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第36話 国境の外から届いた封蝋

「ナナ・リネット。あなたの故郷にいる両親と幼い弟は、昨夜、王家への不敬の疑いで近衛兵が『保護』しました」


王妃イザナのその宣告は、法廷に集まった証人たちの心を完全にへし折るための、冷酷で完璧な一撃だった。


「ひっ……!」


ナナが顔を覆って泣き崩れる。

他の証人たち――ユイナや孤児院の職員、下級騎士たちも、自分たちの家族や大切な人の名が『保護』という名目で呼ばれるたびに、絶望に青ざめ、その場に崩れ落ちていった。


「王妃様……! あなたという人は、どこまで……!」


アスカル様が聖剣の柄を握りしめ、怒りに震える声で叫ぶ。

しかし、彼もまた身動きが取れなかった。彼がここで剣を振るえば、証人たちの家族は本当に『不敬罪の共犯』として処刑されてしまうのだ。


「私を恨むのは筋違いというものですよ、アスカル」


王妃は、冷ややかに微笑んだ。


「彼らの家族を危険に晒したのは、他でもないミオラ・ルナシアです。彼女が身の程を弁えず、王国の秩序を乱そうとしたからこそ、その代償として関係者までが罪に問われている。……そうでしょう?」


王妃のすり替えの論理に、傍聴席の貴族たちから同調のざわめきが起こる。


「そうだ、月の姫が悪いのだ!」

「あの娘が大人しくしていれば、こんなことにはならなかった!」


王妃は扇で口元を隠し、私を――手首に枷をはめられたまま、被告人席に立つ私を、勝ち誇ったように見下ろした。


「さあ、ミオラ。あなたの『味方』たちは、もはや何も証言できません。彼らはこれから、偽証罪と国家反逆の共犯として、私が正しく裁いてあげましょう。……最後に何か、言い残すことはありますか?」


絶対的な絶望。

誰もが私の敗北を確信し、証人たちが涙に暮れる中。


私は、ゆっくりと顔を上げた。


「……王妃様。あなたは本当に、完璧な支配者です」


私は枷の重みに耐えながら、静かに、だがはっきりとした声で言った。


「情報の網を張り巡らせ、私の手札を事前に把握し、最も残酷な形で無力化する。……その実務的な冷酷さには、敬意すら覚えますわ」


「負け惜しみですか?」


「いいえ。私が言いたいのは……あなたが完璧すぎるからこそ、自らが作り上げた『王国の枠組みの内側』しか見えていないということです」


「……何?」


王妃がわずかに眉をひそめた、その瞬間だった。


「――待たれよ!」


広場の入り口から、空気を震わせるような大音声が響き渡った。

衛兵たちが慌てて道を空ける。そこから進み出てきたのは、王国の人間ではない。

異国の豪奢な衣装を纏い、砂漠の民特有の褐色の肌を持つ屈強な戦士たちだった。


「な、なんだお前たちは! ここはルネリア王国の最高法廷だぞ!」


裁判長が木槌を叩いて叫ぶが、異国の戦士たちは一切怯むことなく、法廷の中央へと進み出た。

彼らの手には、金糸で縁取られた豪華な書状箱が恭しく捧げられている。


「我々は、砂海帝国サフィールより遣わされた特使団である。我が帝国の全権特使、ライハ・サフィール殿より、この法廷へ提出すべき『重要な外交文書』をお持ちした」


その言葉に、王妃イザナの顔色が初めて変わった。


「帝国が……なぜ、この裁判に介入を? そのような文書の提出など、私は許可していません!」


「許可は不要です。これは、ルネリア王国と我が帝国の『国家間の安全保障』に関わる重大な事案に関する公式文書ですから」


帝国の使者は、王妃の制止を無視し、その書状箱を真っ直ぐに……私の特別補佐人として立っている、カナト様へと差し出した。


「お預かりします」


カナト様が、恭しくそれを受け取る。

その様子を見て、私はふっと微笑んだ。


(……やはり、あの時の言葉は嘘ではなかったのね)


『ならば帝国は、別の形で関与させてもらうとしよう』

『明日の式典、王妃の足元がどう崩れるか、見物させてもらう』


私に帝国への亡命を断られたライハ特使は、私の覚悟に敬意を表し、私がこの国で戦うための最大の『武器』を、国境の外から手配してくれていたのだ。


「カナト・エルゼン! その箱を直ちに私に渡しなさい! それは帝国の内政干渉です!」


王妃が立ち上がり、声を荒らげる。

しかし、カナト様は手袋をした手でゆっくりと箱の封蝋を割り、中から一枚の羊皮紙を取り出した。


「内政干渉ではありませんよ、王妃様。これは、あなたご自身が過去に帝国と交わした、正当な『取引記録』ですから」


「なっ……!」


カナト様は、その羊皮紙を高く掲げ、広場全体に響き渡る声で読み上げ始めた。


「『ルネリア王国・月神殿の管理下にある聖女候補の魔力供給システムについて。帝国はこれ以上の技術提供を要求しない代わりに、王妃イザナ個人の裏口座に対し、毎年金貨一万枚を支払うものとする』」


広場が、水を打ったように静まり返った。


「……ッ!」

王妃が、信じられないものを見るように目を見開いた。


「神殿のセザン大神官が聖女候補たちを不当に搾取し、その一部を帝国の魔術実験のために売り渡していた事実。……王妃様、あなたはそれを知りながら放置したばかりか、帝国から直接、莫大な賄賂を受け取っていた」


カナト様の言葉は、王妃の喉元に突き立てられた氷の刃だった。


「しかも、その『帝国の外交文書』には、王妃様ご自身の署名と、王家の印章がはっきりと残されている。……いかにあなたでも、隣国の大帝国が公式に提出した外交文書を、『ミオラ様が捏造したものだ』と言い逃れることはできないはずです」


「あ、ああ……っ」


王妃が、力なく玉座にへたり込んだ。


証人たちを脅し、国内の証拠をすべて握り潰したとしても。

王国の外――他国の公文書という、絶対に手が届かない場所に残された証拠までは、隠滅することはできなかったのだ。


「ミオラ様」


カナト様が、私を振り返った。

その灰色の瞳には、「証拠は揃いました」という確かな熱が宿っていた。


「さあ、王妃様」


私は、枷の重みなど忘れたように背筋を伸ばし、玉座で青ざめる王妃を真っ直ぐに見据えた。


「私の味方たちの声を奪っても、真実は決して消えません。……今度こそ、ご自分の罪と向き合っていただきますわ」


公開裁判の風向きが、完全に変わった瞬間だった。

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