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時代遅れと笑われた古参ヒーラー、二十年前の撤退支援で全滅確定の戦場を支配する  作者: 青柳 玲夜(れーやん)


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第一話 回復するな。まだ立ってる奴を死なせるな

 俺の仕事は、誰も死なせないことだ。


 けれどここ数年、その仕事は「最後に使う保険」と呼ばれるようになっていたし、今日の『青羽坑道』攻略でも、扱いは何も変わらなかった。


 東京湾岸第七区の地下搬送路跡に発生した新規ダンジョン、『青羽坑道』。出現からわずか三週間でAランク認定まで駆け上がった、いわくつきの攻略対象だ。そこに挑むのは、国内五指に入るトップクラン『アヴァロン』。総勢、二百四十名。


 俺はそのうちの一人、第三支援線の撤退支援担当だった。


 撤退支援。部隊が勝つためではなく、生きて坑道から出るための役割だ。火力にも討伐数にも出ないため、最新攻略では真っ先に軽く見られる。


「レイさん、ほんとに来たんすね」


 声をかけてきたのは、速水という若いアタッカーだった。赤い軽装甲に大型ナイフを二本差し、短く刈った髪の下で人懐っこく笑っている。嫌味ではない。現代攻略の常識を、そのまま口にしているだけなのだろう。


「うちのクラン、火力ビルド特化なんで。正直、撤退支援の枠って、今どきほぼ保険みたいなもんで」


「ですよね」隣の一人がうなずいた。「最新の自動救命術式なら、致命傷でも三十秒は持つんすよ。治療役が間に合えば戦線復帰できますし、今どき撤退とか考えるだけ無駄っていうか」


「レイさんの時代とは、違いますから」


 違う。その通りだ。


 俺は何も言い返さず、聖印の刻まれた古い杖の握りを確かめた。二十年前の支給品。塗装は剥げ、先端の宝珠は濁って光らない。周りの連中が抱える最新合金の多機能装備とは、何もかもが違っていた。


 時代は変わった。火力で押せばいい。倒れても自動救命術式で生命反応をつなぎ、治療役が立て直せばいい。だから撤退支援なんて、最後に使う保険でいい。


 そう信じられる時代を、俺はずっと、うらやましいと思ってきた。


「全班、進入開始」


 隊内通信越しに指揮官の声が落ちてくる。俺たちは東京湾岸の地下へ口を開けた青黒い坑道へ、隊列を組んで進入した。


 『青羽坑道』の内部は、もともと人間が掘った地下搬送路だったらしい。ところどころに剥がれた標識や朽ちたレールが残っているが、壁面には青い羽根に似た鉱石がびっしりと生え、照明もないのに淡く光っていた。綺麗だと誰かが言ったが、俺にはその光が、古い傷口に浮いた膿のように見えた。


 異変に気づいたのは、進入して二十分が過ぎた頃だった。


 最初は、空気の冷え方だった。新規ダンジョンの冷気は、もっと機械的で均一だ。だがこの坑道の冷たさには妙な湿り気があり、肺の奥に沈み込み、服の内側にまで染みてくる。


 次に、敵の湧き方。最近のダンジョンは攻略パターンが解析され尽くしていて、どこで、何が、どれだけ出るかのデータがある。だがここの魔物は、湧く位置も数も、攻略班の想定から少しずつずれていた。


 そして、回復魔法の通り方。


 俺は試しに、前を行く盾役の足元へ、ごく薄い支援結界を流してみた。ほんの確認のつもりだったが、返ってきた感触は妙に鈍かった。


 反応が遅い。聖属性が、吸われている。


 その感触に、俺は覚えがあった。背筋が冷えたが、まだ口には出さなかった。確証がない。というより、当たっていてほしくなかった。


 崩れたのは、突然だった。


「前衛、接敵! 数、想定の三倍!」


 隊内通信が悲鳴で埋まる。最深部の広間に踏み込んだ瞬間、魔物の群れが四方の壁から噴き出した。青黒い羽根を泥のように貼りつかせた、人型の魔物たち。顔のあるべき場所には坑道作業員のヘルメットに似た硬い殻だけがあり、その殻の奥で濁った光が点滅していた。


 データにない湧き方だった。攻略班が時間をかけて組んだ陣形が、最初の数秒で意味を失う。


「自動救命術式、起動しません!」


 若いヒーラーが叫んだ。


 水瀬ミオ。第三支援線に配属されたばかりの支援職で、白い支援コートの裾をまだ一度も血で汚していないような子だった。彼女は倒れた前衛の胸元に手をかざしていたが、探索者装備に組み込まれた術式は光らない。致命傷でも生命反応を三十秒保たせるはずの最新技術が、沈黙していた。


「撤退ゲート、起動を――」


 指揮官の声が途切れた。坑道の入口側に展開していた青白い光が、ねじれて消える。


 ゲートが、閉じた。


 退路が、断たれた。


 そこからは早かった。回復が通らない。自動救命術式が起動しない。逃げ場がない。前衛が崩れ、空いた穴へ魔物が雪崩れ込む。


 しかも、こいつらはただ近い獲物に飛びかかっているわけではなかった。前衛を押し切るより先に、回復と救命を担う支援職を狙っている。火力ではなく、部隊の継戦能力から潰しに来ているのだ。


 理にかなった狩りだ。その嫌な賢さまで、昔と同じだった。


 周りのヒーラーたちは、倒れた仲間に取りついていた。自動救命術式が起動しないと知ると、今度は回復を撃ち込む。一人を起こすために、二人がかりで。三人がかりで。


 支援端末は、倒れた前衛を赤く表示していた。


 最優先救護対象。


 その三歩後ろで、盾役が膝をつきかけている。端末はまだ黄色表示だ。だが俺には、次の一撃でその盾役が崩れ、空いた穴から後衛まで食い破られるのが見えていた。


 俺は動かなかった。いや、動かないと決めた。


 ここで倒れた一人に駆け寄れば、その分の支援が、まだ立っている十人から消える。一人を拾おうとして、十人を見殺しにする。俺は、それで部隊が壊れるのを見たことがある。


 だから俺は駆け寄らない。代わりに、戦場全体を見ていた。


 吸われる聖属性。合わない湧き方。湿った冷気。閉じた退路。支援職を先に潰す、嫌な賢さ。


 ばらばらだった違和感が、頭の中で一本に繋がっていく。


 これは、新型じゃない。


 最新の攻略がまるごと通用しないのは当然だった。こいつは、二十年前に消えたはずの初期型ダンジョンの法則で動いている。


 データには残っていない。ただ、俺の体だけが、まだ覚えていた。


 俺は杖を握り直した。濁った宝珠が、ほんのわずかに熱を持つ。


「全員、聞け」


 俺は途絶えかけた隊内通信に割り込んだ。誰も止めなかった。


「自動救命術式に頼るな。ここでは起動しない。倒れた奴を立て直そうとするな」


「で、でも!」ミオの声が震えていた。倒れた前衛に、まだ回復を撃ち込み続けている。「レイさん、じゃあ、誰を回復すればいいんですか!」


 俺は即答した。


「回復するな。まだ立ってる奴を死なせるな」


 一瞬、隊内通信が静まり返った。


「倒れた一人に回復を全部つぎ込むな。その間に、立ってる十人が死ぬ。お前らがやるのは、勝つことじゃない。生きて帰ることだ」


 俺は走り出した。前衛のいる最前線ではなく、その逆。崩れかけた退路の側へ。


 派手な攻撃魔法は撃たない。俺にそんな火力はない。代わりに、俺にやれることをやる。


 杖の石突を坑道の床に叩き込み、退路の上へ聖域を敷く。


 今の支援職なら、端末から術式を呼び出し、対象者の体へ直接効果を貼りつける。攻略法が固まっている今なら、誰に何をかけるかを決めればいい。


 だが、二十年前の撤退支援は違う。


 何が起きるか分からなかった時代の支援は、誰が狙われても死なない場所を先に作るものだった。人を守る前に、人が逃げる場所を守る。足を置く床を、息を継ぐ壁際を、生きて戻るための道そのものを聖域に変える。


 光は派手に広がらない。ただ、坑道の床に白い線が走り、崩れかけた退路だけを細く照らした。そこから外れれば魔物の爪が届く。そこに戻れば、一撃だけは聖域が受け止める。


 倒れる寸前の支援職の足元に、小さな聖壁を立てる。回復じゃない。次の一撃を一度だけ逸らすための、予防の支援だ。


 恐慌に散った連中の足元へ、退避の道筋を光で示す。深追いした前衛の足元に聖印を起こし、退路の内側へ強制的に押し戻す。一人を完全に救うことはしない。十人を死なせないために動く。


 そのときだった。


 ミオが、横合いから伸びた魔物の爪に捉えられかけていた。倒れた仲間に気を取られ、足が止まっている。間に合う回復はない。


 俺は走りながら、爪とミオの間に白い聖壁を一枚差し込んだ。


 振り下ろされた爪が、聖壁に噛みつく。


 白い光が砕け、爪の軌道が半歩だけ逸れた。ミオは後ろへ弾き飛ばされ、尻もちをついて、それでも生きていた。傷ひとつ、ない。


 ミオが信じられないという顔で自分の体を見下ろした。それから、俺を見る。


「いまの、回復じゃ……ないですよね」


「言っただろう」俺は次の聖壁を、別の誰かの足元へ立てながら答えた。「立ってる奴を死なせるな。お前はまだ、立ってる」


 彼女の目の色が変わった。


 次の瞬間には、倒れた仲間ではなく、隣で膝をつきかけた盾役へ支援を回しはじめていた。飲み込みが早い。


「倒れた人じゃない!」ミオが震える声で叫ぶ。「まだ立ってる人に支援を回して! 今は回復じゃない、生存維持!」


 その声が第三支援線に広がった。


 誰かが端末の優先表示を切り、誰かが倒れた仲間から手を離して、まだ踏ん張っている前衛へ支援を投げる。別の誰かは、俺の敷いた退路の聖域へ、仲間の肩を引きずって戻ってきた。


 戦場が、少しずつ組み変わっていく。


「第三支援線! 俺の声に合わせろ。三秒前進、二秒後退、それだけを繰り返せ。欲を出した奴から死ぬぞ!」


 火力で押し返しているわけではない。魔物の数が目に見えて減っているわけでもない。それでも、倒れていく人間の数だけは確かに減り始めていた。


 俺の声が届く範囲では、新しく倒れる人間の数が目に見えて減っていた。


 それでも、全員は救えなかった。


 俺の声が届かなかった場所がある。届くのが、一秒だけ遅れた場所がある。


 退路の手前で、速水が倒れていた。


 さっきまで「保険みたいなもん」と笑っていた男が、誰よりも前に出て、後続を逃がそうとして、そこで力尽きていた。


 即死ではなかった。


 俺の聖壁が、最後の一撃をわずかに逸らしていた。呼吸はある。脈もある。だが、右腕は動かない。魔力回路も、肩口から焼け落ちるように乱れている。


 命だけは残った。だが、元に戻せたわけじゃない。


 間に合わなかった。


 俺はその顔を見た。胸の奥で、古い傷がまた一つ、音もなく口を開ける。


 まただ。


 俺は、また救いきれなかった。


 それでも俺は、まだ立っている連中へもう一度声を張った。今できることをやるしかない。俺は、それしか知らない。


 撤退ゲートが復旧したのは、それから十分後だった。


 初期型ダンジョンの法則では、広間の魔物を倒しきらなくても、一定時間だけ群れの侵攻を退路から遠ざけ、出口側の聖域を維持すれば、閉じた退路が一瞬だけ戻る。俺はそれを覚えていた。


 生き残った連中を、一人残らず外へ押し出す。最後に坑道を出たのは、俺だった。


 地上の空が、異様に明るく見えた。担架が並び、隊内通信が錯綜し、探索者ギルドの職員が青い顔で走り回っている。


 死者、二十七名。行方不明、十一名。重傷、六十四名。


 本来なら、全滅していてもおかしくない現場だった。その数字で止まったこと自体が、異常だった。


 ただ、その数字の中に一つだけ、説明のつかない異常値があった。


 第三支援線の管理区域、生存率九十二パーセント。


 その数字が、二十年前に閉じたはずの『白鯨坑道』の記録を開かせることになるとは、この時の俺はまだ知らなかった。

新作です。


少しでも「レイさん何者?」と思っていただけたら、ブクマ&星評価で応援していただけると嬉しいです。


皆さまの支援が、レイさんの次の撤退支援につながります。

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