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時代遅れと笑われた古参ヒーラー、二十年前の撤退支援で全滅確定の戦場を支配する  作者: 青柳 玲夜(れーやん)


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第十三話 報酬欄を見る

 武具店でエルに似合うと思ったあの弓を見た日から、俺の中には「まだ」が居座っていた。


 まだ足りない。まだ届かない。その「まだ」は登録所の掲示板の前に立つたび、俺の目の動きを少しずつ変えていった。


 その日、掲示板の前では係の男が古い募集紙を剥がしていた。


『大規模合同探索・二十名募集』


 何日も借り手のつかなかった紙だ。べりと音がして、板の上に糊の跡だけが四角く残る。


 その上から、新しい紙が重ねて貼られていく。


『少人数向け・出来高制』

『二名〜三名推奨』

『ペア歓迎』

『素材回収・分配制』


 どの紙も報酬額だけが朱書きだった。黄ばんだ灯りの下で、その数字だけが浮いて見える。


 俺の目は、行き先より先に朱の数字を探すようになっていた。


 隣でミドリの指が同じ紙の上を滑った。俺の指とは逆の方へ。彼女の指は紙の下の方、影に沈んだ黒い一行で止まる。


『帰路保証なし』


「……これ、最近、多くない?」


「その分、報酬がいい」


「うん。報酬は、いいね」


 それだけ言って、ミドリは指を離した。


 背後で床が重く鳴る。


 振り返ると、帰還したばかりの二人組が膨れた素材袋を床へ下ろしているところだった。袋の底が石床を擦った跡は、入口から一本の線になって続いている。担いで帰る余力がなかったのだろう。


 周りの探索者がざわつく。


「二人で、あんなにか?」


「頭数が少ないと、分け前が多いんだよ」


「最近は二人組の方が早いって聞くぜ。大人数だと、取り分が薄くてやってられん」


 俺は袋の膨らみを見ていた。あれ一袋でいくらになるのか、頭の中で勝手に算盤が動く。


 ミドリは袋ではなく、二人組の方を見ていた。片方の膝当ては縦に割れ、もう片方は首元に包帯を巻いている。


「最近、こういうの増えたね」


 ミドリがぽつりと言った。


「二人で潜るって、そんなに楽な話じゃないと思うけど」


「稼げるなら、人は潜る」


「……そうだね」


 俺たちは貼りたての一枚の前で足を止めた。


『旧搬送路低層・素材回収。二名〜三名推奨。ペア歓迎。出来高分配。帰路保証なし』


 上段の報酬額は朱書きだった。俺の指はその数字をなぞりながら、頭数で割り、往復の日数で割り、弓の値札から引いていた。割り算はもう癖になっていた。


 同じ紙の上をミドリの指が下りていく。俺の指とすれ違うように、彼女の指は下段の黒い一行で止まった。帰路保証なし。朱の数字よりずっと小さい、紙の影に沈んだ字だ。


「報酬も大事だけど……」


 ミドリはそこまで言って、やめた。


 紙の端で、ペア歓迎の四文字が湿気に小さく揺れていた。俺はちらりとミドリを見る。ミドリは紙を見ていた。どちらも何も言わなかった。


 帰路保証なしの文字を、後回しにした。


 その依頼を受けた。


 組んだのは寡黙な前衛が一人。それに俺とミドリ。三人だ。役割の数より人が少ないことには、もう慣れていた。


 旧搬送路の低層は、青白い魔石灯の下でいつも通り湿っている。現場での俺は便利だった。前衛の横の空きを埋め、横穴から出た小型を小盾で払い、背負った回収袋を庇う。前衛の擦り傷に薄いヒールを入れ、退路へ回り込みかけた一匹を白い光で追い払う。


 どれも薄い。どれも足りない。だが三人しかいない現場では、足りない仕事をいくつも埋められるだけで穴は塞がった。


 ミドリは要所に白い線を引き、湿った横穴の前では必ず足を止めて、俺と前衛を先に通した。


 帰り道、その白い線が一箇所、滲んで消えかけていた。壁から染み出した水のせいだ。俺は報酬の計算をしていて、そこを素通りしかける。


 ミドリが黙って膝をつき、白い線を引き直した。


「レイ、こっち」


「ああ」


 返事だけして、俺は足を止めなかった。


 俺が朱の数字で選んだ依頼を、ミドリの白い線が下から支えていた。そのことに、あの頃の俺は気づいていない。


 奥へ行く連中ほど、少人数で身軽だと聞く。エルのいる場所も、たぶんそうだ。なら、この流れの先で間違っていない。そう思うと、足取りだけは軽かった。


 地上へ戻ると、寡黙だった前衛が初めてまともに口をきいた。


「少人数だと、あんたみたいな支援が助かる。前も後ろも、少しずつ見られる奴は便利だ。また頼むわ」


 登録所で報酬袋が掌に落ち、硬貨が鈍く鳴った。この前よりまた少し重い。頭数が少ないぶん、分け前が厚い。掲示板のざわめきは嘘じゃなかった。


 足りない。まだ全然足りない。それでも確かに近づいてはいる。


 俺は袋の口を握った。ミドリは俺の袋を見ていなかった。机に置かれた依頼紙の控え、その下の方の一行を黙って見ていた。


 夕方の武具店は橙色だった。


 壁の弓は誰にも買われないまま、まだそこにあった。磨かれた木目が夕陽を拾って、この前より深い色に光って見える。値札の横に、取り置き札を掛けるための小さな釘が打ってある。札は空のままだった。


 俺はこの前より一歩近くに立った。


 店主が寄ってきて、値札を指の背で弾く。乾いた音がした。


「いい木目だろ。……安くはないぞ」


 俺は報酬袋を握った。硬貨が鈍く鳴る。この音をあと何回重ねれば届くのか、頭の中でまた割り算が始まる。少人数なら分け前が多く、便利なら呼ばれる。呼ばれれば稼げる。


 稼がないと、届かない。


 弓に届きたいのか。それとも、もっと別のものに届きたいのか。そこは自分でも言葉にしなかった。


「取り置きなら、頭金がいる」


 店主が言った。


 隣でミドリが口を開きかけた。


「それ、誰に――」


 言い切る前に、彼女の腰でチョーク袋が小さく擦れる音がした。ミドリは結局、続きを言わなかった。いつものように。


 俺は弓の弦を見た。張りたてのまま、誰にも引かれずに夕陽の中で細く光っている。


 店主が金額を言う前に、俺の手の中で硬貨が一度、鈍く鳴った。


「……いくら置けばいい」

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