼女を問い詰めなかった。


 その間、ずっと黙っている男がいた。


 会議室の上座。特別顧問の席。白髪の、痩せた老人だった。彼は報告にも、ミオの証言にも口を挟まなかった。ただ目を閉じて、聞いていた。


 報告が一段落したところで、その男が初めて口を開く。


「術式ログを。第三支援線の防御支援の術式ログを出せ」


 モニターに複雑な術式の記録が映し出される。委員の一人がそれを見て、首をかしげた。


「これは……見慣れない構成ですね。今の聖属性支援とは、組み方が違う」


「当然だ」老人が静かに言った。「二十年、誰も使っていない」


 会議室がざわついた。


「二十年前の撤退支援だ。現行の理論では説明がつかんだろう。理論ができる前の術式なんだからな」


 彼は立ち上がり、職員に低く命じた。


「古い事故記録を持ってこい。二十年前のだ。『白鯨坑道』」


 その名前に、何人かの委員が反応した。年配の数人が息を呑む。若い委員たちは誰も知らない顔をしていた。


 ほどなく、古い記録が運ばれてくる。黄ばんだ紙のファイル。電子化される前の事故記録だ。


 老人は、運ばれてきたファイルの端を親指でそっとなぞった。その一冊だけ、何度も開かれたように背が傷んでいた。


 彼はある一ページで手を止める。


 そこには、『白鯨坑道遭難事故』という事件名と、一人の探索者の名前が記されていた。


 蓮見レイジ。


「あの男は」老人がファイルを見たまま呟いた。「二十年前にも、同じことをした」


 誰かが尋ねる。


「同じこと……生存率を上げた、ということですか」


「ああ。あの時も、あの男のいた場所だけ、人が生き残った」


 老人はファイルを静かに閉じた。


「ただし、あの時は誰も、その判断を功績とは認めなかった」


 それ以上は語らなかった。何があったのか。なぜ認められなかったのか。古い委員たちも、口を閉ざしたままだった。


 老人が顔を上げる。白い眉の下の目に、二十年ぶりの何かが宿っていた。


「蓮見レイジを呼べ」


 声は静かだったが、会議室の全員に届いた。


「今回の坑道が、なぜあんな動きをしたのか。あの男にしか説明できん」


    *


 救護所の缶は、もうすっかり冷めていた。


 俺がそれを地面に置こうとしたとき、足音が近づいてきた。顔を上げると、さっきのヒーラー、水瀬ミオが息を切らして立っていた。会議室に呼ばれていたとは、俺はまだ知らない。


「レイさん」


 その後ろから、ギルドの職員が二人。明らかに俺を探していた顔だった。


 ミオが戸惑ったように言った。


「レイさん……ギルド本部から呼び出しです。特別顧問が、直接お話ししたいって」


 特別顧問。


 その言葉に、俺の指先がわずかに冷えた。


 覚えのある立場だ。二十年前、あの坑道のあとも、俺を呼びつけた人間がいた。


 職員の一人が一歩進み出て、言った。


「蓮見レイジさん。『白鯨坑道』について、お話があるそうです」


 その名前を地上で他人の口から聞くのは、二十年ぶりだった。


 俺は、冷めた缶を握り直して立ち上がった。


 白鯨坑道。あの場所で、俺が何をして、何を救いきれなかったのか。それを今さら蒸し返そうという人間がいる。


 行けば、またあの頃の俺に会うことになる。


 それでも、呼ばれたなら行くしかない。


 俺は、まだ生きている。あいにくとな。

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