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第37話 世界中が敵になっても

「……帝国が提示したこの外交文書の証拠能力について、王妃側から反論はありますか」


カナト様が法廷全体に響く声で問いかけた。


玉座に座る王妃イザナは、顔面を蒼白にしながらも、ギリッと唇を噛み締めて立ち上がった。

彼女は、まだ諦めていなかった。


「……でたらめです。その文書が本物だとしても、それはあくまで『国家間の高度な政治的取引』に過ぎません。ルネリア王国を守るために、私が神殿のいざこざを利用し、帝国から資金を引き出しただけのこと。……すべては、国のためです!」


王妃は、扇を私に向けて鋭く指し示した。


「その小娘こそが、我がルネリア王国を根底から破壊しようとする危険な女です! 神殿の権威を失墜させ、貴族院を混乱させ、民衆を扇動し、ついには帝国という外部の脅威まで引き入れた! 彼女は『世界の敵』として、この場で裁かれるべきです!」


王妃はさらに、広場の民衆へ向けて声を張り上げた。


「民は真実だけで生きているのではありません。信じるべき美しい物語で生きているのです。あなたは、その物語を奪おうとしている!」


王妃の最後の抵抗。

「国のため」という大義名分を盾に、すべての責任を私一人に押し付け、強引に「世界の敵」として処刑しようというのだ。


裁判長も、傍聴席にいる神殿の残党たちも、王妃の言葉に縋るように「そうだ!」「月の姫を処刑しろ!」と叫び声を上げ始める。

彼らにとって、私が「絶対悪」にならなければ、自分たちの今までの搾取が全否定されてしまうからだ。


だが、私はその怒号を正面から受け止め、ふっと、冷たく、そして誇り高く微笑んだ。


「王妃様。私が壊したのは、王国ではありません」


私は、枷の嵌められた両手を胸の前に掲げ、はっきりと言い放った。


「私が壊したのは、王国のふりをした、ただの『檻』です」


「な……っ」


「神殿の寄付金を横領し孤児を売ることも、貴族が子どもを奴隷のようにこき使うことも、あなたがその不正を黙認して私腹を肥やすことも。……それは『国のため』なんかじゃない。あなた方一部の特権階級が、自分たちの都合の良い世界を守るための、醜い檻に過ぎない!」


私の声が、広場に響き渡る。

バルコニーの下に集まった数万の民衆たちが、静かに私の言葉に耳を傾けていた。


「私は、その檻を壊しただけです。……そして今、その檻の鍵を開ける証人が、もう一人ここにいます」


私が視線を向けた先。

法廷の入り口から、一人の青年が進み出てきた。


金色の髪と青い瞳。

この国の次期国王たる、レオルド王太子殿下だった。


「レ、レオルド……! なぜ、お前がそこに!」

王妃が驚愕に目を見開く。


「母上。私は、もう逃げません」


レオルド殿下は、ゆっくりと、だが確かな足取りで証言台へと立った。

そして、数万の民衆と、玉座の母に向かって、静かに語り始めた。


「私は王太子として、母上が行ってきたすべての不正を証言します。神殿への資金援助の打ち切りをちらつかせての賄賂の要求。貴族院の違法契約の黙認。……そして、それらを『穏便な国政』と称して、私自身が見て見ぬふりをしてきたことも」


「お、おやめなさい! それは王家そのものを否定する言葉ですよ!」


「ええ。だからこそ、私が言わねばならない」


殿下は、深く、長く息を吐いた。


「王家の威信のために、弱い民の声を黙殺することは、もう終わりにしなければならない。ミオラ・ルナシア公爵令嬢の告発は、すべて真実です。彼女は王国の敵ではなく……我々王家が目を背けてきた、真の正義そのものです」


次期国王による、王家の罪の完全な自白。

それは、王妃が最後に縋っていた「国のため」という大義名分を、根本からへし折るものだった。


「あ、ああ……っ」


王妃イザナが、とうとう膝から崩れ落ちる。

裁判長も、神殿の残党たちも、もはや誰一人として反論の声を上げることはできなかった。

バルコニーの下の民衆たちからは、王妃の腐敗を非難する声が、波のように広場全体に響き始めている。


「……これで、すべての証言と証拠が揃いました」


カナト様が、私を振り返って静かに頷いた。


終わったのだ。

私たちが泥臭く積み上げてきた証拠が、ついにこの腐った王国の分厚い壁を完全に打ち崩したのだ。


「ミオラ様。長かったですね」

「ええ、カナト様。本当に……」


私が安堵の息を吐き、彼と微笑みを交わそうとした、その時だった。


「……まだです」


玉座にへたり込んでいた王妃が、顔を伏せたまま、呪詛のように呟いた。

彼女の目は、完全に血走っていた。


「私の敗北は認めましょう。……ですが、カナト・エルゼン! あなただけは、絶対に許さない!」


王妃は、震える指でカナト様を指差した。


「あなたが提出したその外交文書や、貴族院の裏帳簿……それらはすべて、あなたが宰相府の権限を逸脱し、あるいは罷免された後に違法に収集したものではありませんか!」


「……」


カナト様の灰色の瞳が、スッと細められる。


「証拠の収集過程が違法である以上、それらの証拠能力は法的に無効です! いかに真実であろうと、法の番人たるあなたが法を犯して集めた証拠で、この私を裁くことなどできはしない!」


王妃の最後の切り札。

それは、カナト様の実務における『手続きの瑕疵』を突くことだった。


確かに、カナト様が私を助けるために行った特級保管庫への侵入や、罷免後の密命書の持ち出しは、完全に違法な行為だ。

王妃がそれを法的に問題視すれば、裁判そのものが根底から覆ってしまう危険性があった。


「カナト様……!」


私が焦って彼を見ると、カナト様は手袋をした手で、ゆっくりと自分の襟元を正していた。

その表情には、焦りも、怯えも、微塵もなかった。

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